
これからは、ずっと40歳のまま生きてみようと思う。
noteに書きたい思いつきを、Notionに一行くらいでサクッとメモするようにしている。Xにポストしたっていいんだけど、酔ってるときに投稿して事故ってしまったらまずいし、たとえシラフのときでも壮大に滑ったら恥ずかしいし。
そんなメモたちのうち、使えるかどうかは微妙なのだけど、消すのは惜しいと思っているものを挙げてみる。
・ 中高生と中高年って、なんだか似ているね。
・ オヤジギャグ、オバンギャグ、アバンギャルド、オバンギャル
・ キラキラ起業女子よりも、ビジネスばばあ。
……酔っ払った私は一体何を考えているのか。恥ずかしい限りである。あ、でも「オヤジギャグ、オバンギャグ、アバンギャルド、オバンギャル」はちょっと好きかも。何が言いたかったのかは全然わからないけど。
いずれにせよ、今の私は「年齢を重ねていくこと」について関心があるのかもしれない。
「20代の頃のようには体が動かなくなった」という話は人からよく聞くが、40代になった私にその実感はまったくない。むしろ、20代は毎日二日酔いで体調が悪かったから、今のほうがよっぽど元気で体力もある。
白髪は確かに増えた。でも、染めるつもりはない。白髪には憧れがある。
そのきっかけは、長野まゆみさんの小説『耳猫風信社』だ。11歳の主人公が出逢う、眼帯で細身の少年。彼は唐突にこんなことを聞いてくる。
「きみサ、前髪をフラッシュピンクに染めようと思ったことある、」
聞けば、彼の兄たちの間でそれが流行っているらしい。
「きみは、ピンクに染めるより、銀か黄金のほうが似合うと思うよ。でも、そのままだって、ぼくには充分羨ましいけどね。黒曜石みたいにツヤのある髪だもん、洒落てるよ」
漆黒の髪を、ひと房だけ銀に染める。それは初めてこの本を読んだ十代の頃からずっと、真似してみたい憧れだった。ちょうど前髪がひと房、際立って白髪になって、長年の夢が叶ったのだ。ブリーチだけでは、金髪にはできるけど銀髪にするのは難しい。これは白髪の特権だ。鏡を見るたび、すこし得意な気持ちになる。
年齢を重ねることは、私にとっては「老い」や「衰え」ではないのだろう。憧れに近づいていく一歩一歩という気がしている。
「天縄文理論」を教えてくださった小山内洋子さんは、毎年「40歳」の誕生日パーティーを開かれていた。理論によれば、人間の細胞は40歳でピークを迎え、そこから先は命尽きるまで平行線で保つことが可能だと言う。四十数回目の「40歳の誕生日」を迎えられた洋子さんは、本当に少女みたいに可愛らしかった。

私もこの先は、ずっと40歳のまま生きてみようと思うんだ。