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noise.

    20代を生きていると

    割と高頻度で「これが人生を左右するかもしれない。」と思う選択の場面に立ち会う。

    そしてその選択に迷うとき、
    必ずといってもいいほど
    いつか最後にふっと腑に落ちる感覚が落ちてくる瞬間があるような気がする。

    それは昨日のことだった。


    私は今、あることで迷っている。
    それは職に関することで。

    地元でか、今働いている地でか、
    ということもそうだし、

    そもそも、試験を受けるか受けないか、
    という選択肢においても、で。


    もともと昨年度末あたりから、
    立場上一番上のかたとは話はしていて、
    今働いている地で、試験を受けてみる
    というのが昨年度末出した答えだった。

    しかし、地元に定期的に帰り、恩師に会ったり
    また受かったら、今いる職場には残れないという理由を考えたりしながら

    そして実際毎日20時前後に帰ってくる平日のことを考えると、あと2ヶ月
    なにをモチベーションに取り組むのか、
    そして受けるという選択が本当に本当に、自分が望んでいることなのか改めて考えたいと思うようになっていた。

    (ベストなんてない。)
    (悩んでいる時間があったら、勉強をしろ。)

    そんな声も自分の中であったけれど、
    それでもこれまでの人生において
    悩みまくったことが、いまの自分が納得して生きさせてくれていることを思うと、

    やはり「悩む」という行為は
    自分にとっては大切な行為であると
    思えてくるのである。

    勉強をしながら、
    ゆらゆらと揺れ動く自分の心と
    向き合う新年度が始まった。

    はじめて、「自分から相談しよう」と思えた。

    私は、幼い頃から「自己開示」が苦手だ。

    しかし、自他共に認める「かまってちゃん」ではあり笑
    承認欲はそれなりにあるというか、
    まあ総じてめんどうくさい性格をしている。

    中学生のころから、「もっと自分の気持ちを話してくれないと分からない」と当時お世話になっていた顧問にも言われた。

    「察してちゃん。」

    昔から引きずっている私のアイデンティティ。


    職場にいても、お世話になっている先輩が、「どうした?表情良くないぞ、話聞こうか。」と気づいてくださり、救われたことがなんどもある。

    本当は自分から言いたいけれど
    気づいてほしい、気づいてもらえたら嬉しい
    し(え、笑)
    話して面倒がられてもいやだし
    人の時間はあまり奪いたくないし

    なんて考えていると、やっぱり言えない。


    でもそんな私が、昨日は
    「話したい。」と自分から思い、
    その先輩に声をかけて話を聞いてもらうことに成功した。

    心の底から大したことではない
    それでも私からしたら大きな一歩だった。


    業務のなかでの相談に乗っているうちに
    わたしの中で、"来年もこの先輩はこの職場にいるのか"ということが気になり始めた。

    職業柄、私たちの職業は何年かで異動があり
    働く場所も働くメンバーも変わる。
    それは簡単に自分で選択できるものではない。

    限られた選択肢のなかで、
    私はやっぱり"誰と働くか"が
    自分にとっていかに重要か
    その瞬間に思い知らされた。

    今年受けるのを辞めよう。

    その瞬間にふと思った。
    今の職場に、大好きな先輩が2人いる。
    愛と、熱に溢れた、尊敬できる先輩だ。

    その人たちが、来年もう1年まだこの職場にいることを考えると、
    意識して自分からこの職場を出ていく選択肢が、今の私にとって嬉しいものではないということは、誰よりも私がわかっていたはずで。

    試験を受けることに対して、背中を押してくれる人たちがいないわけではない。

    同期の彼女も、今よりも給与が良くなることや、父だって退職のことを考えると、早く試験を受けたほうがいいと言ってくれた。

    でも、「受けなくてもいいんだよ。」って
    自分に言ってあげられたら、
    心はすごく楽になった。

    甘えなのだろうか。

    この気持ちをまだ誰にも話せてはいない。

    散歩で人生が変わる、はほんと。

    久しぶりに、あの通りを散歩したくなった。

    お気に入りのカフェでゆっくり時間を溶かすには、パーキングに停めてその時間に急かされるより、歩いていくそのほうがいいと思った。

    家から出て、数分歩いただけで
    もうその選択が正解だったと思った。

    「久しぶりに呼吸をした。」

    そんな感覚だった。
    思えば、車で行き帰りを往復し
    職場に着いてからも基本、慌ただしく建物のなかで動いている生活。

    いかに浅い呼吸をしているのか、
    というくらい、ただ山を片目に歩いているだけで、それはヨガをしているような呼吸の巡りだった。

    解放された感覚だった。

    私をいつも惑わすのはnoiseなような気もした。
    それは社会的なnoiseだったり、
    他人の願いから来るnoiseだったり。

    納得する選択肢を掴み取るために忘れないでおきたいのは、

    日々を営んでいると、そんなnoiseが無意識のうちに私を覆い始めているという事実。
    そして、違和感を恐れず、そのnoiseと真正面から向き合う勇気と時間が必要だということ。

    私が迷いやすいのは、
    きっと受け取りやすいから。
    そのnoiseを感じやすいから。

    そうだと思いたい‥

    🌱

    なるほど、歩けばいいのだ。
    とシンプルに思った。

    日焼け止めとリップだけ塗り、
    最低限の荷物で外に出て、イヤホンで聴きたい音楽を聴き、行きたい場所で食べたいものを食べる。

    そのことが私をnoiseから少し解放してくれるように思えた。

    結局あしたのことなんて、
    大丈夫だ、と言ってあげられるのは
    自分しかいない。

    何度だって、そうやって自分と向き合うことを繰り返して。
    わたしは日々を営んでいくのだと思う。

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    yumi

     
     
    日々のことと、備忘録🪴 ・ 瀬戸内海がすきです。

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