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答えを渡さない、という選択──わたしが「読まれる文章」に違和感を覚えた理由

    こんにちは、みほです。

    最近、ずっと感じている違和感があります。
    それは、「SNSで読まれる文章」と呼ばれているものについて。

    よく言われているのは、こんなこと。

    • はっきり言い切る

    • 結論を先に

    • 主張の一貫性

    • 強い言葉(バズワード)で興味を引く

    たしかに、それは“読まれる”ためには合理的なのかもしれません。
    でも、わたしはどうしても、そこに引っかかりを覚えてしまいます。


    「読まれる文章」は、考えさせない文章?

    SNSでよく見かける文章って、
    強い主張とインパクトで興味を惹き、
    「こうすればいいよ」と差し出してくるものが多い。

    読んだ瞬間、
    「あ、なるほど」「そうなんだ」と思えて、
    考えなくて済む。

    それって、ある意味とても親切です。
    迷っている人が求めているのは「答え」だから。

    でも同時に、こうも思うんです。

    それって、考える余地を奪っていない?


    「正解はこれです」という書き方への違和感

    わたしがいちばん引っかかるのは、
    「これが正解」「他は間違い」という前提で書かれている文章。

    それって、
    読者を「答えを受け取るだけの存在」として扱っていないだろうか。

    本当は、読む人それぞれに、

    • 今いる状況

    • 抱えている背景

    • 大切にしたい価値観

    があるはずなのに。

    それを考慮せずに、
    「これが正解ですよ」と置いていく感じ。

    わたしは、そこに
    読者への敬意が少し欠けているような
    気がしてしまう
    んです。


    答えを渡す人ではなく、ヒントを差し出したい

    わたしは、誰かを安心させてあげるための言葉を
    量産したいわけではありません。

    「大丈夫だよ」
    「こうすれば解決するよ」

    そう言い切ることは、簡単です。
    でも、それは一時的に楽になるだけで、
    その人が“自分で考える力”を育てることには
    つながらない。

    わたしが書きたいのは、

    ・わたしは、こう考えてみた
    ・こうしてみたら、少し楽になった
    ・でも、これはわたしの場合

    という、思考の途中そのものです。

    答えじゃなくて、
    考え方の「入り口」や「視点」を
    そっと置いておく。

    それを受け取った人が、
    「わたしの場合はどうだろう?」と考え始めてくれたら、それで十分だと思っています。


    考えなくさせる優しさより、考える力を信じたい

    今のSNSは、極端な言葉で溢れています。

    • 早く

    • 強く

    • わかりやすく

    • 迷わせない

    これが正義になってる。

    まだ経験していない未来のことも、
    ネットで調べれば全てわかった気になれます。

    でも、実際の人生は、
    やってみないとわからないことばかり。
    ほとんどが極端の“あいだ”にある、
    はっきり言い切れない曖昧なもの。

    揺れながら、迷いながら、その都度
    「今の自分にとっての最適点」を探していくものだと感じています。

    だからわたしは、
    考えなくさせる優しさより、考える力を信じたい。

    答えを与える人ではなく、
    「一緒に考える人」でありたいと思っています。


    バズらなくても、いい

    わたしも一時期、たくさんの人に読まれたくて
    「こう書いたほうが読まれる」という方法を調べて
    試したこともあります。

    でも、やっぱりしっくりきませんでした。

    たくさんの人に届かなくてもいい。
    ただ、考えたい人にだけ、届けばいい。

    一度傷つき、迷いながらも、
    「じゃあ、これからどうする?」という視点を
    持ち始めている人に。

    このnoteは、そういう人と
    静かに思考をやりとりする場所でありたいです。

    わたしは、答えを置きません。
    ヒントだけ、置いていきます。

    拾うかどうか、どう使うかは、
    読む人に委ねたいから。

    今日も、ちょうどいいを探してる🪴


    最後まで読んでくださって、ありがとうございました!

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    「どちらか」ではなく、「どちらも」を探す人。 「これしかない」と思っていたものを一度ほどいて、自分に合う形に編み直していく庭。日常の出来事を、少し違う角度から見つめるエッセイを書いています。 🥖食べられる気づきを置く、思想パン屋 2児の母|Kindle2冊📚

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