
天楼の淵
やさぐれたって、こんなことしません。
ええと、そんなに生粋でしょうか。
そんなはずはありません。
ただの塔。石と、木と、ただそれだけじゃあありませんか。
私の歩く速度に、阿吽に励むこの老人は。
「若人若人、どこへゆく。この塔には何も無い。」
「何を言うか。塔には答えがあるのです。これを登るだけで、それを得られるのです。」
私の返答を聞くと、すっかり老人は閉口してしまいまして、全く困ったものでしょう。
ほうほうと着いてこられても、もてなしは向いちゃいないんです。
歩みをすすめ、塔の頂きを目指すのです。そこに答えがあるのです。
困るとは言ったものの、我らが人間、少し話をしてみましょう。
「あなたはどうして塔を登る。」
「若人、そなたが登るから。」
「私は放っておいてください。」
「若人、それは無粋だろう。」
こんな調子で、まるで歯がたちません。
どうやら、塔の中腹か、ここらでひと休み、どれ座ってみようかと思います。
さて、そこの穴から覗いて見ましょう。
金色の雲を越え、どこまでも広がる地平に裂けた指環が散らばっている、ようにみえます。
すると、老人は言いました。
「薄汚い、目を塞ぐと良い。
若人よ、それを見るな。醜悪を感じるな。」
醜悪だなんて、とんでもない。
私の目の前に広がるのは素晴らしい景色なのです。
綺麗な、綺麗な景色なのです。
老人は、数多の見聞と物々しい傑物たちを知りすぎたせいでしょう。
無謀にも、飢えた絶等の樹木を引き抜こうとするのでした。
「あなたは、私より知識が豊富だから感じえないのです。
この表現の自由を象徴する圧倒的な彩色を。」
老人は、私の言葉など意に介さず、吐き捨てました。
「若人、それならば頂きを目指すが良い。
欲のままに進むが良い。」
それから、少し登り、後ろを振り返りますと、先までいた老人は居なくなっていました。
はて、私にはなんの関係もございませんから。
塔の壁には、楽しげな動物たちが描かれております。ええ、はじめの頃には無かったはずです。
壁画の動物たちは、まるで機械じかけのようにぜんまいがついております。
それを回せば、きっとからからと動き出すのでしょう。
あら、からからと動いた鳥がこてんと転ぶ。
一匹こちらへ来たようです。
視線の奥には、一人の少女。
「こんにちは。こんな所でどうして一人かな。」
「この塔には何も無いよ。どうしてここへ来たの。」
まさか、少女も知らぬようです。
「お嬢さん、この塔の頂きには答えがあるんだよ。たったこれっぽっちを登るだけで、それをもらえるんだよ。」
「ふぅん。つまんない。」
私は、すっかり目を丸くしてしまいました。
どうやら少女にとって、答えは取るに足らないつまらないもののようです。
それならば、私はもう進まねばなりません。
登って、登って、また少し後ろを振り返りますと少女が着いてきております。
いい加減、誰かと登るのはごめんです。
「お嬢さん、どうして着いてくるのかな。
お家にお帰り。」
「あなたが着いてきているの。」
「そんなことは無い。私はただ頂きを目指しているんだ。お嬢さんの方こそ、あの壁画の場所から私に着いてきているんでしょう。」
「私は、ただ遊んでいるだけ。この塔は私の遊び場なの。いつも、ここで遊んでいるの。」
私はすっかり黙り込んで、歩みを止めて考え突っ伏してしまいました。
この場所の一番上、そこには確かに答えがあって、私の求めるものがあるのです。
しかし、その場所を少女は遊び場と言いました。
「お嬢さん、頂きに行ったことがあるのかい。」
「頂きってなあに。」
「頂きって言うのは、答えだよ。自分自身が求めうる答え。」
「じゃあ、わかんない。」
私は、ますます少女の存在に困り果てました。
兎にも角にも進まなければなりません。
さらに上へ、さらに上へ、私は登ります。
この螺旋階段は、次第に材質を変え、色を変えていきました。
気づけば、少女は居なくなっていました。
「おぅい、おぅい。居ないのかい。」
声はこだまするばかりで、圧巻でした。
さぁ、歩け、歩こう、歩きましょう。
私は心が楽しくて、ついには走り出しました。
私は確かに楽しくて、歌を歌って走ります。
「ああこの旅路の想像が。
会ったら去ったら、とおりゃんせ。
ああこの別れの往々を。
言っては言っては、とおりゃんせ。
筋書き通りの恥じらいを。
四代先までおくりゃんせ。
今にも咲きたい華雲が。
私を天までおくりゃんせ。」
さぁ、ついに着きました。
ああ、頂きに私を見ました。
頂きに答えを教えてもらいます。
これを知るためにやってきたのです。
淵。
そこにあるのはただの淵。
暗く淀んでいるわけでも、酷く惨たらしいわけでもありません。
ああ、何も無いのです。
こんなもの、一体どこに置いてきたのでしょう。
私の捨て場所は。
千の絶壁と吐き気を催すほどの万の醜悪を乗り越えた先にある、ごくありふれた日常でした。
ええ、私は飛び降りました。
そう、地面に見たのは数々の人です。
私のような人なのです。
私は一人ではなかったのです。
私自身すらごくありふれた日常であり、それが悪い気を起こす原因もまた日常なのでした。
ああ、彼らも幻想だったのです。
私には、その瞬間に彼らが見えました。
「幼子よ、彼もすぐに渡しにくる。
こちらへやってくる。」
「私たちは間違えたのかな。」
「幼子よ、私たちは間違えた。
故に、私たちも淵に過ぎないのだ。」
「それって、答えなの。」
「答えではない。」
「ふぅん。変なの。」