見出し画像

生成AIは粘土だった

「鋲ジャン魔法少女」のアルバムが完成した。

きっかけは2026年1月下旬、Sunoが新たに公開したMashup機能だ。2つの曲を混ぜ、新しい楽曲を生成する。要はリミックスの一種。最近は生成した音楽素材をAbleton Liveで切り貼りして仕上げるのが流行っているそうだが、そうしたリミックスをカジュアルに試せるのがMashup機能と言える。

実際に使ってみると、いい感じに2つの曲をミックスしてくれた。従来機能のCoverよりも結果の予測がつきやすい。これなら前々から温めていた企画「鋲ジャン魔法少女」のアルバムが作れると思った。と同時に、このMashupがAIで創作する根本を解く鍵にもなった。タイトルにある粘土の話だ。これについてはおいおい解説する。

「鋲ジャン魔法少女」は魔法少女に鋲ジャンを着せるという酔狂なAIアート作品で、現在はプレビューのみ公開している。ハードコアパンク編とロッカーズ編の二部構成になっていて、展示会場で流すハードコアパンクの楽曲を作りたいと前々から思っていた。

ただ、Sunoでハードコアパンクはなかなか難しいのだ。

普通にハードコアをプロンプト指定すると、エクスプロイテッドみたいなドンタカドンタカした曲になってしまう。じゃあオリジナルパンクはというと、今度はグリーン・デイ風のポップパンクに……。結局、記号としてわかりやすいパンクの枠内に収まってしまう。これまで初期パンクやUK-82の尖り具合を再現するのはけっこう大変だった。しかし、Mashup機能はA曲+B曲でミックスできるから、「ハードコア+○○○」という指定でうまくいくのではないか。ハードコアを軸に、別要素で“らしさ”を補うアプローチ。そんな風にMashupを全力でまわして作ったのが以下のアルバムだ。

前半6曲は「鋲ジャン魔法少女」のハードコアパンク編に相当し、当然ながらハードコア要素強めの楽曲だ。どうすればSunoでD-BEATを再現できるか、そんなことばかりを考えて作った。後半6曲はロッカーズ編。ハードコアパンクをベースにしつつ、聴きやすいロックに仕上げてある。どちらもMashupを駆使し、場合によってはMashupの重ねがけもしている。そんな作業を一ヶ月ほど続けたときのことだ。

生成AIにまつわるモヤモヤがスッと晴れた。

創作におけるAI使いの立場はいまだに脆弱だ。学習データにまつわる著作権云々の話を持ち出すまでもなく、「あいつらラクしやがって」という視線を向けられることが少なくない。AI苦労自慢をするつもりはないが、「作り方が違う」という点を理解してほしいとは前々から思っていた。伝統的なハンドクラフト(手仕事で創作表現するという意味)ではなく、“言葉で創る”のだと。ただ、この“言葉”を強調すると、なんだか口先野郎みたいな印象が増してかえってよろしくない。

僕は幼いころから絵や音楽を趣味にしてきたし、文章と写真はプロとして生業にしている。伝統的な作り方を知ったうえで生成AIと向き合っている。それなのに、ハンドクラフトと生成AIの相違をうまく言葉にできなくてモヤついていた。そこに切り込んだのがSunoのMashupだった。

Aという曲と、Bという曲を、ゴチャッとくっつける。

申し訳程度だが、混ぜ具合を調整でき、仕上がりをハンドリングできる。プロンプトを工夫したり、スライドバーでプロンプトの効き具合を調整する。ただ、局所的に直すことは難しく、対象を大きく捉えて試行錯誤する。そんな作業を連日繰り返していたとき、気づいたのだ。

これって、粘土だな。

粘土の塊がポンと出てくる。こねて伸ばして丸めて、あっちを尖らせこっちを凹ませ、大雑把に造形する。どんな対象であれ、短時間でそれっぽい形になる。しかし、細かい作り込みは苦手だ。たとえば、両翼をまったく同じ形にするとか、メカの構造を感じさせるディテール再現とか、そういう作業には向かない。しかし、動物でもメカでも分子構造でも宇宙でも、手っ取り早く対象物に近づけることができる。まさに粘土をこねるがごとく。

もしディテールを求めるなら、そこから彫像的な作業にシフトするわけだが。

生成を粘土に例えると、従来からのハンドクラフトはグリッドっぽい見え方になる。たとえば音楽は、メロディーを考え、伴奏を添え、リズムを組み立てる。DAWの画面よろしく、パートごとに音源を並べていく。小説も大きな構想をプロットに落とし込み、それこそスプレッドシートでシーンを管理する。絵画だってパーツごとに習作を重ね、それらを組み合わせて大作を構成する。

創作は感性のおもむくままに作られていると思われがちだが、実作業はグリッド管理された進行表のように緻密だ。ハンドクラフトの創作は常に内部構造をともなう。緻密な積み上げなしに作品化は成し得ない。それに対し、粘土たる生成AIは感性をダイレクトに表しやすい。内部はただの粘土。外観のみで対象をかたち作る。AIで創作した作品がどこか偽物っぽく感じる点も、粘土ゆえに内部構造がともなわないから、と考えると妙に納得がいく。ただ、感性をしっかりと反映するには、粘土職人にならないといけないのだが。

生成AIは粘土、ハンドクラフトはグリッド。

こう考えると、先の「作り方が違う」という話も伝わりやすいのではないか。Sunoの音楽生成にかぎらず、画像であれ動画であれ、粘土の塊と格闘するような気持ちなのだ。感性をダイレクトに反映できる一方で、細かい制御は苦手。AIで作った素材をハンドクラフト領域に持ち込んで作業したほうが効率的だ。実際に、制作現場ではそのような方向で作業が進んでいると聞く。

ただ僕は、粘土をこねたいのだ。

音楽生成にしても、Sunoでヒット曲を作りたいとか、人を感動させる音楽を作りたいと思っているわけではない。音楽という形態で自分の表現を作品化したい。クオリティーを求めない、という言い方は語弊を招くが、クオリティーよりもAIという粘土をこねること自体が僕にとっては大切なのだ。

もちろん、クオリティーも求めていきたいので、粘土職人としてもっと腕を上げたい。

いいなと思ったら応援しよう!

澤村 徹 記事がおもしろかったら応援していただけると幸いです。オールドレンズ、デジタル赤外線写真、AIアートなど、記事や作品制作の活動費して使わせていただきます。