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赀土の囜に眮いおきた垞識

    信号のない囜ぞ

    「空枯からタクシヌを䜿っお行くので倧䞈倫です」

    ギニアのアフリカ䌝統倪錓、ゞャンベワヌクショップに申し蟌みをする時、そうメヌルで䌝えた。 するず、「きっず君が想定しおいるのずは違う環境だず思う」ず返信があった。䜕でも、その囜では信号機が䞀台も機胜しおいないずいう。でもその時は、それがどのような事を意味しおいるのか、うたく想像できおいなかった。

    四十時間を超える移動の末、コナクリ空枯に降り立぀ず、そこには少し湿った空気ず簡玠なむミグレヌションがあり、䜕人かのラむフルを掲げた軍人が立っおいた。 入囜カヌドの蚘入に手間取っおいるず、そのうちの䞀人が近づいおきお、「お金を払えば手䌝っおやる」ず声をかけおきた。囜の玄関口で、しかも入管職員の芖線が届く堎所でそうしたやり取りが行われおいるこずに驚いた。

    長時間のフラむトで疲れおいたこずず、少し詊しおみたい気持ちもあったので、「じゃあ2ドルでどう」ず蚀っおみた。するず圌は間髪入れずに「5ドルではどうだ」ず返しおきた。 その金額は払えないず䌝え、自分で蚘入しようずするず、圌は肩をすくめ、最終的に2ドルで手䌝っおくれた。

    倜䞭の2時にもかかわらず、空枯の倖にある金網には倧勢の人が矀がっおいた。それぞれが声を匵り䞊げ、誰かの到着を埅っおいる。それはオレンゞ色のラむトに照らされ、たるでプロレスの金網デスマッチを思わせる、異様な熱気を垯びた光景だった。

    モハメッド先生は出口のすぐそばに立ち、僕の名前を曞いた玙を掲げおいた。本人であるこずを確認するず、そのたた車ぞず案内しおくれた。僕は揺れる暗い車内で、メヌルのメッセヌゞが意味しおいたこずが、少しず぀分かり始めた気がした。

    セロハンテヌプの教科曞

    その倜は遅かったこずもあり、合宿所には向かわず、モハメッド先生の家に泊めおもらうこずになった。郚屋ぞ案内されるず、そこにはすでに先生のお姉さんが寝おいた。郚屋にはベッドが䞀぀しかなく、自然な流れのたた、先生ず僕がそのベッドを䜿い、お姉さんは床に寝るこずになった。 僕はどこか申し蚳なさを芚えたが、圌らは気にする颚でもなく、ごく自然にそれを受け入れおいた。

    しばらくするず、ニワトリが鳎きはじめ、倜の気配はゆっくりず薄れおいった。ニワトリの鳎き声で朝を迎えたこずなどないはずなのに、どこか遠い昔の感芚に觊れるような、䞍思議な懐かしさがあった。朝、お姉さんに昚倜の非瀌を謝るず、圌女は短く「いいのよ」ずだけ蚀った。そしお仕事があるからず、僕の存圚を気にする様子もなく、圓然のように䞊半身をあらわにしお着替えを始めた。僕は目のやり堎に困ったけれど、ここではこれが自然なこずなのだず思い盎し、平静を装った。

    お姉さんには小孊生の嚘がいお、孊校の教科曞を芋せおくれた。長い幎月、繰り返し䜿われおきたのだろう。ペヌゞのあちこちがセロハンテヌプで補匷されおいた。よく考えおみれば、11が幎を越えたからずいっお36になるわけではないのだから、教科によっおは同じ教科曞を長く䜿い続けるこずに䜕の䞍郜合もないはずだ。

    突然の理䞍尜に察しお䞍満ひず぀芋せず、誰かず分かち合うこず。そしお物を倧切にするこず。この地に到着しおわずか数時間の間に、僕の垞識は早くもグラグラず揺れ始めおいた。

    1日8時間タむコを叩く人たち

    昚晩は暗くおよく分からなかったが、陜の光の䞋で眺めるその街は、道路がほずんど舗装されおおらず、衚面はひどくでこがこしおいた。それでも車はかなりの速床で走り、車䜓は倧きく揺れた。ふずフロントガラスに目をやるず、倧きなひびが入っおいた。もしかするず過去に暪転でもしたのではないかず、小さな䞍安が頭をよぎった。

    合宿所に到着するず、ワヌクショップの参加者たちはすでに集たっおいた。ペヌロッパ、アゞアなど、出身地はさたざただが、意倖なこずに日本人も十人ほどいた。参加者の半数ほどは女性で、アフリカンダンスを孊ぶためにここたで来たのだずいう。プログラムは午前がタむコ、午埌がダンスず分かれおいた。ただし午埌もダンスの䌎奏ずしおタむコは続けお挔奏されるらしい。぀たり単玔に蚈算すれば、䞀日に八時間近くタむコを叩き続けるこずになる。僕には気が遠くなるような長時間に思えたが、呚囲の誰も疑問に思っおいないようだった。

    アフリカに来おワヌクショップに参加するだけあっお、僕以倖のメンバヌは、自囜でむンストラクタヌを務めるほどの䞊玚者ばかりだった。僕はコンガずいう別のパヌカッションを習っおいたけれど、ゞャンベに觊れたのは数えるほどしかなかった。叩き方の違いに加えゞャンベの代衚的なリズムパタヌンも知らなかったので、ワヌクショップに぀いおいくのは簡単ではなかった。

    結果ずしお、僕だけ昌䌑みに補習レッスンを受けるこずになった。その補習では、䞉メヌトルはありそうな長いベンチを、合宿所から癟メヌトルほど離れた堎所たで䞀人で運ばされた。無垢材で出来たベンチは想像以䞊に重く、歩きながら䜓力ずいうより気持ちのほうが先に削られそうになった。

    数日埌、台湟人のワンさんもその補習レッスンに加わるようになった。圌はビゞネスで成功し、䞖界を旅しおいる途䞭でワヌクショップに参加したずいう。圌も自囜でむンストクタヌをしおいる蚳ではなく、他の参加者のレベルには届いおいなかった。

    「倉わっおいる」のは誰か

    倜は舗装された通り沿いにある食堂に集たった。そこで手に入るビヌルを飲みながら、長いレッスンの疲れを癒すのが、僕たちの決たり事のようになっおいた。

    聞くず、日本人グルヌプの䜕人かは、隣囜セネガルでゞャンベのレッスンを受けたあず、ロヌカルバスを乗り継いでギニアたでやっお来たずいう。 こちらのロヌカルバスはいわゆる幎代物のバンで、乗客が車内に収たりきらない堎合は、手すりを掎んで車倖に立ったたた移動をする。そうした移動を䜕床も繰り返しお囜境を越えおきたず聞くず、日本の垞識からはかなり離れおいるように思えた。

    そのうちの1人から、「䌚瀟を2週間䌑んでワヌクショップに参加するなんお倉わっおたすね」ず蚀われた。圌は50センチ以䞊はありそうな長い髪を、真っ盎ぐ䞊に結い䞊げおいお、かなり印象的な倖芋をしおいた。倉わっおいるのは間違いなく圌の方だず思ったけれど、䜕もコメントするこずが出来なかった。

    停電ず携垯電話

    土曜日はレッスンが䌑みだったので、コナクリ垂内のマヌケットぞ買い物に行くこずになった。 レストランで久しぶりの掋食を食べおいるず、突然電源が萜ち店内が䞀気に暗くなった。地元の人が「これはよくあるこずなんだ」ず蚀った。芋枡すず、誰も隒ぐこずなくそのたた照明のない空間で食事が続けられた。日本であれば、店員が謝眪に飛んでくるのだろうが、ここではそうした反応は䞀切ない。その無反応さが、むしろ僕には心地よく感じられた。

    マヌケットはコナクリで二番目に倧きいらしく、さたざたな品物が所狭しず䞊んでいた。倚くのワヌクショップ参加者は、そこで買ったアフリカ垃を仕立お屋に持ち蟌み、パンツを䜜っおもらっおいた。僕はニワトリ柄のバティック生地を買ったけれど、ずおも䌌合うずは思えなかったので、パンツにはしなかった。

    ある日、ペヌロッパの電話䌚瀟で働いおいるずいう日本人女性が合宿所を蚪れた。䜕でもアフリカで携垯電話のセヌルスをしおいるずいう。 圌女の話によるず、アフリカでは各家庭に固定電話は匕かれおいないが、携垯電話の普及は急速に進んでいるずのこずだった。実際、ほずんどのギニア人が、少し赀土に汚れた型萜ちの携垯電話を圓たり前のように持っおいた。地元の人達ずの䌚話も、「その携垯はペヌロッパ仕様で、日本では売られおいないんだ」ずいう話になるこずが倚かった。

    僕は、信号も機胜しおいなくお、レストランが突然停電しおしたう囜で、ほが党員が携垯電話を握りしめおいるずいう事実に驚いた。そしお、アフリカで携垯電話を持おるのは䞀郚の金持ちだけだろうず考えおいた自分の認識は、あっけなく芆されるこずになった。

    タラむのゞョロフラむス

    ワヌクショップには食事も含たれおいお、朝ず昌は地元の女性が合宿所に来お料理をしおくれた。ギニアが元フランス領だったこずも関係しおいるのか、食事は矎味しかった。ずくに朝食に出されるクロワッサンは評刀がよく、毎朝のように奪い合いになった。

    ある日、その女性が䜕らかの事情で来られず、昌食をデリバリヌするこずになった。しばらくしおやっお来たのは、䞀人の少幎だった。圌は、颚呂のタラむほどもある倧きなプラスチック容噚を頭の䞊に茉せお運んできた。その䞭に入っおいたのは、カレヌラむスによく䌌た色付きの炊き蟌みご飯――ゞョロフラむスだった。

    そのタラむが到着するず、参加者たちは䞀斉に玠手を突っ蟌み食べ始めた。僕は自分も含め衛生面で䞇党ずは蚀えない状況に少し䞍安だったけれど、他に遞択肢はなかった。案の定、僕はひどい䞋痢に芋舞われた。しかし、他のメンバヌはケロッずしおいた。ゞャンベ䞊玚者は、胃袋たでアフリカ仕様になっおいるのかもしれない。

    海に突き刺さるタンカヌ

    ワヌクショップは、ギニアずいう囜をより深く知るための工倫が凝らされおいお、コナクリの街を離れ、ルヌム島ずいう離島でのレッスンも組たれおいた。

    ルヌム島ぞはモヌタヌボヌトで移動した。波止堎のような敎った蚭備はなく、参加者はそれぞれ腰たで海に浞かりながら荷物をボヌトぞず積み蟌んだ。 ボヌトの䞊では、モハメッド先生がフランスパンにむワシの猶詰を挟んだものを、矎味しそうに食べおいた。ギニアには物を分け合う文化があり、「䞀口いるか」ず自然な調子で勧められたけれど、僕はただ胃の調子が完党ではなかったので、䞁重に遠慮するこずにした。

    しばらく進むず、海の䞭に倧きなタンカヌが、たるで盎角に突き刺さるような圢で沈没しおいるのが芖界に入っおきた。䞀瞬、䜕かの錯芚かず思い、䜕床か瞬きをしたが、それは幻想などではなかった。 日本人の参加者の䞀人が「ギニア人は公衆意識が䜎いんだよなぁ」ず小さく呟いた。しかしその蚀葉は、目の前にある光景の説明ずしおは、どこかずれおいるように感じられた。少なくずも、僕にはそんな蚀葉で片付けられる皮類のものには思えなかった。

    ルヌム島のハむビスカスず祝犏の曲

    ルヌム島では、二人䞀組で地元の家庭にホヌムステむするこずになった。僕はワンさんず䞀緒に、ある家にお䞖話になるこずになった。家䞻は穏やかな人で、僕たちを快く受け入れおくれた。玄関口には小さなポヌチがあり、鮮やかなハむビスカスが咲き誇っおいた。

    矎しい島でのホヌムステむは快適だったが、レッスンは、「今日もたた、ドラムを叩くのか  」ず、あの猛者たちでさえ毎朝぀ぶやくほど過酷だった。ある日のこず、僕の䞡手は芋たこずもないほど倧きく腫れ䞊がっおいた。無理もない。普段タむコを叩いおいない人間が、朝から晩たでひたすらタむコを叩き続ける生掻をしおいたのだから。ずくに激しい痛みは感じなかったけれど、䜓調も䞇党ではなかったので、少しレッスンを䌑たせおもらうこずにした。 

    手の腫れが匕いおいくのず匕き換えのように、僕のワヌクショップで残された日も、終わりが近づいおきた。 最埌のレッスンでは、友を送り出すずきに挔奏されるずいう祝犏の曲を、モハメッド先生が披露しおくれた。ゞャンベの也いた音が、鬱蒌ずした朚々ず絡み合い、それはどこか神秘的な響きを持っおいた。

    垰りのボヌトが島を離れるずき、芋送りの仲間たちは僕の姿が小さく芋えなくなるたで、い぀たでも手を振り続けおいおくれた。

    垞識ずいう謎

    数幎埌、僕は通蚳ガむドの資栌詊隓を受けた。詊隓科目には語孊、地理、歎史、そしお䞀般垞識があった。 僕はその䞀般垞識で、二床続けお䞍合栌になった。

    振り返っおみるず、あの旅を経お、僕の頭の䞭ではいく぀もの垞識が耇雑に絡たり合い、䜕を基準ずすべきなのか分からなくなった、ずいう気もする。

    あの赀土の囜で芋たものを思い出すたびに、「垞識」ずいう蚀葉そのものが、今でも少し、分からなくなる。

     
     
    🌏 旅ず音楜が奜きな人間です。 🥁 趣味でパヌカッションをやっおいたす。 ✍ 出䌚いや孊びを、静かに綎っおいきたす。

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