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修語

    言葉とは本来、意味を運ぶための器です。器が正しければ、中身もきちんと届く。——では、器の形が少しずつ変わり始めたとき、届いているのはまだ、同じものでしょうか。


    蝉の声が、ある晩ふっと途絶えた。


    気づいたのは、煙草を切らして台所に立ったときだ。窓の外が妙に静かで、しかしその静けさが何を意味するのか、そのときの私にはまだわからなかった。


    私——羽鳥慎之助、五十三歳——は、家電修理専門の小さな工房を営んでいる。メーカーが見放した旧型機を預かり、部品を調達し、できる限り動かし続ける。客は年配者が多い。三十年使った扇風機、亡き夫が買ったトースター。捨てられない理由が、機械にも宿る。


    工房の屋号は「ハトリ修電」。扱う品目の中で、近年とくに持ち込まれるのが掃除機だ。メーカーが廃番にした機種の修理を受け付ける店が都内でほぼ消えたせいで、遠方から宅配便で届くことも珍しくない。修理の記録はすべてカルテに書く。機種名、症状、交換部品、作業日。手書きにこだわっているのは、電子データより紙のほうが長持ちすると信じているからだ。


    異変に気づいたのは、九月の初めだった。


    常連の客、久我ツルエさんから預かっていた掃除機のカルテを見直していたとき、症状欄に書いた文字が読めなかった。「吸引力低下」と書いたはずなのに、そこにあったのは「吸引力低下」ではなく——なんと読むのか、私には判断できない四文字だった。


    紙は確かに私のカルテだ。筆圧も字の癖も間違いなく自分のものだ。しかし意味が、ない。


    書き損じかと思って別の棚を引いた。一週間前に完了した別の客のカルテ。症状欄が同じだった。読めない。知っている字の形をしているのに、意味が滑って、脳に届かない。


    そのとき初めて、私は自分の手のひらを見た。


    なぜ見たのか、うまく説明できない。ただ確かめたかった。何を、とは言えないまま。


    翌朝、カルテ棚を全部引き出した。


    百三十七冊。開業以来の記録がある。古いものほどひどかった。一年前のカルテはほぼ読めない。三年前のものは、文字の形すら崩れて、水に濡れた新聞紙のように意味が滲んでいた。しかし紙は乾いている。インクは褪せていない。


    おかしいのは紙ではなく、私の側だと気づいたのはそのときだ。


    試しに、その場で一行書いた。「掃除機 吸引力低下 フィルター交換」。声に出して読みながら書いた。書き終えて、もう一度見た。


    読めなかった。


    声に出したそばから、文字が意味を失う。書いた端から、知らない記号になる。まるで言葉が、私の手を離れた瞬間に腐るように。


    久我ツルエさんが工房に来たのは昼過ぎだった。修理済みの掃除機を取りに来たのだ。


    「先生、お顔の色が悪いわ」


    彼女はそう言って、カウンターに置かれたカルテの束に目を落とした。それから私の顔を見て、また束を見た。何かを言いかけて、やめた。


    「前にも、こういうことがあったかしらね」


    その一言が引っかかった。前にも、とはどういう意味か。聞き返す前に、彼女は掃除機を抱えて出ていった。


    対策を考えた。文字を書くのをやめて、録音に切り替えた。スマートフォンに作業内容を吹き込んで、再生して確認する。うまくいくと思った。


    再生した声は、私の声だった。しかし言葉が聞き取れなかった。音は届く。意味が、届かない。


    写真を撮った。作業台の部品を並べて撮影し、画面で見る。部品の形は見える。しかしそこに書いた型番のシールが、画面の中で溶けるように読めなかった。


    ついに手が止まった。


    修理の途中で、工具の名前が出てこない。持っている、使い方もわかる、しかし名前がない。次に、部品の名前が消えた。症状を説明する言葉が消えた。


    工房の中に、私だけが取り残されていく感覚があった。


    その夜、鏡を見た。


    左手の人差し指の付け根に、細いペンだこがある。三十年、ずっとそこにあった。カルテを書き続けた痕だ。


    そのたこが、右手にもあった。


    右手のたこを、指でなぞった。


    硬い。古い。まるで最初からそこにあったように。


    その夜、久我ツルエさんから電話がかかってきた。呼び出し音が三回鳴って、出た瞬間、彼女は言った。


    「前にも、こういうことがあったかしらね」


    昼間とまったく同じ声で、まったく同じ言葉だった。


    「ツルエさん、前にも、とは——」


    「先生のお師匠さまもね」


    彼女はそれだけ言って、電話を切った。


    翌朝、工房の鍵が開かなかった。番号を忘れたのではない。番号は頭の中にある。しかし指が、違う数字を押す。体が知っている動作と、脳が命じる動作が、かみ合わない。


    私は工房の前に立ち尽くした。


    ポケットに手を入れると、折りたたんだ紙が一枚あった。見覚えがない。広げると、カルテの切れ端だった。私の筆跡で、一行だけ書いてある。


    読めた。


    「この工房は、もう三代目だ」


    いつ書いたのか、わからない。しかし筆圧も字の癖も、間違いなく私のものだ。


    右手の人差し指の付け根を見た。


    たこが、左手にも戻っていた。両手に、同じ深さで。


    修電の腕が消えたのではない。修電の腕が、私に書き込まれていく途中だった。カルテの文字が読めなくなったのは、記録が壊れたからではなく、記録が私の中に移っているからだ。言葉が紙を離れ、骨に沈んでいく。工具の名前が消えたのではなく、名前より先に手が動くようになったのだ。


    私は鍵穴に指を当てた。番号を考えなかった。


    扉が、開いた。


    言葉を失ったとき、人は何を得るのでしょう。羽鳥慎之助は今日も無言で、壊れた機械に手を当てます。


    — 完 —

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