
惑星に照らされて
何かを好きになるとき、そこには人それぞれの出会い方とペースがあって、それは長続きしたり突然冷めたりしながら生活になっていく。
私の場合これだ!と撃ち抜かれてしまったものは、ほぼその"好き"に終わりが訪れない。
脈絡のないように見えるその系譜にも、自分には納得できるひとつの芯のようなものがあって、そこがぶれない私の周りには惑星のように星々が廻っている。照らされている自分が恒星だなんて烏滸がましいかもしれないけれども、きっと私に見えている光は私に反射して色を変えるような気がしている。それは誰にとっても同じように、その人の目に映るときの輝き方で光るのだ。
令和のいわゆる「推し活」はある種のファッション性を伴って、ありふれた選択肢の一つとなった。かつて"オタク"が確かな蔑みを持ってそう呼ばれていた頃、馬鹿な私はそんな瑣末なヘイトに辟易する自分を恐れてアイドルに興味がないふりをした。
それでも、私の中に燃える太陽のような熱は彼らの輝きを隠さないでいてくれた。こんなにも照らされているのだ。やっぱりその光から私は逃れることができなかった。
「推し」という言葉は正直ずっと苦手だ。「推し活」も然り。ビジネスにおいては非常に有効でわかりやすい言葉だろう。しかしなんというか、もはや生命維持装置のひとつなのだ。突き動かされるように、その眩さに抗えない衝動からくる、ひたすらに純粋な応援の形である。
努力に裏付けられた「人を笑顔にする」という輝くような彼らの仕事にこの上ないリスペクトを持って、もう長らくできる限りで応援している。自分のまっすぐな好きに嘘をつくべきではない。
この世に存在してくれていることに感謝して、それくらいでちょうど良い。私を知ってほしいとも思わない。ペンライトの海の、その一つの光であれたらそれで良いのだ。
好きだから好きであることに、他意も欺瞞も必要ない。何か一つの答えを信じるために、ただそこに在るものを無理に理由づけしてわざわざ嫌うこともない。
自分もどこかであるひとつの恒星であることを自覚して貴く生きるのだ!
いつかどこかの街でスターにすれ違っても恥ずかしくないように美しく!堂々と胸を張って!