
エッセイ 我が家の池
「家で何かペットを飼われていますか」
と、先生は質問された。
「犬」、「猫」、「ハムスター」と答える小学生。
その日は参観日だった。確か我が子が1年生か2年生だった。我が子は、手を挙げた。おかしい。我が家にペットはいない……。当たった我が子は、「鯉」と答えた。私は「なるほど!」と思った。鯉をペットなんて思ったことがなかった。
我が家には池がある。それはいつからあるのか、今生きている人は誰も知らない。家の池というと、錦鯉のいる池を思い浮かべる人が多いのかもしれない。でも我が家の池は、ほとんどが黒い鯉なのである。その池に何の疑問ももたず、今まで生きてきた。
私は児童文学を書きたいと思っている。その素材として身近な動物を登場させてきた。ツバメ・カラス・カエル、ネズミ、ヘビ、ゴキブリのお話を書いたことがある。今回、「鯉」を登場させてみた。もちろん舞台は我が家の池である。
小川から水が入り、また小川へと流れ出ていく。池の周りは石垣で、底は泥のような砂である。ほとんどが黒い鯉である。それが私にとって当たり前の池だった。それが、読む人にとってその池の様子が伝わらなかった。家にある池だと錦鯉がいる池を想像するのだ。家の池で黒い鯉ばかりがいるということが理解されなかった。近年造られた池は、コンクリートで造られた観賞するための池だ。公園にある池や川などには黒い鯉は確かにいる。我が家の池は、観賞用に造ったものとは思えない。どぶ池とも違う。黒い鯉だって、ゆったりと泳ぐ姿を見ていると心が和む。エサをやるとパクパク食べる姿も楽しい。しかし、その姿を見るために手間をかけてまで池を造ったとは思えない。
錦鯉がいるような池では、鯉のエサを買ってやっているだろう。でも我が家の池の鯉は、ずっと人間の残飯処理をしている。カチカチのごはん、賞味期限のきれたうどん、お弁当の残り、湿ったおせんべい、何でも食べる。鯉用のエサなどは買ったことがない。道路のすぐ下に見える我が家の池は、小さな子どもたちが食パンやお菓子をあげてくれることもある。
雪が降ると池にどんどん雪を捨てる。畑で手が汚れると池で洗う。暮らしの中で便利にその池を使ってきた。夏になると池にスイカをプカプカと冷やしたこともある。池に入って遊んだこともある。
私は、この池に初めて疑問を持った。なぜわざわざ観賞用でもない池を造ったのか? それは我が家だけでなく、周囲の家にも黒い鯉しかいない池はいくつかある。何を目的に造ったのだろうか。このことが解決しないと、どうもこの児童文学を書ききれない。その理由を探すしかない。
そして調べてみると、民家の池についていろいろなことがわかった。まず昔の木造住宅にとって、水は重要なライフラインだった。火災から家を守るということである。周りの池を見てみても家のすぐ近くに池がある。
また、生活用水の確保という理由もある。水道のなかった時代、日々の生活に欠かせなかったのだ。
ほかに、気候調節という目的もある。池のある付近は涼しい。今でこそエアコンを使っているけれど、池側の戸をあけておくとそばの部屋は涼しくなる。
あと、その鯉を食べていたのだ。今は池の鯉は食べていないけれど、私の小さな頃は食べていたことを思い出した。それはごちそうだった。今でももし災難にあって食べるものがなくなったら、私は鯉を食べるだろうと思う。
その池は、昔ほどの役目はないかもしれない。先人たちの知恵によって造られた池が、より一層愛おしくなってきた。このような池をどういうふうに造ったのか、いつの時代にできたものなのか、ますます興味が湧いてきた。
当たり前にあった池が、その生い立ちを知ることによってもっと大切なものになってきた。
今日も我が家の池には黒い鯉たちが、ひらり、ひらりと泳いでいる。色のついた鯉も少々泳いでいる。小さな魚たちも泳いでいる。