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バスは、すべての人のために——夜行と車窓が運んだ思い出

子どものころ、私はバスに弱かった。揺れるたびに気持ち悪くなった。なるべく乗らなかった。席の匂い、エンジンの低音、カーブのたびに揺れる体。我慢の乗り物だった。

大人になって、好きなコンサートや舞台の地方公演へ行くようになった。今なら推し活、と呼ぶ人もいる。国内の移動に、夜行バスはとても便利だった。眠っているあいだに町が変わる。早朝に着いて、現地の友達に再会する。観光する。公演のあと、余韻にひたりながら、また眠って帰る。新幹線の速さとも、飛行機の高さとも違う。窓の外が、ゆっくり後ろへ流れる時間だった。

バスは、私にたくさんの思い出を運んでくれた。名前の意味を知ったとき、胸が熱くなった。オムニバス。すべての人のために。

子どもはバスに弱かった。夜行は、余韻を運んだ

乗り物酔いは、弱い心のせいではない。内耳(体の傾きと加速を感じる器官)は「動いている」と知らせる。本や床ばかり見ている目は「止まっている」と知らせる。脳の中で合図が食い違う。いちばん広く受け入れられている説明が、この感覚のくい違いだ。

CDCの旅行者向け解説でも、子どもは7歳から12歳ごろに酔いやすく、そのあと大人にかけて弱まりやすい、と整理されている。慣れる(馴化)もある。子どもの私が弱かったことと、大人の私が夜行に乗れたことは、矛盾ではない。体の予測が、少しずつ更新される。

コーチ(大型バス)の乗客3256人を調べた研究では、28%が旅のあいだに気分が悪くなった。前方の道路が見えるほど、具合はよくなりやすい。動きそのものより、「前が見えないこと」が影響する場合がある(Turner & Griffin, 1999)。

夜行は、移動と休息が重なる

夜行バスのありがたさは、速さだけではなかった。公演の熱が冷めないうちに席に座り、暗がりで目を閉じる。起きたら別の県にいる。新幹線は速い。飛行機は高い。バスは、道の上で夜をまたぐ。空間が長く、時間の流れが太い。余韻を、そのまま持ち帰れた。

日本バス協会によると、昭和60年代から夜行の高速バスは路線を広げ、幅広い層に使われるようになった。

目的が先、乗りものがあと

コンサートに間に合わせたい夜と、景色を母と分けたい昼では、選ぶバスが違う。目的と、たどり着きたい値(何時に着きたいか、いくらまでか、誰と窓を見たいか)で、手段も経路も変わる。読書も同じだ。全部を同じ速さで追わなくてよい。目次から拾う、声で聴く、一行だけ残す。マインドフルネス速読は、魔法の倍速ではない。窓の景色を見送るように、今ほしい行へ注意を戻す読み方だ。一つにしばられず、いろいろを楽しめる。

「すべての人のために」——名前の始まり

オムニバスは、ラテン語の贈り物

バスは英語 bus の外来語で、その親は omnibus だ。ラテン語で「すべての人のために」。英語語源辞典 Etymonline も、フランス語の「すべての人のための馬車」から来た、と記している。

帽子屋の看板から付いた、という話もある。会計の人がラテン語から直接つけた、という話もある。どちらが正確かより、残った意味の方が強い。だれか専用の車ではない。乗り合う車だ。添乗員をしていたころ、その説明を聞いて、本当に感動した。旅程の世話をする席から、車内のさまざまな年齢、荷物、寝息を見ていた。

先に走ったのは、五ソルの馬車

名前のバスより前に、乗り合いの発想はある。1662年、パリで数学者ブレーズ・パスカルらが「五ソルの馬車」を始めた。決まった道、決まった時間、安い運賃。フランス国立図書館(BnF)が、都市の公共の乗り物の早い形として紹介している。

https://essentiels.bnf.fr/fr/article/2aa5b932-c49c-44a1-9d4a-794ece0c48ac-carrosses-cinq-sols

1820年代、フランスで乗合馬車がオムニバスと呼ばれ、のちにエンジンの車へ受け継がれる。馬がエンジンに代わっても、「みんなで乗る」は残った。

日本のバスの日は、9月20日

公益社団法人日本バス協会は、明治36年(1903年)9月20日、京都の堀川中立売から七条駅、祇園へ、二井商会の乗合自動車が走り始めた日を、日本のバス事業の始まりとしている。いまの「バスの日」だ。故障や妨害もあり、最初から順風ではなかった。それでも種は、そこから全国へ広がった。大正の震災のあと、路面電車の代わりにバスが都市を支えたことも、協会は記録している。線路のない場所へ行けることが、最初からの役割だった。

国土交通省の説明では、路線バスは道路運送法に基づく乗合の事業だ。個人の趣味の車ではなく、社会の許可のうえで動く。


バスの名前と役割
・語源:omnibus=すべての人のために
・先駆け:1662年、パリの五ソルの馬車
・日本:1903年9月20日、京都の乗合自動車(バスの日)

窓の外は流れる。考えも、追い払わなくてよい

前を見ると、合図が揃いやすい

酔いやすい人への助言は、薬の前に、視線にある。遠くの地平や、進行方向の景色を見る。本や画面に顔をうずめない。

流れる景色は、注意のお休み

環境心理の注意回復理論では、自然のやわらかい動きは、がんばって向ける注意を休ませるとされる。車窓の木、橋、夜のインターチェンジの灯。次々来るが、返事を求めない。新幹線の窓より遅いぶん、景色が文として読める。飛行機の窓は、雲の上面だ。バスは、生活の地面の横を走る。

考えが気になっても、追い払わなくてよい。窓の外と同じだ。来て、流れて、後ろへ行く。マインドフルネスの型が、すでに車内にある。

飛行機でも新幹線でもない、太さ

速いことは正義ではない。目的による。朝の予定に間に合わせるなら、速さの乗り物が合う。母と山の道の紅葉を見るなら、バスが合う。眠って帰りたいなら、夜行が合う。空間の高さ、座席の幅、ドアの数、止まる回数。同じ「移動」でも、中身の時間が違う。バスは、私にその違いを教えてくれた。

電車の届かない場所へ。母と、添乗員と、絵本

運転が好きな母が、窓側を気に入った

母は車の運転が好きだ。それでもバスツアーに、二人で何度も乗った。自分がハンドルを握らない景色は、別物らしい。観光の説明、休憩、知らない町の食堂。電車では降りられない場所にも行けて、新鮮だった。母との思い出は、目的地の写真だけでなく、車内のおやつと、窓の会話の方にも残っている。

添乗員の思い出

実は私、バスの添乗員をしたことがある。バスガイドではない。ガイドは、景色の案内を声にする仕事だ。添乗員は、人数、時間、宿、忘れ物、具合の悪い人。旅程の裏を見る席だ。電車ではいけないような道に入るたび、新鮮で楽しかった。すべての人のために、が、名簿の人数になった。

あるとき、大きなパーキングエリアで休憩した。戻ろうとして、自分のバスがどれだか分からなくなった。同じ色、同じ形が並ぶ。大焦りした。乗客さんと合流して、無事に戻れた。乗り合いの意味は、迷子のときにも残っていた。

『バスにのって』——乗れなくても、遠くへ

荒井良二さんの絵本『バスにのって』(偕成社、1992年)は、砂漠のバス停で、旅人が遠くへ行くバスを待つ話だ。ラジオのリズム。通る人、通る乗り物。夜を越えて、やっとバスが来る。満員で、乗れない。「むりですか」「むりだね」。旅人は怒らず、荷物を抱えて歩き出す。「ぼくは あるいて とおくへ いくことに しました」。

意外な結末だ。待った時間が無駄、ではない。慌ただしい日々に、大切なことを気づかせる。乗ることが唯一の正解ではない。目的が「遠くへ」なら、歩きでも届く。バスを愛せば愛すほど、乗れない朝もある。それでも、向かうことはできる。

まとめ——今すぐできる3分間マインドフルネス

バスは、すべての人のための乗り物として名前を持った。子どもには胃が重く、大人には夜の道が優しかった。母の横顔も、公演の余韻も、PAの焦りも、同じ窓の内側にある。読み方も、乗りものと同じだ。一つにしばられず、今の目的で選ぶ。

Step 1 背筋を伸ばす

背筋を伸ばす。目を軽く閉じ、深呼吸をくり返す。自分がバスに乗っている場面を思い浮かべる。

Step 2 景色を流す

窓の外の景色が、ゆっくり後ろへ流れていく。気になる考えが浮かんでも、追い払わない。通り過ぎる景色のように見送る。

Step 3 目的地を、心の中で問う。小さな一歩を、一つ決める

今の私が向かいたい目的地はどこだろう、と問いかける。大きな夢のままでなくてよい。今朝の自分に届く距離でよい。
今できる小さな行動を一つ決める。本を5分開く、窓の側の席を予約する、母に短いメッセージを送る。もう一度深呼吸してから、目を開ける。

参考
日本バス協会「バスの歴史」
https://www.bus.or.jp/business/history/
Etymonline omnibus
https://www.etymonline.com/word/omnibus
BnF「五ソルの馬車」
https://essentiels.bnf.fr/fr/article/2aa5b932-c49c-44a1-9d4a-794ece0c48ac-carrosses-cinq-sols
CDC Yellow Book, Motion Sickness
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK620959/
Turner & Griffin, 1999
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/10629944/
荒井良二『バスにのって』偕成社、1992

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