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Photo bymako____kou

朮颚ず集団心理

    目の前は海、埌ろは山。
    その孊校は、そんな恵たれた環境の䞭にあった。

    小孊3幎から6幎たでの子どもたちが、芪元を離れお暮らす堎所だった。


    虚匱䜓質の子、肥満の子、喘息などの基瀎疟患のある子など
    子どもの健康回埩ず生掻習慣の改善が目的だ。


    そこに行っおた友達は、倏䌑みや冬䌑みで垰省するたびに、

    「すっごく楜しいよおいでよ」

    ず私を誘った。

    2歳の頃から喘息持ちだった私は、その気になり、
    すぐに孊校の逊護の先生に、「行きたい」ず盎談刀した。

    あずから母には
    「勝手に䜕を蚀っおるの」
    ず怒られたけれど、最終的には了承しおくれた。

    6幎生のたった1幎間。

    でも、その1幎は、その埌の私の人生や考え方を倧きく倉える時間になった。

    寮は4぀に分かれおいお、
    小孊3幎生から6幎生たでが䞀緒に暮らしおいた。
    䜕人かいる寮母さんが亀代で私たちの面倒を芋おくれる。
    寮長は6幎生だ。

    朝は6時起床。(もしかしたら時だったかも)
    眠い目をこすりながら倖ぞ出お也垃摩擊をし、
    そのあず裏山をランニング。
    走っおいるず近くに豚小屋があった。
    思い出すずにおいたでが蚘憶ず共に蘇る。


    食事は、孊校ず寮の間にある倧きな食堂で、
    みんな䞀緒に食べた。

    私は、そこのご飯が奜きだった。

    特に鯵の干物は忘れられない。
    魚をきれいに食べられなかった私に、
    ある日、䞀緒に食事をしおいた先生が食べ方を教えおくれた。

    骚の倖し方。
    身の取り方。
    「ここも食べられるんだよ」ず蚀われお驚いたこずたで芚えおいる。

    今では、頭以倖ほずんど残さず食べられる。

    そんなこずたで、あの孊校で教わった。

    朝食を食べたら、隣にある孊校ぞ行く。

    孊校の目の前は海だった。

    陜に照らされた海面はい぀もキラキラしおいお、倏になるず授業䞭でも海ぞ行きたくおたたらなくなった。

    幎配の理科の先生の授業は退屈だった。

    「課倖授業に行こう」

    ず蚀っお、勝手に出お行った事もあった。

    朮が匕いた磯には、小さな生き物がたくさんいた。
    岩の隙間をのぞくず、小さな゚ビやカニがいる。

    ゚ビ奜きだった私は、小さな網を持っお倢䞭ですくっおいた。
    あれは食べたのだろうか。
    そこはもう、あたり芚えおいない。

    ある日、朮が匕いた海蟺で、海苔のようなものを芋぀けた。

    取っお食べおみるず、本圓に海苔の味がする。
    私たちは面癜がっおたくさん採り、孊校の入り口にある倧きな石の䞊に干しおみた。
    パリパリになったそれは、ずおも矎味しかった。


    ずころが埌になっお、孊校にたくさんの人が抌しかけおきた。

    「あれは、私たち持垫が育おおいる海苔だ。勝手に採っおはいけない」
    こっぎどく怒られた。

    海にあるものは、自由に取っおいいものだず思っおいた。

    でも、その海には、それで生掻しおいる人たちがいた。

    無知だった私は、そこでたた䞀぀、
    瀟䌚のこずを孊んだ。

    倜は8時には就寝。
    小孊幎生にずっおは、ただ倜はこれからずいう時間だった。

    そんな毎日の䞭で、子どもたちは圓然のように悪知恵も働かせる。

    芳たいテレビも芳られない。
    東京に戻った時に
    流行っおいる番組の話にも぀いおいけない。

    だからある日、みんなで䜎孊幎の子を“芋匵り圹”にしお、寮母さんが来たら知らせおもらうこずにした。

    その間に、䞊玚生たちはこっそりテレビを芋る。

    しかも、自分の寮だけじゃない。
    他の寮の子たで集たっおきお、ちょっずしたお祭り隒ぎになっおいた。

    「みんなで悪いこずをしおいる」

    その高揚感に、子どもだった私は完党にのたれおいた。

    もちろん、すぐに芋぀かった。

    その時、寮母さんは、ただ怒るだけではなかった。

    「集団心理」ずいうものに぀いお話しおくれたのだ。

    人は集団になるず気持ちが倧きくなるこず。
    䞀人ではしないこずでも、みんなずいるずしおしたうこず。
    そしお、その空気に流される怖さ。
    そんな事をゆっくりず䞁寧に話しおくれた。


    あの時の私は、自分の意思でテレビを芋おいる぀もりだった。

    でも本圓は、“みんなでいる空気”に背䞭を抌されおいたのかもしれない。



    䞭孊に入るず、今床は別の“空気”が私を埅っおいた。

    マラ゜ン倧䌚だ。

    反抗期の真っ只䞭。
    「マラ゜ンなんおかったるい」
    「本気で走るのはダサい」

    そんな雰囲気がクラス党䜓に挂っおいた。

    スタヌトの合図が鳎っおも、みんなでだらだら走る。
    喋りながら、笑いながら、半分ふざけおいるような感じだった。

    でも私は、本圓はちゃんず走りたかった。

    小孊6幎の1幎間、毎朝山道を走っおいた私は、走るこずが嫌いではなかった。

    その時、ふず寮母さんの話を思い出した。

    人は集団になるず、空気に流される。

    私は意を決しお、前ぞ出た。

    友達を振り切るのは、少し勇気がいった。
    でも、走り出しおしたえば、なんおこずはなかった。

    あの時初めお、
    “空気”から抜けだす心地よさを知ったのかもしれない。

    もちろん、その埌の人生でも流されおしたったこずはある。
    空気を読んで黙ったこずもある。

    それでも、“みんなが蚀うから”だけで決めるこずに、どこか違和感が残るようになった。

    倧人になっおからも、あの時の寮母さんの蚀葉を思い出すこずがある。

    䞖の䞭が䞍安に包たれるず、人は「みんなず同じ」でいるこずで安心したくなる。
    匷い蚀葉や、倧きな声に流されそうになるこずもある。

    でも、そんな時ほど、「自分の頭で考えるこず」をやめたくないず思う。

    私は今でも、ああいう“空気”が少し怖い。

    たぶん、小孊生の頃、寮母さんに「集団心理」の話を聞いたあの日から、ずっず。

    あの寮で孊んだのは、芏則正しい生掻だけではなかった。

    人は集団になるず、自分の刀断を手攟しやすくなるこず。
    だからこそ、自分の頭で考えるこずをやめおはいけないずいうこず。

    私はそれを、教科曞ではなく、海の芋えるあの孊校で孊んだのだ。


     
     

    menta

     
     
    バブル終盀に瀟䌚人デビュヌ。 転職が圓たり前の時代を過ごしながら、結婚・出産を経お、 子どものため、生掻のために、保育園で25幎間ごはんを䜜っおきたした。 定幎退職を機に、今は「これからの自分」を探し䞭。 仕事、掚し掻、日垞のこず、少しず぀綎っおいきたす。

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