
【創作大賞2026】 エッセイ 「棚は、昔からそこにあった。」
最近、それまでほとんど聴かなかった洋楽を聴くようになりました。
当時の私は、その理由も分かった気でいました。
以前、そのことについて記事を書いたことがあります。
その記事では、なぜそうなったのかを自分なりに考えています。
邦楽も洋楽も、どちらも「音楽」としてフラットに楽しめるようになっていたこと。
さらに、自分の中でアマチュアバンドの活動が長くなり、音楽そのものに触れる時間が積み重なっていたことや、
英語学習を通して英語への抵抗感が薄れていたことなども関係しているのかもしれません。
そんなことを書いた記事でした。
でも、あの記事を読み返していて、もっと面白いことに気づきました。
それは、私の中で起きたのは、ただ「洋楽が好きになった」ということだけではなかったのではないか、ということです。
洋楽は、ある日突然この世界に現れたわけではありません。
昔から存在していました。
私は、それを見ていなかっただけでした。
洋楽という存在は知っている。
けれど、視界には入っていない。
中古CDショップでも、図書館でも、サブスクでも、私は自然と邦楽だけを選んでいました。
洋楽はそこにあるのに、自分にとっては「ないもの」として背景に溶け込んでいました。
ところが、ある日を境にそれが変わりました。
洋楽が、邦楽と同じように前景へ出てきたのです。
私は、この現象に名前を付けたくなりました。
『背景が前景になる現象』。
考えてみると、この現象は意外と身近にあります。
例えば、
それまで普通に接していた相手を、ある日突然異性として意識し始めること。
存在だけは知っていたアニメを、何かのきっかけで見始めたら夢中になること。
何年も前から近所にあった喫茶店に、ふと入ってみたらお気に入りの場所になること。
今まで素通りしていたジャンルの本を手に取り、「こんな世界があったのか」と驚くこと。
どれも、新しいものが突然生まれたわけではありません。
最初からそこにありました。
ただ、自分の中では背景だっただけなのです。
では、なぜ私はわざわざこの現象に名前を付けたくなったのでしょうか。
それは、この現象が、思っている以上に重要なものだと感じたからです。
よく「世界が変わった」という表現があります。
私は以前、それはそれまで存在しなかった全く新しい世界へ行くことだと思っていました。
もちろん、そういう変化もあるでしょう。
でも、それだけではない気がしています。
世界が変わるというのは、それまで存在していたものに新しい意味が生まれることでもあるのではないでしょうか。
今まで見えていなかったものが、急に意味を持ち始める。
それまで気にも留めなかったものが、自分にとって意味のある存在になる。
そうやって見える景色が変わる。
それもまた「世界が変わった」と言えるのではないでしょうか。
これは、外の世界が変わったわけではありません。
変わったのは、自分の中の「意味付け」です。
同じ景色を見ていても、何に意味を見いだすかが変われば、見える世界はまるで別のものになります。
最近、私は中古CDショップへ行くたびに、以前は素通りしていた洋楽の棚にも自然と足が向きます。
まるで、世界が二倍に広がったかのようです。
もしかすると、世界は新しく増えるものではないのかもしれません。
ただ、見えていなかったものに意味が生まれるだけなのかもしれません。
棚は、昔からそこにありました。
変わったのは棚ではなく、その前で立ち止まる私です。
あの日、私が見つけたのは洋楽ではありませんでした。
もう半分の棚でした。