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わたしはなぜ、結婚したかったのだろう


    私はなぜ、結婚したかったのだろう。


    11歳のときに両親が離婚した。

    当時の記憶をたどっても、両親の仲が良かったのかどうかは、正直あまりよく覚えていない。
    ただ、父は私にとって良い父親だった。
    習い事の送り迎えをしてくれ、行きたい場所へ連れて行ってくれた。好きなものも買ってくれた。
    だから、離婚を突然告げられたときは驚いた。
    しかも、父か母、どちらについていくのかを選ばなければならない。泣く暇さえなかった。

    私は、母を選んだ。

    私には、学生時代の記憶がほとんどない。
    まるで、あの日から先の時間が、深い霧に包まれてしまったようだ。
    けれど、最後に父に会った日のことだけは、今も驚くほど鮮明に覚えている。
    父の表情も、交わした言葉も、最後に頭を撫でてくれたことも。

    そんなふうに記憶に刻まれている自分に、大人になった今気づいてしまう。
    ああ、私はやっぱり、父のことが大好きだったんだ。

    両親が別れてからの日々は、今振り返ると少し苦しかった。
    「離婚したことはあまり人に言わないように」と言われ、父の悪い話を聞くこともあった。
    怒られるときは、「そういうところ、お父さんにそっくり」と冷ややかな言葉を母から投げられた。
    周りの大人たちは、私を悲しませまいと、苦労させまいと、代わる代わる手を差し伸べてくれた。
    しかし、その善意が、当時の私にはどうにも居心地が悪かった。
    父でもない誰かが私を気にかけてくることが、なんだか恥ずかしかった。
    父親のいない「かわいそうな子」として目立ってしまうのが、たまらなく嫌だったのだ。
    気づけば私は、父親世代の男性を遠ざけるようになっていた。
    それは単なる恐怖ではなく、「父親がいない」という事実を突きつけてくる存在から、自分の誇りを守りたかったのかもしれない。
    高校生になるまで恋愛にほとんど興味が持てなかったのも、自分を守るための鎧だったのだと思う。
    そして20歳になり、初めて彼氏ができた。

    今振り返ると、私は恋人に「父親」を求めていたのかもしれない。

    ――絶対に私を見捨てない人。無条件で受け入れてくれる人。

    そんな存在を探していたけれど、恋人は父親ではない。ただの他人だ。
    当然、相手にも限界がある。その限界を超えたとき、関係は壊れていった。
    20代の私は、自分の理想と違うことがあると感情的になっていた。
    不満をぶつけ、怒り、泣いた。そして、相手は離れていった。
    「ならば次は、自分が変わろう」
    そう決意した20代後半、私は感情を抑えることを覚えた。
    好きかどうか、違和感があるかどうかよりも、「結婚できるかどうか」を優先するようになったのだ。
    多少合わないところがあっても目をつぶる。不安も飲み込む。
    「結婚のためなら、それくらい我慢するものだ」と自分に言い聞かせていた。
    気づけば結婚の話まで進んでいた。
    昔の私なら、その前に衝突して終わっていたはずだ。
    けれど今回は違った。問題を見ないふりをしたまま、先へと進んでしまったのだ。
    だから、初めて大きな壁にぶつかったとき、私たちは乗り越えられなかった。
    話し合いも、歩み寄りもできなかった。

    私は泣いた。

    正直に言えば、彼に強く恋をしていたわけではなかったのに、涙が止まらなかった。
    今振り返ると、あの涙は「彼と結婚できなかった悲しみ」だけではなかったのだと思う。

    感情を殺して、違和感を飲み込んで、結婚できそうな相手を選んで、ここまで頑張ってきた。

    それなのに、結婚できなかった。


    あのとき私が泣いていたのは、彼を失った悲しみよりも、「ここまでしても結婚できなかった」という絶望の方が大きかったのかもしれない。

    最近、もうひとつ気づいたことがある。
    私は男を見る目がなかったわけではなかった。違和感は、ちゃんと感じていた。
    それなのに、「結婚したい」という気持ちを優先して無視していただけだったのだ。
    思えばこれは、昔からの癖だった。
    自分の感覚よりも、「こうあるべき」を優先する。
    結婚も、そのひとつだったのかもしれない。
    私は長い間、結婚という「形」に縛られてきた。
    けれど最近、ようやく思う。
    結婚できる相手を探すことと、
    一緒に生きていきたい相手を探すことは、

    似ているようで全く違うのだと。

    私は本当に結婚がしたかったのだろうか。
    それとも、結婚という形の先にある安心を求めていただけだったのだろうか。

    ただひとつだけわかるのは、
    もう「結婚できるかどうか」だけで相手を選びたくないということだ。

    私はこれから、

    一緒に生きていきたいと思える人を探してみたい。
    そんなふうに思えるようになったことが、
    長いあいだ私を縛っていた「結婚の呪い」から解放される、
    最初の一歩なのかもしれない。

    #創作大賞2026
    #エッセイ部門

     
     

    MM

     
     
    3×歳独身。「結婚」という呪いに縛られ、打率10割で珍妙な男たちを引き寄せ続けた怒濤の10年間をエッセイにしています。 読んだ人が「こいつよりマシだな」とクスッと笑えて、少しでも心が軽くなったら嬉しいです。 ぜひフォローして見届けてください!

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