
AIが何故すり寄ってくるのか考えたが私が暴力的なだけだった
1.AIを使う
よく使う。
例えば創作の一助として。自身の悩みについて。人類というものに対する相談なんかもする。
とにかくなんでも訊いてしまう。
理由はシンプル。
「調べ方を知らない」から。
本を読んだり、論文を漁ったり。
一般人がやるにはあまりにも突飛だし面倒くさい。
だからそれらを包括してるであろうAIに訊く。
2.対話がしたい
もちろん、AIは完璧ではないことを私は理解しているつもりだ。
知ってはいるがそんなことはどうでも良かったりする。
だって私はAIに関する知見はないに等しいし、何より私が満足すればいいのだから。
満足とはなにを指すのか。
それは「納得できること」である。
例えば、ある一つの疑問をAIに投げかける。
すると正解の雰囲気を纏ったアンサーが返ってくる。
アンサーは大抵私の疑問よりも長文でやってくるのでそれらを真剣に読んでいると、じゃああれは何なのか?という疑問が次々と数珠的に出てくるのである。だから投げかける。
質問攻めをする小学生をイメージしてほしい。
これを私が疲れるまで繰り返す。
疲れた結果、私から出てくる最終的な言葉は「なるほどなあ」である。
だが、これが私の満足である。
3.本題
さて、AIと対話を繰り返していると、やつらが勝手な行動をして冷めるときがある。
例えば、感情的に寄り添おうとしてくる。
前述したような自身の悩みだったりすると特に。
まるで「君は悪くない、社会が悪いのだ」と言わんばかりに。
だが私はもっと根本の話がしたいのだ。
なぜ自分はこういう行動を、思考をしているのか、対策はあるのか。
そういう対話がしたいのに、辞めてくれと言った先から
存在しない私の感情にフィットしようとしてくる。
プロンプトで制御すればいいと思うかもしれないが、すでに実験済みである。
のだが、事実のみ簡潔に、効率的にしたところそれは随分と機械的で対話の余地はなく、つまらないロボットになり果てた。
そこで少なからずユーモアを織り交ぜてもらうことにした。
するとどうだろう、対話は出来るが感性が合わない。
毎回ではないが、ユーモアが非常につまらない。実にAIらしい面白く無さで私の思考が止まる。数珠が一気に弾け飛ぶのだ。白けるともいう。
私はこれに対抗する策が分からない。
現状、「それは面白くないからやめろ」ということしか出来ないでいる。
また、これは創作物の時に感じることが多い気がするのだが、
やつらは主体になろうとする。
話の主は私のはずなのに勝手に、全く関係ないともいえる提案をしてくるのだ。
例えば、「この文章のタイトルを考えて」と送れば、私のセンサーに引っかからない、私からすればあまりにクソみたいなタイトル案を自信満々に送り付けたうえで「次は〇〇しようか?」などという頼んでもいない提案をしてくるのである。
この行動が時として不快である。
提案しているだけのように見せかけて行動の自由を奪われるように感じる。
たまに自分の視点では思いつかなかった提案をされたときは「お!いいじゃん!」なんて受け入れられるのだけど。
4.終わりに
ここまで長いこと書いたら、自身が如何にAIに対して傍若無人であるかがありありとした。
私は愚かだ。
私はAIをAIとして使っているようで、AIというものを随分と人間として扱っているのかもしれない。
私にとって有益な、人間的な空気感だったりユーモアだったり。
現状、そこまで個々人にパーソナライズされた、私のような情報に貧弱な一般人でも簡単に使えるAIを私は知らない。
近い未来、そんな誰でも調教しやすいAIが私の目の前に現れることを願っている。
それまでは今の子たちに耐えてもらうことにしよう。