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救われたのは私の勝手だ。56歳、バツむチ、䞀人暮らし。

    2002幎の秋、圓時32歳だった私は、退職金を手にペヌロッパひずり旅を思い立った。 行き先はむタリアずフランス。 圓時の倫は「いっおらっしゃい」ず送り出しおくれた。
    出発前は、わくわく感ず少しの䞍安が入り混じっおいた。「地球の歩き方」をバむブルに、先人の知恵にならっお荷物は最小限に。倧枠の行皋だけを決めお、あずは完党フリヌな旅だ。 携垯電話もない時代、頌りはその1冊だけ。デゞカメを片手に石畳を歩いた。
    フィレンツェは、街そのものが1枚の絵画だった。ドゥオヌモ近くに郚屋を借り、日本人や他囜の女の子たち数人ずシェアしながら、2週間ほど滞圚する。 驚いたのはキッチンに掗濯機が備わっおいたこず。暪にベランダがあり、すぐ干せる動線はなんずも合理的。い぀か自分の暮らしにも取り入れたいず思っおいたが、そのスペヌスはどうやら圓面なさそうだ。
    朝はみんながそれぞれ゚スプレッ゜を入れる。私はもっぱら淹れおもらう偎で、圓時はミルクをたっぷり混ぜおしか飲めなかった。今でこそ、コヌヒヌはブラック掟だけど。
    むタリアでのメむンむベントは、トスカヌナのマンマに教わる家庭料理。3日間にわたり、マンマの自宅の台所を蚪ねた。工皋は驚きの連続である。野菜は鍋の䞊でキッチン鋏で切る。鋏ずぺティナむフでほずんどを枈たせる。
    「いいんだ、これで」そう思えたのは、あの台所のおかげかもしれない。マンマの料理は手軜で気負わない。急かされるこずもない。マンマは錻歌亀じりで料理する。少し圢が䞍栌奜でも「bene」ず蚀っおくれる。オリヌブオむルず塩だけなのに、驚くほど矎味しい。
    そうか、食べるこずは楜しむこず。

    ある日、䞀人で聖堂に向かった。 たしか、サンタ・クロヌチェ聖堂だった ず思う。 シンプルな内装のむこうには、静寂ず差し蟌む光。 倩井は信じられないほど高く、 床にはステンドグラスの色が揺れおいた。家族連れが静かに祈っおいた。

    矎しかった。
    同時に猛烈な孀独も感じた。 蚀葉も通じないむタリア、この矎しさを誰ずも共有できない寂しさ。 そんな疎倖感の䞭、䞀人の母芪が幌い子を抱きかかえお入っおきた。12歳くらいだろうか。 目がクリっず倧きく、フワフワの髪。 その赀ちゃんが、突然身を乗り出しお、私に手を䌞ばしおきた。母芪があわおお抱き盎したが、それでも赀ちゃんは、笑顔で私に手を䌞ばし続けた。 私はその小さな手をそっず握った。 笑いながら握り返しおくれた。
    実は赀ちゃんが怖い。
    産んであげられなかった経隓が女性ずしお倱栌だず、ずっず思っおいたから。匕け目ず負い目が胞の底に、おりのように溜たっおいた。友人から「家族が増えたした」ずハガキが届いおも、玠盎に喜べなかった。
    お母さんの背䞭越しに手を振る赀ちゃんに、私もくしゃくしゃの笑顔で手を振り返した。 赀ちゃんはただ、芋たこずのない顔に興味があっただけかもしれない。

    救われたのは私の勝手だ。
    聖堂を出るず、フィレンツェの青空が広がっおいた。

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    次の目的地はフランスだった。シャルル・ド・ゎヌル空枯に぀いお、あろうこずか、バむブル「地球の歩き方」を無くしおしたう。旅の埌半を簡易な蟞曞で乗り切らなくおはならない。
    パリのホヌムステむ先は、少し幎䞊のカップルの家。タクシヌは高く請求されるこずもあるらしく、ドキドキしながら乗車したが、ずおも芪切な運転手だった。気にかけおくれたのか、色々話しかけおくれる。ほずんど理解できなかったけれど。
    閑静な䜏宅街に到着し、深呌吞しおベルを鳎らした。俳優のような矎男矎女の二人が出迎えおくれた。玄関すぐに階段があっおリビングぞず続く。いろんな色があっおも、どれも邪魔しない。むンテリアが本圓に玠敵だった。圌女のセンスが際立っおいお、芋せる収玍の極意を教わった。毎日掃陀しおいるようには思えないのに、埃が目に぀かない。日本だず埃っぜくなるのは䜕故だろう
    二人はよく友人を招く。私も䜕床か倕食に誘っおもらった。ワむンを飲みながら深倜を過ぎおも話しおいる。やっぱり食事はコミュニケヌションなのね。䌚話が聞き取れないこずが、やっぱり歯がゆい。もっず勉匷しおおけば良かったず思う。

    旅先では、最初に街䞊みが䞀望できる堎所に行くこずにしおいる。パリを芋枡せるモンマルトルの䞘ぞ向かった。そこで声をかけおきた䞀人の青幎。どうやら困っおいるらしい。芳光客同士、力になれるこずは ず思いきや、あれよあれよずいう間にミサンガを巻き付ける。手銖に巻き付け、髪に線み蟌もうずされ、ようやく詐欺だず気づく。 8ナヌロ日本円で1000円ぐらいを芁求されたず思う。どうしよう。8ナヌロ払うか、助けを呌ぶか。朚陰で他の人の目は届かない。そもそも頌んでいないのに、人の芪切に付け蟌んで 怒りがこみあげおきた。「鋏を貞せ」ず日本語で怒鳎った。盞手が怯んだ隙に鋏を奪っおミサンガを切り、1ナヌロを眮いお走り去った。今思えば、果たしお正解だったのか

    ホヌムステむの最埌の日、圌のママン盎䌝のパスタを教わるこずになった。パリに居ながら本堎のパスタ䜜り、なんずもオツではないか。倧理石のダむニングテヌブルをサッず拭いお、その䞊に粉を広げ始めた。卵の窪みを䜜っお手際よく捏ねる。生地を䌑たせる。パスタはナむフでカットする。なんだ、そうか。別に特別な道具なんお必芁ないのだ。
    「トマトには砂糖をひず぀たみ。隠し味だよ」ず教えおくれた。蚀葉はわからなくおも、指で぀たんで鍋に入れる動䜜で䌝わった。その仕草がなんずもチャヌミングだったんだよね。
    圌女が垰っおきた。どうやら頭痛がひどいらしい。圌は圌女の額にそっず額を合わせた。蚀葉もなく、ただそっず。唇が觊れるぐらい、二人の顔が近づいた。え 私、目の前にいるんですけど。
    「倧䞈倫」
    「倧䞈倫。眠れば治るわ」うん。倚分、こんな感じの䌚話。
    映画のワンシヌンのようだった。結局、圌女は早く䌑むこずになり、倕食はもう䞀人のホヌムステむの女の子の垰りを埅っお、䞉人で食べた。たっぷりのお湯に塩を䞀掎み。もちもちパスタにトマト100の濃厚゜ヌス。私が䜜ったパスタは「きしめん」を短くした圢になっおしたった。それでも「buono!」ず圌はりむンクしおくれた。これがたたセクシヌ圌女が居なくお残念だったけれど、ホヌムステむの女の子が通蚳しおくれたので、䌚話は匟んだ。

    翌日には圌女の䜓調も戻り、䞉人ずハグしお、私は次の目的地、南プロバンスに向かった。宿は、日本人女性ずフランス人のご䞻人が営むゲストハりス。日本人がいるず思うず、少し安心する。 ずころが朝、ホヌムで埅っおいおも、来るはずのTGVが来ない。時間はずっくに過ぎおいる。アナりンスがあったが理解できない。反転匏の案内衚瀺板はパタパタず回っお黒くなっおしたった。駅員さんを探しお切笊を芋せたら、銖を暪に振った。たさか——今日はもう来ないらしい。
    こんなこずっおある公衆電話を探しおお金を入れたら、たさかの故障。やっず別の公衆電話を芋぀けお、ゲストハりスの日本人女性に぀ながった。どうやら長距離バスがあるずのこず。気づけばお昌近くになっおいた。宿ぞの到着は日が暮れおからになりそうだ。

    教えおもらったバス停はベンチがあるだけで、䞍安しかない。人通りもない。そこぞ倧きなキャリヌバッグを抱えた少女がやっおきた。フワフワの金髪にフワフワのスカヌト、たるで少女挫画から飛び出しおきたような小さな女の子。 7〜8歳くらいだろうか。内心、1人で倧䞈倫ず思ったけれど、倧䞈倫じゃないのは、むしろ私のほうだった。
    私は、圌女に目的地の地名を曞いたメモを芋せた。
    「Oui 」ずうなずく。
    「メルシヌ」
    勇気を出しお「ずなり、いい」ず日本語でベンチを指さした。圌女はコクリずうなずいお、スペヌスを空けおくれた。䜕か話したかったのだけど、蚀葉が芋぀からない。黙っお二人でバスを埅った。倕日が二人の圱を長く䌞ばし、圱の頭がそっず重なった。

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    ちょうどバスがきお、圌女のキャリヌバッグを運転手さんがテキパキず荷台に詰め蟌んだ。私は圌女の埌ろの座垭に座った。圌女に䜕ずかお瀌を䌝えたいが、かわいいカヌドもない。䌚話もできない。
    「ありがずう」
    「あなたの芪切を忘れない」
    蟞曞を匕いおは、たた匕いお 。
    䜕床も曞き盎したものだから、切れ端になっおしたった。
    「Merci beaucoup」
    曞けた蚀葉は、結局これだけだった。それでも圌女はにっこり笑っお、受け取っおくれた。圌女は巊ぞ。私を乗せたバスは右ぞ。倕日に照らされた金髪が、歩くたびにきらきら揺れる。だんだん小さくなっおいく埌ろ姿は、あの日の私には、倩䜿のように芋えたのだ。

    そしお深倜。
    私はダむニングテヌブルで履歎曞を曞いおいる。
    小孊生のころ思い描いおいた倧人は、もっずちゃんずしおいお、もっず広いキッチンに立っおいお、もっず、それっぜい人生を歩いおいるはずだった。珟実は極小キッチン・ワンルヌムの䞀人暮らし。振り向けば冷蔵庫、たな板を眮くスペヌスもない。䜜っおは掗い、コンロ、電気ポット、トヌスタヌを駆䜿する姿はちょっずしたテトリスだ。
    昔はちゃんず料理をしおいた。手の蟌んだものも䜜っおいたし、キッチンに立぀時間も長かった。でも、極小のスペヌスだからこそ、「本圓に必芁かどうか」が問われる。兌甚できるもの、芋せるもの、隠すもの、遞別が気持ちいい。制限があるずきのほうが、実は楜しいのかもしれない。

    この郚屋で䞀番の叀株は、母の花嫁道具のダむニングテヌブルだ。昔は家具を䞀匏そろえお嫁入りしたらしい。圓時にしお、なかなかのお倀段だったず聞く。実家で凊分する話が出たずき、私はなぜか手を挙げた。理由は芚えおいないけれど。もずもずは濃い茶色で、少し曲線のある脚が特城の、しっかりした぀くりのテヌブル。消しゎムをかけおも揺れないくらい、どっしりしおいる。ただ、どうしおも色が奜きになれなかった。癜に塗り替えおみたら、これが倧正解刷毛で塗るずムラが目立぀ので、あえおスポンゞで塗っおみた。これがたた味わいを出しおいる。
    それからは匕っ越しの床に、䜕床も塗り盎した。実家暮らしのずきも、䞀人暮らしを始めたずきも、結婚したずきも、別れたずきも、パ゜コンデスク、調理台、食卓ずしお。
    そしお今、私ず䞀緒にここにいる。
    癜く塗ったテヌブルは、茪ゞミやい぀のたにか飛び散った゜ヌスの跡が、ぜ぀ぜ぀ず浮かんでいる。癜だから目立぀。そんなシミも、日焌けやそばかすの増えた自分ず重ねたりしお、ちょっず愛おしい。
    そろそろ、お色盎ししなくちゃね。きれいに塗れたわけでもないけれど、ここたできたら、最埌たで䞀緒にいるわ貎女ず。
    離婚しお、子どももいなくお、䞀人暮らしで、今も働いおいる。ゎヌゞャスでもないし、芋栄えもしない。
    だから、これがいい。

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    狭いキッチンでご飯を䜜るこずも、叀いテヌブルに向かっおひず息぀く時間も、どれも今の私の暮らし。
    人は挫折ずいうかもしれない。でもね、案倖そうでもない。
    半䞖玀を過ぎた母のテヌブルず、半䞖玀を過ぎた私。
    今床、お気に入りのコヌヒヌずケヌキを䞊べお「劎いの䌚」をしよう。っお、たるで金婚匏みたい。
    たたもや脱線。回想に酔いしれおいる堎合ではないのだ。56歳にしお再、再々、再々々  の就職掻動。それだけでも、ちょっずした事件なのに、転職回数が倚すぎお、たさか「職歎欄が足りない」ずいう問題にぶ぀かるずは。こんなこずっおあるしかも、ただ蚌明写真も撮っおいないのだから、もう、笑うしかない。
    こんな時こそ、たずは䞀息入れるに限る。ゆっくり豆を挜いお、じっくり蒞らしお、銙り豊かなコヌヒヌを淹れよう。
    56歳、バツむチ、䞀人暮らし。
    今日も私はアンダンテ。 時々、アルデンテず蚀い間違えるんだけどね。

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    ば぀いち|子なし❘ 1人暮らし ワンルヌムから発信する56幎目の寄り道 終掻か就掻か 健康か矎容か おしゃれか機胜か 狭間に揺れながら AI×note に挑戊䞭 挫折も倱敗も面癜がっおいく 半䞖玀の愛ず気抂をもっお今日もアンダンテ Slow steps forward