
『立ち止まることは人生を豊かにする!』~無職・不登校・専業主婦…“怠けている”と見られてしまうあなたへ~
こんにちは、めげないやつ子です。
『家にいて暇でしょ?』
『一日中、何やってるの?』
『ずっとテレビ見てるの?』
私が専業主婦だった頃、そして息子が不登校になった頃、よく言われた言葉です。
仕事をしている人には、わざわざ聞かない事なのではないでしょうか。この言葉の裏には、 “その人の” ネガティブや攻撃的な感情が隠れているような気がしていました。
無職、フリーター、引きこもり、専業主婦、不登校、
こうした言葉を聞いたとき「怠けている」「逃げている」「暇そう」といった印象を持つ人は少なくありません。
でもそれって本当に事実でしょうか?
私は言葉にされるたび、モヤモヤ傷つきながらも自分と向き合ってきました。
今日は、あの頃の私のように “今を立ち止まっている人” へ向けて、そして周りの人にも届いてほしいお話です。
なぜ無職や不登校と聞くと「怠けている」と結びつけてしまうのか
人それぞれ感じ方は自由。
でもそれを わざわざ相手に向けて口にしてしまう背景には、
「自分だけが大変」
「自分だけが我慢している」
という思いが心のどこかにあるのかもしれません。
たとえば、いちいち言わないだけで---
・無職でも、ボランティアで地域に貢献しているかもしれない。
・フリーターでも、たくさん納税して社会を支えているかもしれない。
・引きこもりでも、通院や療養をして自分の人生と向き合っているのかもしれない
・専業主婦でも、家族みんなが幸せに暮らせる努力をしているかもしれない。
・不登校でも、家族のために毎日ごはんを作ってくれているかもしれない。
中には、過去に他人からぶつけられたストレスによって傷付いた心を、少しずつ回復させている途中の人もいると思います。
そんなことは、本来ならやらなくてもいいことだという虚しさと戦いながら自分と向き合っている人に、何も言うことはないはずなんです。
ただ、これらは視点を変えるための例にすぎません。
私が言いたいのは、何かをしているから価値があるという話ではないんです。
評価の世界から抜け出すことができると、本当の価値が見えてきます。
立ち止まることには意味がある
人生には思うように進めない時期もあります。
自分が無力に思えて、社会から取り残されたような気持ちになることもある---
「自分なんて必要ないのではないか」と、恥ずかしさや寂しさを抱える日もあるでしょう。
でもそれは、通過点です。
その経験が、いつか誰かを救うことに繋がる日がやってきます。
それを信じられない人ほど、今立ち止まっているように見える人を非難するのではないでしょうか。
自分が止まることに強い恐れを抱えている人ほど、立ち止まっている誰かを責めたくなるのです。
自信がない人ほど他人を責めたくなる
それは本当は、自分自身への怒りや不安の現れなのかもしれません。
人を攻撃する人は、自分を信じきれていないのだと思います。
「立ち止まった自分でも、また歩き出せるのか…」
そんな不安を抱えているのだと思います。
なので、言葉にされた側は、どうかその言葉を真に受けすぎないでください。その痛みは、やがて意味のあるものに変わっていきます。
無職やフリーター、引きこもり、専業主婦、そして不登校の子どもたちそれぞれが、誰にも代わりがきかない かけがえのない存在です。
そしてあなたのその経験が、誰かを救う日は必ずやってきます。
それは支援者というわかりやすい立場ではなくても、これからあなたと出会う人たちの力になります。
恥ずかしい自分を経験として受け入れる視点
私は不登校の子どもたちが持っている力を、これまでずっと信じて発信してきました。
立ち止まるという選択をしたからこそ、見える景色があります。その経験の中にこそ、人にはない強さや優しさが育まれているのです。
『こんな自分が周りに知られたら恥ずかしい…』
そんな思いを抱えることは誰にでもあります。もちろん私にもたくさんあります。
でも、恥ずかしい自分を認めることから人生は動き出します。
だから私は、自分の恥も怖さも全て受け入れていくために自分と向き合っています。怖いし恥ずかしいけど、それで人は死にませんからね(笑)。
むしろその姿こそが誰かを救う力になると、私はそう信じています。
それではまた。