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退職代行が許されて不登校が責められる社会に問いたいこと

    めげないやつ子

    こんにちは、めげないやつ子です。



    退職代行サービスが人気だというニュースを見た。

    この4月に新卒で入社した人や20代の若い人が主に利用しているのだという。


    入社してからまだ数日しか経っていないはずである。いや、私は、それが悪いことだとは思わない。

    むしろ、自分に合わないと判断できる力は立派だ。判断を先延ばしにして心をすり減らすより、よほど健全だと思う。


    2018年頃から話題に上がり始めた退職代行サービス。

    退職をするのにわざわざお金を払って人に頼むという事に対して、時代の変化を感じられた方も多いのではないだろうか?

    このサービスが話題になり始めた当時は違和感を抱く人も少なくなかった中で、2024年のある調査では、(調査に協力した500名以上の中で)75%以上が退職代行サービスに対して肯定的な考えを示している。


    仮にブラック企業であれば、人間関係のストレスや精神的負荷も大きいだろう。自分を守る手段として退職代行を選ぶのは「あり」だと思う。


    入社直後であれば、自己紹介も済ませ配属先での挨拶も終えているだろう。

    そんな中で「やっぱり辞めます」と直接言うのは、相当な勇気がいる。気まずさや申し訳なさを考えると、言い出せない気持ちもよくわかる。


    それに、ぶっちゃけ他人の人生である。

    私には関係のないことだ。正直、どうでもいいというのが本音です…という感じ。



    だがそれでも黙っていられない。
    私の心の中で、ある思いが騒いでいるのだ。


    息子が不登校になったとき、
    何度も聞かされた言葉がある。


    「逃げ癖がつく」「社会性が育たない」
    「甘えだ」「協調性がない」
    「コミュニケーション力が不足している」――


    私は何度も発信してきた。
    不登校は(ネガティブな意味での)逃げではないと。


    不登校は、社会の違和感に気づき自分を大切にできる子の素晴らしい選択である。

    甘えではなく、ギリギリまで耐えてきた心の強さが限界を超えた結果である。

    誰かが傷つくのを嫌がり周囲の平和を願う優しさを持っているからこそ、理不尽や圧力へのストレスが不登校という形で表れただけである。



    不登校になるまでにも苦しみ、不登校になってからも偏見に苦しんできた。

    代行サービス役を親に頼みたくても、その親が学校に行けと促すケースは山ほどあるだろう。当時は私もそんな親の一人だった。



    一方で、退職代行サービスを使う若者たちに世間はどう向き合うのだろうか。


    新卒で退職願い…つまり彼らは順調に学校生活を送ってきた子たちだと思われる。

    そんな彼らが、面と向かって「辞めます」と言えずサービスに頼る。これこそが世間の言う「逃げ癖」なのではないか。



    「退職します」という言葉や「辞めたい」という意思表示もまた、重要なコミュニケーションの一つだと私は思う。私自身も言いにくい事を伝える時には葛藤や工夫をしてきた。

    もちろん嫌な思いもしてきたが。
    時代が違うと言われたら、まあそうだよねとも思う。



    ただ、どうしても引っ掛かるのだ。


    退職代行で嫌な思いをせずに辞める事の、どこに「社会性」があるというのだろうか。

    部活動での忍耐が社会で役立つと言っていたその勢いは、どこへ行ったのか。

    3日で会社を辞めること、その意思を人に言ってもらうこと、そんな選択をどう説明するのだろか。


    ……と、皮肉を並べたが、私はやはり退職代行の利用には賛成である。



    極端に言えば、入社1日で辞めたっていいのだ。
    苦手なこと、心の負担が大きいことは、お金を払ってでも他者に任せればいい。


    自分を守る手段を知っていることは、むしろ生きる力である。それは私がいつも発信している事でもあるのだ。



    だが不登校に関しては、なぜこれほどまでに厳しい言葉が飛ぶのか、、

    逃げ癖、社会性の欠如、甘え――。

    新卒の退職には「個別の理由がある」「パワハラなら仕方ない」「ブラックなら無理もない」と、それぞれの理由まで想像し寛容に捉えるのに対し、

    不登校には「一括りの否定」と「レッテル貼り」が今もまかり通っている。


    同じように個々の理由があり、子ども一人一人それぞれが様々な立場や環境で苦しみ、同じように選んだ「離脱」という行為であるのに、なぜ不登校の子どもや親だけが傷つかなければならないのか。


    君だけを配慮している暇はない…
    みんなはちゃんとやってるんだ…
    自分だけ楽してズルいやつ…

    不登校になるような奴、一人一人の背景なんて想像してやる必要はない…

    孤独を感じていた時は、それぐらいの冷たさを世間に感じたものだ。



    私は、今はもう息子の不登校に悩んではいない。

    なぜなら不登校は「問題」ではなく息子の人生にとっての「通過点」であり、自分と向き合うための大切な時間であると私は確信しているからだ。


    仮に今レッテルを貼られても「お門違いなことを言ってるなぁ~」と思うだけで、傷つくことはない。


    だが、かつての\私の苦しみ/は、忘れてないのだ。それが今回のニュースを見て騒ぎだした…という感じ。



    ちなみに、18歳になった息子にも聞いてみた。





    退職代行サービス?
    いいんじゃない、その人の好きにすれば。

    利用できる事ならやればいいし。その人の人生の選択をオレが何も言うことはないよ。

    あと不登校は逃げ癖がつくってやつも、仮に本当にそうだとして、別にそれでいいと思う。

    オレが不登校になったことで逃げ癖がついたのなら、それも受け入れるだけっていうか。

    『逃げ癖がつくよ』
    『社会性が育たないよ』
    って言われて、

    ああ、そうなんですね。

    って言うだけ。

    オレがやりたくて自分で選んだ事なんだから、それが結果的にそういうことになるなら、それでいいよ。





    ガッツリ3年半の不登校を経験し、自分という人間ととことん向き合っている息子は、私よりもずっと人生をまっすぐに進んでいると思った。



    社会は誰かの行動に対して、わかりやすい理由があるかどうかで評価を変える。

    でも、見えない理由があるかもしれないという想像力が、もう少しあってもいいのではないか。

    退職も不登校も、自分の人生を守るための大事な選択である。一方的に肯定・否定という評価で済ますことに、私は強い違和感を覚える。


    それを言葉にすることが、今の私にできる小さな社会への問いかけだ。


    それではまた。



     
     
     
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