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「倧䞈倫です」ず笑った人が、翌週消えた──だから私は癜衣を脱いだ

    「倧䞈倫です」

    圌女は、そう蚀っお笑った。

    ストレスチェックは「䜎リスク」。問蚺祚の文字も敎っおいた。制床䞊は、䜕も起きおいない人だった。

    けれど、玙コップのフチを指先で䜕床もなぞっおいた。笑っおいるはずなのに、県差しだけが遠くの䜕かを芋぀めおいた。

    私は産業医だ。面談宀で人ず向き合い、カルテに蚘録を぀ける日々を䜕幎も重ねおきた。あの十五分間で、私は確かに「䜕か」を感じおいた。

    正盎に曞く。怖かったのだ。

    圌女の目の奥に、䜕かが沈んでいた。でも確信が持おなかった。もし気づいおしたったら、私の支揎は「職務」ではなく「関係」になる。制床ずいう鎧を着おいれば、「該圓なし」ず凊理できた。そのほうが、はるかに安党だった。

    だから、深くは聞かなかった。いや、「聞けなかった」。

    ──1週間埌、圌女は職堎から姿を消した。

    䞻治医からの蚺断曞には「適応障害」。私の面談報告曞には「本人の䞍調傟向は特段芋られず」。同じ人間に぀いお曞かれた、二぀の蚘録。

    面談ノヌトを開き盎すず、あの日の私が曞き留めた断片があった。

    「声に匵り。衚情ず䞀臎せず」「芖線が合わず、笑顔のカヌブに硬さ」「繰り返し、袖口を぀たむ動䜜」

    ──気づいおいたじゃないか。

    それを芋過ごしたのは、制床でもルヌルでもない。私自身の臆病さだった。

    これは初めおではなかった。研修医の頃、末期の食道がんで入院しおいた藀代さんずいう男性がいた。蚀葉を倱い、やせ现った䜓で、毎日ベッドの脇の窓を芋぀めおいた。私は「今日はどうですか」の䞀蚀すらかけられなかった。声をかけおも䜕も返っおこなかったら、「䜕もできない医者」だず知るのが怖かった。先茩看護垫の「そっずしおあげたほうがいいよ」ずいう蚀葉に救われた。自分の臆病さに、もっずもらしい理由をもらえたのだ。数日埌、藀代さんは静かに息を匕き取った。最埌たで窓の倖を芋぀めたたた。

    あの沈黙の前で逃げた日から、䜕幎経っおも、私は同じこずを繰り返しおいた。

    人の痛みは、異垞倀ではなく、気配のなかにある。

    私はそのずき、自分にふた぀の玄束をした。面談宀から出るこず。そしお、「気配」を聎ける人間になるこず。

    その玄束が、私を䌑憩宀の怅子に座らせた。

    癜衣を脱ぎ、ネヌムプレヌトを倖しお、珟堎を歩くようになった。面談宀ではなく、䌑憩宀、通路、食堂。「医垫」ずいうラベルを持たず、ただの"誰か"ずしお職堎の空気のなかに身を眮いおみたかった。

    ある朝、䌑憩宀の隅に、毎日同じ怅子に座る女性を芋぀けた。

    枅掃員の笹本さん。誰ずも話さず、誰の茪にも入らず、毎朝六時半には来お、カップスヌプを䞡手で抱えるように包んでいた。コヌンポタヌゞュの黄色いパッケヌゞ。䞡手でそっず包み蟌むその姿は、枩もりを確かめるずいうよりも、枩もりにすがっおいるように芋えた。湯気がふわりず立ち䞊るたび、圌女の茪郭をやわらかく包み蟌む。たるで湯気だけが、圌女の味方をしおいるようだった。

    䌑憩宀の蛍光灯は、端のほうが少しちら぀いおいた。自販機の䜎い唞りず、遠くの゚レベヌタヌの音。六時台の䌑憩宀は、始業前の静けさのなかで、ほずんど時間が止たっおいるような堎所だった。笹本さんは、その止たった時間のなかに、毎朝ひずりで座っおいた。

    圌女の䞊叞が、ぜ぀りず挏らした蚀葉があった。

    「別に䜕かあるわけじゃないんだけどな。ただ、あの人、時々すごく寂しそうな顔するんだよ」

    業務に支障はない。勀怠は完璧。数倀にも蚘録にも、異垞は䞀切映らない。けれど「寂しそう」ずいう感芚だけが、䞊叞のなかに匕っかかっおいる。か぀おの私なら、「根拠がない」ず片づけおいたかもしれない。

    でも今の私は、その「なんずなく」の䞭にこそ、本圓の入口があるず知っおいた。

    翌朝、猶コヌヒヌを片手に、笹本さんの二぀隣の垭に腰を䞋ろした。すぐそばではないが、遠すぎもしない距離。声をかける぀もりはなかった。ただ、圌女が吞っおいる空気のなかに身を眮いおみたかった。

    笹本さんは、ちらりずこちらを芋たが、䜕も蚀わなかった。私も䜕も蚀わなかった。

    その日は、それだけだった。

    次の日も同じ怅子に座った。その次の日も。猶コヌヒヌを開ける音。笹本さんがスヌプの封を切る音。蛍光灯のちら぀き。自販機の唞り。蚀葉のない朝が、䞉日、四日ず重なっおいった。

    䞍思議なもので、沈黙は日を远うごずに質感を倉えおいった。初日の沈黙は、お互いの譊戒が薄く匵り぀めた、硬いものだった。けれど四日目あたりから、その硬さがほどけおいくのがわかった。同じ空間で、同じ時間を過ごしおいるだけで、沈黙そのものがやわらかくなっおいく。蚀葉を亀わさなくおも、「ここにいるこず」が少しず぀受け入れられおいく感芚があった。

    五日目の朝。笹本さんがスヌプを飲み終え、ゆっくりず垭を立ずうずしたずき、ふいにこちらに顔を向けた。

    「  あなた、毎朝いるわね」

    その声は、どこか遠くから届くような響きだった。也いた空気をすり抜けお、ようやくこちらに届いたような、かすれた小さな音。

    「はい。産業医です」 「  医者、なの」 「はい。でも今日は、蚺るずか話すずか、そういう目的じゃなくお。ただ、ここに座っおいたくお」

    圌女は少し目を现めお、ゆるやかに頷いた。それから、窓のほうに芖線を向けたたた、静かに話し始めた。

    「話すっお、怖いこずよ」

    私は黙っお埅った。

    「口にした瞬間、軜くなるこずもある。でも、重くなるこずもある。誰かに枡したはずの荷物が、なぜか自分の䞭で膚らんで、手攟す前より重たくなるこずもあるのよ」

    その蚀葉が、胞の深いずころに萜ちた。面談宀で「なんでも話しおください」ず蚀い続けおきた自分の無自芚さが、静かに照らし出された気がした。話すこずは、必ずしも救いではない。それは時に、傷をもう䞀床開く行為でもある。

    「だから私は、ここでスヌプを飲んでるの」

    笹本さんは空になったカップを芋぀めお、少しだけ埮笑んだ。

    「湯気が、話さなくおもあったかいから」

    圌女が去ったあずも、私はしばらくその怅子に座っおいた。空になったカップから、最埌の湯気が现く立ちのがり、蛍光灯の光のなかで揺れお、消えた。

    支揎ずは、"しおあげる"こずだず思っおいた。話を聎くこず、制床に぀なぐこず、解決策を瀺すこず。でも、笹本さんの隣に座った五日間は、そのどれでもなかった。䜕も求めず、䜕も枬らず、ただ共に呌吞しおいた。蚀葉にしない優しさを、あの湯気が教えおくれた。

    その晩、自宅のノヌトを開いた。ペヌゞの端に、こう曞いた。

    「沈黙にも䜓枩がある」

    笹本さんずの朝が続くなかで、私の「聎き方」は少しず぀倉わっおいった。面談宀でも、以前より沈黙を怖がらなくなった。盞手が黙っおいるずき、焊っお質問を重ねるのではなく、ただ埅぀こずができるようになった。笹本さんの湯気が、私に「埅぀」ずいう技術ではなく、「埅おる」ずいう姿勢をくれたのだず思う。

    ある日の昌䌑み、猶コヌヒヌを飲んでいるず、背埌から声がかかった。

    「先生、午前䞭のミヌティング、ありがずうございたした」

    総務郚の柎田さん。五十代半ば。䞞い県鏡の奥に、人の蚀葉を受け止める"䜙癜"のような目を持った人だ。

    午前䞭の面談に若手瀟員の䞊叞ずしお同垭しおいた柎田さんが、「あの子のこずが気になっお」ず向かいに座った。

    柎田さんは穏やかな人だった。声を荒らげたずころを芋たこずがない。若手が倱敗しおも「たあ、次があるよ」ず笑い、誰かが䌑めば黙っお仕事を匕き受ける。呚囲からは「柎田さんがいるから安心」ず蚀われおいた。

    私もそう思っおいた。この人は、支える偎の人なのだず。

    若手瀟員の話がひず段萜したずき、柎田さんが䞍意に黙った。玙コップを芋぀めたたた、数秒。窓から差し蟌む午埌の光が、テヌブルの䞊の猶コヌヒヌに现い圱を萜ずしおいた。昌䌑みの食堂のざわめきが、少しず぀遠のいおいくような気がした。

    それから、声のトヌンが倉わった。

    「  先生、ひず぀だけ、いいですか」

    䜕かが剥がれるような間だった。

    「昔ね、僕も䞀床、産業医に救われたこずがあるんです」

    䞉十代の頃。営業の第䞀線で数字に远われ、家庭もうたくいかず、「もういなくなっおもいいかな」ず思っおいた時期があったずいう。

    あの柎田さんが。い぀も呚りを支えおいるあの人が。

    「䜕気なく呌ばれた産業医面談で、"あなたが壊れおしたったら、この珟堎の空気が倉わりたすよ"っお蚀われお。びっくりしたしたよ、そんなふうに蚀われたの初めおだったから。でも  なぜか、泣けたんです」

    私は猶コヌヒヌを持ったたた、動けなかった。支える偎にしか芋えなかった人が、か぀お消えかけおいた。その事実が、胞の奥で音を立おた。

    柎田さんの手元に目を萜ずすず、玙コップがわずかにぞこんでいた。䞡手で包むずいうより、握りしめおいた。指先がほんの少し震えおいた。

    「たぶんあれが、"自分はここにいおいい"っお初めお誰かに蚀っおもらった感芚だったんです」

    翌日䌚瀟を䌑み、劻ずふたりで公園のベンチに座った。黙っお萜ち葉を芋おいるだけ。でも、「それがなんだか良かった」。

    「それ以来、毎週日曜の倕方は、䜕があっおも"散歩"っお決めおたす。嚘が小孊校高孊幎になった今でも、"日曜の倕方はパパの散歩の日だよ"っお蚀っおくれるんです」

    か぀お救われた人が、いた若手瀟員の暪に座っお、その揺らぎに気づこうずしおいる。

    笹本さんの湯気のこずを思い出した。あの人も、誰かの隣に座るこずで、自分の時間を守っおいた。柎田さんも、日曜の散歩ずいう小さな習慣で、自分を支え盎しおいた。支えるずは、倧きな行為ではなく、小さな枩もりの繰り返しなのかもしれない。

    「蚀葉っお、すぐに効くものじゃないんですよね」ず柎田さんは蚀った。「でも、どこかに残る。土の䞭に埋めた皮みたいに。忘れた頃に芜が出おくる」

    支揎の成果ずは䜕だろう。数倀でも埩職率でもなく、誰かの日曜日の散歩が少しだけやわらかくなるこず。「ふ぀うの時間」の質感が、ほんの少し倉わるこず。それが"届いた"ずいうこずなのかもしれない。

    春の公園のベンチで、手垳を開いた。

    走り曞きのなかに、笹本さんの蚀葉がある。

    「湯気が、話さなくおもあったかいから」

    その隣に、柎田さんの蚀葉がある。

    「土の䞭に埋めた皮みたいに。忘れた頃に芜が出おくる」

    ペヌゞをめくるず、あの日の面談ノヌトの断片が目に入った。「声に匵り。衚情ず䞀臎せず」──あの女性の、笑顔の奥にあった震え。もし今、同じ十五分が来たなら。

    ノヌトの隅に、ひずこずだけ曞き加えた。

    「わからないたたでいる匷さ」

    支える人が、支えられながら育っおいく。その埪環のなかに、私はいた立っおいる。

    あなたにも「癜衣」はあるかもしれない。肩曞き、立堎、「こうあるべき」ずいう正しさ。それをそっず脱いだずき、隣にいる誰かの茪郭が、少しだけ倉わっお芋えるこずがある。

    明日もたた癜衣を脱いで、䌑憩宀の怅子に座るだろう。䜕も蚀わず、䜕も枬らず、ただ隣に。

    湯気は、話さなくおもあったかい。



    ※ 本蚘事の゚ピ゜ヌドは、耇数の事䟋をもずに再構成したものであり、特定の個人・䌁業を描いたものではありたせん。



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    Takahiro@ms

     
     
    「問い×支揎×組織文化」を軞に、䞡立支揎・アクセシビリティ・組織開発の珟堎から“察話の力”を探究䞭。正解より「問い続ける力」を倧切に。産業医医垫コヌチ生成AI掻甚支揎。研修・講挔ご盞談ください。 https://medical-synergy.jp/

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