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幼馴染とワンナイトをした話

    「粘着工房さんですか?」


    そう言いながら現れたヒトは、間違いなく14年間を共に過ごした幼馴染であった。

    「意味不明なハンドルネームで興味わきました。リアルは爽やかなんですね」

    そう笑いながら挨拶をする彼女の表情は、初対面あるあるの独特な緊張をみせていた。一方で僕は全く異なる緊張に冷や汗が止まらない。


    中学卒業以来、7年。目の前にいるのは、かつて放課後の図書室や、互いの家でゲームばかりして過ごしたあの少女だ。しかし、彼女の瞳に僕の面影は微塵も映っていない。


    それもそのはずだ。当時の僕は、いわゆる「チー牛」を絵に描いたような陰キャだった。手入れのされていないもじゃもじゃの眉毛、分厚い眼鏡、猫背で俯きがちな歩き方。恋愛なんて自分には一生無縁なのだと、モニターの光の中で逃避していたあの頃。

    それが大学進学と同時に、執念で自分を叩き直した。コンタクトにし、眉を整え、筋トレに励み、ファッションを研究し尽くした。

    今の僕は、彼女の記憶の中にいる「冴えないアイツ」とは別次元の存在にアップデートされている。


    「……ええ。ハンドルネームは、まあ、趣味の延長というか」


    僕は声のトーンを少し低く抑え、平静を装って答えた。親の離婚で苗字が変わっていることも、僕にとっては幸運な盾となった。今の僕が名乗るのは、彼女が知らない新しい苗字だ。


    案内されたカフェで、僕たちは向かい合った。

    彼女は、昔と変わらない癖でアイスティーを啜る。カップを持つ指先の動き、笑うときに少しだけ右に傾く首筋。そのすべてが、僕の脳の奥底に眠っていた記憶を猛烈な勢いでノックする。

    彼女は今の仕事のこと、最近ハマっている趣味のことを楽しそうに話した。僕は聞き役に徹しながら、時折、彼女が知らないはずの「今の僕」の情報を小出しにする。

    劇的に変わってからというもの、正直に言えばモテるようになった。女性の扱いに慣れ、スマートな誘い方も覚えた。かつての卑屈さは、今では「マイルドで爽やかな余裕」という皮を被っている。


    けれど、目の前の彼女に対してだけは、どうしてもその余裕が剥がれ落ちそうになる。

    彼女の語る言葉の端々に、僕が知っている「幼馴染の彼女」の断片が見え隠れする。けれど、彼女が対峙しているのは、マッチングアプリで見つけた「粘着工房」という名の、爽やかで少しミステリアスな、正体不明の男なのだ。


    「粘着工房さんって、なんだか初めて会った気がしないです。不思議」


    バーへ移動し、少しアルコールが入った頃、彼女が不意にそう言った。心臓が跳ねる。正体を明かしてしまおうかという衝動が喉元までせり上がる。しかし、鏡に映る今の自分と、彼女の潤んだ瞳を見て、僕はその言葉を飲み込んだ。

    ーーーー僕たちがまだ「ちびっこ」だった頃、帰り道で一度だけ手を繋いだことがある。それは恋愛感情なんて言葉すら知らない、無垢で柔らかな記憶。あの日繋いだ小さな手の感触と、今の「粘着工房」として向かい合っているこの状況のギャップに、僕は奇妙な眩暈を覚えた。

    今さら「あの頃の僕」に戻ってどうなる。この心地よい違和感こそが、僕が手に入れたかったものじゃないのか。


    夜が深まり、時計の針は容赦なく回る。


    「あ、終電……」


    彼女がスマホを見て小さく声を漏らした。確信犯だったのか、それとも本当に忘れていたのかはわからない。ただ、街の喧騒から切り離された深夜の空気の中で、僕は強引に誘うこともなく、ただ自然に彼女をエスコートした。


    無機質な部屋の照明の下で、彼女を抱いた。


    肌が触れ合うたび、かつて泥だらけになって遊んだ公園の景色や、二人で並んでコントローラーを握った静かな部屋の空気が、カラー写真のように鮮明に蘇る。大人の女性になった彼女の体温、吐息、そのすべてを僕だけが知っている「過去」と、今この瞬間の「現在」が複雑に交差する。


    僕は彼女を愛でながら、同時に彼女の記憶の中にいる「もじゃもじゃ眉毛の僕」を殺しているような、奇妙な背徳感に包まれていた。彼女は最後まで、僕を「粘着工房」として愛した。

    翌朝、チェックアウトを済ませてホテルのロビーを出ると、眩しい朝日が僕たちを照らした。

    「今日はありがとうございました。楽しかったです」


    駅の改札前で、彼女は少し照れくさそうに笑った。その笑顔は、中学の卒業式の日、校門の前で僕に見せたものと全く同じだった。


    「こちらこそ。気をつけて」



    僕はそれだけを言い、彼女が改札の向こうへ消えていくのをじっと見送った。連絡先は知っている。アプリを開けば、いつでもメッセージを送れる。けれど、僕はその帰り道でアプリを消去した。

    彼女にとって、昨夜の出来事は「アプリで会ったミステリアスな男性との一夜」として完結しているべきだ。僕の中にだけ、21年分の重みが残っていればそれでいい。

    それ以来、彼女とは一度も会っていない。

    街ですれ違ったとしても、僕が気づくだけで、彼女はきっと僕の横を素通りしていくだけだろう。それでいい。あの夜、僕は確かに、過去を塗り替えた「新しい僕」として、彼女の心に爪痕を残したのだから。


    おわり

     
     
    「意識高い系の入り口」で転び続けている、僕 でもそれがいい。それが楽しい 結局ヒトは変わろうとしている時が一番面白い

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