
「微笑みの木」第6章「微笑みの木~ある一本の梅の木に寄せて」解説
この第6章「微笑みの木」は、『微笑みの木』全体の中でも、とりわけ重要な位置を占める作品です。
それまでの各章では、幼少期の記憶や出来事が個別のエピソードとして描かれていました。しかし本章では、それらが一本の線によって結ばれます。幼稚園時代の孤独、周囲との違和感、母親との関係、音楽との出会い、そして後年に書かれた自作歌曲『微笑みの木』――それらがすべて、一枚の貼り絵と一本の梅の木を中心にして再構成されてゆくのです。
本作の最大の特徴は、「記憶の発掘」がそのまま物語になっている点にあります。
作者は最初から何かを知っていたわけではありません。一枚の写真に写る「木と微笑む顔」の貼り絵に違和感を覚え、その意味を探り続ける中で、忘れられていた幼少期の感情や体験が少しずつ浮上してきます。さらに高校時代に恩師から聞かされた言葉によって、断片的だった記憶が結び付けられ、やがて十八歳のときに作った歌曲『微笑みの木』へと繋がっていく。その過程は、まるで考古学者が地中から遺跡を掘り起こしてゆく作業にも似ています。
特に印象深いのは、作者が幼稚園という空間に抱いていた違和感の描写です。
歌やお遊戯への嫌悪感。
鬼ごっこへの疎外感。
仲間の輪の外側から世界を見ている感覚。
こうした描写は、単なる思い出話に留まらず、幼い子どもが感じていた孤独や自己意識の鋭さを鮮烈に伝えています。
本作に登場する梅の木は、単なる庭木ではありません。
幼稚園の「梅組」と結び付き、作者自身の分身となり、さらに季節ごとに姿を変える生命の象徴となります。
花を咲かせる木。
実を結ぶ木。
虫たちを宿す木。
冬には枯れたように見えながら再び芽吹く木。
幼い作者は、その姿に自らを重ね合わせていました。そして六年生のとき、その木が切り倒された出来事は、単なる植物の死ではなく、自分自身の一部を失う体験として刻まれます。
その喪失感が後年、『微笑みの木』という歌曲を生み出す源泉になったことが、本章によって初めて明かされます。
また、この作品で特筆すべきなのは、作者が自らの記憶を美化していない点です。
いじめられていた事実も、自信のなさも、周囲への反発も、ありのままに描かれています。
しかし、その一方で、鈴木先生の何気ない励ましや母親の支えが、一人の幼児の人生をどれほど大きく変えたかについても静かに語られます。
特に終盤、梅の木と自分自身について語り続けてきた文章が、「その背後に母の姿が見えてきた」という気付きへと辿り着く構成は見事です。
それまで象徴として語られていた梅の木が、最後には母親の愛情や見守りとも重なり始める。その瞬間、作品全体に新たな奥行きが生まれます。
文体面では、作者特有の「記憶を辿る語り」が最も充実した形で発揮されています。
箸箱の中で鳴る箸の音。幼稚園の帰り道。床下の暗がり。雨の園庭を走り回る悪ガキたち。
そうした細部が極めて具体的に描かれることで、六十年以上前の風景が驚くほど鮮明な質感をもって蘇ります。
一方で作品は単なる回想録に終わりません。幼少期の体験が、十八歳の創作活動の中で無意識に姿を変えて現れ、さらに晩年になってその意味が解き明かされるという、多層的な時間構造を持っています。
その意味で本作は、「幼少期の回想」であると同時に、「創作の源泉を探る文学的自己分析」でもあります。
そして何より、この章は『微笑みの木』という作品集全体のタイトルの意味を解き明かす鍵となっています。
幼稚園時代の貼り絵の「微笑む顔」と「木」。
十八歳で生まれた歌曲『微笑みの木』。
そして人生を通して作者を支え続けた一本の梅の木。
それらは別々の存在ではなく、作者の心の深層で長い年月をかけて結び付いていたのでした。
本章は、失われた記憶の断片が再び結び合わされる過程を描いた、作品集の中核を成す一篇であり、同時に「人は何によって支えられて成長するのか」という普遍的な問いを静かに投げかける、感動的な自伝文学となっています。