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レッスンの想い出、三選

    マジシャン めどう

    その1*「小学生の姉妹」

     僕がまだ三十代だった頃、ピアノの生徒の中に印象深い小学生の姉妹がいた。
     二人揃って、人懐っこくて、明るくて、頭が良くて。いつも楽しい気分でレッスンできた。
     嬉しいことに、その姉妹と連絡がついた。
     おねえちゃんのほうが、僕の名前をネット検索してfacebook の僕のページを見つけてくれたのだ。
     楽しかったというイメージは、向こうも同じだったようで、たまに二人で思い出話をすることもあるという。
     レッスン中に、「祭りのイメージ」とか「ドレミの顔」とか、お題目を決めて、三人でセッションすることもあったというが、そのことについて、僕自身は覚えておらず、

     ― へえ、そんなことしてたのか…。そりゃ楽しいレッスンだな ―

     なんて、まるで他人事のように受け止めた。
     三十九歳になったおねえちゃん。今ではお母さんとなって、自分の子供に「面白い先生がいて、すっごく楽しいレッスンだった」と話してくれるそうなのだ。
     その息子がピアノ好きで、コンクールの全国大会に進んだという。
     SNSを通じての再会が実現し、その後成長した教え子たちの近況が、ささやかな喜びをもたらしてくれている。

     限られたレッスン時間で、教材として取り上げた曲を通じてのコミュニケーションが精一杯で、いつもどんな音楽を聴いているかとか、雑談的な交流を持つ時間的なゆとりまではなかった。また、その頃はまだ子供だったし、多様なジャンルに接しているとも思えなかったが、その後、時を経て、様々な経験を重ねてきたことだろう。
     SNSで自分の好みの音楽について発信すると、不思議とそこに絡んでくるのは、かつての教え子たち。
     何か感覚的に似たものを、お互いに感じ取っていたのかも知れない。

    その2*「高校生の男の子」

     その姉妹と同じ佐久市の教室に、ちょっと面白い高校生が習いに来ていた。その辺りでは最も優秀な進学校に通っていた背の高い二年生の男の子。
     準備された練習曲ではなく、自分の弾きたい曲を弾きたいと言い、坂本龍一の“Amore”やら、サイモン&ガーファンクルの“明日に架ける橋”やら、毎回面白い選曲で、こちらを楽しませてくれた。
     自分の好みを明確に出してくるのが面白くて、自分が中高生の頃愛聴していた音楽に、果たしてどのような反応を示すか興味が沸き、復刻CDを貸してみた。
     すると、その次のレッスン時に、感想文を書いて持ってきた。
     それを切っ掛けに、毎回一枚ずつ貸しては、感想文を書いて持ってくるというのが習慣化していた。

     そんな中に“Led Zeppelin Ⅱ”もあったのだが、その感想は、

     「これはハード・ロックに聞こえないです。ビートルズと同じように聞こえました」

     というもので、これにはえらく驚いた。

     僕が中学の頃、このバンドを初めて聴いたときは、そのへヴィーなサウンドにえらく感動し、それ以前の音楽と時代を画する斬新な音楽に聴こえたものだ。
     その当時の十代と、サウンドも技術も向上した現代のへヴィ・メタルを耳にした現在の十代では、やはり時間的な隔たりだけでなく、感覚的な隔たりも大きいのだということを思い知らされた瞬間だった。

     中学時代に出会い、僕が音楽にのめり込む最初の切っかけとなったのが、ツェッペリンのセカンド・アルバムだった。
     ジミー・ペイジのエッジの効いた情感あふれるギター・プレイ、ロバート・プラントの迫力あるハイトーン・ヴォイス。さらには容姿も含めて、ロック・ミュージシャンの理想形のように思えた。
     その後、音楽の好みも変化し、ロックだけでなくいろんなジャンルの音楽を聴くようになったが、今でも、ファースト・アルバムの一曲目を聴いた途端に、「ロックこそが最高の音楽」だと思っていたあの頃のトキメキが、懐かしく思い出される。

     その次に貸したのが、プログレ初期を代表する、EL&Pのファーストだったが、こちらは、えらく気に入ったようだ。彼が好んで聴いていたヘヴィ・メタルとは根本的に違う個性が新鮮だったようで、音楽的にも高度に聴こえると言っていた。
     十代の頃、キーボード主体のバンドでEL&Pのコピー曲なんぞも弾いていた自分にとって、その点で実に好ましい少年だった。

     こちらから貸しただけではなく、逆に向こうからへヴィー・メタルのCDを貸してくれたこともあった。
     しかし、最初はどうもピンとこなかった。
     それ以降、何とか若い感性に挑戦してみようという気持ちで、イングヴェイ・マルムスティーンや、ポール・ギルバート、スティーヴ・バイなどのギタリスト、ジューダス・プリースト、メタリカなどを聴き漁り、しばらくすると、それなりにけっこう楽しんで聴くようになった。眠っていた十代の頃の感性が戻ってきたようだった。
     まあ、そのマイ・ブームはそう長くは続かなかったが、今でもコレクションの一部に、その痕跡がちゃんと残っていて、たまにレーサーXなどを引っ張り出してきて聴くことがある。
     練習する曲をすべて自分で選んできた生徒というのは、後にも先にも彼だけだったが、生徒の側からの発言が圧倒的に多かったという点でも稀有な存在だった。

     高校生だったあの子、今何歳ぐらいになったかな? と、計算してみると、四十代半ば過ぎ。
     どんな大人になってるんだろう? 
     もしも会えたとしたら、楽しい時間を過ごせるんだろうなぁ・・・。

    その3*「結婚式に招かれて」

     長野市のレッスン室に、社会人の女性がピアノを習いに来ていた。優しい目をした、二十代の小柄な女の子。講師資格を取りたいなどいう具体的な目標はなく、まったくの趣味。いつもポピュラー曲を1曲練習してきて、楽しそうに弾いていた。
     ファッションやメイクはナチュラルでシンプル。派手さはないけど、地味という感じもない。受け答えにもこれと言って癖のない、とても素直な感じ。周りとうまく協調できる子なんだろうと感じさせる娘さんだった。

     そんな彼女から、ある日、結婚式への招待状を受け取った。
     式当日の高校時代の恩師からの祝辞で、新郎が高校時代のクラスメイトだということがわかった。
     当時から、周囲も公認のカップルで、仲良く手をつないでいる姿は、まわりも応援したくなるような可愛らしい二人だったと、優しい口調で当時を回想されていた。
     この日、私が頼まれたのは、新郎新婦再入場からキャンドルサービス、ケーキカットまでピアノを弾き続けるという、まあ、けっこう長時間に亘る重要な任務。 
     この依頼は嬉しかった。
     結婚式という人生上の大切な日の、もっとも重要な場面のひとつを演出するのだから…。

     その日、既成曲は一曲も弾かず、すべて即興で弾いた。キャンドルサービスは、おだやかなヒーリング・ミュージック風に流し、ケーキカットの瞬間には、豊かな音量で、精一杯に盛り上げた。
     その当時、口下手を自認していた僕にしてみれば、どんな言葉を贈るより、自分ならではの、心のこもった祝福が出来たと思う。

     結婚を機にレッスンを辞めるかと思っていたが、彼女はその後もレッスンを続けた。新婚旅行を終えて最初のレッスンで、式当日のピアノ演奏についてのお礼の言葉をもらった。

     「ケーキカットのときは、私感動して目に涙があふれました。来てくれた友だちも言ってました。ピアノがすごく良かったって。あの人どんな人なの? って聞かれました」

     ピアノ教師冥利に尽きる言葉だった。

     レッスン終了は、思いがけない形でやってきた。
     旦那さんが仕事で転勤が決まり、県外に引っ越すことになったのだ。全国展開の会社なので、いつ長野に帰って来れるかもわからない。
     
     「引っ越し先でも、良い先生がみつかるといいね」

     それが、最後のレッスンでの最後の言葉だった。

      

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