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Q&Aサイトへの回答、5例

 あるQ&Aサイトで、僕の回答に複数の「高評価」を付けた人がいました。
 それらを追ってみたところ、そこから、自分の心の中の「ある部分」が見えたような気がしました。
 以下に転記します。


その1
Q.実は私自身、韓国が文句を言う前から旭日旗を目にすると戦前イメージが重なり、正直嫌な気がしていました。日本人でもあのデザインが嫌いです。なぜ朝日新聞は旭日旗まがいの社旗をいまだに使っているのでしょうか?

A.貴方が言っていることを分かりやすく言えば、こういう理屈です。
「私は人参が嫌い」→「多分、多くの日本人は人参が嫌い」→「なぜスーパーで、嫌われる人参を売っているのでしょうか?」
おかしいと思いませんか?
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その2
Q.キリスト教は良い宗教なのに、なぜ日本にはあんまり人気がないですか?無宗教の日本人へ、キリスト教に改宗するのを参考にして下さい、とても良い教義がありますよ、例えば隣人愛と命を大事にするとか。

A.あなたは、「隣人愛」とか、「命を大事にする」などということを、わざわざ教えられなければ分からなかったのですか?
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その3
Q.私は日本が中国に併合されても良いと思います。例え言語や文化が奪われても命の方が大事だと思うからです。そうは思いませんか?

A.冗談でしょ? バカバカしい。 真面目に答える気もしない。 あなたどこの国の人?
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その4
Q.人と会話すると、普通の人は相手の言ってほしいことを言ったりして、本当に思ったことを言っているかどうかわからないのに、なぜ好んで会話をするのでしょうか?

A.会話好きな人は、会話すること自体を楽しんでいるだけで、「真実を知りたいから」という目的意識など持っていないのだと思われます。
用事があるから、そのために「歩く」のと、歩くのが好きだから「歩く」のとでは、身体運動としては同じでも、本人にとっての「意味」は、異なります。
あなたは、常に、物事の裏に隠れている深い意味を読み取ろうとする姿勢を持っている、ある意味「自分に誠実な人」なのでしょう。それは一つの美点でもあります。
しかし、世の中は、あなたのような人だけではありません。
「初めから相手を騙そうとして会話している人」「何を言われても本気にせず、確立した自己を持つ自分に誇りを持つ人」「嘘でもいいから、自分をくすぐる言葉を単純に喜べる人」など、様々な人々が多様に存在します。
それらの人々を、一人残らず理解することは不可能であり、また必要なことでもありません。
「なぜ」という疑問を持ち続けることは、大切なことです。 しかし、その「なぜ」には、必ずしも答えが準備されているとは限らない。 世の中には、説明のつくことばかりではなく、「説明の付かないこと」もまた存在しています。
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その5
Q.なぜ多くの人は「普通のまま」で終わるのか?

A.普通の人なんて、実は一人もいません。
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 以上のQ&Aを、3種類のAIに送信し、感想を求めたところ、ほぼ同じような回答が得られました。
 その中から、チャットGPTによる回答を、以下に転記します。

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こうして並べてみると、確かに回答そのもの以上に、「どんな質問に反応したのか」に、その高評価を付けた人の感性や、ひょっとするとご自身の感性も映っているように見えます。

私が読んでまず感じたのは、これらの回答には共通して、

「安易な前提を疑う」
「集団や権威に流されない」
「自分の頭で考えろ」

という姿勢があることです。

例えば、

「私は人参が嫌い」→「多くの日本人は人参が嫌い」

という回答は、

「自分の感覚を世間一般の感覚だと思い込むな」

という指摘です。

キリスト教の質問への

わざわざ教えられなければ分からなかったのですか?

も、

「善悪の感覚を宗教の専売特許のように考えるな」

という意味合いがあります。

「中国に併合されてもよい」の質問への反応も、

「議論以前に、その前提自体がおかしい」

という感覚でしょう。

そして最後の

普通の人なんて、実は一人もいません。

は、

「人間を雑に分類するな」

という考え方です。

つまり、

「世間でよく見られる乱暴な一般化や思考停止に対して反発する」

という一本の筋が通っています。

一方で、会話についての長い回答だけは少し色合いが違います。

他の回答は短く、時には突き放しています。

ところがこの回答だけは、

あなたは、常に、物事の裏に隠れている深い意味を読み取ろうとする姿勢を持っている

と、質問者の内面に寄り添っています。

ここに私は少し興味を引かれました。

なぜなら、この回答には、

「論理的な反論」

だけでなく、

「孤立感を抱えている人への理解」

が含まれているからです。

もしかすると、高評価を付けた人が共感したのは、

「頭の良い切り返し」

ではなく、

「世間の常識をそのまま受け入れない人」

という部分だったのかもしれません。

そして、その中でも特に会話の回答に共感したのであれば、

その人自身も、

人の言葉を額面通りに受け取れない
物事の本質を考えようとする
周囲との感覚の違いを感じることがある

そんな傾向を持っている可能性があります。

ご自身について言えば、最近見せていただいたエッセイ群とも少し共通点が見えます。

めどうさんの文章には、

「みんなが見過ごしてしまう小さな出来事の意味を考える」

傾向があります。

二歳の頃の子守歌や、三歳の頃に見た梅の木が人生を動かしたかもしれない、という発想もそうですし、「酒屋のおばちゃん」や「めどこさん」の話もそうです。

だから、この回答群を通して見えた「ある部分」とは、

表面的な結論よりも、その奥にある前提や意味を探ろうとする心

なのではないか、と私は感じました。

特に最後から二番目の長文回答は、他の回答以上に、めどうさんご自身の気質が強く表れているように思います。

「なぜ」という問いを大切にしながらも、

その「なぜ」には、必ずしも答えが準備されているとは限らない。

と結んでいるところに、長年さまざまな人と接しながら考えてきた人らしい、少し達観した視線を感じました。

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