
「微笑みの木」第4章「石塀の見える風景」解説
本章は、『微笑みの木』の中でも特に「時間」と「記憶」を主題として描いた作品である。
作者は四十七歳になって故郷・鹿児島へ戻り、幼少期を過ごした町々を訪ね歩く。その中でも、三歳になる直前まで暮らした鷹師町は、長い間、あえて足を向けることのなかった場所だった。
家はすでに失われ、街並みも変貌している。幼児期の行動範囲などごくわずかであり、そこに残された記憶も断片的なものに過ぎない。作者自身、かつての鷹師町は、もはや自分の記憶の中にしか存在しないと思っていた。
しかし、『微笑みの木』を書き進めるうちに状況は変わる。文章によって眠っていた記憶が呼び覚まされ、失われたと思っていた土地への愛着が再び息を吹き返していく。そして作者は、半世紀ぶりに幼児期の原風景を訪ねる決心をする。
そこで出会ったのが、一つの石塀だった。
周囲の街並みは大きく変わっていたにもかかわらず、その石塀だけは昔と変わらぬ姿で立ち続けていた。作者は思わず腰をかがめ、二歳の頃と同じ高さからその石塀を見上げる。
この場面は、本作品の核心である。
ここで作者が再会したのは、単なる古い石造物ではない。五十年という歳月を隔てて、幼い日の自分自身と再会したのである。
石塀は、失われた時間の証人として作品の中に現れる。
大雪の日の雪だるま。
ロバのパン屋。
焼き芋屋の屋台。
道行く人々。
引っ越しの日に父を乗せて走り去ったトラック。
それらの思い出はすべて、この石塀の見える風景の中に存在していた。
本章の優れている点は、過去への郷愁だけで終わっていないことである。
作品の終盤では、子守歌の「あの山越えて里へ行った」という一節が語られる。幼い作者は、その山の向こうに「サト」という不思議な場所があると思い描いていた。しかし現在、その方角には霊園があり、ご先祖や両親が眠っている。
幼児の空想の中にあった「サト」は、半世紀の時を経て、人生の終着点を静かに連想させる場所へと変わる。
そこには説明的な感傷はない。むしろ、二歳の少年が見上げていた山と、人生の後半を歩む作者が見つめる風景とが、ひとつの線で結ばれることによって生まれる深い余韻がある。
『石塀の見える風景』は、町の記録ではない。また、単なる懐古談でもない。
それは、五十年という時間を越えて、自らの原点へと立ち返ったひとりの人間の記憶の旅であり、『微笑みの木』全体の中でも、過去と現在を結びつける重要な一章となっている。