
チロル会音楽部~ロック青春記 第9話*瀬古市って知ってるかい?
あの頃、鶴丸高校の北側に、国鉄官舎がずらりと並んでいた。末原君の家は、その二階だった。
ある土曜日の午後、僕は自転車に乗って、末原君の家に向かっていた。いつものようにバンド仲間たちと集まって練習するためだ。
ちょうど、鶴丸高校のそばまで差し掛かった時だった。
遠くから、なにやら耳慣れない音が聞こえてきた。
― なんか初心者のバイオリンみたいだけど、どこから聞こえてくるんだろう? ―
奇妙なことに、その音は、自転車が移動すると、それにつられるように聞こえてくる方向が変わった。
― あれ? さっきは向こうから聞こえてきたのに、今度はこっちから?
どこで弾いてるんだ? ―
その音は、まるで僕をからかうかのように、あちらこちらと動き回った。
― 動き回りながら弾いている? まさかね ―
一体何が起こっているんだか、さっぱりわからなかった。
その不思議な音は、次第に大きくなった。どんどん大きくなった。
末原君の部屋にたどり着いてみると、音の出所はそこだったことが分かった。
音の正体は、エフェクターのかかったエレキギターだった。ファズ・ボックスを買ったばかりの末原君が、嬉しくて、その効果に酔いしれていたのだ。
その音が、周囲の建物に跳ね返り、その音がまた次の建物に跳ね返り、場所によって、聞こえてくる方向が変化していたのだ。
チョーキングや、荒々しいトレモロ・アームの使い方などをまだ知らなかったので、表現もおとなしく、遠く離れた場所で聞いていると、弓を強く押し付けたヴァイオリンのように聞こえた、というわけだ。
少ない小遣いでは、機材一つを購入するだけでも大ごとだった。だからこそ、こんなに強い印象を残すことにもなったのだ。
アンプは、常に不足していた。ギターもベースも、全部まとめて、片手で持てるほどの小型アンプ一台から音を出ししていた。
機材不足、資金不足はいつでも悩みのタネだった。そんな当時の僕らを語る上で、避けて通れない場所があった。
「出物の瀬古市」
その店は、僕らが通っていた城西中学校からほど近い場所にあった。今で言うリサイクルショップだが、まだそんな洒落た言葉は耳にしたことがなく、「古道具屋」っていう言葉が似あってた。狭くてちょっと薄暗くて小汚い、言っちゃあ悪いけどガラクタ倉庫みたいな感じ。だけど、僕らにとっては、それも魅力の一つだった。古びた骨董品や装飾品、外国製の古びたゲーム、伝統工芸品、金庫、家電、ロウソクやお香など、ジャンルを問わず、いろんな物が所狭しと並んでいた。店の奥の床には、まるで忍者屋敷の隠し部屋みたいな地下室への入り口があり、梯子を伝って降りてゆくと、三畳ほどの狭いスペースに、真空管やらむき出しのスピーカーやらの電気部品がゴチャゴチャと置かれていた。
店全体に、何が潜んでいるか知れない底知れなさがあり、ひょっとするとアラジンの魔法のランプまで見つかるんじゃないかって思えるほど、摩訶不思議で魅惑的な場所に思えた。
そんな中に、ギターやアンプ、コンボオルガン、ドラムセットなども混ざっていて、仲間内では常に「勢古市情報」が飛び交い、誘い合ってはしょっちゅう出入りしていた。
鮫島君の友だちの中に、アンプを自作する男の子がいた。部品はその《勢古市》で購入したんだと思う。そんな彼が作った中の一台が、ベースの重低音を出せたので、借してもらって練習に使ったことがあった。ベースの音が良くなって、喜んでいたのだが、事が起こったのは、借りてから三日目のことだった。
突然の叫び声。
「わ! 煙が出てる!」
慌てて視線を走らせると、借りたアンプの隙間から、白煙がゆらりと立ち上っているではないか。
「うわぁぁ~~~!」
鮫島君があわててアンプに飛びつき、電源を切った。その動作の素早かったこと!
親友との絆まで煙にするわけにはいかんのだ。
こうして、ようやく手にした重低音サウンドも、水の泡となった。
アンプは持ち主の元へと返還され、故障の程度が心配されたが、発見が早かったせいか、壊滅的な状態ではなく、その後も普通に使えたようだ。
迫力ある良い音を出したい。
それが、僕らのたっての願いだった。音楽雑誌に掲載された写真の中で、憧れのミュージシャンが肩から提げているギターや、ステージに置かれている、マーシャルだのフェンダーなどのアンプを見ては、夢見心地で語り合う毎日。
良い楽器が無いという点では、僕の担当楽器キーボードなどは最たるもので、自宅ではピアノで練習していたが、集まって練習するときは、いつも電動オルガンで代用していた。
ドラムセットも、基本的なセットさえそろっていなくて、スネアとハイハットのみという、およそロックには程遠い貧弱なセットを、メンバーの誰かが、どう叩いて良いかもよくわからず、皆にテンポを合わせて何となく叩いている…、といった有様だった。
「ああ…、もっと良い音で、思いっきりデカい音出したいなぁ」
いつもため息交じりで雑誌を開いては、ステージ写真を見つめていた。