
チロル会音楽部~ロック青春記 第24話*ザ・レイク、ラジオで特集される
ザ・レイクの活動としては、地元の公園などで行われた仮設ステージでの演奏が数回あったと思うが、その時は、キーボードを準備できず、僕自身は参加できなかった。
そういったイベントへの参加以外で、最も強く印象に残っているのは、南日本放送で三十分の特集番組を組んでくれたことだった。番組名は忘れてしまったが、番組枠のすべてが、ザ・レイク単体の演奏のみで構成されていた。
しかも、それが一度で終わらず、翌年の夏にも、全く同じ扱いで取り上げてもらったのである。これは当時、高校生バンドとしては、異例だったのではないかと思う。
一度目は、コンテストで優勝してから、まだ、あまり時間が経っていなかった。「地区大会で優勝したヤングのバンド」という触れ込みでの紹介だった。公開番組用のスタジオを使い、ほぼ半日を費やして収録が行われた。
演奏曲は、
①ローリング・ストーンズの『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』
②グランド・ファンク・レイルロードの『ハート・ブレイカー』
③テン・イヤーズ・アフターの『バッド・シーン』
④ザ・ナイスの『夢を追って』
⑤コンテスト優勝曲、ステッペン・ウルフの『ワイルドで行こう』
以上5曲だった。
番組放送時、『夢を追って』の曲紹介で、
「キーボードのめどう君が、素晴らしいピアノのテクニックを披露します」
と聞こえてきたときは、嬉しくてしょうがなかった。
なにせまだ15歳。「素晴らしい」などという言葉で、正面から褒められたのは、人生初のことだった。
その番組が放送されてから間もなく、某ローカル番組でコンテストの模様が紹介され、出場バンドの演奏が一組ずつ流された。僕らのあの爆音演奏が、どのような音で残っているのか、興味津々だったが、流れてきたのは、後日スタジオで録音されたものだった。
ということは…、僕らの特集番組を組んでくれたのは、僕らに対する純粋な評価の結果というより、単に放送可能な音源が必要だったための緊急処置だった可能性も考えられる。
録音技師が、思わずヘッドフォンを外したぐらいだから、まともに録音できていなかったのは、ほぼ間違いない。
2度目は、その一年後、鮫島君が、家庭の事情で大阪に転校する直前、というタイミングだった。
それを知ったディレクターが、
「それじゃあ、解散するの?」
と訊いてきた。
それについては、じつは誰も何も考えていなかったのだが、鮫島君がそれに吊られるように。
「僕がいなくなるから、解散するんですけどぉ」
と答えてしまった。
はにかむような顔で、少し照れながら、語尾を少し濁した感じだった。
たぶん、ディレクターから「バンドの重要人物」扱いされたのが、くすぐったかったのだと思う。
その後、ディレクターは、
「解散するんだよね?」
「解散するんだよね?」
と、しつこいぐらい繰り返し訊いてきた。
放送当日、ラジオの前に噛り付いていると、
「今日は、解散したヤングのバンド、ザ・レイクの…」
と紹介されており、僕らは解散を余儀なくされてしまったのだ。
後年、末原君が、
「なぜ、レイクがあの時解散しなければならなかったのか、今でもわからない」
と語っている。
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その後、僕はエマーソン、レイク&パーマーのようなキーボード・トリオに憧れ、ドラムの中間君と組んで「トライトン」というバンド名で、活動し始めた。ベースは、いつも日高君に頼み込んでなかば無理やり協力してもらっていた。
あとのメンバーは、ドラムとベースを補充し、「ブートレッグ」というバンド名で、単独コンサートを開くなど精力的に活動していた。
トライトンのほうは、NHKの『こんばんは九州』というテレビ番組への出演、NHK-FMの公開番組へのゲスト出演などが良い思い出として残っている。