
チロル会音楽部~ロック青春記 第28話*ザ・レイク 一夜限りのリユニオン
平成十八年一月。老いた両親の住む鹿児島へとUターンし、二年が経過。僕は四十九歳になっていた。
日曜日の夕方五時過ぎ。携帯電話に、知らない番号からの着信が数回記録されていた。
― 誰からだろう? ―
パソコンの受信メールボックスを開いてみると、福岡在住の友人から、こんなメッセージが届いていた。
― さっき鮫島君から電話がありました。
末原君とのジョイントコンサートのプロモートで
鹿児島にいるようです。
末原君とも何十年ぶりかで話しました。
明日か明後日ぐらいまではそちらにいるようです。
めどう君の携帯番号も教えたので電話あるかも ―
これでようやくピンときた。
鮫島君とは、ツイストやハウンドドッグのベーシストとして有名な鮫島秀樹君。末原君は、業界で“名人”の異名を取るセッション・ギタリストの末原康志君。ふたりとも、中高時代の懐かしきバンド仲間だ。
着信記録に返信してみると、やはり電話に出たのは鮫島君で、ギタリストの末原君と二人揃って、天文館のロック&ジャズ喫茶《コロネット》にいた。高校時代に、よく演奏させてもらった思い出の店である。
電話の要件は、キッチン・バー《赤とうがらし》で、午後六時からライヴの打ち合わせと飲み会をやるから、気が向いたらどうぞ、というお誘い。
気が向いたらって…、
気が向かない、わ・け・が・・・ない!
通話を終え、携帯の時刻表示を見ると、六時まですでに三十分を切っている。油断し切っていた日曜日。髪の毛の寝癖もそのまんま。髭も剃ってないという無様な状態。そんなんで人に会えるわけがない。というわけで、大慌てでシャワー室に飛び込んだ。
店の位置をネットの地図検索で確かめて家を出た。市営バス天文館バス停で降車すると、グルメ通りに直行。店の看板を一軒一軒覗き込み、《赤とうがらし》の文字を探した。
カウンターの横を通り抜け、奥の予約席に辿り着くと、テーブルの上には、すでに乾杯を終えた後のビールジョッキが並んでいた。末原君と鮫島君が席を立ち、握手で迎えてくれた。
ロックに明け暮れた十代の日々。あれから、実に三十年以上が過ぎた。それぞれにそれぞれの人生を歩み、音楽との関わりもそれぞれだ。
そういった中で、末原君と鮫島君が、ロック・ミュージシャンとしての道を進み続けていることは、当時の彼等を知る人間にとっては嬉しいことだ。
二人が、ロックを始めた「聖地」鹿児島で、三十五年ぶりに同じステージに立つことになった。この企画が実現したのは、その二年前に二人の交流が復活したことに端を発している。
以前から鮫島君と付き合いがあり、この企画の発起人にもなったY氏が、二人の再会を手筈し、飲み会など会う機会を何度も作ってくれ、その席で「そろそろ鹿児島で何かやりたいよなぁ」という言葉が聞かれるようになった。
鮫島君率いるブルース・バンド、The Sonsが、ライヴ・ツアーで熊本まで行くことになり、そのついでに鹿児島まで足を延ばし、末原バンドがそこに合流するという案が浮かび、具体化への運びとなった。
企画されたのは、キャパルヴォ・ホールでのライヴ。四月二十八日、末原康志ワン・ナイト・アコースティック・バンドとThe Sonsとのジョイント・ステージ。そのライヴに加え、鮫島君の発案で、かつてロックを始めたころの思い出の場所、喫茶《コロネット》で、前夜祭的な、ブルース・セッションをしようということになった。
二人のジョイントは、僕にとっても、他人事などではなかった。
その二年前、僕は長野から鹿児島にUターンしたばかり。まだふるさと鹿児島を懐かしむ気持ちが濃厚だった。
その鹿児島で、ロックを通じて青春時代に出会った仲間たちが、再びそのロックを通じて、集うのである。心のすべてが、懐かしいふるさとに向かってなだれ込んで行くような感覚があった。
末原君と鮫島君、その二つの光に吸い寄せられるように、当時の仲間たち、そしてインターネットを通じて知り合った彼等のファンの人たちが、目の前に次々と現われ、笑顔で握手をし合う。何とも言えない幸福感で胸が満たされた。
この夜、ザ・レイクのボーカリストだった南君にも会えるのではないかと期待していた。だが、顔を探しても、彼の姿はなかった。
そこにいた一人が、連絡先を教えてくれたので、誘いの電話をかけてみたところ、「明日から入院」という返事。そんなわけで、再会を果たすことはできなかった。
その夜から約三週間後の二月中旬、僕は南君の病床を見舞った。
電話で聞いたときの声は、それほど弱っているふうでもなく、そろそろ大丈夫ではないかと、見当をつけての訪問だった。
受付で病室を確かめると、六人の相部屋だった。面会の許可が下りたので、容態も深刻ではないらしい。
だが、部屋にたどり着いて中に入ってみると、物音一つ聞こえない。
少し緊張しながら、足音を忍ばせて、ゆっくりゆっくりと一番奥の彼のベッドへと向かった。
カーテンの端からそっと覗くと、頭部だけがちょこっと見える。髪の毛が薄くなっており、そこに、かつての少年のイメージはない。
― こちらのことをすぐに分かるだろうか? ―
おずおずと、呼びかける。
すっと振り向く南君。
「あ、めどう君」
とくに驚く様子も無く、
まるで昨日会ったばかりのようだ。
それなりに年は取っていても、その顔は、まぎれもないその人、ボーカルの南君だ。
ちょうど点滴が終わったばかりというタイミング。思っていたより体調も良く、病室から談話室に移動し、一時間ほど話ができた。
あれこれと話したが、その中でも一番印象的だったのは、出会いの時だと口を揃えた。音楽雑誌の投稿欄を見て会いに行ったあの日だ。
高校生だったあの日、中年になった僕らが、こうして病院内の長椅子に並び、昔話をしている姿など、想像もつかなかった。
「退院したらお祝いしよう」
互いにそう言い合い、手を振りながら、笑顔で再会を約束し、その場を後にした。
そして、その日がやってきた。
僕らは、喫茶『コロネット』で顔を合わせた。末原君と鮫島君のジョイントライブの前夜祭ライブの夜だ。
病床で見た姿とは違い、ビジネススーツをビシっと着込んだ南君。元気な笑顔を見せてくれた。
コロネットでのブルース・セッションは、末原バンド+鮫島秀樹というのが基本構成だったが、そこに、元ブートレッグの金子君がヴォーカリストとして数曲加わり、最後には鹿児島を訪れていた元ハウンド・ドッグのキーボード、箕輪さんも飛び入り参加。
そして、特筆事項は、やはりザ・レイクの三十五年ぶりのリユニオン。高校時代の思い出のバンドだ。
南君からの「どうしても」という願いに末原君が応え、ローリング・ストーンズの『ホンキ―・トンク・ウィメン』一曲を合わせることになったのだ。
ストーンズのレコードに、ピアノ・ソロはないのだが、末原君の配慮で、ギターソロの部分をピアノに変更。
出番がやって来た。
客席から二人がすっと立ち、ステージへと移動する。
キーボードを弾く僕の目の前にボォーカルの南君が立っている。その右にはギターの末原君、そして、南君の左にはベースの鮫島君。まるで、タイムスリップしているかのようだ。
普段は物腰の柔らかい南君が、ステージに上がった途端に豹変、お客さんを煽りまくって一躍人気者になっている。その熱気が後ろで弾いている僕にも十分過ぎるほど伝わり、嬉しさで顔がゆるむ。
南君のボーカルが、最初の2コーラスを歌い終え、小休止にはいる。
その時、末原君が声をあげた。
「キーボード、めどう!」
粋な計らいに、顔がニヤけそうで困った。
ライヴ終了後、すっかり頭の白くなったコロネットのオーナーがステージに引っ張り出された。
「あのときの悪ガキどもが、こうして一流になって戻ってきて、ここでこうやってまた演奏してくれたことが嬉しい。そして、明日は、チケットを買ってライヴに行けることが嬉しいんだ」
満面の笑みを浮かべながら語る姿に、皆がうるうる。
翌日のキャパルヴォでのライヴでは、まずステージ中央に置かれたイスに、末原君と鮫島君が仲良く並び、ライヴ実現への経緯や、昔、鹿児島でロックを始めたころの話、コロネットのオーナーの言葉などが披露された。二人とも、弁舌絶好調。かけ合いも見事に、ポンポンとまあよく喋る喋る。
二人の思いが、そこに来ていた全ての人に伝わったようで、ステージから見える客席の顔が、皆終始微笑みで満たされていたという。そういう幸福な光景というのは、見たことがないと末原君が言っていた。
開演前、ビルの非常階段から、中学三年の時に屋上演奏をしたビルが、すぐそばに見えていた。
「あのビルが、ここから見えるよ」
「え? うそ…、どこどこ?」
しばし、三人で語らい、そこで記念写真も撮ってもらった。
「人生の中で、こんな場面が訪れるなんて、少し前までは、想像も出来なかったね」
そんなことを言いながら笑い合った。