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妹へ 第11章*居酒屋《戦国》

 妹たちが上田に来て半年ほど経った頃、僕がそれまで作曲と制作に取り掛かっていたシンセサイザーによる組曲を収めたCD『松の木の物語』が完成し、同志による祝賀会が企画された。そこに妹も招待したのだが、当日、会場でその姿を遠くから見かけたとき、それが誰なのか分からなかった。知らない人物などいるはずのない会場の中に、大柄で存在感のある女性の姿を見て、さてはて誰かと思っていると、それが妹だった。
 その時は、間近で見ている時と、随分印象が違うもんだと思っただけだったが、こうして当時の記憶を振り返りながら書いていると、心境の変化が外見にも表れていたということに、今更ながら気付かされる。
 そんなある日、妹からこんな電話があった。

 「是非会ってほしい人がいるんだけど」

 私のCDを聴いてもらったところ、大層感激してくれ、会いたがっているのだという。居酒屋のマスターだということだった。

 「居酒屋? 付き合えるかな? 俺は、そんなところに行ったことないぞ」
 「その人いい人だし、音楽が好きから、お兄さんとも話が合うと思うよ」

    **  **

 当時の僕は、ピアノ指導と音楽制作に携わり、音楽中心の生活をしていた。人付き合いは狭く、ほぼピアノの先生か楽器屋の店員に限られ、世間一般から見ると、極めてストイックというかオタッキーというか、ほとんど音楽と自分の趣味だけを見据えたような暮らしぶりだった。ピアノを弾き、音楽を聴き、読書を楽しみ、趣味の文章を書く、そんな生活を楽しんでもいた。
 東信地区を中心に体系的な教室運営を展開する楽器店の専務からは、
 「先生の先生なのだから、常にその立場を考えて振舞うように」
 と言われ、実際の自分とは乖離した“大先生”を無理して演じようとし、そんな自分に息苦しさを感じていた。そして、その演技はギクシャクとした全くヘタクソなものでしかなかった。
 今、この頃の自分について人に話すと、一様に「考えられない」という言葉が返ってくる。世間話が苦手で、特に初対面の相手とは何を話してよいかわからず困ることが多かった。対人恐怖症気味だったと言える。

 ― ピアノの先生とは、こうでなければならない ―

 そんな思いが、自分をがんじがらめにしていた。
 付き合いの狭さゆえに、世間一般の同年代の男性は、何を考えどのような生活をしているのかわからなかった。
 そんな状態だったので、最初は妹の誘いにも心が動かなかったが、何度か電話をもらっているうちに、「どうしても会いたいって言ってるから」という妹の説得に負けて、重い腰をあげることにした。

 ― 居酒屋のマスター ―

 その言葉から、何となく短髪で骨太のねじり鉢巻きが似合いそうな人物を想像していたのだが、厨房から出てきた人物は、そんなイメージとはかけ離れていた。
 長髪を束ね、ジーンズの似合う細身の体型、居酒屋のオヤジというよりミュージシャン。はっきりとした目鼻立ちとまっすぐな眼差しが実直な人柄を感じさせた。緊張の面持ちで私のテーブルに近づいてきた彼が、真っ先に口にしたのは、僕のCDへの賛辞だった。
 営業終了後、遅くまで話し込んだ。若い頃、バンドでドラムを叩いていたということで、音楽に対する思い入れも並々ならぬものがあり、十代の頃熱中したロックの話が通じるのが嬉しかった。思ってもいなかった“幸福な時”の到来だった。
 名は「秋夫」。僕より三歳年上。「あきちゃん」と呼んでほしいと言われたが、さすがにそれはちょっとためらわれ、「あきおさん」と呼び続けた。
 CDを何枚か預かってくれ、店に常備し、各方面に紹介して回ってくれ、誰よりも多くの枚数を売りさばいてくれた。
 ステージの仕事が入ると、機材運びを手伝ってくれた。自主コンサートを提案してくれたのも彼だったし、その会場として、店を無償で二度に渡って提供してもくれた。
 妹が言っていたように、本当に「良い人」だった。
 音楽好きな店の常連客とも顔見知りになり、青春期以来の楽しい時間が戻って来た。
 今、振り返ってみると、居酒屋『戦国』に出入りしていた頃は、自分らしさを取り戻せる貴重な転換期だった。多くの人と知り合い、人前に立つことが増えて行った。
 居酒屋『戦国』は、職種の異なる妹との接点としても機能していた。保険の外交さんという職業柄、妹にとって人脈作りは、大切な仕事の一部であり、生来の社交性がモノを言った。周囲の人々からは「貴美ちゃん」と呼ばれて慕われていた。そんな妹と、常連客となった私は、「こんな仲の良い兄妹見たことない」と言われ、「個性的ですごい兄妹」という声にくすぐったい思いもした。
 いつだったか、妹を含めた常連客たちとカラオケに繰り出したときの、こんな一場面が忘れられない。
 戦国で顔馴染みになっていた「ヤマさん」が、僕の肩をゆさぶって言った。
 「ちょっとあれ見てよ」
 彼が指し示す方向には、先ほどから妹が立って歌っている。
 先刻承知だ。
 「妹の歌、上手いでしょ?」
 「いや、そうじゃなくてさ…、マイク、腰の位置だよ」
 「あ・・・」
 これには、度肝を抜かれた。
 こんな光景見たことない。
 声量があるというのが妹の自慢だったが、なるほど・・・。

 これまでに、述べてきた学生時代の話は、同時体験したものではなかった。すべて後から聞いた話だったが、こうして同じ空間に身を置き、実際に皆から愛されている姿を自分の目で直接見るのは、幼少期以来のことだった。
 小学校のクラスメイト達から可愛がられ、アイドル的存在になっていた三歳の頃の姿と、イメージが繋がった。
 鈴鹿での、あの人格否定され虐げられていた結婚生活から解放され、妹は本来の自分らしさを取り戻していた。そして、その存在そのものが、僕の人生までを良い方向に導き動かし始めていた。
 どんな相手にも笑顔とフランクな態度で接し、すぐに仲良くなる妹。それまで自分が関わってきた人々には見られないオープンマインドな姿勢は、その後の自分の人生に、少なからぬ影響を残している。


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