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Photo byhatsumitsuha

梨を通して見えた人間の欲望

    山で梨を食べたことがある。
    正確には、山に生えていた梨の実をかじった。
    私はそれまで、
    梨というものは幸水や豊水のような味だと思っていた。

    ところが、その梨は違った。
    「……梨?」
    いや、梨ではある。
    しかし私の知っている梨ではない。

    例えるなら、親戚の集まりで初めて会った遠い親類くらいの梨だった。

    私はしばらく不思議な気持ちになった。
    なぜなら、それがむしろ梨の原点に近い姿だったからだ。
    私たちが普段食べている梨は、
    自然がそのまま生み出した果実ではない。
    人間が長い時間をかけて選び、育て、改良してきた結果である。

    もっと甘いものを。
    もっと大きいものを。
    もっとみずみずしいものを。
    もっと食べやすいものを。

    そうした願いを何世代にもわたって積み重ねた先に、
    今の梨がある。
    山で食べた実を思い返すと、
    スーパーに並ぶ幸水の姿が少し違って見えた。

    あれは単なる果物ではない。
    人間の欲望の結晶だ。
    もちろん、「欲望」という言葉にはどこか後ろめたい響きがある。

    けれど、欲望は決して悪いものばかりではない。
    もっとおいしいものを食べたい。
    家族に喜んでほしい。
    より良いものを作りたい。
    そんな思いもまた、品種改良を支えてきたはずだ。
    人間は自然を受け入れるだけでは満足しない。

    手を加え、選び、少しずつ世界を書き換えていく。

    その結果として生まれたのが、
    果汁たっぷりの梨であり、
    甘いイチゴであり、
    粒の大きなブドウなのだろう。

    私は山で食べた、あの「うっすら梨」の味を今でも覚えている。
    正直に言えば、おいしくはなかった。
    けれど、あの味があったからこそ、私は初めて知った。

    秋の食卓に並ぶ梨の向こうには、
    人間が何百年もかけて積み重ねてきた
    願いと工夫と執念があることを。

    あの甘さは、自然の味ではない。

    人間がたどり着いた味なのだ。

     
     
    派遣から10年かけて、年収1000万円までキャリアアップ。 でも、もっと楽しく生きたくて働き方を見直し、今は週12時間勤務。 余白の時間で自然の営みを学び、人や社会のあり方を探究しています。 読んだあとに身近な景色が少し違って見えたら嬉しいです。

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