
「離婚は結婚より面白い」。娘の本棚のその一行に、20年、夫と暮らさなかった私はーうなずきかけて、あわてて本を閉じた
※この文章は、実際の体験をもとに綴ったエッセイです。
娘が結婚して家を出て行きました。
静かになった部屋を片づけていると、そこに一冊だけ残された本がありました。
『20代で得た知見』
何気なく手に取り、最後のページをめくると、こう書いてありました。
「離婚は結婚より面白い」
思わずうなずきかけて、慌てて本を閉じました。
私は、離婚はしていません。でも夫と二十年、別々に暮らした私は、その言葉の意味が少しだけわかってしまった気がしたのです。
なぜ、独身でも離婚経験者でもない私が、この一行にうなずきかけたのか。
それを話すには、四十年の時をさかのぼらなければなりません。
そしてその旅の果てに思いもよらない場所へ、たどり着くことになります。
「私はいつから、私じゃなくなったんだろう。」
五十三歳。私は人生で初めて立ち止まりました。
母として。娘として。妻として。職場の一員として。
気づけば私の毎日は、私以外の誰かの予定だけで埋め尽くされていました。
「私は何をしたい?」
そう自分に問いかける時間だけが、どこにもなかったのです。
ずっと、人生は前へ前へと進む旅だと思っていました。
でも、還暦を目前にして、私は全く逆のことに気づき始めます。
もしかしたら人生は、どこか遠くへ行く旅ではなく、本来の自分のもとへ還っていく旅なのではないかと。
これは夢ばかり見ていた二十歳の私が、誰かのために私を明け渡し、そして六十歳でもう一度、私に還るまでの物語です。
二十歳。やっと大人の仲間入りをした日。
振袖に袖を通し、成人式を終えた私は、本屋へ向かいました。
手に取ったのは、『二十代にすべきこと』という一冊の本。
今思えばあの頃の私は、「未来」という言葉に恋をしていました。
インターネットもスマートフォンもない時代。
人生の答えは検索できません。
だから私は、本に未来を教えてもらおうとしていたのです。
ちょうど日本は、バブル景気に沸いていました。
求人情報誌は毎週分厚くなっていき、ページをめくるたび、自分の未来まで広がっていくようでした。
仕事帰りには、週に二度、三度と飲み会へ。
松田聖子を歌えば、誰かがハモる。
今井美樹を歌えば、自然と拍手が起こる。
歌詞に自分の未来を重ねて、みんなで夢を歌っていました。
そんな何気ない日々の中で、私は今の夫と出会いました。
いわゆる職場結婚でした。
同僚に祝福され、上司も「おめでとう。」と言ってくれる。
けれど、その祝福の言葉の裏には、もう一つの意味がありました。
「これで会社を辞めるんだね。」
寿退社。
それは特別な選択ではなく、ごく自然な人生の流れでした。
本当は、仕事を続けたい気持ちもありました。
でも、家庭を築き、子どもを育てること。
それが自分にとって次の幸せだと、疑うことなく信じていたのです。
未来は、まだ何色にも染まっていない。
だからこそ、何にでもなれる気がしていました。
結婚して一年後、長女が生まれました。
腕の中に眠る小さな命を見つめながら、「この子を守っていくんだ」と、母になった実感がじんわりと湧いてきました。
当時の私たち夫婦には、ひとつの夢があリました。
一年で百万円。十年間で一千万円。
節約をしてコツコツ貯めて、マイホームを建てること。
次女も生まれた頃、約束どおり譲り受けた土地に、家を建てることができました。
玄関を開けると、新しい木の香りと畳の青い匂い。
窓から差し込む光を見ながら、私は心の中で何度もつぶやきました。
「ここから、私たちの新しい人生が始まる」
未来は、希望しかなかった。
だからこそ、その知らせはあまりにも突然でした。
夫の単身赴任。
「三年くらいだから。」
そう言われました。
三年なら、子どもたちと頑張れば大丈夫。そう思いました。
でもその三年は、気がつけば二十年になっていました。
私は、夫の背中を見送り続けました。
娘たちは、父親が帰ってくる日を指折り数えました。
そして私は母であり、父でもある毎日を生きました。
もちろん、大変でした。でも不思議と「不幸だった」とは思いません。
子どもたちは毎日大きくなり、笑い、泣き、けんかをして、また笑う。
幼稚園の送り迎えでは、気の合うお母さんたちと笑い合った、あの時間に何度救われたかわかりません。
在宅でデータ入力の仕事をし、ビーズアクセサリーを作って売り、小学校の図書館でも働きました。
「好き」を仕事に変えながら、その時々で自分らしい居場所を探していたのだと思います。
ただ、いつしか私は「私」として生きるよりも、誰かに必要とされる私として生きることに、慣れていました。
やがて子育ては三十年以上に及び、親の介護も始まリました。
更年期という身体の変化も重なり、「今日は自分のためだけに使える時間が一時間もなかった」という日も珍しくありませんでした。
朝は、反抗期の次女を高校まで送ることから始まります。
「ありがとう」の一言もない日々が続く。
「なんでそんな事もわからないの?」
棘のある言葉と、ドアの閉まる音だけが、車内に残りました。
今ならわかります。それがあの子の精一杯だったのだと。
その後仕事へ向かい、終われば親の病院へ。診察券、お薬手帳、次の予約。家に帰れば夕飯を作り、洗濯をし、翌日の準備をする。
そしてようやくソファに座る頃には、夜十時を過ぎている。
「今日は何曜日だったっけ。」
そんな日も、少なくありませんでした。
本棚には、読みたくて買った本が何冊も並んでいました。
でも、開いても1ページで眠ってしまう。
二十歳の頃、未来を知りたくて夢中で本を読んだ私が、五十代では本を読む時間さえ、失っていたのです。
それでも不幸だったとは思いません。
家族がいて、仕事があって、親がいて、誰かに必要とされる毎日。
忙しいことは、幸せなことでもありました。
ただ、その頃の私は「私」がどこにいるのかだけが、わからなくなっていました。
挙げ句の果てに腰を痛めて歩けなくなり、指が動かなくなって、箸も持てなくなりました。
今振り返ればあの頃の私は、「自分の未来」を考える余裕を失っていたのだと思います。
不思議なことに、身体は正直でした。
長い間悩まされた腰の痛みが少しずつ軽くなり、思うように動かなかった指も、いつの間にか動くようになっていました。
「まだ、できるかもしれない」
そう思えたのは、心より先に、身体でした。
五十三歳。
六十歳が、初めて「未来」ではなく「現実」になりました。
二十歳の頃、未来はどこまでも遠く、可能性しかないものでした。
でも、五十三歳の未来は違いました。
「私は、このまま六十代に入っていいのだろうか」
そんな問いが、心の中に静かに生まれました。
「五十代になったら」という本を読んだ記憶はありません。
あの十年は、本を読む時間さえなかったからです。
だから私は、五十三歳になって初めて、「自分の六十代」を探し始めました。
そんなとき、世界が止まりました。
新型コロナウイルスの流行で、私の仕事も休みになりました。
誰にも言えなかったけれど、私はその「立ち止まる時間」を与えられたことに、心のどこかで感謝していました。
朝、時計を気にせずお茶を飲む。
空を見上げる。
ゆっくり呼吸をする。
本を開く。
私はようやく、「私」の時間を取り戻し始めていました。
その頃、私は占星術に出会いました。
それまでは、「未来を占うもの」だと思っていましたが、違いました。
占星術が大切にしていたのは、「未来」ではなく、「生まれた瞬間」。
初めて自分の出生図を見たとき、「当たっている」ではなく、「やっぱりそうだったんだ」と思ったのです。
誰かに新しい自分を教えてもらったのではありません。
ずっと心の奥で知っていた「本来の自分」を、もう一度思い出させてもらった、そんな感覚でした。
外へ向かって夢を追いかけた私。
家族を守ることに夢中だった私。
どちらかが間違いだったのではない。
どちらも、私の人生に必要な時間だった。
そう思えたとき、私はようやく「本来の自分」に近づいている気がしました。
冒頭の、あの話に戻ります。
娘の本棚にあった『20代で得た知見』。
二十歳の私が夢中で読んだのは『二十代にすべきこと』でした。
四十年の歳月で、同じ二十代の本がこんなにも変わる。
そして最後のページのあの一行、「離婚は結婚より面白い」。
なぜ、離婚もしていない私が、あの一行にうなずきかけたのか。
二十年という長い単身赴任で、夫と別々に暮らした私は、知っていたのです。
会えない時間が夫婦を壊すこともある。
けれど、会えない時間が夫婦を育てることもあるのだと。
あの一行は、そんな「もう一つの夫婦の形」を、静かに肯定してくれた気がしました。
なぜ彼女がこの一冊を選んだのか、まだ聞いていません。
でも、一つだけ確かなことがあります。
人は、人生の節目に本を探す。
二十歳の私がそうだったように。
きっと娘も、自分のこれからを考えたかったのでしょう。
その姿は不思議と、四十年前の自分と重なりました。
私たちの頃は、寿退社をして家庭を築くことが、ごく自然な人生の流れでした。
私はその道を歩きました。
忙しかったけれど、かけがえのない時間でした。
だから後悔はしていません。
でもそれは「この生き方が正解だった」という意味ではありません。
娘には娘の時代がある。
選択肢は、私たちの頃よりずっと広い。
結婚する人もいる。
しない人もいる。
子どもを持つ人もいれば、持たない人もいる。
どれが正解かを、私には決められません。
ただ一つだけ願うことがあります。
どんな道でも、それが「誰かに決められた人生」ではなく、「自分で選んだ人生」でありますように。
今の私は朝、まず空を見上げます。
昔の私は、予定表を開いて一日を始めていました。
今日は誰を送り、誰を迎え、何時に病院へ付き添うのか。
私の時間は、いつも誰かの予定で埋まっていました。
でも今は、庭のローズマリーの揺れに気づく時間があります。
お湯を沸かし、ハーブティーを淹れ、深く息を吸って、ゆっくり吐く。
たったそれだけで
「今日も、いい一日になりそう。」
そう思える。
昔の私には、考えられなかった朝です。
いつの間にか、娘たちはそれぞれの人生を歩き始めました。
そして、二十年にわたる単身赴任を終えた夫が、家に戻ってきました。
にぎやかだった家は、静かな時間を取り戻した。
けれど、その静けさは寂しさではありません。
私にもようやく、自分の人生を見つめる時間が巡ってきたのです。
人生には、季節があります。
夢を追いかける春。
誰かを育てる夏。
実りを受け取る秋。
そして一度立ち止まり、自分と向き合う冬。
私は今、長い冬を越えて、新しい春を歩き始めています。
二十歳の春とは違う。
経験も迷いも、涙も抱えたまま迎える春です。
だからこそ、この春はあの頃よりもあたたかい。
娘の部屋を片づけ終え、本を元の場所へ戻しました。
『20代で得た知見』
あの一行は、少しだけ私を驚かせました。
「離婚は結婚より面白い」
二十歳の私なら、きっと意味もわからず通り過ぎていたでしょう。
六十歳を前にした私は、思わずうなずきかけて、慌てて本を閉じました。
人生は、本当に歩いてみなければわからない。
結婚も。
子育ても。
夫と離れて暮らした二十年も。
親を見送り、自分の身体と向き合った日々も。
あの頃は、その一つひとつに意味を求める余裕などありませんでした。
ただその日を生きることに精一杯でした。
二十歳の私が読んだ『二十代にすべきこと』の内容は、もう思い出せない。
けれど、未来に胸を躍らせていた自分だけは、今もはっきり覚えています。
一方で、娘の本棚に残されていた一冊は、未来を教えてくれたわけではありませんでした。
歩いてきた人生を、静かに振り返らせてくれました。
本は、不思議です。
書かれている言葉よりも、そのときの自分を映し出す。
二十歳の私は、本に未来を探していました。
五十三歳の私は、本を閉じ、星を見つめました。
そして六十歳の私は、二十歳の私に伝えたいことがあります。
焦らなくていい。
遠回りだと思った道も、誰かのために生きた時間も、自分を見失った時間も、立ち止まった時間も。
全部、今日の私につながっているのです。
いつか娘に、この本を選んだ理由を聞いてみようと思います。
あの日、本を閉じた私と、いまその本を開いた娘。
きっとその答えも、それぞれの人生の途中にあるのでしょう。
そして今年、私は還暦を迎えます。
誕生日には、自分へ赤い贈り物をしようと思います。
「おめでとう」
そう声をかけたいのは、還暦を迎える今の私だけではありません。
未来ばかり見つめていた二十歳の私にも。
家族のために夢中で走り続けた三十代、四十代、五十代の私にも。
あの時間があったから、今の私がいる。
人生は前へ進む旅だと、ずっと思っていました。
もっと遠くへ。
もっと先へ。
そんなふうに生きてきた。
けれど六十歳を前にして、ようやくわかりました。
人生は、本当の自分を探しに行く旅ではなく、何十年もかけて本来の自分のもとへ還っていく旅だったのだと。
だから還暦は、終わりではありません。
六十年という長い時間を生きて、ようやく私は私として生まれ直すことができるのだと思っています。
今年、私は人生の0歳を迎えます。