Death Surveillance
あらすじ
商店街のおばけ横丁には呪いの映画があるというレンタルビデオ屋があった。 噂を聞いた松田真一と加地亮介は、そこで五本のホラー映画を借りると、そのうち三本のホラー映画を見たが、それらは呪いの映画ではなかった。 翌日、加地が恋人の如月ユキと共に「山荘の惨劇」というホラー映画を見た。 すると、ユキの様子がおかしくなり、数日後にクローゼットで不可解な死を遂げた。 加地にも同じ現象が起こり始め、松田もその映画を見ることになる。 本編の後、クレジットの後に流れる奇妙な映像。映画とまるで関係のない部屋が映り、そこに現れた白い服を着た老婆によってユキは殺され、数日後に加地も同じ運命を辿る。 そして、松田の番がやって来るのだった。テレビに映る自分の部屋。白い服の老婆の悪夢に精神が追い詰められていく……。
一章 おばけ横丁の噂
その商店街には、通称『おばけ横丁』と呼ばれる裏通りがあった。
メイン通りはアーチ状のガラス天井とおしゃれな照明で常に明るく、道幅も広く、床も綺麗に舗装されている。多種多様の店が向かい合わせに連なり、店主のかけ声と買い物客や学校帰りの子供たちで賑わい、いつも活気に満ちていた。
一方、表通りから小道を挟んだ先にあるおばけ横丁は、低い天井と古い水銀灯の明かりがぽつぽつと並んでいるだけの薄暗い通りで人気がほとんどない。床はヒビ割れでボコボコとしていて歩きにくいうえに、空気は重く下水のニオイが鼻につく。かつては飲み屋や食堂や酒屋なんかも営業していたが、今ではほとんどが閉店してしまい、片側はシャッターの壁となってしまった。
ただ、そんな中でも営業している店は存在した。
一つは、背中がひどく曲がった義眼の老爺が営んでいる居酒屋。店の窓には常に古びたカーテンがかかり、中の様子はよく見えない。
だが、時々中から狂った笑い声と怒号と奇声が聞こえてくる。噂では、どうやら怪しい酒とつまみを出しているらしい。
その横には小さな質屋がある。店内はおばけ横丁では珍しく照明が煌々と灯り、窓ガラスの向こうには高級そうなバッグや時計、宝石やらが飾られているが、その隣にはまるで実験室にあるような標本瓶が置かれ、中には蛙や蛇と何やら気味の悪い肉の塊のようなものが入っている。
店のドアはいつも鍵が掛かっていて入ることは出来ず、カウンターに座っている信楽焼の大きな狸は、じっとこちらを見つめている。
その隣には「占い」と書かれた看板があるが、入り口はなく壁にインターホンのボタンだけが不自然に設置されている。
小さな張り紙には、
「受け入れられる人だけ押してください」
と、書かれている。
その隣には薬局屋がある。店内の棚には、聞いたことも聞いたこともないような怪しい薬が並んでいる。店主の男は、いつも背中を向けたまま座っていて、その顔はいつも青白い。
そして、その奥に噂の古いレンタルビデオ屋があった。看板が音を立てながら、今にも切れそうに点滅している。
その先には店もなく、暗い公衆トイレだけがあるだけ。
夜はまるで異世界のよう。気味悪がって近づく人はほとんどいない。
そんな場所だからこそ、それぞれの店にそれぞれの噂が生まれたのだった。
レンタルビデオ屋には、呪いのビデオが存在するという噂があった。ホラーブームがあった頃には、雑誌に掲載されたこともあり怖いもの見たさでやってくる客が多かった。雑誌には映画のタイトルまでは書かれておらず、客はそれらしきビデオを借りていくが、結局何も起こらず肩透かしに終わることが多かった。
そのうちに人々の熱も冷め、いつの間にかブームも去った。
ビデオからDVDに時代が変わる頃には、かなりマニアックなDVDがあるという噂だけが残った。呪いの噂は、ごく一部の人間だけが知る程度のものになった。
ある日のこと。
おばけ横丁に向かう制服姿の松田真一と加地亮介という二人の男子高校生がいた。松田は真面目で常に沈着冷静な友達思いの性格。一方、加地は茶髪で常に制服の第二ボタンまで開いている。性格は好奇心旺盛で楽天家。明るくて学校では目立つ存在だった。
二人はとても仲が良く、学校が終わると仲間も連れて寄り道したり、週末には遊びに出掛けたり、加地の住むアパートに泊まりにいくこともあった。
加地の実家は学校から遠く、中学卒業と同時に一人暮らしを始めた。不慣れな町の遊び場や飲食店の情報は、同じ地域に住む同級生の広瀬繭から聞いていた。
その中で、おばけ横丁やレンタルビデオ屋の呪いの映画の噂も得ていた。オカルト好きだった加地は、その話を聞いて興味津々の加地は早速松田を誘いおばけ横丁のレンタルビデオ屋に行くことにした。
呪われたDVDを見つけるために。ただ、松田の方はそう言った類の噂にはまったく興味もなく、信じてもいなかった。
夕暮れ時のメイン通りは、天井のガラスから降り注ぐオレンジ色が美しく、夕食のおかずを買う家族連れで賑わっていた。
「帰りに夜飯と飲み物買って帰ろう。どうせ亮介の家の冷蔵庫は何も入ってないだろうし」
「そんなことねぇよ。水と田舎から送ってきたミカンがあるぜ」
「ミカンは飯じゃないだろ」
「けど、腹は膨れるぜ。嫌いか? ミカン」
「嫌いじゃないが……」
「帰りに少し分けてやるよ」
そんなことを話しながら、松田と加地も表通りを歩いていた。加地自身、おばけ横丁に行くのは初めてだった。おばけ横丁の存在は知っていた、一人で行く勇気がなかった。
メイン通りの途中にある小道を曲がると、その先には薄暗いおばけ横丁の通りがある。松田の目にも気味が悪く感じ、一人なら絶対に来ないだろうと思った。だが、隣でニヤニヤと笑っている加地と目が合い、松田は加地とともに渋々おばけ横丁に向かった。
おばけ横丁に入ると、さっそく赤い提灯がぼんやりと灯る居酒屋の中から、笑い声が聞こえてきた。賑やかそうな店内が気になった加地は、ヒビの入った窓とカーテンとのわずかな隙間から店内を覗いた。
だが、店内には客はおろか店員の姿もなく、ただ古い裸電球が揺れているだけだった。首を傾げる加地に、聞こえた声は気のせいだったのだと松田は諭した。
いくつかの奇妙な店を通り過ぎると、点滅を繰り返しているレンタルビデオ屋の看板が見えてきた。加地が、「あそこだ」と指を差す。
おばけ横丁を奥に進むにつれて空気が重くなり、下水の嫌な臭いが漂ってくる。錆びた公衆トイレの案内板の先に、薄暗い公衆トイレらしき建物が見えた。
「こんな気味の悪い便所なんて使うやついるかよ」
加地はそう吐き捨てた。
そして、松田と加地はレンタルビデオ屋の前についた。入り口のドアには色褪せた一泊新作四百円のステッカーと破れかけの映画のチラシが何重にも貼られ、ガラスにはヒビが入っていた。
中をこっそりと覗くと、青白い照明の下にDVDが並ぶ棚がいくつもあり、レジカウンターの向こうには店員らしき人影が見えたが、客の姿はないようだった。
「本当に入るのか?」
松田がそう尋ねると加地は頷き、ドアを開けて中に入った。
店内は音楽も一切流れておらず、来客を告げる低い鈴の音だけがやけによく響いた。中は外から見るよりもずっと広くて奥行きがあり、壁や仕切りの棚にはたくさんのDVDが並んでいた。
店員の男は灰色のキャップを深く被り、レジカウンターの向こうで椅子に座りながら目の前のパソコンばかりを見ていた。客が入って来たにもかかわらず、顔を上げることも「いらっしゃい」の声すらもなかった。
何を借りるのか。と尋ねる松田に、加地は秘密だと返した。
二人はそれぞれ別れ、興味があるジャンルの棚で見たい映画を探し始めた。
松田は新作コーナーを見ていたが、そこに置いてある映画はすでに何年も前に上映された作品で、新作と呼べるものではなかった。
しかも大手映画会社の作品に混ざり、聞いたことのないタイトルが多く並んでいた。監督も出演者も知らない名前ばかりで、よく見ると、自主製作映画と書かれていた。
他の棚を見てもアニメもなく、音楽CDも置いていない。仕方なく、松田は新作コーナーの中から唯一自身が見ていなかったものを探した。
一方、加地は何かを探しているようだった。
ふと松田が加地の行方を探していると、加地は躊躇なく店の奥にあるアダルトと書かれたプレートの通路に入っていった。
「あいつ……」
松田は呆れていた。
棚からようやくアクション映画のDVDを決めた時、加地が奥の通路から数本のDVDを持って戻って来た。
エロビデオを持ってきたのか、と冷ややかな目で尋ねたが、濡れ衣だと言って手に持った五本のDVDを見せた。
それらの作品は、タイトルからして加地が好きなホラー映画だった。
三本の作品にはジャケットがあり、監督名や出演者名、あらすじが書かれていたが、一本はそれがなくタイトルとあらすじが簡素に書かれ、「山荘の惨劇」だけはタイトルしかなかった。
「五本も借りるのか? 俺も一本借りようと思っているのに」
「いいの、いいの。ユキと一緒に見る分もあるから」
如月ユキ。加地の彼女で、二人と同じ高校に通っていた。
「ユキちゃんも来るのか?」
「ああ、真ちゃんが帰った後でな」
「ユキちゃんって怖がりでホラー嫌いじゃなかったか」
「だから、あえて見せるわけよ。怖がるユキって、めっちゃ可愛いんだぜ」
加地はそう言って意地悪そうに笑い、松田は呆れた。
二人は計六本ものDVDをレジカウンターに置いた。すると、店員はようやく立ち上がり、一本一本パッケージのバーコードを読み込ませながらレジを打ち込んでいった。
その時、ふと“山荘の惨劇”のDVDを見て手を止めた。
「どうかしました?」
松田がそう尋ねると、店員は何かボソリと呟いたが、声が小さすぎて二人には聞き取れなかった。加地は適当に「はいはい」と相槌を打つと、店員はそっとそのDVDもレジを通し、また小さな声で今度はレンタル期間を尋ねてきた。
加地は壁のポスターに書かれた“キャンペーン中一週間三百円”の文字を指差しながら六本すべて一週間レンタルすると伝えた。
店員は最後まで感謝もなく不愛想だった。
だが、松田は見逃さなかった。こちらをじっと見つめる店員の口元がわずかに笑っていることに。
レンタルビデオ屋を後にした二人は、再び明るい表通りに戻った。賑わうメイン通りで、夜食の弁当や映画鑑賞中に食べるお菓子や飲み物を買い込んで、加地のアパートに向かったのだった。
道中ではおばけ横丁の不気味さとレンタルビデオ屋の不愛想な店員への文句で盛り上がり、加地はおばけ横丁の怖い噂や呪いの映画の話をしながら、自身が借りたDVDの中にそれがあるかもしれないと、まるで取り憑かれたように目を見開いて興奮していた。松田はまるで興味がなかったが、いつか加地の身に悪いことが起こるのではないかと、少しだけ不安に思うのであった。
商店街からしばらく歩くと、住宅街に佇む二階建てのアパートが見えてきた。外観は新築のようで、部屋の壁や床も綺麗だった。部屋を決める時、加地は面白半分で事故物件に住もうとしたが、両親に反対されたのだった。
アパートに着いた二人は、部屋着に着替えると買い込んだ食糧や飲み物をテーブルの上に広げ、借りて来た映画をさっそく見ることにした。
最初にどの映画を見るかを議論する前に、加地は自分が借りたDVDをケースから出し、そのままデッキ入れて再生ボタンを押した。
松田は抗議をしたが、「いいじゃん、いいじゃん」といつもの調子で押し切られてしまった。
真っ暗な画面から、ノイズ交じりの映像が流れ始めた。
一本目。
サバイバルホラー。
住宅街を歩く制服姿の青年は、背後から誰かに襲われ気を失った。目を覚めるとそこは廃墟と化したアパートの一室。異臭に気づき体を起こすと、部屋には泣いている少女と、周りには数体の焼き焦げた首のない遺体が放置されていた。青年や泣いている少女の首にも重い首輪がはめられ、一定のリズムで電子音が鳴っていた。それは爆弾で、部屋に転がる遺体は全て犠牲者だった。あちらこちらに真っ黒な頭が転がっていた。
物語は、生き残りの二人が犯人から逃れながら首の爆弾を解除して脱出するというものだった。仕掛けられたギミックにハラハラしながらも、松田と加地は夢中で見ていた。
二本目
それは心霊写真や心霊体験をもとに作られた短編オムニバス作品だった。
加地は終始面白がって笑っていたが、松田は出てくる心霊写真に向かって、
「気のせいだろ」と終始冷ややかに見ていた。
三本目
その映画は、呪いの日本人形を手に入れてしまった家族の物語。作中の日本人形の不気味さはとてもリアルで見ていると寒気がするほどだった。加地が、「これ呪いの映画じゃね?」と興奮するほどだった。
松田はその日本人形を見て、祖母の家にあった人形を思い出していた。
夏休みになると兄妹で祖母の家に泊まりに行っていたが、妹の茜はその日本人形を気に入っていたのかいつも持ち歩いていた。外で遊ぶ時も、食事中も、寝る時までも。風呂にまで持っていこうとした時は、さすがに止められて人形を祖母に取り上げられた。
すると茜は癇癪を起し、人形を持つ祖母の手に噛みついた。手の皮はえぐれてそこから血がどくどくと流れ出た。慌てた父が祖母を車に乗せて病院に連れていった。
一方、人形を取り戻した茜は嘘のように落ち着き、そのまま深く眠ってしまった。起きた時には、その時の記憶は覚えていない様子だった。
それを危惧した父は、茜が眠っている隙に人形を取り上げ、庭で人形を燃やした。すると、その人形が燃えながら断末魔をあげたという。
人形を燃やした後、茜は人形のことを忘れてしまったのか口に出すことすらなかった。
三本目を見終えた後、加地が残りのホラーはユキと見ると言い、ようやく自分が借りた映画が見られるとDVDケースに手を伸ばした松田だったが、加地は興味がなかったのか、映画が始まった途端にシャワーを浴びると席を立ち、戻った後も、
「俺、もう寝るわ。久しぶりに三本連続で見て疲れたわ」
そう言って、ベッドに横になるとそのまま寝てしまった。
松田はアクション映画を一人で寂しく見た。寝ている加地に気を使い、音量を小さくしたせいでセリフはよく聞こえず内容もよく理解はできなかったが、迫力のある映像と役者の演技に感動した。そして、エンドロールが流れる頃にはすでに深夜二時を過ぎていた。
松田もそろそろ寝ようとデッキからディスクを取り出してケースに入れた。
袋の中には、まだ見ていない二本のDVDが残っている。それらのケースを見ていると、何故か無性に胸騒ぎがする松田だった。
それでも、気のせいだと言い聞かせながらケースを袋の中に入れ、松田もソファで眠りについたのだった。
翌日、先に目を覚ました松田は、棚に並んでいる漫画本を読んで時間を潰していた。加地が目を覚ました頃には、すでに昼の十二時を回っていて、腹を空かせた二人は着替えを済ませると、近くのラーメン屋で昼食をとった。
そして、二人は商店街のゲームセンターでしばらく遊んだ後、約束があるからと二人は駅で別れ、松田は電車で自宅に帰ったのだった。
一方、加地は駅前でユキが来るのを待っていた。松田と一緒にいても、ユキから送られてくるメールに喜びを隠しきれずにいた。それほど加地はユキのことが大好きだった。
約束の時間が近づくと、ユキが駅の改札から出て来た。ユキの姿を見つけた加地は、照れくさそうに挨拶をして、ユキも笑顔でそれに答えた。
その後、二人はオープンしたてのショップで服を買い、ゲームセンターではユキに強請られてクレーゲームで大きなくまのぬいぐるみを手に入れた。かなりつぎ込んでしまったが、大きなくまのぬいぐるみを抱えながら喜ぶユキの姿に加地は満足していた。
そして、大きなくまのぬいぐるみを抱えながら、二人は夕食の材料を買いにスーパーに立ち寄った後、二人は加地のアパートに向かった。
ユキは心が優しくて、料理が上手く、そばにいると安心する。付き合って二年が経ち、加地は結婚をするならユキだと決めていた。
夕食を食べ終えると、加地は借りてきた残りの映画を見ることにした。最初は快く了承したが、その映画がホラーだとわかると、ユキは泣きそうな顔で拒否をした。だが、加地から自分がそばにいるから平気だと言われ、渋々見ることにしたのだった。
ユキは時々悲鳴をあげながら加地に抱き着く。その行動が思惑通りだった加地は一人満足気であった。
一本目のホラー映画は怪談話の朗読作品だった。時々、古典的な恐怖演出はあったが、見終えた後で『面白かったよ』と苦笑いながらも感想を言えるだけの余裕がユキにはあった。
だが、「山荘の惨劇」という映画を見終えた時には様子が一変した。その映画を見た直後、ユキは尋常ではないほど怯え怖がっていた。青い顔をして、体をガタガタと震わせていた。
あまりの反応に驚いた加地は、ただただ謝るしかなかった。
何とか安心させようと冗談を言ったりしてみたが、ユキは苦笑いを浮かべるだけで何の会話もないまま、ベッドで横になりそのまま寝てしまった。その背中も震えているようだった。だが、加地はどこか楽観視していた。明日になれば映画のことなんて忘れる。そう思いながら、加地もソファで眠りについた。
深夜、ユキは悪夢にうなされた。
真っ暗な空間で佇むユキ。姿は見えないが、暗闇からこちらを見ている気配を感じる。そして、その暗闇の中から女の悲鳴が聞こえてくる。その声はだんだんと自分の方へ近づいてくる。
恐怖で呼吸が荒くなるユキは、息苦しさに胸元の服を掴む。悲鳴が目前まで来た時、声がピタリと止んだ。安堵したのも束の間、ユキは背後から首を絞められる。長い爪が首に突き刺さる。苦しくてもがきながら、ユキは悪夢から飛び起きた。全身汗だくで目覚めたユキは、ソファで寝ている加地の姿を見て、夢であったことに安堵した。
突然ユキが飛び起きたことで、加地も目を覚ました。
「どうしたの。大丈夫?」
「ごめん、起こしちゃったね」
「こっちこそ、ごめん。もう、怖いものは見せないから」
「ううん、大丈夫。私が怖がりなだけ。また一緒に見ようよ」
「本当に?」
「うん。加地君の好きな映画を一緒に見たいもん」
加地はその言葉に喜んだ。ユキは心配をかけまいと、悪夢はもちろん映画のことも忘れようとした。
窓の外はまだ暗い。ユキが「おやすみ」と微笑むと、加地は再び眠りについた。
だが、ユキはそのあとも眠ることは出来なかった。
翌朝加地が目覚めると、ユキの姿がなかった。テーブルの上には、「用事が出来たから先に帰るね。また学校で」と書かれたメモが置いてあった。ユキのためにクレーンゲームで取った大きなくまのぬいぐるみも、部屋に残されたまま、加地にとって苦いお泊りデートとなった。
そして、呪いはあの仄暗い場所から沁みだし、触れた者を侵食しはじめる。
如月ユキ
不可解な嫌なものを見た。あまりに非現実的で、彼氏にも相談できずに帰ってきてしまった。
部屋に入った瞬間、自分しかいないはずの部屋に何者かの気配と視線を感じる。それはどれだけ時間が過ぎても消えない。
学校にいても、誰かに見られている感覚は消えず、挙動不審になるユキの姿を見て、友人らも不審がっていた。
心配する友人に、ユキは何とか誤魔化していた。あの映画のせいで過敏になっている。ただの気のせいだと。そう言い聞かせた。
だが、不可解な現象は止むことはなく、逆に増えていく。
部屋で聞こえてくる不可解な物音。消えていたテレビの電源が勝手に砂嵐を映す。幻聴が聞こえ、悪夢はずっと続いた。暗闇から聞こえる女の悲鳴。ユキの背後に現れる白い人影。耳元で息遣いが聞こえたあと、顔の前に伸びてくる腕は、白くてか細く、皮膚の一部が腐り、手首には枷がはめられていた。
ユキはその手に首を絞められ、もがき苦しみながら覚ますのだった。
そして、現実の世界でも煙のような白い人影を見るようになり、前触れもなくパニックになるユキをそばにいた友人らは、心配を通り越して気味悪がるようになった。
加地はユキのそばにいたがどうすることもできず、ユキは学校を休むようになった。それでも加地からのメールや電話には『大丈夫』と答えていた。
それから四日が経った。
その日もユキは学校を休んだ。そんなユキを心配して、加地は授業の合間に電話をかけた。しばらく鳴り続けた後、ようやくユキが電話に出た。だが、その声は弱々しく、泣いているようだった。ユキは加地に助けを求めようとしたが、途端にノイズが混ざり、ユキの声が遮られてしまった。
その時、ノイズの中に女の呻き声のようなものが聞こえ、加地は驚いて思わずスマホを耳から離した。
すると、電話はそのまま切れてしまった。すぐに電話をかけ直したが繋がらず、代わりにユキからメールが届いた。
「ごめんね。体調が悪いから、そっとしておいて」
加地は不安に思いながらも、ユキの希望通りにした。
それからまた二日が経った。その日もユキは学校を休んだ。
休み時間になり、松田が次の教科の準備をしていると、隣の教室から加地がやって来た。
「真ちゃん、数学の教科書貸してくれない?」
「別にいいけど」
松田は机の中から数学の教科書を取り、加地に渡した。
「サンキュー」
「ところで、ユキちゃんは大丈夫なのか?」
「今日も休みだ」
「心配じゃないのか?」
「心配だよ。けど、体調が悪いからそっとしておいてって言われて、ここ二日は連絡もしていないんだ。あんな映画見せるんじゃなかったよ」
映画と聞いて、松田は残りのDVDのことが気になり、加地に尋ねた。
「ユキと一緒に見たよ」
一本目は怪談話の朗読作品。ユキは怖がっていたが、加地には物足りないようで、語り手の滑舌の悪さもマイナスだったようだ。
そして、二本目に見たという『山荘の惨劇』は多少グロテスクではあったが、恐怖演出は迫力があって楽しめたという。ただ、ユキの反応を聞かれた時、加地は言いにくそうに口ごもった。
「ユキにはかなり刺激が強かったみたいなんだ。映画が終わると青ざめた顔でさ、体を震わせひどく怯えていたんだよ。怖い夢まで見たみたいで、朝になると勝手に帰っちゃったんだ」
ユキの様子がおかしくなったのは、その映画を見てからだと松田は理解した。一緒に見ていた加地には異変はなかったが、ユキに見せるべきではなかったと加地は反省を口にした。
松田は「山荘の惨劇」のあらすじを加地に尋ねた。加地は少し考えた後、
「話すと長くなりそうだし、興味があるなら見る? まだ返していないから」
そう言われ、松田が返答に迷っている間に次の授業のチャイムが鳴った。
「それじゃ教室戻るわ。教科書借りてくな」
そう言って、加地は自分の教室に戻っていった。
昼休みになり、松田と加地が数人の友人とともに学食に向かうと、すでに大勢の学生で賑わっていた。購買や食券売り場にも行列が出来ていて、テーブルのほとんどが埋まっていた。
だが、先に向かった友人が席を取っていたおかげで、松田たちも定食を食べることが出来た。
そこへ二人の女子生徒が近づいてきた。何か言いたげに、加地の前でお互いの顔を見合わせていた。その二人がユキと仲が良いということは、加地も知っていた。
「どうした?」
加地が尋ねた。
「ねぇ、昨日、ユキちゃんと一緒だった?」
「いや、一緒じゃないよ。あいつ、体調不良で学校を休んでいるだろ。メールも一昨日ぐらいからしてないんだ」
二人の女子生徒は不安な様子でお互いに顔を見合わせた。
「あのね、間違えだったらいいんだけど。今、職員室に用があって行ったの。そうしたら先生たちが話していたんだよね。ユキが行方不明になったかもしれないって」
「え、行方不明?」
「詳しくはわからないけど、先生たちもかなり戸惑っている様子だった。私たち、毎日ユキにメールや電話をしていたんだけど、一昨日からまったく返信がなくて」
それを聞いた加地は、その場でユキに電話をかけた。
すると、「おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、または電源が入っていないためかかりません」というアナウンスが流れた。
加地は不安な表情で電話を切った。
二人の女子生徒は、ここ数日ユキの様子がおかしかったことも心配していた。
「何か嫌なことが起きなければいいけど……」
女子生徒の一人がそう呟いた。
「帰りにユキの家に寄って様子を見に行ってくる」
そう伝えると、二人の女子生徒は納得をして立ち去った。
「真ちゃん。帰り、ユキの家に付き合ってくれない?」
松田は頷いたが、どこか嫌な予感を感じていた。
放課後、松田と加地はユキの家に向かった。
道中、加地は何度もユキに電話をかけたが繋がらなかった。
「まさか本当に行方不明なのかな」
「行方不明なら、もっと大事になっているんじゃないか」
「だよな……。きっと何かの間違えだ。ただ体調が悪くて寝ているだけだよな」
加地は不安そうにそう言った。
ユキの家は、住宅街に佇む二階建ての白くて新しい家。海外出張の多い父親はほとんど家にはおらず、ユキは母親と二人暮らし同然だった。加地はすでに母親公認の恋人で、ユキの家にはよく遊びに来ていた。
家に着くと、加地は玄関のインターホンを鳴らした。だが、いくら待ってもユキはおろか母親すらも出て来ない。
今度は二階の窓に向かって、大きな声でユキの名前を呼んだ。二階はユキの部屋がある。ちょうど玄関の真上あたり。加地が名前を呼ぶと二階の窓が開いて、いつもユキが笑顔で手を振って迎えてくれた。
だが、閉じたカーテンはいくら待っても開くことはなかった。
「家にいないのか? ユキのやつ、どこに行ったんだ。こんなのおかしいよ。やっぱり、あの映画のせいなのかな」
「失踪する映画なんて、普通ないだろ?」
「けど、あのレンタルビデオ屋に呪いの映画があるって噂があるんだ」
「そんなの本当に信じてるのか?」
「俺はあるかもって思ってるし、あったら面白いなって思ってた」
松田は呆れてため息をついた。
「亮介も一緒に見たんだろ?」
「見た」
「で、何か変わったことはあったのか?」
「俺は別に……」
「だろ。もしかしたら病院に行っているのかもしれない。それか、気晴らしに買い物にでも出かけたんだろ。車もないようだし」
「たしかに……」
駐車場には車がない。加地は最後にもう一度だけインターホンを鳴らしたが、やはり反応はなかった。
その日は解散となった。
自宅に帰ってからも、加地はユキに何度もメールや電話をしたが、電話は繋がらず、メールの返事は返って来なかった。次第に不安と焦りが募っていった。
ユキはどこに行ってしまったのか。
どうしてこんなことになったのか。
気が付けば時間が過ぎ、食欲も失せた加地は気分転換にシャワーを浴びることにした。
浴室から出た時、明かりをつけておいたはずの部屋の電気が消えていた。
部屋は窓から漏れる街灯の灯りで薄暗い。
「最悪だ。このタイミングで電球が切れるなんて」
そう呟きながら、部屋に入ろうとして足を止めた。
部屋の中に誰かいる。街灯の明かりに照らされ、テレビの前に薄っすらと人影が見えた。
顔が見えず、泥棒だと思った加地が身構えた。
すると、その人影は、ゆっくりとテレビの方を指差した後、ゆっくりと消えていった。
人影が指を差した先には、開けっぱなしのDVDデッキがある。そこには、「山荘の惨劇」と書かれたディスクが残っていた。
その時、ふと松田から言われた言葉を思い出した。
「亮介も一緒に見たんだろ」
たしかに加地はユキと一緒に本編を見た。
だが、クレジットが流れ始めた頃、加地は先輩からの電話で席をはずした。電話を終えて部屋に戻ってみるとDVDの再生は止まっていて、ユキが顔面蒼白で体を震わせていた。
その時は、ただ映画を思い出して怖がっているだけだと思っていた。
そして今、目の前に現れた謎の人影。何かのメッセージだと感じた加地は、再び「山荘の惨劇」を見ることにした。
一度見たことのある映画は、新鮮味もなく恐怖演出すらも驚くことはそうない。そんな映画を加地は淡々と見ていたが、特に異変もなく、物語を最後まで見終えた。
音楽とともに、画面には出演者やスタッフのクレジットが流れ始めた。しばらく見ていると、流れていた音楽がノイズで歪み、クレジットの映像も激しく乱れた。
「なんだ?」
加地は手を止め、画面に目を向けた。
激しく乱れた映像が、ついに真っ暗になった。
次の瞬間、映画と関係のない映像が次々と映し出され、それを見た加地は顔色が変わり、言葉を失った。
「なんだよこれ……」
加地は戸惑いながら、加地はデッキの停止ボタンを押した。
そんなはずはない。何かの間違いだ。
加地は困惑しながらユキに電話をかけた。
呼び出し音が鳴るたび、加地の鼓動が早くなる。だが、どれだけ鳴ってもユキは出なかった。
その夜、加地が寝ていると、夢の中で白い人影が現れた。背中を小さく丸め、顔を手で隠していた。泣いているのか肩が震えている。
それがユキに見えた加地は、その背中に手を伸ばした。
だが、あと少しのところで目が覚めた。加地の心に不安と喪失感だけが残った。
翌日、加地が学校に着くと、廊下で女子グループがひそひそ話をしていた。いつもは楽しげに話している女子生徒たちの顔が、どこか強張っていた。
ふとその中の一人と加地は目が合うと、相手は慌てて顔をそむけた。
「おはよう」
挨拶をする加地。
「……おはよう」
挨拶を返すも、その女子生徒は加地と目を合わそうとしない。
他の女子生徒も明らかに様子がおかしかった。加地は不審に思いながらも、松田に会うため教室に向かった。
教室を覗くと、すでに自分の席について読書をしている松田が目に入った。教室内は男女がそれぞれのグループで話をしているが、その様子もいつもと違うように思えた。
誰も笑っていない。
教室に入ってきた加地を目で追いながら、こそこそと話をしている。中には加地と目が合うと、すぐに目を逸らした。
「真ちゃん」
声をかけると、松田が顔を上げた。
「あのさ、今日家に来て欲しいだけど」
「どうした?」
「あの映画、やっぱりおかしいだ。ユキが……」
ユキという言葉に周りの生徒が反応した。
「なんか、クラスの奴らおかしくない?」
加地が小さな声で尋ねた。
「俺も気になってた」
その反応に違和感を覚えていたのは加地だけではなかった。
周囲の生徒は、加地と目が合うと途端に目を逸らす。
「一体何だってんだ」
その反応に苛立ちを覚える加地。
その時、一人の男子生徒が加地に近づいて来た。
「その様子じゃ、知らないみたいだな」
「何が?」
「如月ユキが自殺したらしいぜ」
「は? 変な冗談はやめろよ」
「お前、浮気でもした?」
「ふざけたこと言ってるとぶっ飛ばすぞ。あいつが自殺なんてするわけないだろ!」
加地は怒り、男子生徒の胸倉を掴んだ。
「聞いた話さ。なんでも如月の家の前にパトカーが何台も止まってたんだとさ」
「止まっていただけだろ」
「いや、家の中から警察官が数人出てきて、大きな袋を運び出したらしいぜ」
「大きな袋ってなんだよ」
「頭悪いな。遺体袋だろー。どう考えても」
加地は胸倉を掴みながら睨みつけた。
「それ、誰から聞いたんだよ」
「誰だったかなぁ。けど、みんなもう知ってる話だぜ。まぁ、ご愁傷さまだよな」
胸倉を掴まれてもヘラヘラと笑う男子生徒に怒りが増し、加地は震える拳を構えた。
「そんなに楽しいか?」
松田が憐れみながらそう尋ねると、笑っていた男子生徒の表情が変わった。
校内にチャイムが鳴り響いても、怒りで今にも殴りかかりそうな加地に周囲は緊迫していた。
「そんな奴を殴っても、亮介が損をするだけだ。やめとけ」
松田がそう説得すると、加地は男子生徒を突き放した。
男子生徒は床にひっくり返り、それを見た周りの生徒はクスクスと笑った。
加地は自分の教室に戻り、松田は床に座り込む男子生徒を憐れむ目で見下ろした。
男子生徒は居たたまれなくなり、逃げるように自分の席に戻った。
教室に担任教師が入ってくると、生徒たちも自分の席についた。
担任は普段と変わらず連絡事項とプリントを配り終わると、職員室に戻ろうとした。
そのタイミングで一人の女子生徒が立ち上がり、徐にユキの事を尋ねた。
すると、担任教師は何かを言いかけた後、彼女の担任ではないから詳細は分からないと言った。
“死んだ”という噂があると伝えた生徒に「バカなことを言うな」
と叱り、教室を出て行った。
その言葉に安堵した生徒もいたが、松田や一部の生徒は否定しなかった担任教師のことを見抜いていた。
それは加地も同じであった。
ユキに電話は繋がらず、メールの返事もない。加地の脳裏には、あの映像がずっとちらついていた。
放課後、松田は加地のアパートに寄ることになった。
「見て欲しいものがある」
いつになく真剣な顔で頼まれ、松田は断ることが出来なかった。
加地の部屋は、飲みかけのペットボトルとゴミ袋、借りたままのDVDのケースで散らかっていた。松田はソファに腰掛け、加地はテレビのリモコンに手を伸ばした。
「映画、何時間だっけ?」
「一時間半ぐらい。けど、映画の部分より終わってからの方が問題なんだよ」
「何が問題なんだ?」
「とにかく、そこだけ見て欲しい」
「いいよ。どんな映画なのか気になるし、全部見るよ」
「呪いの映画かもしれないんだぞ?」
「悪いけど、俺はそういうのあまり信じていないんだ。だから平気だ」
「けどさ……」
「いいから早く再生してくれ」
松田に急かされ、加地は再生ボタンを押した。真っ暗だったテレビ画面に映像が現れ、
「山荘の惨劇」が始まる。
「山荘の惨劇」
物語は、とある自然豊かな山奥にあるキャンプ場にやって来た大学生の福島・高岡・野々村の男子三人と優子・美香の女子二人の話。
そのキャンプ場にはいくつもの山荘が建ち並び、かつては夏になると多くの家族連れや若者たちで賑わっていた。近くには綺麗な川も流れていて、釣り人も多く訪れていた。
だが、ある噂が広がったことで山やキャンプ場に訪れる人が減り、それらの山荘が売りに出された。
その一つを福島の父親が買い取り、長く放置していた。それを知った福島は父親から鍵を借り、恋人の優子を含む友人四人を山荘に誘ったのだった。
キャンプ場へは高岡が運転する車で向かった。学生最後の思い出作りに、一同は心を躍らせ浮かれていた。
そしてキャンプ場に到着すると、案の定周囲には誰もおらず貸し切り状態。五人は近くの川に向かうと、そこでバーベキューをしたり釣りや川遊びをしたりと各々楽しんでいた。
一頻り遊んだ後、福島が、
「この山に呪いの家と呼ばれる心霊スポットがあるらしいから探索しに行こう」
と言い出した。
オカルト好きだった福島は、それが目的でもあった。
その噂は数多く、どこからか赤ん坊の泣き声や男女の話し声が聞こえたり、二階を歩く足音が聞こえたりというものから、地下室で白い服を着た女の亡霊を見た者は呪われるというものだった。
高岡は無関心。怖がりな優子と野々村は反対をしたが、福島と好奇心旺盛だった美香に押し切られる形で、一同は呪いの家に向かうことになる。
場所はキャンプ場からそう遠くはない山の中。福島を先頭に山道をしばらく歩くと、そこに小さな診療所とその隣に二階建ての一軒家が建っていた。
二つの建物はすでに廃屋。
玄関のドアには鍵がかかっていないが建付けは悪かった。
福島が力ずくでドアを開けると、薄暗く埃まみれの廊下と二階へ続く階段が姿を現した。
福島を先頭に、一同は家の中に入っていく。
玄関から伸びた廊下には、トイレと浴室のドアがあり、突き当りには居間と台所があった。廊下はさらにL字に曲がり伸びていた。
野々村が記録用に持っていたビデオカメラを回しながら、一同は一階から探索し始めた。
どの部屋も、かつての住人の物と思われる家具や物がそのまま残っていたが、どれも埃まみれで朽ち果てていた。招かれざる客のせいか、床には物が散乱し、ガラス戸は大きなヒビが入っていた。
廊下の突き当りには、鍵付きの不自然なドアを見つけたが、開けることは出来なかった。
二階から誰かの足音が聞こえた。
噂の真相を確かめようと、福島を含む三人が二階へ向かった。
二階の床は一階よりも軋み、天井や床は蜘蛛の巣と埃まみれだった。
二階にあったのは何もない和室と、古びた本棚と埃まみれの机がある書斎、そしてまた鍵のかかった部屋だった。足音の正体もわからず、特に何も起こらないまま、三人は書斎で古びた鍵を見つけた。
だが、それは二階の部屋の鍵ではなかった。
一階に戻った三人は残りの二人と合流し、一階の鍵のかかった部屋で古びた鍵を使ってみた。
すると鍵は開き、ドアの先は地下へ続く階段だった。
福島、美香、野々村が地下へ向かい、残りがその場に留まった。
階段の天井には裸電球があるが、スイッチを押したところで明かりが灯ることはない。暗い階段を、福島を先頭にスマホの明かりを頼りに、ゆっくりと階段を降りていく。
この時、野々村が撮っていた映像にわずかなノイズが現れるようになり、不穏な足音が近づいてくる。
階段の一番下にはまた扉があり、周囲にはお札のようなものがいくつも貼られていた形跡がある。
それでも福島は扉を開けた。
漂ってくるカビのニオイ。そこは薄暗いコンクリートで囲まれた地下室。天井付近にある小さな窓から、僅かばかりの光が見えた。
中に入ると湿気が皮膚に纏わりつき、不快な甘い香りに気づいた三人は眉をしかめた。
福島はスマホの明かりで地下室を照らした。
壁や床が黒く変色し、天井には監視カメラらしき残骸がある。
奥には古いベッドと、壁には鎖を繋げる金具の痕跡があった。
野々村はビデオカメラを回しながら古いベッドに近づいた。
グチャリ。
野々村が古いベッドの手前で何かを踏んだ。
カメラを向けると、そこには黒い肉の塊のようなものが異臭を放っていた。そして、その横には人骨らしきものが転がっていた。
それを見てまずいと感じた三人は、地下室から出ようと踵を返した。
その時、三人の背後から地を這うような呻き声と鎖同士が擦れる音が聞こえ、三人は思わず足を止めた。
福島がゆっくりと振り向くと、破れた白いスカートの裾と枷をはめられた赤黒く汚れたか細い足が見えた。
福島は「逃げろ!」と叫び、出口に向かって走り出すと、美香や野々村も遅れて出口に走り出した。
福島と美香は地下室の外に逃げたが、野々村は扉を目前に何かに足を掴まれ転倒した。
パニックになる野々村。
そんな野々村を助けようとしたが、扉が勝手に閉まってしまう。
中から野々村の助けを求める声が聞こえるが、扉はビクともしない。
野々村の断末魔が聞こえると、福島は怖くなり手を止めた。
声に驚いた高岡が地下に下りてきた。
野々村の声が消えなくなり、福島は恐る恐る扉を押した。
すると、さっきは開かなかった扉が開いた。
恐る恐る、福島がスマホの明かりで中を照らすも、野々村の姿はない。
中に入って探したが、野々村の姿が忽然と消えていた。ただ、野々村が持っていたビデオカメラだけが床に落ちていた。
戸惑う福島に、高岡はビデオカメラを拾い上げた。
優子と美香は酷く怯えていた。
いつの間にか雨が降り出し、野々村は明るくなってから探すことにして、四人は雨の降る山道を走って山荘に一度戻ることにした。
ずぶ濡れになりながら山荘に戻ってきた四人。四名は、あの家での出来事を受け入れられずに動揺していた。
どうにか平常心を取り戻そうと、福島はシャワーを浴びに浴室に向かい、美香はかかってきた電話を取るため二階へ向かった。優子はタオルを握りしめながらソファに腰かけ、ただただ自分を落ち着かせていた。
そんな中、高岡は残された野々村のビデオカメラを調べ始めた。
あの家での映像は、地下室に行くまで途切れることなく撮影されていた。一階も二階の様子も野々村の息遣いまでもがしっかりと収められていた。
あの地下室でも、暗視モードで綺麗に映っていた。
それは、野々村が古いベッドと黒い塊を撮っていた時だった。
雑音の中に女の呻き声が聞こえると、福島が走れと叫び出口に向かって走りだした。野々村も走り出したが、途中で躓いて倒れた。
とっさに振り返ったその映像には、野々村の足にか細く手首に枷のついた手がしがみ付いていた。
野々村はビデオカメラを手放し、床を這いながらも必死で出口に向かう様子が映っていた。
すると、野々村の背後に痩せこけた顔の真っ黒な目をした、皮膚が剥けて骨が露になった白い服を着た女が映りこんだ。
そして、野々村の断末魔が聞こえた後、映像はノイズで乱れ何も映らなくなった。
映像はそこで終了だと思った。実際、地下室を出てから録画はしていないのだから。
だが、一度真っ暗になった映像が次に映し出したのはどこかの狭い場所。天井から見下ろすし、男がシャワーを浴びているのが映っていた。その男は福島で、場所は浴室だった。福島も何かを感じているのか、しきりに辺りを見回しているようだった。
突然、雷鳴とともに山荘内が停電した。
真っ暗な中、雷に驚いた女子二人の悲鳴が聞こえた。
慌てて浴室から出てきた福島の指示で、高岡は懐中電灯を手にブレーカーを調べに外に出た。
山荘の外は真っ暗な森が広がっている。
高岡がブレーカーの前にやってくると、背後から足音と何かの気配を感じ、野々村の名前を呼びながら、持っていた懐中電灯で木々の間を照らした。
だが、そこには誰もおらず木々や風に揺れる草木だけが浮かび上がった。
幸い、電気はすぐに復旧し、高岡は足早に室内に戻った。
すっかり疲れ果ててしまった四人。食事もとらず、四人は男女に分かれて二階の寝室で眠りについた。
しばらくして、寝ていた高岡は耳元で聞こえてくる呻き声と呪詛のような声に気づいて目が覚める。
その声が聞こえる方を向くと、隣のベッドで寝ている福島の体に馬乗りになりながら首を絞めている美香がいた。その顔はまるで悪霊に取り憑かれたような恐ろしい形相だった。
福島の喉元には美香の爪が深く食い込み、口や首から血が溢れてシーツや床が血に染まっていた。
高岡は慌てて美香を引き離す。
すると、福島は顎をガクガクさせたあと事切れた。
我に返った美香は、福島を見て発狂すると、そのまま部屋を飛び出していった。
騒ぎに気づいた優子は、ベッドに横たわる血塗れの福島を見て泣き崩れた。
その時、高岡は背後に気配を感じたが、振り返ってもそこには誰もいなかった。
とにかく美香を連れ戻さなければ。
高岡は泣き崩れている優子を落ち着かせ、警察を呼ぶようにと伝えると、懐中電灯を手に持ち外に出た。
外はすでに雨が止み、空には月が出ていたが、木々に覆われた山は不気味なほど暗かった。
高岡は当てもなく足場の悪い山中を、美香を探して彷徨っていた。
ふと木々の隙間から歩く人影が見つけた。
高岡は美香の名前を呼びながら、その人影に近づいた。
だが、それは美香ではなく着物姿の中年の女性だった。
こんな暗い山の中で、明かりもつけずに歩いている着物姿の女性を不審に思いつつも、高岡はその女性に声をかけた。
「すみません。この辺りで若い茶髪の女性を見かけませんでした?」
着物姿の女性は足を止めると、高岡に背を向けたまま指を差した。
それはあの呪いの家が建つ方向だった。
「まさか、あの家に行ったのか」
そう思いながら、高岡が着物姿の女性に目を向けると、着物の女性はいなくなっていた。
高岡は暗い山道を歩き、再び呪いの家に向かった。
玄関のドアは開いていた。家の中はさらに暗い。
高岡は美香の名を呼んだが返事はない。
その時、どこからかスマホの着信音が聞こえてきた。
聞き覚えのある着信音。それが美香のスマホだと、高岡は気づいた。
音を頼りに廊下を歩くと、L字を曲がった先のドアが開いているのに気付く。
その先は、地下室に続く真っ暗な階段。高岡は懐中電灯の明かりで足元を照らしながら、階段を下りていく。
下につき、地下室の扉の先から美香のスマホの着信音が聞こえてくる。
高岡は扉を少し開けて、美香の名前を呼んだが、返事は返ってこない。
息を吞み、高岡は暗い地下室に入っていく。
そして地下室の中、照らした懐中電灯の先で首を吊って死んでいる美香を見つける。
美香は密かに福島の事が好きだった。美香は白い服の女に憑りつかれ、福島を殺してしまった。導かれた呪いの家で、自らを罰した。
それを見た高岡は絶望し、床に崩れ落ちた。
床に置かれた懐中電灯の明かりが点滅する。
繰り返される明と暗の中、鎖の擦れる音と赤黒く汚れたか細い足が現れる。
恐怖で呼吸が荒くなる高岡。逃げようにも時すでに遅く、懐中電灯の明かりは完全に消えて闇だけが広がった。
しばらくして山荘付近には赤色回転灯をつけた数台のパトカーが止まり、室内からブルーシートに覆われた福島の遺体が運び出されていった。
優子は血塗れのまま、パトカーの後部座席で震える手でスマホを握っていた。一人の若い警察官が毛布を持ってパトカーに乗り込んでくると、優子を励ましながら膝に毛布をかけた。
優子はその警察官に知らせた。美香と高岡が森の中に行ってしまったことと、友人の一人が呪いの家で行方不明になったことを。
そして、呪いの家の場所を伝えた。
それを聞いた警察官は、二名の警察官を引き連れて呪いの家に向かった。
何も知らないその警察官たちは、地図と優子の説明を頼りに呪いの家に辿り着くと、その地下室で首を吊っている美香の遺体と高岡を見つけた。
高岡は真っ暗な地下室の中で立ち尽くし、捜索に来た警察官が声をかけても反応しなかった。
警察官の一人が持っていたライトで高岡を照らすと、高岡の目はぎょろぎょろと不規則に動き回り、赤ん坊のような声を漏らしながらよだれを垂らしていた。暗闇から呻き声が聞こえてくると、三名の警察官は急いで高岡と美香の遺体を担いで地下室から運び出した。
パトカーで下山した優子は警察署で事情聴取を受けたが、思い出すたびに泣き出してしまい、とても話せる状態ではなくなってしまった。心に深い傷を負い精神を病んでしまった。
高岡は事情聴取も無理と判断され、そのまま精神病院に運ばれた。そして、ベッドの上で瞬きもせずに天井を見つめたまま、言葉も発さず、食事は点滴のみ、ただ生きるだけの日々を過ごしている。
結局、野々村は行方不明のまま捜索は終了し、あの地下室は完全に封鎖された。封鎖された扉の向こうから、嘲笑うような笑い声が聞こえる。
映画はそこで暗転し、音楽とエンドロールとともにエンディングが流れ始めた。
映画のあと
映画の本編は終わり、松田は大きく息を吐いた。時々ノイズで映像が乱れたものの、他に不審な点はなかった。
だが、隣で見ている加地の表情は硬い。
松田は映画を止めようとリモコンに手を伸ばした。
「待って。もう少し」
加地の視線はテレビに向いたまま。
エンドロールの途中で、またノイズが走り映像が乱れていく。まるでビデオテープのように砂嵐と映像が交差し、音楽がブツブツと途切れる。
すると、薄暗い地下室の中で立ち尽くす白いワンピースを着た女の後姿が映り、そのすぐ後には映画とまるで関係のない自動車事故の様子が映った。道路上で二台の車体がひどく潰れて煙が出ている。車内にいる複数人の死に顔が一瞬映り込む。
映像はすぐにまた乱れ、今度は薄暗い工場のような場所で首を吊っている男のシルエットが映り、画面は真っ暗になった。
松田はそれを見て困惑している。
「なんだ、今の?」
加地はわからないと首を横に振った。
次に現れた映像。それは誰かの部屋だった。ちょうど天井あたりから見下ろすように映している。ベッドにはぬいぐるみが複数置かれ、家具やカーテンからして女性の部屋のようだった。
映像は途切れながら、今度はドレッサーの前で髪をヘアゴムで結んでいる部屋着姿の若い女性が映る。
「これ盗撮じゃないのか?」
松田がそう呟いた。
ふと、その若い女性がカメラの方を向いた時、それが映画に出ていた『優子』役の女優だということに気づく。
映画の続きだと、松田は思った。
しかし、映像はノイズが混じるごとに切り替わるが、どれも日常的なものばかりで、映画との関連性はないように思えた。
彼女はしきりに部屋を見回すようになった。
ある場面では、誰かと電話で話をしている様子が映った。音声は途切れ途切れでよく聞こえないが、部屋で感じる気配と視線について相談しているようだった。
再びノイズで乱れ、今度は画面全体が白黒に変わった。
手前の方ではベッドで眠る彼女が映っている。眠れないのか、何度も寝返りを打っている。そのたびにスピーカーから布団が擦れる音がした。
ふと松田はあることに気づいた。映像の中の押入れがゆっくりと開いていくことに。その隙間から影が床に広がり、ベッドに寝ている彼女に向かってゆっくりと伸びていく。
すると、寝ていた彼女がだんだんと苦しそうにうなされていった。彼女はとっさに飛び起きると、息を切らしながら首元の汗を拭い部屋を出て行った。影はすでに消えていた。
映像がまた切り替わる。
ドレッサーの前で彼女が髪を梳かしている。
映像が乱れると、押入れの隙間から影がまたゆっくりと彼女の背後に伸びていった。
彼女は鏡を見ながらピタリと動きを止めた。
スピーカーから小さな呻き声が聞こえてくると、彼女は自身の首に手を当てて苦しみだした。まるで誰かに首を絞められているような、そんな苦しみ方だった。彼女は苦しみ悶えながらもどうにか逃れようとしたが叶わず、膝から崩れ落ちた。
彼女はピクリとも動かなくなり、その横にぼんやりと人影が現れる。その姿は、映画に出て来た白い服の女のように手足に枷をつけていたが、映画よりも体はガリガリに痩せ老婆のように見えた。
次の映像では、なぜか彼女は窓際で首を吊るされていた。
そして映像は乱れ、真っ暗になった。
また別の映像が始まった。女性の部屋のようだが、先ほどとは別の部屋だった。ドアが開き、部屋に入って来た女性の姿を見て、松田は驚いた。
その女性はユキだった。
「え、これってユキちゃんだよな」
「ああそうだ。最初はわからなかったけど映っているユキの部屋だし、顔を見て確信した」
「なんでユキちゃんが映っているんだ」
「こっちが聞きてぇよ」
映像はノイズで乱れるたび、数時間経った部屋の様子を映し出していた。
映像は女優の時と同じく、まるでユキのことを監視しているようだった。
だが、映画とまるで関係のないユキがなぜ映っているのか、二人にはまるで理解ができなかった。
映像の中で、ユキの様子がだんだんと変化していく。
一つ前の女優のように落ち着きがなくなり、しきりに部屋を見回すようになった。
部屋に入ってきた母親に、ユキが必死で何かを訴えている様子が映っている。その後、母親は部屋の中を歩き回り、何かを探しているようだった。
「何を探しているんだ?」
「これを映しているカメラじゃないか」
ユキの母親が天井を見上げた。
松田と加地はモニター越しにユキの母親と目が合う。
だが、そこにカメラがないのか、それとも気づかないのか、
「何もないわ。きっと気のせいよ」と言って部屋から出て行ってしまった。
ユキはベッドに腰かけながら、泣いているようだった。
突然、スマホの着信音が鳴り響き、ユキの体がびくりと弾んだ。スマホの画面を見たユキは、涙を拭いながら電話に出た。
ユキの声が聞こえてくる。
「大丈夫。ありがとう、加地君」
それは加地からの電話だった。
その時はまだ、ユキの声は穏やかであった。
映像がまたノイズで乱れ、真っ暗になった。
「どう思う?」
加地が松田にそう尋ねた。
「どう思うって、俺には何が何だかわからないよ。お前が撮影したわけじゃないんだろ?」
「当たり前だろ! それに、このDVDはレンタル屋のなんだ。重ねて撮るなんてできないだろ」
「一体、誰が何の目的で盗撮しているんだ」
「盗撮じゃないのかも」
「どういうことだよ」
「……呪いとか」
松田は呆れた顔をした。
「とにかく、もしも行方不明になっているなら警察に任せるしかない。行方不明じゃないとしても、こっちからの連絡が取れないなら、ユキちゃんの方からくれるのを待つしかない」
「まぁ、そうなんだけど。こんな映像見せられたら、居てもたってもいられなくて」
「それはわかるが……」
「一体、何なんだ。この映画」
そう言って、加地はテレビを消そうとリモコンに手を伸ばした。
すると、真っ暗だった画面が再びユキの部屋を映し出した。そこにはクローゼットに向かって立ち尽くしているユキの姿が映っているが、その体は震えているようだった。
それを見て戸惑う加地。
「こんな映像、前に見た時はなかったぞ」
映像の中のユキが、スマホで何処かへ電話を掛けた。ノイズ混じりに、
「加地君……助けて」と消え入りそうなユキの声が聞こえる。
それを見た加地は自身のスマホの着信履歴を調べるもユキからの着信はない。
映像はまたノイズが走り、ユキの背後に影が現れた。
その影は、ゆっくりとユキに近づいていく。
ユキはその気配に気づいているのか、何度も、何度も、「助けて」と呟きながら電話をかけるが繋がらず、部屋から逃げ出そうとしたがドアも開かなかった。
ドアを叩きながら、母親に助けを求めているユキの姿が映っている。
だが、また映像にノイズが走ると、ユキの背後に手足に枷をつけた白い服の老婆が映っている。開けてと叫びながら、何度も何度もドアを叩くユキ。
だが、声は届いていないようだった。
白い服の老婆が、ゆっくりとユキに近づいていく。
それを画面越しに見ている加地が、テレビに向かって叫ぶ。
「ユキ!逃げろ!!」
だが、その声は当然テレビの向こうには届かない。
そして、再び映像が乱れた後、ユキは天井を向いて苦しみながら首を掻きむしり、口から泡を吹いて床に倒れた。
テレビのスピーカーからは、鎖の擦れる音が聞こえてくる。
白い服の老婆は、ピクリとも動かなくなったユキを引きずりながらクローゼットの方へ歩き出した。
「ユキをどこに連れていく気だよ」
加地が怒りで震えながらそう呟いた。
すると、映像の中の白い服の老婆がピタリと足を止め、ゆっくりと振り返り天井を見上げた。
その瞬間、映像を見ている松田と加地と目が合った。
不気味に笑う白い服の老婆。
テレビ越しだというのに、その顔に二人は立ちすくむ。
白い服の老婆は、再びユキの体を引きずりながらクローゼットの方へ歩き、映像はノイズで乱れ最後には砂嵐となった。
二人はしばらく呆然と砂嵐を見ていた。
「ユキはどうなったんだ? つーか、これって現実なのか? あの婆さんは一体何なんだ? ユキは、ユキは無事なのか?」
「落ち着けよ」
「落ち着けるわけないだろ! 実際、ユキとは連絡取れないし、学校じゃ死んだって噂になってるし! ユキは一体どこに行ったんだよ!」
「どこにって……」
松田は言いかけた言葉を飲み込んだ。
映像を思い出した加地は呟く。
「クローゼット……かよ」
二人の脳裏には、教室で加地に絡んできた男子生徒の言葉を思い出していた。
“家の中から警察官が数人出てきて、大きな袋を運び出したらしいぜ”
静まり返る二人。
部屋には砂嵐の音が響いている。
「こんなのは嘘だ……」
加地はテレビを消そうとした。
その時だった。
ブツン!
そんな音とともに、テレビにどこかの部屋が映し出された。それはユキの部屋ではない。
映像には誰も映っていないが、青いカーテン、ベッドとソファがあり、部屋の隅には“かじりんご”と記された段ボール箱。その横に、大きなくまのぬいぐるみが座っている。
「嘘だろ……。これって」
映像を見ながら動揺している加地。
松田は加地の部屋を見回した。テレビに映っているのは、加地の部屋だった。
「今度は俺ってことかよ」
加地はそう呟いた後、テレビを見ながら自分の部屋の隅を見上げた。
「何のいたずらか知らねぇけど、見つけてぶっ壊してやる」
加地はそう意気込み部屋を映しているカメラを探したが、見つけることは出来なかった。
「カメラなんてないぞ。それとも、気づかないほど小型なのか?」
松田も調べてみたが、やはりそんなものはなかった。
「俺の部屋じゃないってことだよな。だって、カメラなんてついてないし」
そう言いながら、不安げな様子の加地。
テレビの映像は再びノイズで乱れたあと真っ暗になり停止した。
「もう見るのはやめよう……」
加地はDVDディスクをデッキから取り出すと、パッケージの中に入れた。
重い空気が二人を包んでいた。
翌日、二人はそれぞれの教室で担任教師から告げられた。
如月ユキが亡くなったと。
それを聞いた生徒たちの反応は様々だった。
噂通りだったと納得する者、驚きを隠せない者、ショックを受ける者、泣き崩れる者。ざわめく教室内で松田は愕然とし、加地はひどく落ち込んだ。
教師は通夜に参列する者を集い、仲が良かった数人の男女と松田と加地が希望した。
ユキの机の上には、いつの間にか使い古した花瓶と桜色の花が置かれた。
放課後、松田と加地を含めた希望者数名が、ユキの担任と副担任と共に通夜に参列することになった。通夜が行われる集会場はユキの自宅のそばにあり、一同は制服姿のまま電車に乗って向かったのだった。普段賑やかな友人らも口数が少なく傷心している様子だった。
電車を下車し、加地にとっては見慣れた改札を抜けると、空はすっかり暗くなりネオンと街灯が照らされた駅前は、一同の心とは裏腹に賑わいを見せていた。
集会場はそこから少し離れた住宅街の中にあった。駅から遠ざかるにつれて、辺りは暗くなり、人通りも少なくなっていく。
しばらく歩いていると、暗い夜道の先にぼんやりと明かりが見えた。
それは御霊燈の灯りだった。
集会場の外にはユキの名前が書かれた立て看板があり、中から喪服を着た人が神妙な顔をして出てくる。涙を拭う女性もいた。二人の教師が受付を済ませると、松田や加地、他の生徒たちが順々に集会場の中に入っていった。
会場の中は明るく、参列者と読経中の僧侶の向こうに真っ白な花束に囲まれた立派な祭壇が見えた。そして、そこには優しい笑顔で写るユキの遺影が飾られていた。
祭壇の前にはユキが眠っている棺があり、喪服姿の女性がもたれかかるように泣き崩れていた。その人がユキの母親だということは、加地には遠目でもわかった。
二人の教師を先頭に生徒たちはお焼香の列に並んだ。焼香台の横には、眼鏡をかけた喪服姿の五十代ぐらいの男性が座り、焼香を済ませた参列者に対し静かに頭を下げていた。
焼香を済ませた参列者は、そのまま集会場を後にした。
列に並ぶ松田の後ろで、加地は体を震わせていた。
前の参列者が終わると、松田の番がやってきた。参列経験がすでにあった松田は戸惑うこともなくお焼香を済ませ、ユキの冥福をただただ祈った。
そして、会場の隅で加地が終えるのを待った。
松田の後、加地の番がやって来た。焼香台の前で一礼し、たどたどしく抹香を香炉の炭の上に静かにくべると、手を合わせて目を閉じた。
焼香台の横にいた男性が加地に頭を下げた。
加地はゆっくりと目を開け、ユキの遺影をじっと見つめていた。
いつまでも去ろうとしない加地を、松田が連れて行こうとした。
すると、加地は突然焼香台の横を通り過ぎて、ユキの母親のところに近づいていった。
松田はそんな加地の様子を見ていた。
「あの……」
加地はユキの母親に声をかけた。
一度呼んだだけでは、母親は加地に気づいてくれなかった。加地は諦めず、何度か母親を呼びかけた。
すると、ユキの母親はようやく加地の方を向いた。
その顔に加地は少し驚いた。母親の顔はひどくやつれ、目は窪んで力がなかった。
そんな母親だったが、加地の顔を見てほんの少しだけ微笑んだ。
加地はお悔やみの言葉を伝えたあと、あることを母親に頼んだ。
それは、“最後にユキの顔を見たい”ということだった。
その言葉を聞いた母親は、何かを思い出したように怯えた表情を見せた。
「だめよ! 娘の顔は見せられない」
豹変する母親に加地は戸惑った。
「一目だけでも良いんです!」
加地は食い下がったが、母親の拒絶は凄まじかった。参列者の目が母親に集中した。
それでも加地は諦めない。
すると、ユキの母親は激昂し、加地の胸倉を掴んだ。
「娘の体は誰にも見せやしない。あの子は私だけのもの。私だけがあの子をちゃんと見送るの!」
加地は気迫に押され動揺していると、今度は加地の頬を微笑みながら手で撫でた。
「加地君、あなたは綺麗なお顔をしているわね。私の娘も、肌がとても綺麗だったでしょ。笑顔もとっても素敵で優しい良い子だった。」
ユキの母親の手が震えだし、爪が加地の顔の肌に食い込む。
痛みで顔が歪む加地。
「早く帰ってちょうだい。でないと、私はこの爪であなたの顔をめちゃめちゃにしてしまいそう」
周囲にいた親戚たちが母親を加地から引き離し、加地は関係者の男性に腕を掴まれて外に連れ出されていった。
松田は加地を追いかけ、集会場の出口に向かった。
中からは母親の咽び泣く声が聞こえていた。
集会場の前には、参列を終えた一同が集まっていた。その中に加地の姿もあり、教師に叱られていた。
松田もそれに合流しようとした時、どこからか男性の話し声が聞こえてきた。
「ユキちゃん、いい子だったのに可哀そうだな。母親も随分やつれちまって」
「そうだな。あんな死に方されちゃ、母親もショックがでかいだろうな」
「死に方って、自殺じゃないのか?」
声を辿っていくと、建物の裏手で煙草を吸っている喪服姿の男性二人が立っていた。
気になった松田は、彼らに気づかれないように聞き耳を立てた。
「どうも違うらしい。俺の同期が現場に立ち会ってさ、その時のことを教えてくれたんだよ。通報が来てあの家に着いた時、母親はひどく動揺していて話が通じなかったらしい。とりあえずとユキちゃんの部屋に案内してもらって、そこに入った瞬間、ひどい悪臭が漂ってきたそうだ。母親が半開きになったクローゼットを指差して、中を確認すると置かれた荷物と壁との僅かな隙間に膝を抱えるように小さく収まっているユキちゃんを見つけた。すでに顔や手足が、腐敗が始まっていたそうだ。なのに、母親は悪臭が漂うまで気づかなかったと」
「そんなこと普通あり得るのか?」
「その数日前、母親が署に来て捜索願を出したんだ。娘が行方不明になったって。それが家の、それもクローゼットの中から遺体で見つかるんだ。不思議な話だろ。それでユキちゃんの遺体を運びだした時、その場にいた連中たちは絶句したそうだ」
その喪服の男性は、それからユキの最後の姿を話し始めた。
彼女の目はカッと見開いて、白目は真っ赤に充血していた。口は断末魔をあげたように大きく開き、肌は腐敗が始まっていた。首には爪で引っ搔いたような傷跡が無数に残っていて服も床も赤黒く染まっていた。こんな遺体を見るのは初めてだと。
死因は窒息死。だが、絞められたような跡は見つからなかった。彼女の遺体を搬送した後、彼女の見開いた目や口を閉じようとしたが、どうにも閉じることが出来なかった。それを知った母親は、娘を不憫に思いひどく泣き崩れたそうだ。
松田はその話を聞き、母親が遺体との対面を頑なに拒んだ理由を理解した。
「何か悪いものでも憑いていたんじゃないかって。現場にいた奴らは言っていた」
二人の男性はポケットから取り出した吸い殻入れに煙草を入れると、松田の横を通り過ぎて集会場の中に入って行った。
そして松田が加地らと合流すると、一同は駅で解散となった。
別れ際、松田は集会場で聞いた話を伝えようか迷ったがやめた。これ以上追い込むようなことはしたくなかった。
「また明日な」
そう挨拶をすると、加地はただ「おう」とだけ返事をして別のホームに下りていった。
それぞれが、それぞれの思いを胸に家路についた。
家に着いた松田が玄関を開けて中に入ろうとすると、リビングのドアが勢いよく開いて小さな袋を持った茜が走ってきた。そして、中に入ろうとする松田を外に押し出した。
「何をするんだ」
戸惑う松田に、茜は袋の中の塩を振りかけた。
「お清め! お兄、お葬式に行って来たんでしょ。お母さんから聞いた。ちゃんとお清めしないと、お兄に何か憑いたら大変」
「そうか。助かるよ」
茜が行うお清めはかなり雑で、松田は全身塩まみれになった。
「早く着替えて来てよね。お父さん、もう帰って来てるよ」
そう言って、茜は一階のリビングへ戻って行った。
松田は体についた塩を払って玄関を上がると、そのまま二階へ向かった。
自室で着替えを済ませ、松田はリビングに向かった。
自室で着替えを済ませた松田がリビングに入ると、美味そうな料理がテーブルに並べられ、家族も勢ぞろいしていた。家族団欒の食事が始まった。
食事中、知りたがりの母親と茜は、松田に葬儀のことを尋ねた。誰が亡くなったのか。松田は「同級生の女子」と答えた。
「若いのに可哀そうね」
と言いながら質問が増えていった。
どんな子だったのか。どうして亡くなったのか。病死か事故か。親御さんの様子。どんな祭壇だったか。
松田が困惑していると、父親の「不謹慎だ」の一言で、母親も茜もその口を閉じた。
食事が終わると、松田は茜から逃げるようにそそくさと二階の自室に戻った。
部屋に戻った松田は加地を心配してメールを送ってみたが返事がなかった。
手元にスマホを置きながら、松田は数学の予習を始めた。
しばらくすると茜が部屋に戻ってきたようで、壁の向こうから騒がしいテレビの音と茜の笑い声が聞こえてくるようになった。
すっかり集中力が解けた松田は勉強を止め、スマホを手にベッドに腰かけた。
ふと通夜の集会場で聞いたことや、あの映画の事を思い出し、「山荘の惨劇」を検索した松田だが、有益な情報を見つける前に眠ってしまった。
加地亮介
翌日、ユキの教室にある机の上には、綺麗な花が飾られた。それを置いたのは加地だった。
松田が学校に着いた頃には、校内は生徒たちで賑わっていた。廊下では友人ら話をしている加地の姿を見つけた。時々笑顔も見られ、普段と変わらない様子に松田は少し安堵していた。
そんな松田に気づいた加地が、挨拶をしながら駆け寄ってきた。
「真ちゃん、おはよう!」
その顔は、遠目では気づかなかったが疲れた様子で、目は泣き腫らしていた。
「顔色悪いな」
「あー、嫌な夢を見てさ。よく眠れなかったんだよ」
「まぁ、昨日の今日だしな」
「メール返さなくてすまねぇ」
「別に。それより、もうあれには関わらない方がいい」
「わかってるけど、許せないんだよね。あの白い服の婆さんのこと」
「胸騒ぎがするんだよ」
「真ちゃんは怖がりだなぁ」
加地が茶化すように笑う。
「茶化すな。真面目に言っているんだ」
二人の様子を見ていた加地の友人が不思議そうに見ている。それに気づいた松田は話を切り上げた。
「とにかく、あのDVDは早く返して来いよ」
そう言って松田は加地から離れ、自分の教室へと足を向けた。
「わかったよ」
加地はニコニコしながら手を振った。
「俺のところに出てきたら、俺がユキの分までぶん殴ってやるさ」
放課後、松田が加地の教室に寄ると、すでに帰ったようで加地の姿がなかった。別々に帰ることは珍しくなかったが、どうにも胸騒ぎがしてならなかった。
しかし帰ってしまったなら仕方がないと、松田は一人帰ろうとしたところにクラスメイトの田中に誘われ、駅まで一緒に帰ることにした。
帰り際、映画の話になった途端、田中は目の色を変えて熱弁し始めた。
田中の映画好きは有名で、どんなに疲れていても毎晩必ず一本の映画を見るという。知識も豊富で、周りから映画ヲタクと呼ばれていた。
そんな田中なら何か知っているかもしれないと、松田は「山荘の惨劇」という映画を知っているか尋ねた。
だが、田中はタイトルを聞いて首を傾げ、ジャンルがホラーだとわかると冷めた表情で「ホラーは無理」と断言した。
田中は怖いものが大嫌いで、幼い頃に見たホラー映画がトラウマになり、それから一本も見ていないという。
「そうか……」
がっかりする松田を見て不憫に思ったのか、田中は「広瀬に聞いてみては」と助言した。
広瀬繭[細井理絵1] 。彼女はいつも一人でいる。放課中は教室で、放課後には図書室で本を読んでいる。オカルト物を好み、おばけ横丁の呪いのDVDの噂を加地に教えた張本人である。
「今度、広瀬に聞いてみるよ。ありがとう」
「どういたしまして。あとはパソコンで調べてみるとか」
「俺、パソコンは持っていないんだ」
「それなら、あそこに行ったら?」
そう言いながら、田中は駅前の方に指を差した。そこは雑居ビルがあり看板には「ネットカフェ」と書かれた雑居ビルがあった。
「値段もそんなに高くないし、行ってみたら。でもまぁ、そこのネットカフェは使わない方がいいけど」
「なぜ?」
「駅前はカラオケとかゲーセンとか遊ぶ場所が多いから、先生たちがよく巡回しているだよ。見つかると厄介だよ。じゃーね!」
田中はそう言って手を振ると駅前のバス停に向かって走り、止まっていたバスに飛び乗った。
走り去るバスを見送った後、駅前のネットカフェを見ていると、ゲームセンターの中からちょうど見回りをしていた教師が出て来る。それを見た松田は、諦めて駅の改札に入っていった。
松田が駅のホームに降りると、そこには談笑している女子高生や不機嫌な若い男、そして疲れ果てた様子の大人たちが電車を待っていた。電光掲示板には、別の路線で起こった人身事故の知らせが流れ、それを見た松田はユキの死と重なった。
電車に揺られること約一時間。駅の改札を出た時には、空はすっかりオレンジ色に染まっていた。改札を出た通勤客は、松田を追い越しながらそれぞれの家路につくのだった。
一方、松田は何となく遠回りをして帰りたくなり、小さな商店街の道を途中で曲がり、細い路地に入った。そこは昔、友達とよく通っていた道だった。夕食時には美味しそうなにおいが漂い、室外機の上にはよくまん丸な猫が寝ていた。昔よりも狭く感じる道。今では下水のにおいがするだけで、猫の姿もなかった。
路地を通り抜けると、二階建てのゲームセンターがあった。付近に住んでいた友人と待ち合わせをして、内緒でよく入っては対戦ゲームで楽しんでいた。
今もその建物は残っていたが、看板はゲームセンターではなく、「ネットカフェ」に変わっていた。
しかし、この場所にネットカフェがあることは、松田にとって好都合だった。見回りをする教師もおらず、ゆっくりと調べものが出来る。
とはいえ、松田は初めて入るネットカフェに緊張していた。
入口の自動ドアが開くと、かつてのゲームセンターとはまるで違う内装が目に入った。落ち着いた照明に、流行りの音楽が流れている。
壁には案内図が飾られ、一階には自動販売機と個室があり、二階はコミックとDVDのエリアになっているようだった。
正面にある受付を見ると、カウンターの向こうに男性店員らしき頭が見えた。松田が覗き込むと、店員はスマホゲームに夢中になっているようだった。
「すみません」
松田は声を掛けた。だが一度では気づいてくれず、何度も声を掛けてようやく店員が顔を上げた。店員は不機嫌そうにクチャクチャとガムを噛みながら、「何?」と答えた。
松田は戸惑いながらも、壁に書かれた料金表を見た。
「一時間、お願いします」
そう言うと、店員は「五百円。そこ置いといて」とテーブルを爪で二回叩いた。
松田が財布から出した五百円をカウンターに置くと、店員は何も言わずにお金を取ると、またスマホゲームをやり始めてしまった。
店員の態度に呆れながらも、松田は案内図に沿って個室のある通路を進んだ。
通路の両脇にはいくつかの個室の扉が並び、天井と仕切り板の間には隙間が空いていた。個室の前を通ると、中からは物音や小さな独り言が聞こえてくる。どの扉も閉じていて、空いていたのは一番奥の個室だけだった。だがそこは、明らかに薄暗くて隣の個室からは大きなイビキが聞こえる最悪な場所だった。
渋々その個室に入った松田は、不慣れなパソコンを使い、「山荘の惨劇」と検索をかけた。検索ページには山ほど表示されたが、どれも映画とは無関係な山荘の紹介サイトや別の事件情報ばかりだった。古いページはすでに削除されて見ることが出来なかった。
時間ばかりが過ぎていく。
隣から聞こえる大きなイビキに気が滅入り、次のページを最後に帰ろう。そう思いながら次のページに飛んだ。
すると、とある映画情報サイトを見つけた。デザインはシンプルなもので、映画情報は閲覧者でも登録が出来る仕組みになっていた。トップ画面には大手の映画のタイトルと評価が表示されていた。中には見たこともないタイトルがあり、そこには自主映画と表示されていた。新着映画情報を見る限り、更新が止まってから二年以上は経っているようだった。
試しに検索フォームに「山荘の惨劇」と文字を打ち込んで検索をかけてみた。すると、いくつか「山荘」と「惨劇」を含んだ映画タイトルが表示され、その一番下に「山荘の惨劇」の文字を見つけた。
その瞬間、松田は興奮して身を乗り出した。
マウスポインターを「山荘の惨劇」の文字に合わせクリックすると、画面が一瞬で真っ白になった。ページが重いのか、なかなか表示されない。松田は何度も何度も更新ボタンを押し、ようやくページが表示された。
そこには制作された年、脚本、監督、キャスト、スタッフ、あらすじ、プレビューが載っていた。
制作された日付は、今から十年程前。自主製作映画で、監督もキャストも誰一人知らない名前が載っていた。画像はなく、上映された映画館は一か所だけ。その映画館を調べてみると地方にある小さな映画館で、今ではもう取り壊されていた。情報ページの下に、感想や評価を投稿できるスペースがあった。
そこに一件だけ書き込みがされていた。
ーこの映画は、実際に起こった事件が基に作られている。その事件は当時地域新聞に載ったが、知っている人はほとんどいないだろう。白い服の女のモデルとなった被害者は悲惨な人生だった。だから、この映画は呪われている。それでも見たいというのであれば止めはしない。
HN:カースド
呪いという言葉が書かれていた。それはいたずらか真実か。
そこには、実際に起こった事件と書かれていた。どんな事件だったのかを調べようとしたが、すでに一時間が過ぎようとしていた。
まだまだ調べたい。延長しようか迷っていると母親から買い物の催促メールが届き、松田は仕方なく個室を出た。
受付の男性店員は未だにスマホゲームに夢中で、松田が前を通っても気づかなかった。店を出ても、何の言葉もなかった。
母親に頼まれた買い物を済ませた松田は、ページに書かれた文字を思い出していた。
”この映画は呪われている”
呪いを信じていなかった松田だが、映画の最後に流れた不可解な映像や、集会場で聞いたユキの死を思い出し、胸中がざわついた。
部屋に戻った松田は、加地に電話を掛けた。
呼び出し音が鳴っているが、加地はなかなか電話に出ない。それでも待っていると、
「いい加減にしろよ!」
ようやく出た電話の向こうから、加地の怒声と荒い息遣いが聞こえ、松田は驚いた。
「ど、どうかしたのか?」
「あ、真ちゃんか……。ごめん。気にしないでくれ」
加地は明らかに動揺していた。だが、何があったのかと尋ねても、加地は「何でもない。大丈夫」というばかりで答えようとはせず、仕方なく松田はネットカフェで調べたことを加地に伝えた。
すると、加地は食い入りように白い服の女の正体について、を聞いてきたが、わかったのは映画関係者の名前だけだと伝えると、加地はがっかりした様子だった。ただ、レビューを載せていたカースドという人物が、何か知っていると踏んだ松田は、そのことを加地に伝えようとした。
すると、まるでその話題を遮るようにノイズが入り、加地の声が聞こえづらくなった。
「そっちノイズが酷いな。電波が悪いんじゃないか」
耳障りなノイズが聞こえる。
「もう……疲れた……、……寝る……」
そう聞こえた後、松田が返事をする前に電話は切れてしまった。
翌日、加地は学校を休んだ。
ユキの机の上には花と花瓶が置かれたまま。その花は少し萎れていた。加地とユキの関係を知っていた者たちは、加地への同情を口にしていた。
松田は広瀬に会うために、放課後の図書室に向かった。広瀬とあまり会話をしたことがなかった松田は、放課中にも広瀬の様子を見に教室に足を運んでいたが声はかけなかった。
教室内では生徒たちがそれぞれのグループを作り談笑をする中、広瀬だけは教室の隅にある自分の席で本を読んでいた。
「誰かに用事?」
教室に戻ってきた女子に尋ねられ、松田はとっさに特に用もない男子生徒を呼びつけた。何故なら、クラスの女子たちは噂話が大好き。広瀬と変な噂が立つことを恐れからだった。
放課後ならば、見られることもないと考えた。下校を促す校内放送が鳴る中、松田は誰もいなくなった教室を出て、足音が響く階段を上り、静かな廊下を歩いて図書室の前にやって来た。
図書室のドアを開けると、少し埃っぽい紙のにおいがした。
本棚がずらりと並び、そこには数えきれないほど本が並んでいる。奥のスペースには椅子と机が並び、そこで男子生徒が一人物書きをしていた。
だが、肝心の広瀬の姿がどこにもなかった。
「なんだいないのか」
そう呟き、松田は図書室を出るとそのまま学校を後にした。
松田はまた地元のネットカフェに寄ることにした。
店に入るとチャイムが鳴り、受付カウンターから男性店員がそっと顔を覗かせた。それは昨日と同じ不愛想な店員で、またスマホゲームで遊んでいるようだった。
店員は松田に「いらっしゃいませー」と言いながら、すぐに目線を下に落とした。松田は利用時間を伝え、テーブルの上にお金を置いた。店員は松田のことを見ようとせず、「勝手にどうぞー」と言った。
不真面目な店員に憤りを感じつつも、松田は個室のある通路に向かった。個室のドアは相変わらずどれも閉まり、中から人の気配がする。
空いていたのは、やはり一番奥の薄暗い個室。隣はまた寝ているのか、大きなイビキが聞こえてくる。
個室に入ると、松田はパソコンに向かいさっそく昨日見つけた映画情報サイトにたどり着き、そして監督について調べ始めた。
いくつかのサイトを見つけたが、監督と同姓同名の弁護士、税理士、地域のマラソン大会の出場者など、映画と関わりのない人ばかりだった。
監督を諦めた松田は、次にキャストの名前を検索することにした。キャストならば公式サイトや他に出演している作品が見つかると思った。
だが、同じように名前が表示されても、同姓同名の別人ばかり。誰一人として見つけることが出来なかった。
ふと、カースドという人物が書いていた、“実際にあった事件”を調べることにした。詳細はわからない。映画の内容を思い出しながら、キーワードを打ち込んでいった。
キャンプ場、山奥、呪いの家、地下室、監禁、女性、鎖、殺人、大学生、自殺、幽霊、呪い。
キーワードが増えるほど、集まるページも多くなる。しかも、どれも関係のない観光地の情報や、出会い系サイト、知りたい事件とは違うもの。これまでどれほどの数の事件が世界中で起こってきたか。地方新聞に載った程度の事件をインターネットで探すのは不可能に近かった。
そこで、白い服の女性のことに絞った。
山奥、地下室、監禁、女性、鎖。
これまで起こった監禁事件のニュースや関連サイトが見つかった。松田は一つ一つ記事を読み、白い服の女性の事件を探った。どれも痛ましく悲しい監禁事件ばかり。加害者の動機はどれも身勝手なものばかり。そんな記事をいくつも読むにつれ、頭がどうにかなりそうになった。
それに、どれも白い服の女性の事件とは無関係なものばかり。
「せめて、事件が起きた地域がわかれば」
集中する松田の横で、耳障りな大きなイビキが聞こえてくる。
「うるさいな」
松田はぽつりと不満を呟き、軽く隣の壁を叩いた。
一瞬、鼻が詰まるような音がした後、隣のイビキが止んだ。
松田は耳障りな音が止みホッとしたが、直後に鋭い視線を感じて背中に悪寒が走った。
耳障りなイビキが、今度は隣ではなく天井の方から聞こえて来た。
松田は音がする方向を見上げた。
すると、隣の壁と天井の間から顔を出し、松田のことを睨んでいる男がいた。脂ぎった大きな顔と髪、血走った目の下にはくっきりとした隈が出来ていた。イビキだと思っていたその声は、隣人の息遣いだった。
脂ぎった男は、何も言にただただ松田を睨み続けている。
松田は恐怖を感じ、「すみません……」と俯きながら小さな声で謝罪した。
脂ぎった男は執拗に睨んでいたが、しばらくしてようやく顔を引っ込めた。そして、隣の個室からはまたイビキのような息遣いが聞こえるのだった。松田は逃げるように、ネットカフェを後にした。
帰り際、加地に電話を掛けたが、電源が切れているようで繋がらなかった。不安だけが募っていった。
翌日、加地はまたも学校を休んだ。廊下を歩いている松田の耳に、加地を心配する声や不謹慎な噂話が聞こえて来るようになった。
ユキの机の上の花は枯れてしまい、学級委員の女生徒が花瓶からそっと枯れた花を抜き取りゴミ箱に捨てた。机には花瓶だけが残った。
昼休み、松田は友人と食堂に向かった。喧しいほど賑わう食堂。先に来た生徒たちでテーブルは埋まり、食券売り場には長蛇の列が出来ていた。松田は諦め、売店でパンを買って近くの階段に座り込んだ。
一緒に来ていた友人が、売店でずっと悩んでいる姿が見えた。
松田がパンを一口食べたところで、ポケットに入れておいたスマホが振動した。画面には加地と表示され、慌てて通話ボタンを押した。
「亮介か。どうして電話に出ないんだ。心配するだろ」
「ごめん、真ちゃん。いたずら電話が多くて、しばらく電源を切っていたんだ。俺、あれからずっと監視されている。どんなに探してもカメラは見つからないのに、テレビには俺の部屋が映るんだ。だから、もう部屋にはいられない」
「今どこにいるんだ?」
「ファミレスで時間を潰したり、漫画喫茶で寝泊まりしたりしている。なぁ、真ちゃん。しばらく真ちゃんの家に泊めてくれないかな」
「わかった、来いよ」
「ありがとう」
「それで、あのDVDはちゃんと返却したのか?」
「まだ部屋にあるよ。悪いけど、真ちゃんが返しておいてほしい。あの部屋に戻りたくないんだ」
「鍵はどうするんだよ」
「鍵は玄関の白い花の植木鉢の裏側にある。持っていると無くすから、いつもそこに置いて行くんだ」
「わかった。それでいつ俺の家に来る?」
「今日の夕方、真ちゃん家の近くの駅で待ってるよ」
「わかった」
松田は了承し、そのまま電話を切った。加地の声を聞いたことで、松田は少し安堵していた。
授業が終わり、松田は友人の誘いも断り足早に学校を出た。電車に乗り、地元の駅に到着すると、駅前で加地の姿を探した。多くの学生や通勤客が松田の横を通り過ぎていく。加地はまだ到着していないのか姿が見えない。松田は改札前のガードレールに腰を掛けながら待つことした。
空がオレンジ色に染まり、駅には何度も電車がやってきては走り出し、そのたびに改札からは人が溢れ出てきた。
だが、いつまで経っても加地は現れない。加地に何度も電話を掛けたが繋がらず、メールも返って来ない。
そのうち日が暮れて、空が暗くなってきた。
駅前の街灯の明かりが灯り、改札から出てくる人々の数もだんだんと減っていった。
待ち合わせからすでに二時間が経とうとしていた。改札から、見慣れたスーツ姿の男が出てきた。それは松田の父親だった。
「真一、何をしている。家に帰らないのか?」
「今日は早いですね」
「たまにはな。誰かと待ち合わせか?」
「亮介という友人と待ち合わせています。事情があって、しばらく泊めて欲しいと」
「何時に待ち合わせなんだ?」
「夕方です」
「今は夕方か?」
「いえ……」
「一緒に帰るか」
「でも……」
「遅くなるとお母さんが心配する。門限を破る気か?」
「帰ります……」
加地は現れず、松田は父親と帰ることにした。
家に着き、松田は加地のことを気にしながらも、家族との夕食を済ませた。電話を何度もかけたが、留守電に繋がるだけだった。
松田は机で予習をしながら加地からの連絡を待った。
次第に夜が更けていく。
隣の部屋から聞こえていたテレビの音や茜の笑い声も消えた。テレビも音楽もつけていない静かな松田の部屋に、ノートを走り書くシャーペンの音だけが響いていた。
しばらくして、スマホの着信音が鳴り響いた。振り向くと、テーブルの上に置いたスマホが音を鳴らしながら振動していた。画面には加地と表示され、慌てて通話ボタンを押した。電話の向こうから、ノイズ交じりの加地の声が聞こえた。
「もし……し、真ち……ん。……めん」
「お前、待っていたのにどうして来なかった」
「あいつがいたんだ! あいつ、どこにいても追いかけてくる。俺の事を監視してるんだ。どうしよう。俺、死にたくはない。真ちゃん、助けてよ」
加地の声は震え、最後は泣いていた。
「今どこにいるんだよ」
加地は動揺しているのか、松田の声が届いていないようだった。
「あのDVDはもう見ないでくれ。関わっちゃいけなかった。本当にごめん、真ちゃん。やばい、来た! ど、どうしよう。助けてくれ、真ちゃん……ああああああ!」
加地の叫び声が聞こえる。
「亮介!」
机に伏せていた松田が飛び起きた。動揺しながらも、手元にスマホがないことで夢であったことを理解した。スマホはテーブルの上のまま。着信履歴を確認しても、加地からの着信はなかった。時刻はすでに夜中0時を過ぎ、松田は教科書を鞄の中に片付けて眠ろうとした。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
「こんな夜中に誰だ。亮介か?」
松田は部屋のドアを開けて廊下に出た。
電気が消えた廊下は、窓から漏れる街灯の灯りで薄暗い。
ピンポーン
また玄関のチャイムが鳴った。
「こんな夜中に何度もチャイム鳴らすなよ。家族が起きるだろ」
松田はなるべく音を立てないように階段を一段一段静かに下りた。その間も、チャイムは鳴り続ける。
一階の廊下も薄暗く静かだった。こんなにもチャイムが鳴っているというのに、両親が起きてくる気配がない。
松田は玄関のドアに張り付き、控えめに声を出した。
「亮介か?」
ピンポーンとチャイムが鳴るも、ドアの向こうから加地の声は聞こえない。
「亮介じゃないのか?」
どんなに声を掛けても返事はない。松田は不審者かもしれないと、ドアスコープで外を覗いた。
するとそこには誰もいない。
だが、チャイムはまだ鳴っている。松田がドアノブに手をかけ、ほんの少しだけドアを開けて外を覗いた。
だが、やはり玄関の前には誰もいない。
チャイムの音が鳴り止み、松田は家の外に出てみたが辺りのは誰もいなかった。
怪訝に思いながら玄関の鍵を閉めた瞬間、背後に人の気配を感じた。
家族が起きてきたと思った松田は振り返ったが、そこにはただ薄暗い廊下が続くだけで誰もいなかった。
部屋に戻った松田は、ベッドに横になり目を閉じた。すると、夢の中で聞いた加地の弱々しい声と叫びが蘇り、眠ることが出来なかった。
そして、そのまま夢現に朝を迎えた。一階に下りると、休日ということもありキッチンで朝食の支度をしている母親の姿はなかった。
茜はもちろんのこと、父親もまだ寝ているようで家はとても静かだった。
松田は加地のことが気になり、早朝にも関わらず一人家を出た。
空はすでに明るく、風が少し冷たく空気は澄んでいた。早朝のせいか、住宅街には人の姿もなく静かだった。
足早に駅に向かう松田。その途中で聞こえて来た救急車のサイレン。静かだった住宅街が一変する。サイレンは、駅に近づくにつれ大きくなり、加えて消防車やパトカーのサイレンまでもが聞こえてくるようになった。事件か事故か。普段は平和で静かな住宅街。こんなにもサイレンが鳴り響くことはない。
胸騒ぎがして、立ち止まり松田。
だが、サイレンの音は聞こえても、肝心な車両が見当たらない。松田にはサイレンがどこに向かっているのか見当もつかない。結局、一台も見かけることなく駅に着き、そのまま電車に乗り込んだ。
加地のアパートには、数えきれないほど訪れた。駅を降りてからの道筋も、自分の家のようにわかっている。約束をすっぽかした加地だが、もしかしたらアパートに戻ってきているかもしれない、松田はそう思っていた。
駅からしばらく歩くと、加地のアパートが見えてきた。アパート前の道路では細身で白髪頭の男性が掃除をしていた。男性はアパートの管理人。廊下の見回りや掃除をしている姿をよく見かけていた。顔を合わせれば挨拶を交わし、松田が加地の友達だということも知っている。
松田は管理人に挨拶をした。すると、管理人が松田に気づき、いつものように笑顔で手を振ってきたが、その後すぐにバツが悪そうに近づいてきた。
「加地君の家に遊びに来たの?」
「まぁ、そんなところです」
「あのね、言いにくいんだけど。加地君に伝えておいてくれないかな」
「なんですか?」
「ここ最近ね、横と上の住人から苦情が来てたのよ。加地君の部屋から、壁を叩く音や奇声が聞こえてうるさいって」
「奇声ですか?」
「住人が言うにはね。怒鳴ったり、叫んだりで怖いって。良からぬことでもしているんじゃないかって。彼に話を聞こうと部屋に行ったんだけど、ずっと留守みたいで出ないのよ。今までそんなことなかったのにね」
「そうですか……」
「彼に会ったら、あまり騒がないようにって伝えておいてくれるかな」
「わかりました」
そう返事をすると、管理人はまた掃除の続きを始めた。松田は加地の部屋の前に立ち、インターホンを鳴らした。だが、いくら待ってもドアは開かず物音すらも聞こえない。ノックをしてみても、結果は同じだった。
ふと、松田は加地の言葉を思い出した。
「鍵なら、いつも玄関の白い花の植木鉢の裏側に置いてあるよ。持っていると無くすから、そこに置いて行くんだ」
玄関前の壁沿いには、白、赤、黄色の花を咲かせた鉢植えがいつも並んでいた。
「随分と似合わないものが置いてあるな」と松田が言うと、加地は少し怒りながら、
「俺の趣味じゃねぇよ。可愛いから飾ろうってユキが勝手に買ってきたんだ。俺は花なんて面倒くさいのは嫌いなの。毎日水やらなきゃいけないし、なんか栄養剤っちゅーの挿さなきゃいけねぇし。まったく面倒だよ」
文句を言いながらも、鉢植えの花はいつも綺麗に咲いていた。夜中にこっそりと水やりしていたことも、松田は知っていた。
加地はユキのことが大好きだった。
しかし、いま松田の足元にある鉢植えの花は、しばらく世話をされていないようで萎れていた。
松田は白い花の植木鉢の裏を探った。すると、乾いた固い土の上に鍵が置いてあった。そして、その鍵を使い、加地の部屋に入った。
玄関には加地の靴が何足か置いてあったが、普段履いている靴は見当たらなかった。
部屋は静まり返り、キッチンには溜まった食器とゴミが放置されていた。随分と散らかっているのが気になった。
そして、テレビのある部屋に入った瞬間、その光景に息を呑んだ。脱いだ服がそこら辺に投げ捨てられ、床にはゴミが散らかっていた。壁にはカビのような黒いシミが、滲むように広がっていた。何より驚いたのは、壁や天井の一部に刃物で傷つけたような跡がいくつもあり、天井の欠片がベッドの上や床に散らばっていた。
加地の身に一体何が起こったのか。
松田は部屋を見回しながら唖然とするばかりだった。
その時だった。突然、テレビの電源がつき画面に砂嵐を映した。松田は砂嵐の音にビクリと肩を震わせた。
砂嵐の画面の隅には、「ビデオ1」と表示された後、現れたのは薄暗いコンクリートの壁に囲まれた部屋。弱々しい明かりの下で、手足を鎖で繋がれた白い服を着た女が、両手で顔を覆いながら蹲り、泣いているのか肩を震わせている。その髪はボサボサで、白い服は土で汚れているようだった。
そして、スピーカーから何か呟いているような声が聞こえるが、何を言っているかは聞き取れなかった。
映像がノイズで乱れた後、部屋に立ち尽くし怯えているユキが映った。
それは「山荘の惨劇」で見た不可解な映像。だが、白い服の女が蹲っている映像など見た記憶はなかった。
映像はすぐに砂嵐になった。砂嵐の中で、スピーカーから呻き声が聞こえてくる。気味が悪くなった松田は、ディスクを取り出そうとデッキの取り出しボタンに手を伸ばした。
すると、砂嵐から再び映像が映し出された。
松田の手がピタリと止まる。画面に映っているのは加地の部屋。以前見た時には、誰もいない加地の部屋で映像が終わっていた。
だが、目の前の画面には、ソファでスマホをいじっている加地の姿が映っている。そして、映像の中の加地は、何処かに電話を掛けては、何も言わずに切る、を繰り返していた。
映像はユキの時と同じようにノイズで途切れた後、また違う時間帯の様子を映した。まるで加地のことを監視しているかのように。
テーブルの上に置かれた弁当。加地はそれに手を付けず、ただスマホを見ながら震えている。
加地が立ち上がり、何かを探すように部屋を見回した。その顔は険しく、少し怯えているように見えた。
映像はノイズで乱れ、またしばらく経った部屋の様子に切り替わった。そこには、電気が消えて暗いのか、部屋全体が灰色に染まっていた。ベッドで寝ている加地の姿が映っている。寝苦しいのか、体を何度も左右に寝返りを打っていた。
映像はノイズと共に何度も切り替わる。
テレビを見ていた加地は、突然壁の方を見て立ち上がる。壁に耳を当てたまま、しばらくすると首を傾げてまたソファに戻る。
よく見ると、壁に黒いシミのようなものが見えた。
次の映像では、加地が部屋でテレビの方を向いて立ち尽くしている後ろ姿が映った。加地は振り向き、映像を見ている松田の方を見上げて睨んだ。
次の映像では、加地がベッドに座りながら両耳を手で塞いでいたかと思えば、突然叫び出して壁に向かって何かを投げつけた。
次の映像では、DVDデッキからディスクを取り出すと、足で何度も踏みつけた。ふと、映像を見ていた松田があることに気づいた。それは壁についた黒いシミが、明らかに広がっていた。
次の映像では、足を投げ出しながらベッドで寝ている加地が映っている。すると、壁の黒いシミから黒い何かが流れ出し、床に広がっていった。それは一か所に集まると、人の足のような影になった。すると、寝ていた加地が苦しそうに呻きだした。
その影がすっと消えた途端、加地はベッドから飛び起きた。
松田は額にかいた汗を拭いながら、キョロキョロと部屋を見回した。そして、何もないことがわかると、キッチンの方へ向かった。
再びテレビが砂嵐になった後、部屋には立ち尽くす加地が映った。加地の視線の先には、砂嵐が映っている。加地はその砂嵐を、ずっと見つめていた。ふと加地が振り向き、画面越しにいる松田の方を見上げた。
加地の手にはナイフが握られ、ふらふらとベッドに乗ると松田の方を睨みつけた。その目は、見たことがないほど虚ろだった。テレビ越しに加地と目が合った時、加地は何度も何度もカメラの方に向かってナイフを突き刺した。
天井にナイフが突き刺さる音が聞こえる。だが、そのカメラは現実には存在しないのか壊れることがなく、加地の姿がずっと映っていた。
その背後に白い人影が現れた。加地は気づいていないのか、ナイフを天井刺し続けている。
映像にノイズが混ざり乱れた。すると、加地の背後に白い服の老婆が立っているのが見えた。殺気を感じたのか、加地は手を止めると振り返ると、白い服の老婆の姿が消えた。何かを察したのか、加地はスマホを手に取り、どこかに電話を掛けたが、相手に繋がらなかったようで、何も話すことなく電話を切った。
再び映像が乱れると、次に映し出された場所は加地の部屋ではなかった。薄暗い壁に囲まれた狭い個室。テーブルにはパソコンと漫画本、それに飲みかけの缶ジュースが置かれ、誰かが電話を掛けていた。ふい見上げたその人物は加地だった。その場所は、加地が避難していた漫画喫茶だった。
映像には、誰かと電話している加地の姿が映っている。音割れしているスピーカーから、松田と話している会話が聞こえてくる。
それは松田と加地が駅で待ち合わせの約束をした、あの電話だった。
電話を終えた加地が、個室を出て行く姿が映っていた。
また映像がノイズで乱れ、次に映ったのは松田がよく知る駅前。人通りが多い駅前で、スマホをいじりながらガードレールに腰かけている加地の姿がある。そこは、ちょうど松田が加地を待っていた同じ場所だった。だが、松田が着く前のことのようだ。
スマホを見ていた加地が、突然顔を上げて周囲を見回しながら動揺し、突然どこかに走り出した。
映像はまた乱れ、別の場所に切り替わった。
そこは灰色と化した薄暗いどこかの路地裏。路面はゴミと落ち葉で汚れ、周囲はひび割れのブロック塀とくすんだ窓と配管がぶら下がったビルの壁が見えた。
そこへ、加地が後方を気にしながら走ってきた。スピーカーから“こっちに来るな”と割れた声が聞こえる。
先が袋小路になっていると気づいた加地。引き返そうとしたが、背後から白い人影が現れると、加地は動揺し右往左往しはじめた。ポケットからスマホを取り出し、どこかに電話を掛けるが繋がらないのか、何度もスマホを耳に当てたりしていた。その間にも、白い人影がゆっくりと加地の方へ近づいていく。
映像は薄暗くノイズが混ざり、スピーカーから僅かに鎖の擦れる音が聞こえた。
加地に近づくその人影は、やはり白い服の老婆だった。
逃げ場のない加地。目の前には白い服の老婆がいる。すると、加地は首に手を当てながら苦しみだした。暴れる加地の首に、黒い鎖のような影が見えた。それはどんなに解こうとしても消えず、呻き声をあげながら抵抗していたが、加地の体が微かに痙攣した後、腕をだらりと垂らし動かなくなった。
それを見ていた松田は絶句した。
映像は再びノイズで乱れ、次に映し出されたのは、ロープが首に巻き付き、錆びたパイプに吊るされた加地の姿だった。
それを見た松田は、吐き気を催し台所で嗚咽した。張り裂けそうなほど心臓が鼓動していた。
その時、スマホの着信音が鳴り響いた。画面には、クラスメイトの「高橋」の名前が表示されている。
「……もしもし」
松田は平常心を装いながら電話に出た。
「聞いたか!? 亮介が、亮介が死んだらしいぞ。場所は知らないけど、首を吊ったって!」
高橋はかなり動揺した様子だった。
「……そうか」
松田の視線の先には首を吊った加地の姿が映っている。高橋の言葉は、目の前の映像が現実の出来事であることの証明となった。
高橋は戸惑いながらも松田を励まそうとしていたが、その声は松田の耳には届いていなかった。
松田の視線の先には、頭と手足をだらりと垂らし、吊られた体がわずかに揺れている。
それを見上げている白い服の老婆。
映像にノイズが混じり、白い服の老婆が徐に松田の方を振り向いた。
画面越しに、松田は白い服の老婆と目が合った。すると、白い服の老婆は何かを呟いた。
ー次ハオ前ノ番ダ。
地を這うような声でそう聞こえた。
松田は慌ててテレビを消そうとした。だが、映像は消えずに別の場所を映し出した。
誰もいない部屋。綺麗に片付けられた部屋の床。窓の隙間からの風で揺れるカーテン。見慣れた机、タンス、ベッドとオーディオコンポとギター。
「俺の部屋だ……」
そこに映ったのは、自分の部屋だった。
松田は慌ててDVDデッキの取出しボタンを押したがディスクが出て来ない。
部屋のドアが開き、そこに入ってくる松田の姿が映った後、映像はノイズで乱れ砂嵐となった。
DVDデッキのトレイが開いた。そこには、加地が踏みつけて壊したはずの山荘の惨劇のディスクが無傷の状態で乗っていた。松田は震える手で山荘の惨劇のディスクを手に取った。すると、耳元で鎖の擦れる音が聞こえた気がして、急いで山荘の惨劇のディスクと他のDVDを拾うと、加地の部屋を出たのだった。
ーユキちゃんも加地も死んだ。白い服の老婆に殺された。二人は映画に呪われて死んだのか? そうだとするなら、今度は「自分」の番なのか?
呪いなんてあるわけがない。松田は自身にそう言い聞かせる。だが、映像で見たユキの死が、加地の死が脳裏に蘇る。呪いだとするならば、自分もあの白い服の老婆に殺されるのか? 回避する方法はないのか。
松田は考えながら、足早におばけ横丁のレンタルビデオ屋に向かった。
店員なら何か知っているかもしれない、と思った。
まだ昼間だというのに、おばけ横丁は薄暗くて相変わらず人の姿はない。加地と来た時には提灯が灯っていた居酒屋。今は電気が消え、準備中の看板が吊るされている。
奥に行くほど暗いおばけ横丁。一人で来ると、さらに気味が悪く居心地の悪さを感じた。下水臭さに嫌気を差しつつ、レンタルビデオ屋の前にやってきた。
だが、店はシャッターが閉まり臨時休業の紙が貼られていた。しかも、返却ボックスが置かれておらず、返すこともできなかった。
映画のことも聞けず、DVDも返せない。そのまま置き去りにするわけにもいかず、松田は仕方なく持って帰ることにした。
家に着いた松田。玄関を開けると、ダイニングの閉じたドアの向こうから「おかえり」の母の声がした。
「ただいま」
疲れた声でそう返事をしながら、松田はそのまま二階に向かった。
そして、自分の部屋に入ろうとドアノブに手を掛けた時、中から物音と人の気配を感じた。
真っ先に思い浮かんだのは妹の茜だった。茜はよく松田の部屋に入り込んでは、大切なオーディオで自分好みの音楽を聞いていた。それだけならまだしも、ベッドの上でお菓子を食べ散らかし、毎度掃除が大変だった。茜には何度も、「部屋に勝手に入るな」と言っていた。
また茜が部屋に居座っている、そう思った。
「茜。また俺の部屋に勝手に入っているのか。散らかしていないだろうな」
声を掛けながら、松田はドアを開けた。
だが、部屋は薄暗く誰もいない。オーディオの電源も落ちていた。確かに聞こえた物音。何かが動いた形跡もない。
部屋の中に入ると、冷たい空気が松田の頬を撫でた。脳裏に浮かぶ白い服の老婆。まるで監視されているような、自分の部屋の映像。
松田は部屋の中を調べてみたが、特に異変もなく普段通りだったことに安堵した。
松田真一
翌日、松田が学校に着くと、廊下で集まっている男子生徒の口から、加地が自殺したという言葉が聞こえてきた。どうやら加地が死んだという情報は周知されているようだった。
二人の関係を知っていた生徒は、ユキの後追いだと言った。
他の生徒は、続く死を不審に思い「呪い」ではないかと恐れる者もいた。
誰かが「呪い」をかけている。そう解釈をして人間不信となる生徒もいた。
教室の加地とユキの机には、それぞれ二本の花を生けた花瓶が置かれ、朝礼にて黙祷が捧げられた。
加地と仲が良かった生徒はひどくショックを受けていた。松田もその一人だった。
だが、それ以上に“次は自分の番”かもしれないと、松田は言い知れぬ不安を感じていた。
休み時間、松田の教室に広瀬がやってきた。
何しに来たと言わんばかりに、クラスの生徒たちは広瀬を目で追った。そんな生徒たちに目もくれず、広瀬は松田の前で立ち止まった。そして、顔をぐっと松田に近づけ、
「放課後、図書室に来て」と言い、返事も待たずに教室を出て行った。教室内にいた生徒たちは告白かと勘ぐり、松田を茶化した。
松田がギロリと睨みつけると、茶化した生徒は押し黙った。
その日、同学年での死が続いたことで、職員室では問い合わせの電話が鳴り続いていた。教師たちはそれらの対応が忙しく、授業の一部が自習となった。
そして放課後、松田は広瀬に会うために図書室に向かった。すでに下校のチャイムが鳴り終わり、校内に残っている生徒も少なく静かだった。
松田が図書室に入ると、読書スペースで一人読書をしている広瀬の姿が見えた。他に生徒はいないようだった。
気配に気づいた広瀬が、すっと本から視線を松田に向けた。だが、その視線はすぐに本に戻ってしまった。松田は広瀬の正面の席に座った。
広瀬が読んでいるのは、厚いミステリー小説だった。テーブルの上にも、オカルト小説が一冊置かれていた。
「本、好きなんだな」
松田の声に広瀬の視線が一瞬止まるも、すぐにまた広瀬の視線は上から下に向かって流れた。
「こっちはもう読んだのか?」
松田は広瀬が読んでいる本のタイトルを覗き込んだ。だが、広瀬は何も話さない。
「亮介も好きだったな。こういうオカルトもの……」
松田は感慨深く、置かれたオカルト小説に触れた。
「この前、亮がここに来た」
広瀬は本に視線を向けたまま話し始めた。
「亮って呼んでいるのか」
「悪い?」
「いや別に」
「亮がここにきて、この映画を知らないかって尋ねてきたの。私はそんな映画、知らないって答えたわ。またバカみたいに、呪いだの霊障だのって面白半分で探しているんだろうなと思いながらね」
「それって、まさか山荘の惨劇?」
「へー、あなたもそういうの好きなんだ。意外」
「俺は別に」
「亮がね、呪いの映画だったって、そう言ったの。それを見たせいで、如月さんが亡くなったって。呪いを解かないと自分も親友も死ぬかもしれないって。そんなの知らないって私が言ったら、お前のせいでもあるんだからって。助けて欲しいって。身勝手すぎて、頭に来たから追い返したの」
「広瀬は呪いって信じるのか?」
「さあ。でも、嫌なことされた時に思うことってあるでしょ。死ねよ、ってさ。負の念が強いほど、ある日その相手が交通事故にあって生死を彷徨うとかって時々あるじゃん」
「そんなこと本当にあるのか?」
「たまたまとか思ってる? 私は、結構見てきたけどね。目の前で車に跳ね飛ばされた奴」
にやりと笑う広瀬に、苦笑いをする松田。
「それでここからが本題。亮に頼まれて、私もその映画のことを調べたの。暇じゃなかったけど」
広瀬は開いていた本を机に伏せ、鞄から小さな猫柄のメモを取出し机の上に置いた。メモには、羅列する英数字が長々と書かれていた。
「これは?」
「ある掲示板の古いログのアドレス。そこに、それらしき情報が載ってた」
「よく調べられたな」
「情報収集は得意なの。人間関係よりもね。参考になればいいけど」
「ありがとう。さっそく見てみてるよ」
松田は小さなメモをポケットに入れると、図書室から出て行った。
「これで許してくれるかな、亮」
松田の背中を見送りながら、広瀬はそう呟いた。
地元の駅に着いた松田は、いつものネットカフェに向かった。松田の脳裏に浮かぶ、不愛想な店員とイビキ男の顔。出来ればもっと静かな個室で、愛想のいい店員がいるネットカフェに行きたいと願う松田だった。
松田が入口のドアを開けると、来店を知らせるチャイムが鳴った。
「いらっしゃいませ」
という落ち着いた挨拶の声が聞こえて来た。
受付にはいつもと違う眼鏡をかけたやせ形の中年男性が立ち、来店してきた松田に笑みを浮かべながら立っていた。
松田は思いがけない愛想に戸惑いながらも受付の前に立つと、店員から利用料金や注意事項を丁寧に説明された。
松田からお金を受け取ると、店員は「ごゆっくりどうぞ」とにこやかに頭を下げた。終始笑顔だった店員が少し怖くなり、松田は個室の方へ足早に向かった。
振り返ると、店員がにこやかに見続けている。それを見て思わず、「あれはあれで怖いな」と呟いた。
フロアには他の客の姿はないが、個室は相変わらず埋まっているようだった。
そして空いていたのはやはり一番奥の薄暗い個室。ただ、隣の個室から聞こえていたイビキが、今日は聞こえず松田は安堵しながら個室に入った。
松田はパソコンの前に座ると、広瀬のメモに書かれたアドレスをパソコンに打ち込み、エンターキーを押した。すると、画面に表示されたのは不特定多数が利用する大型の掲示板だった。周囲には卑猥な広告バナーが表示され、目のやり場に困る松田だった。
そのサイトでは、怪奇現象が起こる映画をテーマにして、それぞれの噂で盛り上がっているようだった。
松田は上から順に書き込みを読み進めた。いくつかの映画で、映像に霊が映り込んだり、霊の声が入り込んだり、ポルターガイストが起こったりという報告が書かれていた。
そして、しばらく読み進めた時、山荘の惨劇らしき映画の噂を見つけた。
A:この前、自主製作のホラー映画を、見たんだけど、「さんそうのさん劇」って、いうやつ。見ると、やばいって、聞いたんだけど。知ってる人いない?
B:知らないな。
C:やばいってどんな風に?
A:呪われる、って。
B:ビビり乙―。
D:俺、知ってるかも、その映画。見てはいないから、呪われるかどうかは知らないけど。子供の頃にそんな名前の映画の噂を聞いたことがある。
C:どういうこと? 詳細よろしく。
D:俺の地元って山に囲まれた小さな村だったんだけど、近くの山は自然豊かで、鮎なんかが釣れる川もあれば、珍しい野鳥とか動物もいて、キャンプ場なんかもあった。だから、夏になるとキャンプに来る客が多かったらしい。十年ほど前か、自主製作映画を作るからって十五人ぐらいの若い男女が一週間ほど村に滞在したんだ。撮影は山の中でしていたみたいだけど、飯を食う時は俺の叔母がやってた食堂によく食べに来ていたんだ。ある時、叔母がどんな映画を作ってるのか、って監督らしき人に聞いたら、ある監禁事件を基にしたホラー映画だって。それを聞いた叔母は、「よしなさい、そんなこと。祟られるよ!」って怖い顔して言ったんだ。けど、まぁ、ただの食堂のおばちゃんに忠告されたぐらいじゃ撮影をやめるわけもない。結局、すべてのシーンを撮り終えたらしい。
B:長いなw
C:監禁事件ってどんなのよ。
D:当時を知る大人たちは、その事件のことを聞くと嫌がるんだ。あまり触れられたくないらしい。
A:どんな、事件だったんだろう……。
D:祭りがあった日に、酔っぱらって上機嫌だったじいちゃんに聞いたら、昔、山奥に建つH家の地下室で、一人の女性が監禁された挙句に亡くなったらしい。
B:誰も気づかなかったのかよ。
C:どのぐらい監禁されていたんだろう。
D:一年以上だって聞いた。犯人はH家の長男だった。じいちゃんの話では、勉強熱心で大人しい子だった。父親の仕事を継ぐために上京したらしいけど、父親が亡くなっても姿を見せなくて、まさか戻ってきていただなんて誰も気づかなかったらしい。
B:一年以上ってことは、飯は食べられていたんだな。
C:だろうね。
A:死因は……?
C:餓死らしい。
B:途中で女のことが飽きたか。
D:どうやら、先に犯人の方が死んだらしい。しかも地下室で。
C:まさに呪いだね。
B:こじつけだろ(笑) 監禁事件なんて、他にも探せばいくらでもあるだろうし。
D:その女性はさ、生きるために目の前の犯人の体を食べたそうだよ。でも、結局、誰にも気づいてもらえずに餓死をしてしまったんだよ。事件が発覚した後に、村長や駐在員が地下室に入ったら、その夜に亡くなったり、失踪したりで、あの家は呪われているって噂が広まったらしい。俺もばあちゃんから山奥の家には近づくなって言われてた。それで話は戻るけど、撮影を終えて翌日帰るという時になって、出演者の一人が行方不明なったんだ。村中大騒ぎで、総動員で探したんだけど見つからなかった。撮影隊の人達は捜索願を出して帰っていったんだけど、その帰りに事故を起こして、キャストとスタッフが多数亡くなったらしい。それを聞いた村の人たちは、祟られたって口を揃えて言ってたんだ。だから、その映画も呪われるだろうって噂になった。
B:どうせ作り話だろ。
カースド:その映画は見ない方がいい。関わらない方がいい。命の保障ができない。
B:なんだ? 中二病みたいな奴が来たな、笑
D:まぁ、信じるかどうかは勝手だけど。
A:レスが遅くなって申し訳ない。色々あって……。この映画、最初は俺が見たって言ったけど、本当は大学のダチが見たんだ。そのダチがさ、映画を見てから様子がおかしくなって……、誰かに監視されているって幻覚に悩んでた。で、昨日そいつが電車に轢かれて死んだみたいだ。一緒にいた友人が言うには、踏切の前で待っていたら、そいつが急に挙動不審になって、逃げるように踏切内に侵入したところに特急電車が来て轢かれたらしい。首が転がるのを見てしまったと震えながら言ってた。それが呪いかどうかはわからないけど、俺は見なくてよかったと思ってる。
B:面白いじゃん。俺も見てみたいわ、その映画。どこで見れるんだ?
A:ダチの家にあるかもしれないけど、やめておけよ。お前が死んだら、俺が悪いみたいになるだろ。
B:えー、いいじゃん。
A:ダチのお母さんに確認してもらったけど、そんなDVDはないってさ。もう返したのかも。
B:どこに行けば見れるんだよー。
A:知らないよ。この話はもうおしまい。
書き込みはそこで終わっていた。
やはり監禁事件は実際あり、そこで女性が亡くなった。あの白い服の老婆は、その女性の亡霊だろうと解釈した。だが、呪いの解き方はおろか、事件が起こった場所すらも分からずじまい。呪いを解かなければ、自分も白い服の老婆によって呪い殺される。
もっと情報が欲しい。けれど、最後に書かれたメッセージは、もう三年以上前のもの。もう誰も見ていないかもしれない。
それでも、松田は書かずにはいられなかった。
松田:この掲示板をまだ見ている人はいませんか。「山荘の惨劇」という映画の情報をもっと知りたいです。事件の詳細や事件が起こった場所について誰か教えてください。時間がありません。どうか助けてほしい。
投稿を押すと、松田のメッセージが掲示板の最後に載った。とにかく誰かの目に留まってくれればと願うのだった。
突然、画面全体が真っ白になった。松田はパソコンが壊れたと思い、焦りうろたえた。
すると真っ白だった画面が、今度は赤黒い斑模様の不気味な背景のページを映した。周りの文字もアドレスさえも文字化けをして、サイトのタイトルもメッセージも読めない。どんなにページを閉じようとしても、マウスは反応しない。
画面の中央に現れた静止画。それを見た、松田は驚き手を止めた。
家具の位置、カーテンの柄、飾ってあるサボテン、自慢のオーディオを見て自分の部屋だとすぐにわかる。そして、静止画が動き出すと、部屋の中に入ってくる自身の姿が映る。
それを見た松田は、とっさにDVDドライブのトレーを開けたが、もちろんそこにはディスクなどは入っていない。
動画の中では、自身がベッドに寄りかかりながらスマホを見ている。すると、次第に眠気からか首を上下に揺れ、床にスマホを落とす。それに気づいた自身は、スマホを机の上に置くと、ベッドに横になり部屋の明かりを消した。
映像はノイズでゆらゆらと波打つように乱れた後、画面全体が灰色に変わった。そして、部屋の壁にじわじわと黒いシミが広がっていくのが映る。すでに寝ている自分はそれに気づいていない。
その映像を見ている松田は驚愕し、不安で手が震える。
スピーカーから鎖の擦れる音がした。
その時、それを見ていた松田の背後ドアがノックされた。音に驚いた松田はびくりと肩を震わせた。
ドンドンドン!!
誰かが乱暴にドアを叩いている。松田は恐る恐るドアを開けた。すると、そこにはあの不愛想な店員が立っていた。
「時間過ぎてんだけど。延長すんの」
時計を見ると、すでに一時間を十分ほど超えていた。
「え、ほんとだ! すみません。すぐ出ます」
「ったく、わざとらしい。少しぐらいなら大目に見てくれるとでも思ったか」
ブツブツと文句を言いながら、不愛想な店員は受付に戻っていった。
「あの!」
松田はパソコンの不具合を伝えようと店員に声掛けたが、店員は無視して行ってしまった。戸惑いながらパソコンを見ると、松田の部屋を映していたページは、「ページが見つかりません」というエラーページに変わっていた。隣の個室からは、微かにイビキが聞こえていた。
店から出る際、松田は不愛想な店員に尋ねた。
「もう一人の店員さんは帰られたんですか?」
すると、不愛想な店員はさらに不機嫌な表情で言った。
「は? 店員は俺だけだけど」
「え、でも」
言い返そうとする松田だったが、不愛想な店員に怪訝な顔をされ、訳も分からず店を後にしたのだった。おかしなことばかり起こる。
松田は頭を抱えながら家路に着いた。
松田が家の玄関を開けると、音に気付いた母親がキッチンから顔を出した。
「ただいま」
松田は廊下に腰かけながら、疲れた様子で靴を脱ぐ。
「おかえり。最近、遅いわね。寄り道でもしているの?」
「調べ物があるんだ。大丈夫。父さんより後にはならないようにするから」
母親の後ろから様子を伺うように、茜が顔を出した。
「おかえり。お兄……」
「どうした?」
「いや、何でもないよ」
「今夜は、お兄ちゃんの好きなロールキャベツだから」
「うん、着替えてくる」
そう言うと、松田は階段を上っていった。
すでに日も暮れ、二階の廊下は薄暗い。階段付近にあるスイッチを押したが、何故か照明がつかなかった。
仕方なく、松田はそのまま自分の部屋に進んだ。窓の向こうは街灯が灯り始めている。
部屋に入ろうとドアノブに手を掛けた時、中から物音が聞こえた気がした。脳裏に白い服の老婆が浮かびあがり、松田はドアノブに手をかけたまま硬直していた。すると、一階から階段を上ってくる足音が聞こえ、松田は肩を震わせた。
あの白い服の老婆が階段を上ってくる。そんな想像をして、呼吸を荒げる松田だった。
だが、実際に階段を上がって来たのは茜だった。暗い廊下に驚いた茜は、廊下の照明スイッチを押した。
すると、廊下の照明が灯り明るくなる。茜は廊下に立っている松田の姿に驚き、松田は足音の正体が茜であると安堵した。
「どうしたの、お兄」
「お前こそ……。母さんの手伝いしていたんじゃないのか」
「私はちょっと頼まれごと。お兄も早く着替えて一階に下りてきなよ」
ドアノブを掴みながらも、部屋のドアを開けようとしない松田。
「部屋に入らないの?」
「入るよ」
茜に急かされ、松田は部屋のドアを開けた。
部屋の中は暗いが、誰かいる様子はなかった。
部屋に入っていく松田に茜が声をかける。
「お兄。友達が死んじゃって悲しいのはわかるけど、元気出してね」
「知ってたのか」
「うん。まさか、あの加地君が自殺するだなんてね。そんなことするタイプには見えなかったのに。人ってわからないね」
「あいつは自殺じゃない。殺されたんだよ」
「自殺って聞いたけど違うんだ。それなら早く犯人が見つかるといいね」
「犯人なんて捕まらないよ。あれは、呪いだから」
「は? お兄、大丈夫? ショックなのはわかるけど、呪いって……」
「だよな。俺もそう思うよ。呪いなんてあるわけないって。今のはなしだ。気にしないでくれ」
そう言い、松田は部屋に入った。
ドアの向こうで、茜の足音と隣の部屋のドアが開く音がした。
松田は暗く静かな部屋で、ネットカフェで見たあの映像を思い出していた。監視された自分の部屋。壁の黒いシミ。それは加地の部屋にもあった。
その時、ふと冷たい空気が自分の頬をかすめ、驚いた松田は部屋の明かりをつけた。そして、松田は恐る恐る壁に目を向けると、そこに黒いシミはなかった。松田はそのままベッドの上に立ち上がり、監視カメラがないかを探してみるが、それらしきものは仕掛けられていなかった。どうやって部屋を映しているのか。やはり呪いなのか。松田は戸惑うばかりだった。
就寝前、松田が書き込んだ掲示板にスマホからアクセスしてみたが、誰からの応答もなかった
その夜、松田は悪夢に魘された。
そこは天井が腐り、壁はタールがこびりつき、床は赤黒い肉塊で覆われている。そんな変わり果てた自分の部屋で、松田は一人立ち尽くしていた。
家具は赤黒い肉塊に飲み込まれている。だが、テレビだけは妙に綺麗で、画面には砂嵐が映っていた。窓ガラスは割れ、カーテンは破れている。外は白く、部屋の中に僅かな光が入ってくる。
砂嵐のテレビから、隙間風のような高音が聞こえると、画面は砂嵐からぼんやりと何かを浮かび上がらせた。そこに映ったのは、首を吊られている加地の姿。スピーカーから、助けてくれという弱々しい加地の声が聞こえる。
だが、松田にはどうすることもできない。
地面に加地の赤黒い血が滴っている。加地の前には、背を向けた白い服の老婆がクチャクチャと音を立てながら何かを貪っている。
ガクガクと体を震わせた後、手足がだらりと垂らしこと切れた。
加地の体がゆらゆらと揺れている。
背中を向けていた白い服の老婆が、ゆっくりと松田の方に顔を向ける。口元にはべっとりと加地の血液がついていた。
白い服の老婆と目が合った松田は、息を呑みたじろいだ。
画面の向こうで、白い服の老婆が手を伸ばしながら近づいてくる。
そして、テレビの向こうにあるはずのその手が、テレビの外に伸びてきた。
松田は恐れ、部屋から出ようとしたがドアが開かない。振り返ると、テレビから白い服の老婆が這い出して来ている。
松田は必死でドアを叩く。ドアの向こうで、家族の楽しげな声が聞こえてくる。
「助けてくれ!」
どんなに叫んでも、松田の声は届かない。
耳元で鎖の擦れる音と息遣いが聞こえた。
振り返ると、目の前に白い服の老婆が立っていた。
ー逃ガサナイ
松田は絶叫し、ベッドから飛び起きた。
全身びしょびしょに汗をかき、心臓は痛いほど強く脈打っていた。
そこはいつもの部屋。部屋の中は暗く、テレビは消えていて白い服の老婆の姿もない。
ホッと胸をなでおろし、松田は汗で湿った服を着替えようと立ち上がった。
その時、部屋にほんのわずかな違和感を覚え、松田はゆっくりと部屋を見回した。
すると、壁にぼんやりと黒いものが浮かび上がって見えた。電気をつけると、そこには薄っすらと黒いシミが出来ていた。
それから二日が過ぎた。
掲示板の進展は見られず、眠るたびに悪夢で起こされた。
寝不足で朦朧としながら、松田は横になりながら天井をただ眺めていた。
朝が訪れたことも気づかずに。
突然、部屋のドアが開いた。
「お兄、早く起きてよ! うるさい、その音!」
部屋に入って来たのは、パジャマ姿の茜だった。枕元では目覚まし時計のアラームがけたたましく音を立てていた。止まない目覚ましの音に、茜が先に目を覚ましたのだった。
「せっかく、いい夢見ていたのに!」
茜は文句を言っていたが、その声も松田には届いていないようだった。
「お兄、聞いてる?」
そう言いながら、茜は松田の枕元に近づいた。その影が松田の視界に入った時、それが白い服の老婆だと勘違いした松田はとっさにベッドから飛び起きた。
その反応に茜も驚いた。
「大丈夫? お兄……」
それが茜だと気づいた松田は、バツが悪そうに顔を伏せた。
「部屋に勝手に入って来るなって言ったろ」
「ご、ごめん」
いつもと違う松田の態度に戸惑い、普段は強気な茜も思わず謝った。
「あの……、お兄。目覚まし時計、鳴ってるよ」
ようやく目覚まし時計の音に気付いた松田は慌てて止めたのだった。
「お前も学校だろ。俺に気にせず、先に朝食食べてくれ」
「私は今日、学校が創立記念日で休みだったの!」
「休みか」
「そうよ! だからお昼まで寝てようと思ったのに。隣から大きな目覚まし音がずっと鳴ってるんだもん」
「それは悪かった」
ため息をつく茜。
「しょうがないから、私も朝ごはん食べようかな」
「俺は支度してから下りる」
「おっけー」
そう言うと、茜は松田の部屋を出て行こうとして立ち止まった。
「お兄。何か悩みがあったら言ってよね。家族なんだから」
「ああ、ありがとう」
茜は部屋を出て行き、階段を下りていった。
松田は着替えようと重い腰をあげた。頭が重く、体調は最悪。壁の黒いシミは消えておらず、ほんの少し大きくなった気さえした。
松田が着替えを済ませて一階のリビングに行くと、すでに父親は出社した後だった。テーブルの上には、こんがりと焼けたトーストと目玉焼き、そしてサラダに牛乳が並べられていた。茜はトーストを頬張りながらテレビを見て笑っている。
松田は母親に挨拶をすると、椅子に座ってトーストを一口食べた。
「真一、大丈夫? 顔色悪いけど。今日は学校休んだ方がいいんじゃない?」
心配そうに声を掛ける母親。テレビを見ていた茜までも、視線を松田に向けた。
「大丈夫だよ。心配しないでくれ」
松田は平静を保ちながらそう答えた。
学校についた松田は、何となく加地の教室を覗いた。賑やかな教室内で、ひっそりと佇む加地の机。そこに置かれた花瓶の花はすでに枯れていた。
校内ではユキや加地の話題も聞かなくなり、噂好きの女子グループですら別の噂で盛り上がっていた。
楽しげに会話をしているクラスメイトを見ながら、死んだ者が忘れ去られていく現実を思い知らされたような気がした。
掲示板にアクセスしても、最後の書き込みは変わっていない。時間だけが過ぎていく。加地と同じ運命を辿るかもしれない。と不安に思う松田だった。
昼休み、松田が廊下を歩いていると、前方で分厚い本を抱えた広瀬が歩いているのに気づいた。
松田は広瀬に駆け寄って声を掛けた。
「あのさ」
松田に気づいた広瀬が、手の平を松田の方に突き出した。そして、キョロキョロと辺りを見回し、誰もいないことがわかるとホッと肩を撫で下ろした。
「廊下で声を掛けないで。変な噂が立ったら困る。用があるなら、放課後の図書室に来て」
そう言うと、広瀬は足早に行ってしまった。そんな広瀬の姿を、ただただ唖然と見送る松田だった。
その日の放課後。松田は広瀬に言われた通りに図書室に向かった。誰もいない静かな廊下を渡り図書室のドアを開けると、奥の机で本を読んでいる広瀬の姿があった。
松田が声を掛けると、広瀬は睨むように松田を見上げた。
「廊下や教室では話しかけないで」
「どうして」
「勘違いされたくないの」
「勘違い。何を?」
「……もういい。例の掲示板に書いたあなたのコメント見たわよ。案の定反応ないわね。古すぎて誰も見ていないでしょうね」
その掲示板のページが賑わっていたのは、もう三年以上も前のこと。日々変わっていく好奇心。更新される話題。過去の産物はそれらに埋もれ、誰も見なくなる。
「これからどうしたらいいんだ……」
松田がボソリと呟く。
そこで広瀬が提案を口にした。同じオカルト掲示板の中で、新しいテーマとして書き込むこと。やり方がわからないという松田に、広瀬が代わりに立ててくれると言った。
「その映画のことを詳しく教えて」
広瀬は鞄の中からペンとメモ帳を取り出し、松田は「山荘の惨劇」のあらすじと、その後に起こる不可思議な映像のことを伝えた。
まるで監視されているかのように、映像に自分の部屋が映し出されること。本編に出ていた白い服の女が老婆となって現れること。
その白い服の老婆によって、殺されるところが映ったこと。ユキも加地も、その映画を見て死んだこと。松田もそれを見たこと。
広瀬は松田の言葉を一つ一つメモに書いた。
「とにかく事件の詳細が知りたい」
「わかった」
広瀬がそう返事をすると、松田は自身のメールアドレスと携帯番号を連絡用にと広瀬に教えた。
「あなたも見たって言ったよね。もしも本当に呪いがあるとするなら、あとどれぐらいの猶予があるの?」
「数日はあると思う。具体的に何日かっていうのはわからない」
「私も見ようかな。そうしたら、もっと何かわかるかもしれない」
「やめておけ。呪いを解く方法がなかったら困るだろ。見ないことが、触れないことが最善だってこともある」
「なんかそれ、諦めているような言い方」
「そうじゃないよ……。広瀬のコメントに、あの人が気づいてくれれば望みはある」
「あの人?」
「映画の基になってる監禁事件のことを知っていそうな人物を二人見つけたんだ。一人は掲示板に書き込んだ人物。もう一人はカースドという人物だ。どちらかと接触できれば、ヒントが手に入るかもしれない」
「間に合わなかったら?」
「それで死んでも、広瀬を呪ったりしないから安心しろよ。むしろ感謝してる」
松田はそう言って微笑んだ。
広瀬は顔を赤らめながら、メモ帳と持っていた本を鞄に詰め込んだ。
「ちゃんと書いておくから」
そう言うと、広瀬は足早に図書室を出て行った。
一人残された松田。窓の外を見ると、校庭ではサッカー部員が部活動をしている。それを応援している女子生徒たち。数人の男子生徒が、女子生徒に声をかけてあしらわれている。だが、その男子生徒は懲りずにちょっかいを出しながら笑っている。それに嫌気がさしたのか、女子生徒たちは不満げに帰っていった。それでも笑っている男子生徒。その姿を加地と重ねる松田だった。
帰り道、松田はおばけ横丁のレンタルビデオ屋に寄ってみたが、相変わらず店はシャッターが閉まったまま。臨時休業の張り紙もそのままだった。仕方なく、松田は引き返した。
松田が商店街のメイン通りを歩いていると、呉服屋と和菓子屋の間に細い砂利道があり、その先に小さな鳥居があるのを見つけた。松田がその砂利道を歩き小さな鳥居を潜ろうとした時、背後から声を掛けられた。
「待て、小僧」
振り返ると、杖をついた背の低い老人が松田を睨むように見上げて立っていた。
「何ですか……?」
「穢れ者が神聖な場所に近づくんじゃない。今すぐ立ち去れ」
杖の先端を松田に向けながら怒っている。
商店街にいた通行人らも、何事かと目を向け集まってきた。
「すみません」
松田は頭を下げ、その場から立ち去った。
老人は松田が商店街を出て行くまで、ずっと目で追っていた。
結局、松田は神様にすら助けを求めることが出来なかった。
松田が家に帰ってきた時には、すでに夕暮れ時になっていた。玄関のドアを開けると、一階の奥で母親が夕食の支度をしている音が聞こえた。
「ただいま」
松田が靴を脱ぎながらそう言った。
だが、おかえりの声がない。いつもなら、どんなに忙しくても、玄関のドアが開けば「おかえり」と母親の声が聞こえるというのに。
少し違和感を覚えながらも、松田は二階に向かった。
松田が部屋に戻ると、タイミングよくスマホの着信音が鳴った。広瀬からのメールだった。
『新しく作ったから見て』
文章の下にはアドレスが書かれていた。
それをタップすると、掲示板サイトの別のページに飛ばされた。
一番上には、
『「山荘の惨劇」という映画について知っている人はいませんか?』
と広瀬が書いたとみられる見出しが載っていた。すでにその下には、いくつかのコメントが載っていたが、どれも「知らない」「聞いたこともない」という否定的なものだった。
だが、反応があるということは、他に映画の事を知っている人物やあのカースドという人物に会える可能性が高まったということ。
松田は広瀬に感謝のメールを送った。
その時、前方から電源が入る音がした。顔を上げると、消えていたテレビが勝手につき砂嵐を映していた。動揺しながら、松田はテーブルの上のリモコンに手を伸ばした。
すると、砂嵐は松田の部屋が映し出した。
薄暗い部屋の中、松田がベッドで横になっている。魘され、何度も体を左右に揺らしている姿が映っている。ノイズが混じり映像が乱れると、壁に黒い霧が広がっていくのが見え、慌ててテレビを消した。
胸騒ぎがした松田は、テーブルの上のレンタルビデオ屋の袋に手を伸ばし、ケースの中身を確認した。すると、何故か山荘の惨劇のディスクがなく、半信半疑でプレーヤーのトレーを開けると、そこには入れた覚えのない傷ついた山荘の惨劇のディスクが入っていた。
それを見た松田は、慌ててトレーから取り出した。
戸惑う松田に追い打ちをかける。
壁のシミは明らかに広がり濃くなっている。床には微かに足のような形をした黒いシミが出来ていた。松田は床の黒いシミを指でなぞった。すると、指先に砂のようなものが付着した。タオルで擦ると、床の黒いシミは取ること出来た。だが、壁の黒いシミはどんなに擦っても消えることはなかった。少しずつ、呪いが近づいてくるのを感じた。
眠るたびに見る悪夢。
松田は一人、気づくと薄暗い場所に佇んでいた。足元には、泥やカビに塗れたコンクリートの床。どこからか水滴が滴る音が聞こえる。奥はより暗く、闇が広がっている。
歩いても、歩いても、出口が見えてこない。
そのうち、暗闇の中から息遣いと鎖が擦れるような音が聞こえてきた。
松田は走って逃げたが、どんなに逃げても音は遠ざかるどころか近づいてくる。
恐怖と疲労で過呼吸になり、松田は膝から崩れ落ちた。朦朧とする意識の中で見えたのは、鎖に繋がれた足と嫌悪に満ちた目だった。
松田はハッと目を覚ます。そこは自分の部屋。
薄暗い部屋の中で、耳に残るのは鎖の音。時計の針の音ですら敏感になり、眠ることが出来なくなった。
学校でも同じ。授業中、睡魔に襲われても、黒板に文字を書く音、教師の足音で目が覚める。周りの楽しげな笑い声さえも不快に感じるようになり、少しずつ精神が削られていった。
放課後、松田は図書室に向かった。
図書室のドアを開けると、数人の見知らぬ女子生徒が本棚で探し物をしていた。その向こうでは、机に向かって読書している広瀬がいた。
変わらないその光景に、松田は安堵した。
そして、広瀬の正面の椅子に松田は座った。
松田の存在に気づいた広瀬が松田の方に一瞬目を向けたが、すぐに視線を本に戻した。お互いに何も話さず、聞こえてくるのは本を探し歩いている女子生徒の足音だけだった。
少しして図書室のドアが開き、その女子生徒らも帰っていった。
すると、広瀬は視線を本に向けたまま松田に声をかけた。
「顔色悪いよ」
「それ言われるの、今日で何度目かな」
「あなたの探し人、まだ現れないね。もう死んでるかも」
「不謹慎なことをさらっと言うなお前」
松田は広瀬を見ながらふっと笑った。
「ここっていいな。静かだし、明るいし」
松田は机に突っ伏して、目を閉じた。
「うるさい男子もいないからね」
「亮介がいたら追い出されそうだ」
そう言いながら、松田は眠りに落ちた。
寝息を立てる松田を、広瀬は本を閉じて見つめていた。穏やかな時間が過ぎていく。
しばらくして、広瀬に肩を叩かれた松田が目を覚ました。広瀬はすでに鞄を肩にかけ帰る準備を済ませていた。
「日が暮れるわよ」
「久しぶりに、少し寝られた気がする」
「よかったね。じゃあね」
そう言うと、広瀬はひとり図書室から出て行った。広瀬を見送った後、松田もまた図書室を後にした。
夕暮れの駅。駅に向かう人の流れ。改札からはひっきりなしに学生や会社員が出入りしている。不揃いな機械音と足音。その流れに乗る松田。
急いでいるのか、前方から走ってきたサラリーマンに気づいた松田は避けようとして、横を追い抜こうとした若い男とぶつかった。
「すみません」と謝る松田に、舌打ちをして睨みつけながら追い抜いて行く若い男。
走ってきたサラリーマンの姿はもうない。
ホームに下りると、ちょうど車掌のアナウンスと共に電車がやって来た。
電車の中は他の乗客で混みあっていた。流れに身を委ねながら前に進みと、ちょうど空いていたつり革を見つけて握りしめた。毎日乗っている電車だが、夕方の混雑を忘れていた。
揺れる電車の中で、松田は窓の外を眺めていた。街は夕焼けに染まっている。前の座席に座っている乗客は、寝ているのか頭を垂らしながら体を揺らしている。周囲の大人たちも疲れた様子で俯いていた。
いつもよりレールを走る音が長く感じた。
窓の外を流れる景色も、まるでループしているかのように同じものだった。
耳の奥で、テレビの砂嵐のような音が聞こえてくる。だんだんと大きくなる音に、血の気が引いてくるのを感じた。
ようやく電車が駅に着くと、車内にいた乗客が一斉に降りていった。
気分が悪い。
松田は空いた席に座ると、そのまま目を閉じた。電車の揺れが体に伝わってくる。暗闇の中でレールの音が聞こえる。音の間隔はずっと変わらない。ずっと、ずっと……。
やけに長い。違和感を覚え、松田が目を開けると窓の外は真っ暗だった。スマホで時間を確認する松田。時間はそれほど経ってはいない。窓の外は、建物も見えないほど暗い。まるでトンネルの中のようだが、その区間にトンネルは存在しなかった。
「(乗り過ごしたか?)」
そう思いながら周囲を見回すと、車内に乗客が一人もいない。それどころか隣の車両にも乗客がおらず、照明が点滅を繰り返し、二つ後ろの車両は真っ暗だった。
目を凝らすと、点滅する照明の下に白い服を着た女が立っているのが見えた。嫌な予感がした松田は、そっと前の車両に移動した。
すると、点滅していた照明が完全に消えた。
恐怖を感じた松田は、車内に設置された非常通報ボタンを押した。
車内にブザーが鳴り響いた。だが電車が止まる気配はない。まるで闇が近づいてくるように、後ろの車両の照明が点滅し始めた。同時に、白い服の女がだんだんと近づいてくる。
車内に鳴り響いたブザーの音が歪む。
松田は前の車両に逃げていく。
どの車両にも、松田以外の乗客がいない。
次の車両に移ろうとした時、連結ドアは固く閉ざされ開かなかった。ドアの向こうに、乗客の姿が見えた。松田はドアを叩き、開けてくれと叫んだが、誰ひとり松田の方を向く人はいない。
そして、松田がいる車両も照明が点滅しはじめた。後方の連結ドアの前に白い服を着た女が立っている。
「こっちに来ないでくれ」
松田は連結ドアにもたれながら呟く。必死でドアを開けようとするも、ドアは少しも開かない。心臓の鼓動が今にも張り裂けそうだった。
ゆっくりと床を滑るように近づいてくる白い服の女。明と暗が交互に訪れる車両の中。
恐怖の限界が近づく。
「……逃ガサナイ……早ク返シテ……」
目の前にやってきた白い服の女の顔は皮膚が溶けて骨が見えた。
絶叫し目を見開く松田。
並びに座っていた乗客たちが、松田の叫び声に驚き一斉に顔を向けた。
また悪夢を見ていた。
窓の向こうはオレンジ色のまま。辺りを見回すと、乗客たちが怪訝な顔で松田を見つめていた。
車内に駅への到着を知らせるアナウンスが流れ、松田は乗客の視線に耐え切れずに電車を降りた。
ようやく家に着いた松田。玄関を開けると、一階の奥から楽しげな母親と茜の声が聞こえ、「おかえり」の声がした。ひどく疲れた松田は、そのまま自分の部屋に向かった。
部屋のドアを開けると、暗い部屋の中でテレビの明かりがついていた。そこには自分の部屋と、ベッドで寝ている自分が映っていた。
壁の黒いシミが動き出し、人の姿になっていった。そして、黒い影は寝ている松田の方へゆっくりと近づいていく。
スピーカーから、鎖の擦れる音がした。
松田はリモコンを手に取り、何度も電源ボタンを押したがテレビは消えず、業を煮やした松田はテレビのコンセントを引っこ抜いた。
すると、部屋の映像が消えて真っ暗になり、松田は安堵のため息をついた。
しかし次の瞬間、通電のないテレビの画面に砂嵐が映り、大音量のホワイトノイズが響いた。砂嵐はやがて、ノイズのひどい自分の部屋をまた映し出そうとしている。
「いい加減にしろ!」
松田はテレビを持ち上げると、そのまま床に叩きつけた。映像は消えたが、テレビはショートして液晶は割れた。無残に横たわるテレビを見ながら息を荒げる松田。
一階から慌ただしい足音が聞こえてくる。
ドアが勢いよく開くと、部屋の電気が灯った。
「何してるの、お兄!!」
部屋が明るくなったことと、茜の声で松田は我に返る。振り向くと、茜と母親が戸惑った様子で見つめていた。
「テレビが消えなくて」
床にはテレビの破片や部品が散らばっている。
「お兄ちゃん……。明日、お母さんと病院に行こうか」
突然暴れ出した松田に戸惑いながら、母がそう言った。
だが、松田は「病院には行かない。大丈夫だから。ごめん」と謝ると、床に落ちた欠片を拾いながら、母親と茜に部屋を出るように言った。
「もうすぐご飯だからね」
母親が心配そうにそう言った。
「悪いけどいらない。早く出て行ってくれ」
母親と茜は部屋を出て行った。
部屋に一人になった松田は、床と壁の黒いシミを見ながら頭を抱えた。
松田はベッドの上に椅子を置き、その上に乗りながらカメラを探した。加地と同じように。だが天井には穴もなく、やはりカメラがつけられている様子もなかった。
その時、スマホの着信音が鳴り響き、驚いた松田はバランスを崩しベッドに倒れた。
届いたのは一通のメール。送信者のアドレスに見覚えはない。
いつもなら即ゴミ箱に捨てるメールを、松田は何となく開いてみた。
『山荘の惨劇という忌まわしい映画のことを調べているそうだが、一体何が知りたい。あの映画は、興味本位で見てはいけないものだ。どこで手に入れたのか気になるところだが、とにかく持っているなら、早く廃棄しなさい。カースド』
本文の最後に書かれたカースドという名前を見て、松田はハッとした。
「山荘の惨劇」のレビュー欄に、唯一書き込みをしていた人物。松田が知りたい情報を持っている可能性が一番高く、呪いを解く手掛かりが見つかるかもしれない。
ただ、カースドがなぜ自分のメールアドレスを知っているのか。疑問に思いながらもカースドに返信をした。
【松田】はじめまして。俺の名前は松田真一と申します。訳あって、「山荘の惨劇」という映画を調べています。あなたは、あの映画の関係者ですか?
震える手で、松田はメールを送信した。
少しして、メールが返ってくる。
【カースド】さぁ、それはどうだろうね。
【松田】あの映画は呪われていますか?
【カースド】首を突っ込むべき案件ではないのは確かだ。
【松田】すでに見てしまったとしたら。
【カースド】ならば、呪いの有無は自分がよくわかっているのでは。
【松田】映画を見たのは俺だけではないのです。先に見ていた友人二人が、不可解な死で亡くなりました。
【カースド】また犠牲者を増やしたのか。あのDVDは処分したはずなのに。君は一体、あの映画をどの程度知っているのかな。
【松田】監督やキャスト名と、あの掲示板に載っていた情報のみです。調べても、情報は得られませんでした。
【カースド】事故事態がもうずいぶんと昔のことだ。そして、あの家の事件はそれよりもっと昔。一体、それを調べてどうするというのだね?
【松田】俺は呪いを解きたい。だから、その方法を知りたい。
【カースド】そんなものはない。あったとしても、私は知らない。あのDVDを処分する前に映画を見た何人かを知っているが、みんな一週間ほど死んだよ。君に残されている時間も少ないのでは?
【松田】はい。少しずつ、説明できない何かが近づいてきているのを感じます。それが呪いなら、俺は解く方法を見つけたい。方法がなかったとしても諦めたくない。この事件のことを、もっと知りたいんです。
【カースド】私が映画関係者かどうか。答えはイエスだ。当時、私は撮影班の運転手兼編集担当だった。現場には行ったが、撮影には直接関わってはいない。
【松田】帰りの自動車事故で生き残った人は、その後どうなったのでしょうか。
【カースド】監督は一命を取り留めたが、両足切断の脊髄損傷で一生寝たきりとなった。生き残ったキャストやスタッフも不可解な死を遂げている。あの映画に関わった人間はみんな不幸になった。
【松田】あなたは呪いを受けなかった?
【カースド】呪いなら受けたさ。
【松田】でも、まだ生きているってことは、呪いは解けたんですよね?
【カースド】呪いの解き方は知らない。神も仏も私には役に立たなかった。
【松田】でも、映画を見たのに生きているじゃないですか。教えてください。俺には時間がないんです。あの映画のように、部屋にはカメラなんてないのに監視されているんです。きっと、あの女が俺を殺しにくる。俺はまだ死にたくないんですよ。
【カースド】世の中には、触れてはいけないものがあるんだよ。それに触れたらもう、運命を受け入れるしかない。
【松田】だけど、このまま死を待つだけなんて嫌です。あの場所に行ったら、きっと何か手掛かりがあると思うんです。教えてください。監禁事件が起こった家の場所を。
【カースド】なら、私に会いにおいで。そこでもっと詳しい話をしようじゃないか。
カースドから返ってきたメールには、とある住所が書かれていた。
【松田】明日、会いに行ってもいいですか。
【カースド】待ってるよ。
微かな光明を得た松田は、広瀬にメールでそのことを伝えた。
すると、すぐに広瀬から返信が届いた。
【広瀬】よかったね。
「(それだけかよ)」
広瀬らしい返事に松田はふっと笑った。
一階では父親が帰って来たようで、「真一は体調が悪い」という母親の声が聞こえて申し訳なさを感じる松田だった。
しばらくして、部屋のドアをノックする音と茜の声が聞こえた。
「お兄、入るよ」
ドアが開き、夕食をお盆に乗せた茜が入って来た。
「お母さんが持っていけって」
「……ありがとう」
「お兄、何を隠しているの?」
「何も隠してないよ」
「嘘。加地君が死んでから、帰って来る時間が遅くなったし。何を調べてるの?」
「お前には関係ないよ」
茜が部屋に入ってくると、床に散らかったテレビの破片を見て思い出し、悲しそうな顔をした。
「あんなお兄、初めて見た」
「すまん。飯を食べたら綺麗にする」
茜が夕食のお盆をテーブルの上に置いた。
ふと部屋を見回した時、壁と床の黒いシミに気づいた。
「どうしたの、このシミ」
茜は黒いシミを指で触れようとした。
「やめろ! 触るな!!」
大きな声に驚く茜。
松田の顔は怯えているようだった。
「カビかもしれないから触れるんじゃない。病気になるぞ」
「でも……、このままにしておけないよね」
「明日にでも薬買ってくるから、お前は早く自分の部屋に帰れ」
茜はムスッとしながら、部屋を出て行こうとして立ち止まった。
「あのさ、加地君が亡くなった次の日、駅のホームでお兄の学校の制服を着た女の子を見かけてね、その子たちの会話を聞いちゃったんだけど……。加地君とその彼女が呪われて死んだんじゃないかって」
茜は松田の異常な行動をみて、それに関わっているのではと危惧した。
「もしも困っていることがあるなら、私にも協力させてほしい」
「呪いなんてあるわけないだろ。そんなもの信じているのか?」
フッと松田は笑った。
「笑わないでよ! 真面目に心配してるんだから」
「ごめん。けど大丈夫。心配いらない。それより、早く食べて片付けないと。だから、お前も自分の部屋に戻れ」
茜はムスッとむくれながら、部屋を出て行った。
「ありがとう。けど、兄として妹を巻き込むわけにはいかないんだよ」
松田は小さな声でそう呟いた。
一人になった松田は、母親が作ったハンバーグとサラダとみそ汁を食べた。
「冷めてるけど、やっぱ美味いな」
松田は家族の愛情を感じていた。
その夜も、松田は悪夢にうなされた。
松田は目を開けると、そこは真っ暗な場所に立っていた。周りは何も見えず、何も聞こえない。
近くで低い機械音がして、突然暗闇から眩しい光が広がった。
思わず、松田は目を細めた。
その光は電源のついたテレビだった。画面には砂嵐が映っている。耳障りなホワイトノイズが聞こえる。
また小さな機械音がした。目の前のテレビの横に少し小さなテレビがもう一台現れ、それもまた砂嵐を映している。
続けて同時に二つの機械音が聞こえ、小さなテレビが宙に浮くように左右に現れた。それもまた砂嵐を映し、ホワイトノイズを流している。
砂嵐の画面は、まるで古いビデオテープのように乱れながら、どこかの家を映し出した。
そして、それぞれのテレビでいくつかの静止画が切り替わっていく。
四つのテレビはそれぞれランダムに映しているが、同じ静止画を繰り返しているようだった。どれも山荘の惨劇の中で見たものによく似ていた。
森・森の中の家・地下室・三人の影・苦しむ人・首を吊る人影・血と肉、煙を吐きながらひどく潰れた車・車内で死んでいる数人の姿・森で彷徨い歩く白い服の女・薄暗い部屋の中で、天井から吊るされている複数の人影。暗闇の中で何かを貪る人の影と、赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。
赤ん坊の泣き声が耳を塞ぐほど大きくなり、次の瞬間テレビ画面とホワイトノイズが一斉に消えて真っ暗になった。
戸惑う松田の背後から光が差し、振り返るとそこには光る大きな鏡が現れた。鏡の向こうに、自分の部屋と自分自身が映っている。
自分が近づけば、相手も近づいてくる。
光る鏡に手を伸ばそうとした時、耳元で鎖の擦れる音が聞こえた。同時に、鏡の向こう側に立つ松田の背後に、両手足に枷と鎖を垂らした白い服を着た老婆が現れた。白い服の老婆が、ゆっくりと松田に近づいてくるのが見える。
それを見ている松田は息を呑んだ。
耳元で鎖の擦れる音がする。意を決して振り返るが、そこには誰もいない。
だが、耳元で「返セ」という声が聞こえた後、自分の首に鎖が巻き付いていることに気づく。
「返セ……返セ……返セ……」
声がするたび、首に巻かれた鎖が締まっていく。逃げようにも足が動かず、苦しみもがきながら松田は気を失った。
ハッと目を覚ました松田は、部屋のベッドの上にいた。全身にびっしょりと汗をかき、息苦しさと喉の渇きを感じた。
松田は部屋を出て、一階の洗面台に向かった。そして、洗面台の鏡を見た時、首周りに薄っすらと蚯蚓腫れが出来ていることに気づいた。松田はそれを見て、恐ろしくなった。
朝になり、カースドに会いに行くために松田は制服に着替えた。家族にばれないようにするためだ。鞄には教科書ではなく私服を詰め込み、松田は大きく息を吐いて一階へ下りた。
リビングでは弁当と朝食を作っている母親と、スーツ姿で新聞を読んでいる父親がいた。
「おはよう」
松田がそう挨拶をすると、父親は新聞に目を向けたまま挨拶をし、母親は心配そうな顔をしながら、「おはよう」と言った。茜はまだ寝ているようで姿がなかった。
松田は両親に頭を下げながら、昨夜のことを謝罪した。
「もういいから。早く朝ごはんお食べ」
テーブルに松田の分の朝食を並べられ、松田は席について朝食を食べ始めた。
父親はすでに朝食を食べ終え、時計を見た後で新聞を閉じて立ち上がった。
「行ってくる」
父親は母親から弁当を受け取り、リビングから出ようとした。
その姿を、松田は横目で見ていた。
すると、父親は立ち止まり、
「真一、気を付けて行けよ」
そう言って、振り返りもせず出て行った。
普段はそんなことを言わない父親なだけに、松田は驚いていた。
「お父さんだって、心配しているのよ」
母親はそう言いながら微笑んだ。
そして、茜がなかなか起きて来ないと嘆きながら、母親は茜を起こしに行った。
いつもと変わらない朝。
美味い飯と、居心地のいい家。愛する家族。
生きたいという思いが強くなる。
母親と茜の騒がしい声が聞こえてくる。
リビングにやって来た茜は、松田の顔を見て口を紡いだ。
「おはよう。昨日はすまなかった」
松田がそう言うと、茜の表情は一気に明るくなった。
「おはよう、お兄!」
茜が朝食を食べ終える前に、松田が席を立った。駅まで一緒に行こうという茜の誘いを断り、松田は母親から弁当を受け取った。
不貞腐れる茜をなだめ、私服が入ったリュックを背負って家を出た。
駅に着いた松田は公衆トイレで私服に着替えると、メールに書かれていた場所に向かった。
カースドに会うために。
カースド
そこは電車で一時間ほどかかる、とある大きな大学病院だった。朝の電車はどの線も混雑していて、周りはスーツ姿のサラリーマンと学生ばかりだった。
電車が駅に到着するたびに濁流のように乗客が押し出され、そしてまた一気に入って来る。
不慣れな乗り換えの駅では彷徨い歩き、ようやく辿り着いたホームも驚くほど混雑していた。
押し潰されそうな車内で耐えること数十分。大きな駅で一気に乗客が下りた後は、嘘のように乗客の数も減って車内はガラガラとなった。
そして、ようやく松田が降りる駅に着いた。
改札を出ると、周囲には都心とは違い高い建物もなく空が広く見えた。駅前には綺麗な花壇があり、広い道路の脇には青々とした街路樹がずっと続いていて、遠くには山も見えた。
駅前にあるバス停。そこには病院直通のバスがすでに停車していた。出発のアナウンスが聞こえ、松田は急いで飛び乗った。
車内はお年寄りが数人、座席に座っていた。松田の顔を見て、微笑みながら会釈をした。松田も会釈をしながら空いている座席に座ると、バスは出発した。
バスに揺られること十分。前方に大きな白い建物が見えてきた。
××病院前。
車内に到着を知らせるアナウンスが流れる。
「(ここにカースドという人物がいる)」
松田の胸は高鳴っていた。
バスが停車すると、乗っていた乗客が次々と降りていった。
バス停の前には大きな門があり、奥に大きな白い建物が見えた。門の先には広い芝生の庭と桜の木が並んでいた。その庭では、多くの人で賑わっていた。
ベンチでは見舞客と患者が談笑している。芝生の上では子供たちが走り回り、車いすのおばあさんと両親らしき男女が見守っていた。
遊歩道では散歩している車いすの患者と、付き添いの看護婦とすれ違った。
入口の大きな自動ドアを抜けると、広くて清潔感のあるエントランスがあり、天井は高くてとても明るい。入口のそばにはエスカレーターもあり、おしゃれなカフェまである。まるでショッピングモールのような病院だった。
受付には多くの外来患者が順番を待ち、フロアには見舞客や看護婦が行き来していた。
松田は病院に到着したことをカースドにメールで連絡を入れた。
返事はすぐに来た。
【カースド】八階の八〇五号室に来て欲しい。
松田はエレベーターを探し、他の患者や見舞客とともに乗り込んだ。肩が触れるほど乗っていた人たちは、階を上がるごとに降りていき、八階に着く頃には松田だけとなった。
エレベーターの扉が開くと、松田は八階のフロアに降りた。すぐ横にはナースステーションがあるが、今は誰もいないようだった。病室のドアが奥に向かって並んでいた。だが廊下にも誰もおらず、気味が悪いほど静かだった。
松田は廊下に書かれた病室番号と名前を見ながら八〇五号室を探した。
八階はすべて個室のようだが空き部屋が目立っていた。
そんな中、松田は八〇五号室の前にやってきた。だが、表札には何も書かれていない。
「(本当にここがカースドの病室なのか? そもそも名前も書かれていないし、空き部屋じゃないのか? もしかして騙されたのか?)」
松田は不安に思い、ドアを開けることを躊躇っていた。
その時、病室の中から声がした。
「入っておいで。松田君だろ」
松田は恐る恐る、病室のドアを開けた。
広い病室の中で、窓辺では白いカーテンが風に揺れていた。隅には取り残されたような小さなチェストがあり、そして、ベッドを隠すように大きな白い衝立が置かれていた。
「失礼します」
松田が声をかけると、白い衝立の向こうからスッと看護婦が現れた。
緊張していた松田は、突然現れた看護婦の白衣が白い服の老婆と重なり、驚いて声をあげた。
それに引き換え看護婦は何の反応もなく無表情のまま。「こちらへどうぞ」とベッドの方へ促した。その看護婦は、一階で見かけたどの看護婦よりもやつれて顔色が悪かった。
松田が白い衝立から覗くと、ベッドに横たわる患者と目が合った。
そしてその姿を見て、松田は息を呑んだ。
何故なら、見た目では性別や年齢の判別がつかないほど、まるでミイラのように全身に包帯が巻かれていたから。顔すらも包帯で覆われ、体からはいくつも管が出ていて、ベッドの横にある点滴や機械に繋がられていた。薬品と喉に纏わりつくような異様なニオイが漂っていた。
「あの……」
松田はその様子に戸惑った。
「遠いところすまないね、私がカースドだ。こんな状態だから、君に会いに行くことが出来なかった。私の姿に驚いただろう」
「いえ……、そんな……」
「いいんだよ。誰でもそうさ。私だって、鏡を見るたび自分の姿に驚くのだから。まぁ、とにかくそこに座りなよ」
カースドはそう言って、ベッドの横にある椅子に顔を向けた。
「すまない。少しのあいだ、二人きりにしてほしい」
カースドが看護婦にそう言うと、不愛想な看護婦は淡々と使い終えた注射器と空の薬瓶を乗せたトレーを持って病室を出ていった。
カースドの体に巻かれた包帯はよく見ると血が滲み出ていて、そこから腐敗臭のようなニオイがした。
松田はどんな風に話を切り出そうかと迷っていた。
周囲を見回すと、ベッドの横には年季の入ったクローゼットと床頭台があり、そこには数名の男女が並んで写る写真盾が置かれていた。だがその写真は、半分ほど焼けてしまっていた。そして、枕元には液晶テレビとノートパソコンが置かれていた。
ふと、松田が足元に目をやると、使用済みの血と膿に染まった赤黒い包帯が山のように捨ててあるゴミ箱があり、それを見た松田は動揺した。
カースドはそれに気づき、静かに口を開いた。
「君は、私が映画を見たのにまだ生きてる。だから、呪いは解けたのだと言ったね。これを見て、君はどう思う」
「本当に、あの映画の呪いなのでしょうか」
「確かに呪いを証明することは難しいな。けれど、あの映画に関わった人間はみんな死んだ。呪いだと思わざるを得ない」
そう言うと、カースドはこれまでに起こった自身の体の異変を話し始めた。始まりは首元に出来た、ほんの小さな日焼けのような薄紅の斑点だった。
あの日撮影隊の自動車事故で多くの人間が即死する中、運よく軽傷だったカースド。病院から退院した後に、映画のプロデューサーから編集作業を任された。
その時は呪いなんて考えていなかったが、死亡事故が起こり曰く付きとなった映画の編集作業などやりたくなかった。だが、監督はまだ入院中。新たなスタッフが雇われることはなく、カースドは生活のためにしかたなくやることにした。斑点はそのストレスからくるものだと思っていた。
次第に痒みが現れ、無意識に搔き毟るようになった。血が滲み、服にも赤黒い血が付くようになった。それでも、すぐに治るだろう思っていた。
しかし、それは消えるどころか日に日に痣のように広がっていき、病院で検査をしてもらったが、原因不明のアレルギーだと言われた。処方された大量の薬を飲み続けたが、痣は消えることなく広がり続けた。
「山荘の惨劇」の編集作業が終える頃には痣が全身に広がり、皮膚が赤黒い色が変わっていた。
病院をいくつ変えても、治らず改善すらしなかった。その時から呪いを疑い、いくつもの神社や寺で厄払いをしたが結果無駄だった。
そのうち倦怠感に襲われ全身の力が入らなくなった。
ある朝、腕の皮膚がベロりと捲れ、血の塊と肉がボタリと床に落ちるのが見えた。もちろん、それは幻覚だった。けれど、血生臭いにおいが今でも鼻に残っているという。
そして、カーストは入院することになった。
今では、その幻覚が現実になりつつあるほど肉体が腐りかけている。有能な医師のおかげで生きてはいるが、ただそれだけのこと。
死ぬまで治らぬ「呪い」だと、カースド言った。
事故の後、監督から奥さんを通じて「世に出してはいけない」と警告されたにも関わらず、編集作業を辞めることが出来なかった。
その結果、ゆっくりと呪いに侵された。
カースド自身も呪いを解こうと躍起になっていたが、その前に激痛で体が動かなくなってしまった。
あの映画のDVDは、とっくに廃棄されたと思っていた。だがあの掲示板で、映画を見たという者の書き込みを見たカースドは、まだどこかにあることを危惧していた。そんな時、古いメールアドレスに一通のメールが届いた。
『友人が呪いの噂のある「山荘の惨劇」という映画を見てしまいました。呪いが真実かどうかはわかりませんが、何かご存じでしたら教えていただけないでしょうか。どうか彼を助けてあげてください。このメールが届くことを祈っています』
そんなメールだった。本文の最後には松田のメールアドレスが書かれ、その下には送信者の名前が書かれていた。
松田がその名前を尋ねると、カースドは広瀬だと言った。
広瀬がカースドの古いメールアドレスを見つけ、藁をも掴む思いで送ってくれていたのだった。
「広瀬が俺のメールアドレスをカースドさんに伝えてくれたのか」
「本当に偶然だったよ。あの掲示板で使っていたメールアドレスは、今はもう使っていなかったからね。いいな、君は。協力者がいて。当時の私にはいなかった。もしかしたら、悲しいこの呪いを君が解いてくれるかもしれない。何が知りたい。知っていることは話そう」
松田は映画に関することを、カースドに質問していった。
「他に制作に関わった人はいますか?」
「監督や役者、撮影スタッフもすでに亡くなっている。一人は行方不明だが、これまで見つかったという知らせもないし、おそらくは……」
「行方不明ですか?」
「ああ。撮影の最終日に、ふらっといなくなってしまったんだ。撮影隊の全員と村の人達の手まで借りて探したけれど見つからず、警察にもお願いしたけど音沙汰なしだ」
「それは誰ですか?」
「白い服の女を演じた女優だよ。伊織ちゃんと言ってね、大人しくていい子だった。それで後残っているのは、私とプロデューサー。だが、彼は何一つ制作には関わっていない。企画と金を出しただけさ。今も生きているだろうが、私がこんな姿になってからは連絡も取れず、どこにいるかもわからない」
松田は、映画のクレジット後に流れた映像について尋ねた。
「クレジットの後の映像?」
「はい。交通事故のようなシーンと、薄暗い場所でいくつかの人影が吊るされている。その後で、最後に生き残った役者が、白い服を着た老婆に殺害されるという映像が流れました」
カースドは松田の話を聞いて首を傾げた。
「そんなシーン、私は知らない。クレジットが終えれば映画は終わり、再生が止まる」
カースドは、あの不可解な映像のことを知らなかった。
最後に生き残った女優は自殺ということだが、その死は不可解で他殺の噂も流れたそうだった。
映画を見た人間は誰かに監視されるようになる。映像に自分の部屋が映し出される。
だが、カメラはどんなに探しても発見できない。そのうち、部屋に白い服を着た老婆が現れ、映画を見た者を殺しに来る。
加地やその恋人だったユキもその白い服を着た老婆によって殺された。
そして、その映像をまた次のターゲットが見ることになる。
白い服の老婆こそが呪いの元凶。
松田は白い服の老婆が何者なのか、心当たりはないかとカースドに尋ねた。
「それが呪いの元凶だとするなら、やはり映画の基となった事件が関係しているかもしれない。被害者がされたことを考えれば、恨みがあるのは当然。呪いを解く方法があるとするなら、その被害者を成仏させてやることだろう」
事件については掲示板に書かれていたことが概ね正しいとカースドが言った。
昔、山奥に建つ一軒家の地下室で若い女が監禁された。生かすために食事は与えられていたが、手足には枷がはめられ壁に繋がれていた。犯人はその家の長男と、協力者は姉だった。犯人の男は彼女を毎日のように犯し、時に暴力を振るった。心も体も傷つけられながらも、彼女はいつか助けが来ると信じて耐えた。
ある時、犯人の男が地下室で亡くなった。
映画の資料とされた当時の地域新聞には、死因は不明と書かれていた。
腹を空かせた彼女は、生き残るために目の前に横たわる犯人の男の血肉を喰った。
だが、助けは最後まで現れず、憎しみだけを残して彼女は餓死をした。
それからしばらくして事件が発覚した。姉もまた罪悪感に苛まれたのか、二階で首を吊って死んでいた。現場検証で地下に入った警官らが心臓麻痺や事故で亡くなった。
怨念が渦巻く家は、一家の親戚が管理しているが、地下室は立入禁止となった。
「どうしてそんな……。こんな映画を作ったんですか……。この映画を見たせいで、俺の友人が亡くなった」
「それについてはすまないと思っている。けれど、映画を作るというのは仕事だった。誰も呪いなんて信じていなかったんだよ。若い役者やスタッフが悲惨な事故にあっても、プロデューサーはお蔵入りさせるわけにはいかないと完成させ、ごく一部の小さな映画館では上映までした。そこでも問題が起こって即中止になった。ビデオもレンタルビデオ屋のみで販売された。だが、それもすぐに苦情が入って廃棄されたと聞いた」
ビデオからDVDに時代が変わったことで、レンタルビデオ屋にも残っていないだろうとカースドは思っていた。
「最後にプロデューサーに会った時、オリジナルは処分したと言っていた。だから、君たちが借りたDVDが廃棄されれば、もう呪いは広がらないはずだ」
だが、松田は不可思議なことを思い出す。
「DVDは追い込まれた友人(加地)が踏みつけて壊したはずなのに、いつの間にか元に戻っていました。今は俺が預かっています」
「そうか。君以外に、誰か見たのかい?」
「いえ、俺が最後です」
「ならば君が燃やして廃棄するんだ」
「わかりました。だけど、今は俺自身の呪いを解きたい」
松田は監禁事件があった場所を聞き出そうとした。
その瞬間、カースドは突然顔を歪めながら両腕を持ち上げた。腕の包帯が赤黒く染まり、隙間からは赤黒い体液が滴った。苦しみ悶えるカースドに驚き、松田は慌ててナースコールを押した。
「ちょ、ちょっと待ってください。今看護婦さん来ますから」
松田がそう声をかけるが、カースドの耳には届いていないようで、痛みで苦しむカースドの声が病室に響いていた。
病室の外から近づいてくる足音が聞こえた。そして、病室のドアが勢いよく開くと、先ほどの看護婦が病室に入って来た。手には点滴袋と注射器が置かれたトレーを持って。
邪魔になると思い、松田は椅子から立ち上がると窓の方へ移動した。
看護婦は手慣れた様子でカースドの腕に巻かれた包帯を解き、そこから鎮痛剤を打った。
「すぐに痛みはひきます」
痛みが引いたのか、カースドは安心したかのように目を閉じた。
腕から滴っていた赤黒い体液も止まり、看護婦はカースドの腕を布団の中に入れた。カースドは寝てしまったのか、目を閉じたまま動かない。不安げに見つめる松田。
「すぐに目を覚まします。けれど、患者さんに無理はさせないで」
看護婦は点滴を取り換え、病室を出て行った。残された松田は、カースドが目覚めるのを待つことにした。
松田は窓辺に立ち外を眺めた。気持ちのいい風が病室に入ってくる。
窓の外から子供の言い争う声が聞こえてくると、松田は窓から顔を出して下を見下ろした。
すると、病院の庭で二人の幼い男の子が、大きな声で言い争いをしながらラジコンの取り合いをしていた。
「僕のおもちゃ取らないで!」
「貸してよ。すぐ返すから」
「ダメ! そのおもちゃ買ってもらったばかりなんだから!」
片方の男の子がラジコンを奪うと、走って逃げようとした。
「すぐに返すから!」
もう片方の男の子は大事なラジコンを取られてしまい、泣きべそをかきながら逃げる男の子を追いかけていく。
「返してよ!! 僕のラジコン。カエセェエ!!!!!」
ーカエセェェェエェェ!!!!
松田の脳裏に悪夢が蘇る。白い服の老婆が口にした「返セ」という言葉。
「何を返して欲しいんだ……」
松田は追いかけていく男の子たちを見ながらそう呟いた。
「すまない。こんな大事な時に発作を起こしてしまって」
カースドが意識を取り戻した。
松田は窓を閉めると、ベッドの横の椅子に戻った。
「謝らないでください。それより、体の方は大丈夫ですか」
「ああ。優秀な看護婦がすぐに来てくれたろ? 彼女とは長い付き合いで、私がナースコールを押すとすぐに駆けつけて最高の痛み止めを打ってくれる。おかげで痛みは一瞬で消えるんだ。まぁ、意識もなくなるがね。それで何処まで話したかな」
松田は、夢の中で白い服の老婆が「カエセ」と言った事を伝えた。ただ、それは単なる妄想なのかもしれない。けれど、もし何か暗示だとするならば、白い服の老婆は一体何を返して欲しいのか。
カースドは、白い服の老婆が死んだ女性と同一人物だとするなら、命を落としたあの場所に行けば何かわかるかもしれないと言った。そして、病室の隅にひっそりと置かれたチェストを顎で指した。
「あのチェストの引き出しを探してごらん。当時の撮影資料が入っている」
松田がチェストの引き出しを探ると、一番下の奥に大きな封筒を見つけた。中を覗くと、当時の台本や地図、それに撮影資料と手帳が入っていた。
「山の麓には世話になった小さな村がある。ただ、そこに行くためには車が必要だ。交通機関など通っていないよ」
地図を広げると、カースドの言う村から山ひとつ超えた場所に町がある事に気づいた。そして、その町までは単線らしき線路が書かれていた。
「最悪、この町まで行って、ここから歩いて向かいます」
「歩くなんて無理だよ。車を運転できる知り合いはいないのかね。例えば、ご両親とか」
「両親には迷惑をかけたくないんです。でも、誰かに頼んでみます」
「その家の隣には診療所が建っている。山に入れば診療所までの道標があるはずだが、もう壊れているかもしれない」
「診療所があるんですね」
「とっくに廃院している。家の方も事件後は一家の親戚が管理をしていたが、今はどうなっているのかわからない。廃屋になって酷く荒れているかもしれない。それでも行くかい?」
「行きます。それしかないから」
「手帳を見てごらん。そこにあの家の場所が書かれている」
手帳を開くと、小さな村、診療所、事件があった家、犯人の写真が挟んであり、ページには家の登記簿とカースドが調べた監禁事件のことや地域新聞の切り抜きと、被害者の女性の顔写真と名前が書かれていた。
名前は神楽紗夜子。
写真の女性はとても若かい。
「この人が被害者ですか?」
そう尋ねた時、病室でカチッという機械音が聞こえた。音のする方を見ると、ベッドの横にあるテレビの電源ランプが点灯している。
「こんな綺麗なお嬢さんを監禁して死なせるなんて、加害者はひどい男だよ。けど、そんな悲しいお嬢さんを化け物として映画のネタにする私たちも最低だ」
カースドは反省を述べるばかりで、点灯したテレビには気づいていない様子だった。
真っ暗だったテレビ画面に、ゆっくりと映像が浮き出てくる。それは防犯カメラのような映像で、何処かの通路だった。行き来する人の姿が映っている。
「あの、テレビが……」
松田がテレビを指差しそう言った。
だが、カースドには真っ暗なテレビに部屋が反射して見えるだけだった。
「テレビが見たいのかい? 確かに病室は静かで寂しいからね。音があった方がいいかな」
「いえ、そうじゃなくて……」
松田は自身にしか見えてないことに気づき、映像をただ黙って見ていた。
カースドは自身が調べた紗夜子について語っていたが、その声は松田には届いていなかった。
テレビに映る廊下の先。そこにエレベーターがあり、扉の前に出来た人だかりが一斉に中に入っていく様子が見えた。
すると映像にノイズが混じり、画面は切り替わった。狭い空間の中で密集する男女が、ドアが開くたびに一人二人と出て行く。また扉が開くと、最後の一人が出て行った。
映像は誰もいないエレベーターの中。それでも、エレベーターは上の階に向かっている。
そこでまたノイズが走り、エレベーターの中に白い服の老婆が現れた。一瞬、その姿が若い女に見え、松田は紗夜子なのだと理解した。
またノイズで映像が乱れ、切り替わると長く続く廊下が映った。
「これって……」
それは見覚えのある場所。
エレベーターが到着し扉が開くと、そこには紗夜子の姿がない。だが、エレベーターの扉は開いたり閉じたりを繰り返していた。それを不審に思ったのか、エレベーターのスイッチを押す人物が映りこんだ。それを見て松田は気づいた。それがカースドを担当しているあの看護婦であると。
看護婦がエレベーターのボタンを何度か押すと扉が閉まり、下に向かって動き出した。その瞬間、看護婦の背後に紗夜子が現れたが、本人は気づいていない様子だった。
「(これって病室前の廊下だ)」
松田は全身に嫌な汗をかき、心臓の鼓動が早まった。
テレビを見れば、白い服の老婆が廊下を滑るようにゆっくりと進んでいる。
「(ここにくる)」
松田は直感し、震えが止まらなくなる。
白い服の老婆は、ちょうどカースドの病室の前で止まると、ノイズで映像が乱れそのまま真っ暗になった。
松田は動揺し、体を小刻みに震わせながらゆっくりとドアの方を向いたが、誰も入ってくる気配はなかった。
「どうした。何かいるのか?」
カースドは震えている松田を心配し、そう声をかけた。
「いえ、何もないです。すみません」
松田はそう答えた。
「本当に行くのかい? 呪いの家に」
「このまま待っていても、友人の二の舞になるだけ。可能性があるならそれに賭けたい」
「私がこんな体じゃなければ、協力してあげられるのに。すまない」
「情報をもらえただけで十分です」
「村の人たちは親切な人ばかりだった。もしまだご健在なら頼ってみるといい」
「はい。ありがとうございました」
「あまり役に立てなくてすまない」
「俺がもし呪いを解くことが出来たら、カースドさんもきっと治ると思います。そのためにも、俺行ってきます」
「私の呪いも解いてくれるのか?」
カースドは赤黒く染まっている包帯を見ながら微笑む。
「もちろんです! では、時間もないのでこれで失礼します」
「ありがとう。私はここで祈っているよ」
松田はカースドに一礼をして、病室のドアノブに手をかけた。ドアの向こうに紗夜子がいるかもしれないと、ドアをゆっくりと開けるが、廊下には誰もいなかった。松田は安堵しながら病室を出た。
松田を見送った後、カースドは枕元にあるパソコンでメールを打ち始めた。一文字ずつゆっくりと打ち込む。包帯だらけの指は血が滲み、痛みで顔が歪む。
『彼と会い、知りうる情報はすべて与えた。後は彼次第だ。どうか助けてあげてほしい』
メールは無事送信された。
カースドがノートパソコンを閉じようとした時、病室の隅に黒い靄のようなものが目に入った。黒い靄は渦を巻くように漂っている。
「私に残された時間はもうないようだ……」
その黒い靄をじっと見つめていると、だんだんと人の形に変わっていった。
カースドの耳に鎖が擦れる音が聞こえる。
近づいてくる黒い影。全身に巻かれた包帯が黒く変色していき、カースドは痛みで顔が歪み呻き声をあげながらナースコールに手を伸ばす。
だが、カースドの指は僅かに届かない。
全身が腐るように黒く変色していく。その様子を、黒い影は見つめている。
ついにはナースコールを押せないままカースドは力尽きた。
病院を出た松田はバス停に向かいながら、カースドに無事会えたことを広瀬にメールした。その時、ふと鎖の擦れる音が聞こえ、松田はとっさに振り返った。
その音は病院の歩道に連なるポールに繋がれた鎖を、小さな子供がいたずらしている音だった。それを見て松田は安堵した。
バス停に着いた松田。他に誰も待っていない。時刻表を見れば、バスは行ったばかり。次のバスは、しばらく来ないようだった。仕方なく、松田はベンチに座りながら、監禁事件が起こった呪いの家までどうやって行くかを考えた。
カースドは車がいると言った。松田はまだ運転免許を持っていない。だからと言って、父親には頼めない。迷惑をかけたくないし、そもそも呪いなんて信じる人ではなかった。
タクシーで行くことは金銭的に無理な話。
悩んだ挙句、松田はあることを思い出した。
友人の「高橋」には姉がいて、ドライブが趣味だと松田は聞いたことがあった。淡い期待を胸に、高橋に相談することにした。時計を見ると、ちょうど学校は休み時間だった。
電話を掛けると、すぐに高橋が出た。
「真一か! お前が無断欠席だなんて珍しいな。体調でも悪いのか? 俺たちは健康だけが取り柄だったのにな。まぁ、わかるぜ、お前の気持ち。亮介があんなことになって……。一人で抱え込むなよ。なんでも言えよ。な」
相変わらず元気のいい奴だ。
松田は高橋に圧倒されながらも、本題を話し始めた。
「え、車で行きたいところがある?」
「ああ。どうしても行かなければいけないんだ。けどそこはかなりの山奥で、車でしか行けない。高橋の姉ちゃんって車を持っていたろ。頼んでもらえないか」
「山奥って、そんなところに行ってどうするつもりだよ。まさか、死ぬ気じゃないだろうな!」
「生きるために行くんだよ」
「どういうことだよ」
「悪いが詳しくは言えないんだ」
「ふーん。まぁ、真一の頼みなら仕方ねぇ」
「本当か! 助かる」
「おう! 来週、姉ちゃんが帰ってくるから、その時に頼んでやるよ」
「来週? 明日とか、せめて明後日とかじゃだめか?」
「そんなに急ぎなのか?」
「緊急だ」
「困ったな。姉ちゃん、今仕事で海外にいるんだよ。帰ってくるのが、来週末だって言ってた」
「そんな……。それじゃ、遅いんだ……」
「そうなのか。親に頼めないのか?」
「ちょっとな」
「一応、他の奴らにも聞いてみるよ」
「迷惑かけてすまない」
「気にするなよ。とにかく変な気は起こすなよ。聞いてみるからな」
高橋に礼を言い、松田は電話を切った。当てが外れてしまった。
しばらくして、バス停にバスがやってきた。乗客は誰もおらず、運転手と松田の二人きりだった。
帰りの電車もガラガラで、松田は座席に座りながらカースドから受け取った手帳を見ていた。
「被害者の名前は神楽紗夜子」
「家の地下室で監禁」
「カメラで常に監視」
「犯人は診療所の長男とその姉」
「犯人から暴力」
「紗夜子は出産した形跡」
「犯人の長男は地下室で死亡」
「犯人の姉は二階で自殺」
「紗夜子は犯人の血肉を食らいしばらく生存」
「紗夜子の死因は餓死」
その中で、くすんだ赤色のペンで「出産した形跡」という部分に印がつけられていた。
横には、「犯人との子?」と小さく書かれていた。
手帳に挟まれた写真を見る松田。
「村」「食堂」「民宿」「畑」「小さな診療所」「山荘」「家の外観」
その中に、役者やスタッフらしき数人の男女が写る写真があったが、どれも黒い靄に覆われていたり、顔が歪んでいたりしていた。
気味悪そうにそれらの写真を見ていると、誰かの視線を感じて顔を上げた。すると目の前の座席に座っていた杖を持った白髪の老人が、険しい顔で松田を見ながらブツブツと何か呟いているようだった。老人は松田と目が合うと到着した駅で降りて行った。
だが、窓の向こうから老人は松田のことを見つめていた。気味の悪さを感じながらも、それが「人」であることに安堵する松田だった。
少しして、松田のスマホに広瀬からメールが届いた。内容は、カースドがどんな人物だったかということだった。
松田はごく普通の中年の男だったとメールを返した。
すると、また広瀬から返信が届き、「普通」という言葉にガッカリしているようだった。
『呪いの映画に関わった人物だから、それは、それはひどく呪われているかと思ったのに』
そう書かれていた。
実際のカースドは、そう思えてしまうほど痛々しい姿だったが、黙っておくことにした。
代わりに、呪いの家の情報が得られたと伝えた。
そこは電車も通っていない山奥にあり、山の麓には小さな村がある。
呪いの家の隣には小さな診療所が建ち、山にはいくつかの道標があるようだが、今はどうなっているかはわからない。
だが、呪いを解く手掛かりがあるとするなら、きっとそこだろう。とにかく、その山の麓にある小さな村を目指す。
そう送ると、すぐに広瀬からのメールの返信が来た。
『そこまでどうやって行く気?』
『電車でいけるところまで行って、あとは親切な人がいるかもしれないからそれに託す』
『どこの誰だかわからない男を、そんな山奥の家まで送り届けてくれる奇特な人がいると思う? このご時世に』
『わからないだろ』
『誰か車を持っているはいないの?』
『家族は巻き込みたくない。それに呪いなんて言っても信じない』
『兄貴に頼んでみる』
『ありがたいけど、そこまで広瀬を巻き込めない。これは俺の問題で、広瀬にそこまでしてもらう義理はないよ』
『車、ないんでしょ?』
『だからといって、広瀬のお兄さんにまで迷惑かけられないだろ』
『兄貴はサービスエリアマニアだからちょうどいい。美味しい食べ物屋なんかがあるともっといい。兄貴、食いしん坊だから』
『村に食堂があったみたいだけど。もう廃れているかもしれない』
『とにかく。頼んでみる。出発はいつがいい?』
『わかっているのか。死人が出ている家に行くんだぞ。しかも呪いの家なんて言われている場所に』
『しつこい。そんなこと聞く暇があるなら、準備しておいて。兄貴が帰ってきたら予定を立てて連絡するわ』
『わかったよ。ありがとう』
電車から降りた松田は、再びトイレで制服に着替えて駅を出た。その頃には、すっかり空がオレンジ色に染まっていた。
賑わう駅前とは違い、家に続く道には誰も歩いていない。路面には自身の濃い影が伸びていた。
近づいてくる自分の家。何故だか、いつもより暗く感じた。
玄関のドアを引くと鍵がかかっておらず、ドアがすんなりと開いた。玄関にはいつも置いてある母親のサンダルがない。
「ただいま」
松田の声に返事がない。リビングのすりガラスは、ぼんやりと明るいが物音はしない。
「(母さん、何処かに出掛けたのか。鍵もかけないで。物騒だ)」
松田が靴を脱ぎ廊下に上がろうとした時、ふっとすりガラスの向こうに人影が横切った。
「あれ、茜か?」
松田はリビングのドアを開けた。
だが、そこには誰もおらず廊下から見えた明かりは庭から射し込む夕日だった。キッチンにも母親の姿はなく、静まり返っていた。
松田は階段を上がり、自室のドアの前に立った時、中から声が聞こえてきた。
松田の脳裏に白い服の紗夜子が過り、ドアを開けることに躊躇した。
すると、ドアの向こうから叫び声が聞こえた。聞き覚えのある声だった。
松田がドアを開くと、薄暗い部屋の中で茜が呆然と立ち尽くしていた。
「何をやってるんだ?」
茜に近づく松田。茜の視線の先には、暗がりで壊れたはずのテレビが煌々と灯っていた。そして、亀裂の入った画面に、路地裏で首を吊っている加地の姿が映っていた。
「お兄……、これって何。なんの冗談?」
茜はひどく動揺した様子で、体をガタガタと震わせていた。
「どうしてこんなひどい映像を見せるの?」
路地裏で首を吊っている加地の近くに、紗夜子が映っている。
映像がノイズで乱れると、松田の部屋が映りこんだ。松田は慌てて、DVDデッキのトレイを開けた。取り出したはずの山荘の惨劇のディスクが、異様な音を立てながら吐き出された。その表面は傷だらけで変形していた。
「見たのか? この映画」
ベッドの上で震えている茜に、松田が問い詰めた。
「映画? 映画なの? なんだ、よかった」
茜は安堵して息を吐いた。
「(迂闊だった。ケースをどこかに隠しておくべきだった)よりにもよってケースから出して見るなんて」
「そんなことしていないよ。私、お兄に元気を出してほしくてケーキを買ってきたんだよ。玄関に靴がなかったから、まだ帰ってきてないんだろうなと思って冷蔵庫に入れてから自分の部屋に戻ろうとしたの。そうしたら、お兄の部屋の中から声が聞こえてきて」
「声?」
「お兄の声じゃなかったし、テレビをつけっぱなしで行っちゃったのかなって。それで消してあげようと思って部屋に入ったの。そうしたらテレビに砂嵐が映ってて、そこから、女の人の悲鳴だけが聞こえていたの。気味が悪くなって早く消そうとしたら、今度は部屋で暴れている男の人が映ったの。画質が悪くて最初は気づかなかったけど加地君だった。何かにすごく怯えているみたいに叫んでた。それで、最後には首を吊って……。これって、ドッキリかなんかだよね? 現実じゃないよね?」
「他に何か見なかったか?」
「わかんない。ノイズがひどくてよく見えなかった。でも、気味の悪いおばあさんが一瞬だけ見えた」
その言葉に動揺する松田は、とっさに嘘をついた。
「そう、これはあいつが仕組んだドッキリ映像なんだ。俺の学校でいま流行っていてな。あいつはみんなを驚かせるために手の込んだホラー映像を作ったんだ。けどあいつがあんなことになって、洒落じゃすまなくなったから俺が処分することになっていたんだ」
「そうだよね! ドッキリだよね! あー、驚いた」
「わかったら、お前は自分の部屋に帰れ。何度も言うが、人の部屋に勝手に入るな」
「お兄がテレビをつけっぱなしにしていなければ、入ってませんよーだ!」
茜は頬を膨らませた。
「そういえば、母さんはどこに行ったんだ?」
「お母さんなら、一階で夕食の支度をしてるでしょ? 私が帰って来た時にはいたし」
「え、母さんのサンダルとかなかったぞ」
「新しいのに変えたんじゃない? あ、ケーキは冷蔵庫の中にあるからね。可愛い妹からのプレゼントなんだから、ありがたくいただいてよね」
「ああ、ありがとう」
茜が部屋を出て行った。
松田の手には、歪な形をした「山荘の惨劇」のディスクがある。
「茜は映画の部分は見ていない。だから、きっと大丈夫だ」
込み上げてくる不安。それを払拭させるべく、松田はディスクと机の引き出しからライターを取り出し、家の庭に向かった。壊してもだめなら、燃やしてしまえばいい。それでもし呪いが解けるなら、ラッキーだと思った。
レンタルビデオ屋には怒られるだろうが、訳を話してわかってもらうしかない。
松田が一階に下りると、リビングから忙しない物音が聞こえてくる。
玄関には、茜と母親の靴がいつの間にか並んでいた。松田は少し戸惑いながら、玄関に置いてあるバケツを持って庭に出た。
そして、母親にばれないように、庭の隅で持っていたディスクに火をつけた。ディスクは熱によって溶けて穴が開いていく。小さな火花と、青白い炎が目に映った。
燃えカスを入れたバケツを庭の隅に置き、松田は玄関から家の中に戻った。ドアを開けると、リビングから母親が顔を出した。
松田の顔を見るなり、「なんだ、真一か」と言った。
「母さん、さっきまでどこかに出かけていなかった?」
「え? 出かけるわけないでしょ。お夕食の支度で忙しいのに。真一は今帰ってきたの?」
「いや、さっき」
「あらぁ、帰ってきたら、まずただいまでしょ!」
「うん。ただいま」
「はい、おかえりなさい。さ、お父さんが帰ってくるまでに支度しないと」
そう言って、母親は慌ただしくキッチンに戻っていった。
松田は解せない様子で二階の自室に戻った。
テレビの画面は真っ暗なまま。壁と床のシミはさらに濃さを増し広がっている。紗夜子の呪いが近づいてきているのを感じた。
その時、松田のスマホに広瀬からメールが届いた。
『明日、六時に迎えに行くから待ち合わせ場所を指定して》
松田は最寄りの駅名をメールで送ると、すぐに広瀬から了解と返ってきた。
少しして、父親が帰ってくる音がした。
松田が部屋を出ると、茜もちょうど部屋から出てきた。二人でリビングに向かうと、テーブルの上には父好みの和食の手料理が並んでいた。
松田と茜が席につくと、部屋着に着替えた父親も席につく。いつも通りに挨拶を交わし、いつも通りに家族四人の夕食が始まる。
その日は、珍しく母親と茜の食事中の談笑を父親は注意しなかった。
「食事中は黙って食べなさい」
おしゃべりが好きな母親と茜は、いつも父親にそう注意されるというのに。そのおかげで騒がしいほど賑やかな夕食となった。
友人を失くし、落ち込んでいる息子を気遣ってくれているのだと、松田自身感じていた。
この幸せを手放したくないと、松田は強く思った。
茜は笑顔で食事をしていたが、時々その表情が曇った。やはり、あの映像のことを気にしているようだった。茜は松田と目が合うと、とっさに作り笑いをしていた。
「まだ気にしてるのか?」
松田がそう尋ねると、茜はそうじゃないと言いつつも目を逸らし、やはり気にしている様子だった。
「あれは亮介の悪ふざけだって言ったろ。それに、あのDVDは燃やした。もう見ることはない」
そう言うと、茜は頷いていた。
夕食も終わり、それぞれの時間が流れる。
母親は後片付けを始め、父親はリビングでテレビを見ながら枝豆をつまみにビールを飲んでいる。茜は珍しく母親の手伝いをしている。
そんな光景を目に焼き付け、松田は二階の自室に戻った。
部屋の戻ると、忘れ去られたように部屋の隅に置いてあるリュックを取り、懐中電灯とカースドから受け取った資料や写真を中に入れた。
呪いの家は、今どうなっているのか。
入ることが出来るのか。
呪いを解く方法を見つけることが出来るのか。
松田は早めに寝支度を済ませるとベッドに横になった。
部屋の外から、家族の生活音が聞こえる。
母親の忙しない足音、父親の入浴中の水の音、茜の部屋のテレビの音。不安と緊張で音に敏感になっている松田は気になって寝ることができない。
そのうち水の音が消え、足音が消え、テレビの音が消えた。家族が就寝した合図だった。だが、代わりに普段は気にならない時計の針の音が気になって眠れずにいた。
深夜。静寂な部屋の中で突然カチッという音が鳴り、テレビが明るくなった。画面には砂嵐を映り、ホワイトノイズが聞こえる。
音に驚き、松田は起き上がる。砂嵐と耳障りなホワイトノイズに不安を掻きたてられる。
松田の鼓動が早まる。
白黒で映し出された松田の部屋。そこにはベッドに腰掛けテレビの方を向いている松田が映っている。
松田は恐る恐る振り返り、天井を見上げる。無論そこにカメラのようなものはついていないことは、すでに何度も確認済みのこと。
再びテレビを見た時、あることに気づいた。そして、徐に右手を上げた。
すると、テレビに映る自分が同じく右手を上げている。松田は確信した。テレビ映る部屋が、「現在」のものだと。戸惑う松田をよそに、映像はノイズが混じる。
嫌な予感がする。映像の部屋の床、黒いシミが濃く広がっていく。鎖の擦れる音が聞こえる。心臓の鼓動が早まり、額からは嫌な汗が出てくる。
テレビの向こうでは、床に広がる黒いシミから頭らしきものが浮かんでくる。
松田は恐怖から身動きが取れない。
床の黒いシミから、ちょうど鼻から上辺りまで顔を出した。息を飲む松田。乱れた黒髪に、真っ黒な瞳で睨んでいる。
松田は、視線をテレビから床に移す。床に広がる黒いシミは、まるで穴のように広がっている。
テレビから赤ん坊の泣き声が聞こえ、薄暗い部屋で首に鎖をつけて立ち尽くす人影が映し出された。それは松田自身のように見えた。
そして、映像はノイズで乱れ、真っ暗になって消えた。
その後も眠ることが出来ず、気が付くと五時半になろうとしていた。酷い頭痛がする中で、松田は着替えを済ませるとリュックを背負い一階へ下りた。
松田家で一番朝の早い母親もまだ起きておらず静まり返っていた。母親に見つかっては厄介だと、松田はこっそり家を出た。
夜は明け、空は白み、外は薄っすら明るくなってきた。家の前の通りには、掃除するおばあさんや、新聞配達の男性がいた。
松田はおばあさんに挨拶をすると、待ち合わせである駅に向かった。駅に近づくにつれ、人通りも増えていく。ほとんどがスーツ姿で鞄を持った会社員。どの人も疲れた顔をしていた。
駅につくと、そこにはタクシーが数台並んでいたが、その中に一際派手なミニバンが止まっていた。側面には見たこともないアニメのキャラクターが描かれていた。
「まさかあれじゃないよな……」
松田は様子を見ながら、派手な車の横を通り過ぎようとした。
すると、助手席のドアが勢いよく開き、中から広瀬が出て来た。広瀬は松田に手を振りながら近づいてきたが、車を見ながらなんとも言えない表情を浮かべている松田に広瀬は察した。
「まぁ、言いたい気持ちはわかるよ。だから早く乗って。私も恥ずかしいから」
広瀬に急かされ、松田は後部座席に乗り込んだ。
運転席を見ると、そこには大柄な若い男が座っていた。松田がルームミラーに目をやると、その男は睨むように松田のことを見つめていた。
「初めまして。広瀬さんと同級生の松田真一といいます。お忙しい中、しかもこんな朝早く車を出していただきありがとうございます。本日はよろしくお願いします」
慌ててそう挨拶をしたが、男は何も言わずただ不愛想に睨むだけだった。
「兄貴。挨拶しているんだよ。大人なんだから、ちゃんとして。こんな車に乗せられる身にもなって」
そう言いながら、広瀬も助手席に乗り込んだ。
「仕方ないだろ。俺の車は車検中だ。車を出せなんて、突然言ってくる奴の方が悪い。どうしてもって言うから、知り合いから無理言って大事な車を借りたっていうのに」
「はいはい、それはすみませんでしたねー」
「仕事まで休んで、どうして俺が運転手なんか」
「私、運転免許持ってないし」
「電車で行けよ」
「行けるなら頼んでないよ」
「すみません……。俺の為に」
落ち込む松田に、広瀬の兄はバツが悪そうな顔をした。
「まぁ、いいけど。で、どこまで行くんだ。俺はまったく聞かされていないんだが」
松田はカースドから受け取った資料に書かれた地図を広瀬の兄に渡した。
それを見た広瀬の兄は声を出して驚いた。
「こんなに遠いのかよ!!!」
「電車で行けない場所だって言ったじゃん」
広瀬は何食わぬ顔でそう言った。
広瀬の兄の顔は引き攣っている。
しかし、松田がどうしても行かなくてはいけないと、懇願すると広瀬の兄はため息をつきながら少し型の古いカーナビに目安となる山を指定した。
目的地は山の中。周囲は森と畑とただただ広大な土地が広がるばかり。カースドの話では山の麓に小さな村があるというが、カーナビには載っていない。
「それで、こんな山奥に何しに行くんだ?」
「肝試し!」
広瀬がそう言うと、広瀬の兄はあからさまに嫌そうな顔をした。
「そんなことのためにわざわざこんな朝早くに、しかもこんなクソ遠いところまで連れて行けっていうのかよ」
「学校のミステリー部で、心霊スポットの調査と体験を書いて提出しないといけないの」
「曰く付きのところなら、なおさら俺は行きたくない」
広瀬の嘘に唖然とする松田だった。
「ビビりの兄貴は車の中で待っていてくれればよし。私と松田君だけで行くから。それに高速のサービスエリア寄っていいよ。兄貴好きでしょ。地域限定の土産物」
「そんなのはいつでも行ける。向こうについても、俺は絶対車から出ないからな!」
「はいはい」
車はようやく走り始めた。「曰く付き」の場所に行くとも知らず。罪悪感が込み上げる松田だったが、本当のことは言えなかった。呪いがすぐそこまで来ている。そう感じていたから。
幸運にも、道は渋滞もなく順調に進む。助手席の広瀬は、朝が早かったせいか眠っている。広瀬の兄は無言で、ただただ前を見て運転をしていた。松田はカースドから受け取っていた映画の台本を読んでいた。静まり返る車内で、広瀬の兄が徐にオーディオの再生ボタンを押した。車内に流れるのは、一昔前の軽快な洋楽。松田がルームミラーに目をやると、運転席の広瀬の兄は上機嫌でリズムに合わせて体を少し揺らしていた。
一方その少し前、自室で寝ていた茜は魘されていた。
夢の中で、茜は友人と流行りの街でショッピングを楽しんだ。欲しかった服、バッグ、アクセサリーを両手いっぱいに買い込んだ。カフェでお茶をした後、友人と別れた茜は一人電車に乗り、いつもの駅に降りた。
空はすでに日は落ち、駅前は煌びやかなネオンと人で賑わっていた。
「(急いで帰らないと。門限過ぎちゃう)」
そう思いながら、茜は家に向かって足早に歩いた。
そこへ友人からメッセージが届く。
『今日は楽しかったね』
『あのショップの店員さん、めっちゃかっこよかった!』
他愛無いメッセージを送りながら、茜は静かな住宅街に入った。前方には、駅からの帰宅者が歩いているが、駅前に比べて街路灯だけのその道はとても暗く、遠ざかるほど人は暗闇に消える。
茜が友人にメールを送った直後、一通のメールが届いた。それは知らないアドレスからだった。
茜が何気なくタップすると、そこには文字化けした文字がずらりと羅列していた。
その中で唯一読めた文字を並べると、
『オ、前、ヲ、呪、イ、殺、ス』
というものだった。
気味の悪いメールに戸惑い、茜はその場に立ち止まった。周囲を見ると、歩いていた人の姿は消え、いつの間にか茜一人になっていた。空の月は雲に隠れ、建ち並ぶ家々は電気が消えて暗い。
茜は急に怖くなり、友人に電話をかけた。
「もしもし。どうかした?」
友人の声に安堵する茜。変なメールが届いたことを伝えた。そして、電話で話をしながら家に向かって急いだ。
どれほど歩いたか。いつもならとっくに自宅の前についているはずが、景色がまるで変わらない。その違和感のせいで、会話が曖昧になる。
その時、何処からか鎖の擦れる音が聞こえた。同時に、電話の向こうでノイズが混じり、友人の声が途切れ途切れになった。
「もしもし、ユウカ?」
友人の名前を呼び掛けるも、ノイズは酷くなるばかり。焦り、心臓の鼓動が早くなる。
電話の向こうで、地を這うような低い呻き声が聞こえた。茜は驚き、とっさにスマホを耳から離した。
そして、ふと前方を見ると、街灯の下に人らしき影が立っているのが見えた。さっきまではなかった人影に、茜は目を凝らしてじっと見つめた。
それは白い服を着た老婆。耳元で鎖の擦れる音が聞こえた瞬間、街路灯の下の白い服の老婆が地面を滑るように自分の方へ近づいてくる。とっさに持っていた荷物を捨て、茜は走って逃げた。
だが、どれだけ走っても同じ景色が続くばかり。
息を切らし立ち止まる茜。振り返ってみると白い服の老婆の姿は消えていた。
安堵する茜。再び前を見ると、街路灯の下に松田が立っていた。
「お兄!!」
茜は泣きながら駆け寄った。松田はそんな茜に無反応だった。
違和感を覚え、ふと松田の足元を見ると、地面に足がついていないことに気づいた。よく見れば、首には鎖が巻かれ、街路灯の足場釘に吊るされていた。その目は虚ろですでに光を失っていた。
茜は悲鳴をあげながら、ベッドから飛び起きた。そこは自分の部屋だとわかると、夢であることに安堵した。
時計を見ると六時過ぎ。二度寝する気にもなれず、茜は水を飲もうと部屋を出た。そして、松田の部屋の前を通りかかる。
「あんな夢を見たのも、あの映像のせいよ。お兄は怒るし最悪だった」
そう呟きながら、茜はドアの前で松田の様子が気になった。
「まだ寝ているのかな」
部屋の中からは物音もせず、ドアに耳を当てても同じだった。
松田はすでに出かけ、部屋の中にはいない。
それを知らない茜は、松田がまだ寝ているのだろうと思い立ち去ろうとした。
その時、部屋の中から鎖が擦れる音がした。
夢で見た記憶。
背筋がゾッとするあの音。
その音が、松田の部屋から聞こえた。茜は躊躇いながらもドアノブに手を掛け、部屋のドアをゆっくりと開けた。
「お兄、まだ寝てるの?」
ドアノブの隙間から控えめに声をかけた。
だが、当然松田の返事はない。
茜が部屋に入ると、ベッドの上には部屋着と布団が綺麗に畳まれていた。ハンガーラックには制服が、ベッドの脇には学生鞄が置き去りだった。
「あれ、お兄どこに行ったの?」
戸惑う茜。ふとテーブルを見ると、メモが置いてあることに気づいた。それは松田が前日の夜に書いたメモだった。
そこにはこう書かれていた。
「解決しなくてはいけない問題がある。心配はするな。必ず帰ってくる。父さんと母さんには、何か聞かれたら適当に誤魔化しておいてくれ。頼んだぞ。俺の部屋に勝手に入ったことは勘弁してやるから」
「誤魔化せってどういうこと。どこに行ったのよ、お兄」
戸惑いながら、メモをテーブルに置いた。ふと床を見ると、黒いシミがついたまま。以前よりも少し濃くなっているように見えた。
「本当にこれカビ?」
思わず、指先で床の黒いシミに触れた。
その瞬間、得体の知れない何かを感じ、とっさに手を引いた。漂う空気が重苦しくなり、茜は逃げるように松田の部屋から出た。
「一体何なの。大丈夫なんだよね、お兄」
茜は不安に思いながら一階へ下りた。
キッチンでは母親が忙しなく朝食と弁当の支度をしていた。カウンターには、空の弁当箱が三つ置いてあった。
リビングに入ってきた茜を見て、母親は驚いた。
「珍しい! こんな早く起きてくるなんて」
「喉乾いちゃって。あのね、お兄がね……」
「お兄ちゃんがどうしたの? まだ寝ていると思うけど」
「なんかね、友達と出掛けたみたい」
「出掛けたって、もう?」
「うん。部屋にいなかったから」
「大丈夫かしら。最近おかしいのよね、あの子。この前だって、洗濯物を持ってあの子の部屋に行ったのよ。声をかけても、ドアをノックしても出てこないから、いないのかなって思って開けたら、何していたと思う?」
「わからない」
「何も映っていないテレビをじっと見ていたのよ。怖くなっちゃった」
「友達が亡くなって、色々大変なんだよ」
「それはわかるけど」
「心配しないでって言ってたし、大丈夫だよ」
「そうね。あの子を信じるしかないわね」
「うん」
「じゃ、茜は朝食のお手伝いをしてちょうだい。ほら、そこの料理をテーブルに運んで」
茜は文句を垂れながら料理をテーブルに運んでいると、パジャマ姿の父親が起きてきた。
松田が出掛けたを伝えると、父親は小さく「そうか」と言っていつもの椅子に座った。父親はそれ以上、何も言わなかった。
それから一時間ほど過ぎた頃。松田たちを乗せた車は、高速道路のサービスエリアに到着していた。高速道路を走る車は時間とともに増えてきたが、サービスエリアの駐車場はまだ空いていた。
三人が車から出ると、腹を空かせた広瀬の兄が真っ先に飲食コーナーに走って行った。広瀬はトイレに行くと言って別れ、松田は自動販売機で缶コーヒーを買った。
そのまま土産コーナーに入ると、キーホルダーが並ぶ回転ラックが目に留まった。そこには子供が好きそうなキーホルダーがたくさんあった。ラックを回転させると、動物のぬいぐるみがついたキーホルダーを見つけ、松田はあることを思い出す。
茜の学生鞄にも同じようなキーホルダーがいくつもついていたことを。松田は缶コーヒーをポケットに入れると、ウサギのぬいぐるみがついたキーホルダーを手に取りレジへ向かった。
そこにちょうどトイレから戻ってきた広瀬と鉢合わせた。
「誰かの土産?」
「妹に。好きなんだよ、こういうの。いつまでもガキだろ」
「いいんじゃないの。女の子はこういうの好きだし」
「広瀬も好きなのか?」
「私より兄貴の方が好きじゃないかな」
「そ、そうなのか」
「それより、何か食べない?」
広瀬は飲食コーナーで食事をしている兄の姿を見ながら、松田にそう尋ねた。
「俺は平気。遠慮しないで食べてくれ」
と言いながら、松田の腹が広瀬にも聞こえるほど大きく鳴った。
「別に腹が減っているわけじゃないからさ」
笑ってごまかす松田に、広瀬は「そう」とそっけない返事をして、飲食コーナーに行ってしまった。
会計を済ませた松田は、外に出ると缶コーヒーの蓋を開けて飲もうとした時、スマホの着信音が鳴った。画面には茜と表示されている。
その電話の内容を察していた松田は、電話に出るべきか迷っていると、留守番電話に切り替わり切れた。
だが、それが何度も続き、仕方なく松田は通話ボタンを押した。
「どこにいるの? お兄……」
茜は話し続けているようだが、電波が悪いのか言葉が途切れ途切れで聞き取れなかった。
「サービスエリア。ちゃんと帰るから、心配するなって」
松田は茜にそうとだけ伝えた。
「これから、どこに……」
ノイズがさらにひどくなり、ハウリングを起こした。松田は思わず耳からスマホを離すと、通話はそのまま切れてしまった。
松田がかけ直そうとすると、腕に何かが当たった。
見れば、肉まんに噛り付いている広瀬が、袋に入ったもう一つの肉まんを松田に差し出していた。
「俺は……」
いらないと断ろうとしたが、漂う美味しそうな香りに腹が鳴り響いた。
「私、二個も食べないよ」
松田は広瀬から肉まんを受け取り、肉まんを口にした。
徐に、松田が問いかけた。
「なぁ、広瀬。どうしてそこまで良くしてくれるんだ。亮介に頼まれていたとはいえ、あの映画のことを調べてくれたり、カースドに連絡を取って会う段取りをつけてくれたり。今だって、あんな山奥に、車まで出してくれるなんて」
「だって、私の責任でもあるから」
広瀬は遠くを見ながら、加地との関係や経緯を話し始めた。
加地と広瀬の関係
広瀬と加地の出会いは小学生の時。二人は同じ地域に住み、同じ小学校に通っていた。
その頃から加地は活発で、男女問わず大勢と遊ぶことを好んでいた。スポーツが得意で、女の子からわりとモテていた。
一方、広瀬は人付き合いが苦手だった。周りの女子たちはお揃いを好み、髪型も服装も持っている物までもお揃いだった。広瀬にはそれが気味悪く感じた。
友達と遊ぶことよりも本を好み、その頃から放課後は図書室に入り浸っていた。
加地が時々、図書室に来ていたことを広瀬は知っていた。加地は怪談物の小説をよく借りていた。好みが似ていると感じたが、広瀬から話しかけることはなかった。
ある時、広瀬が借りていた長編のホラー小説を休み時間に教室で読んでいると、加地が話しかけてきた。
「その本、借りようと思っていたんだ。終わったら俺に貸してくれよ」
目を輝かせながら加地はそう言った。
「どこまで読んだ。怖くて面白いらしいじゃん! すげー、そんな分厚い本をもうそんなに読んだのか? 俺、漢字苦手だから読むの遅いんだ」
加地は一方的に話しかけた。
「読み終わったら、声をかけてくれな! ネタばれはすんなよ! 楽しみなんだから」
そう言って、加地はまた男子グループの中に戻っていった。
「広瀬に話しかけるなんて変わってるな。根暗が移るぞ」
茶化す男子に、加地は頭を叩きながら怒っていた。それをきっかけに、広瀬は加地と図書室で話すようになった。
とはいえ、加地の方が一方的に話していることが多かった。それもホラー小説やホラー映画、心霊スポットや幽霊話などのオカルト話ばかり。映画には興味がなかった広瀬に、加地は何度も勧めていた。広瀬はそれでも映画は見なかったが、広瀬が面白かったという小説を加地は喜んで読んでいた。
いつしか加地とは、よく話すようになっていた。
だが小学五年生の時、広瀬は両親の都合で引っ越しをした。学校も変わり、それ以来加地と会うこともなかった。
時は流れて高校生になった時、入学式で加地を見かけた広瀬は驚いた。加地も広瀬を覚えていたようだった。
加地が高校に通うために引っ越したアパートは、広瀬が暮らす同じ地域だった。初めての土地で戸惑う加地に、広瀬が色々とアドバイスをしていた。
ある時、加地はホラースポット特集が載った雑誌を本屋で見つけた。中を見ると、どれも加地が知っている場所ばかり。唯一知らないのが、とある商店街にあるというレンタルビデオ屋だけだった。しかし、それはどこなのかは具体的に書かれていなかった。そんな中、加地はユキと付き合うようになった。
遊園地のお化け屋敷で、加地の腕にしがみ付きながら怖がるユキを愛おしく思った加地は、またユキを怖がらせてやろうといたずら心に火がついた。
加地は広瀬に、呪いの映画を知らないかと尋ねた。
広瀬は「知らない」と答えた。
「噂程度でいい。それほど怖い映画を探しているんだ。よく聞くだろ。その映画を見ると怪奇現象が起こるとか、幽霊が出るとかさ」
広瀬が何度知らないと答えても、加地はしつこく何度も聞いてきた。我慢の限界に達した広瀬は、引っ越した後に地元の同級生から聞いた噂を加地に話した。
それがあの怪しげな店が並ぶおばけ横丁のレンタルビデオ屋。
そこには呪いのDVDが何本も存在するというものだった。だが映画のタイトルまではわからないと加地に伝えた。
その噂を聞いて、加地は喜んでいた。
広瀬は呪いについては半信半疑。どちらかと言えば信じていなかった。ホラーは娯楽であると。
けれど、映画を見たことで起こった出来事。
ユキが死んだとき、加地は呪いのせいで死んだと嘆いたが、
「呪いなんて実際に存在するわけないでしょ」
と広瀬は言った。
だが、加地も不審な死を遂げた。
「もしも本当に二人が呪いで死んだのなら、私にも責任がある」
私も報いを受けるべきだと、広瀬は言った。
そんな広瀬に、松田は言った。
「広瀬のせいじゃない」
元々、加地が無理矢理に聞き出したもの。
本当に呪いがあるとは、加地も思っていなかったはずだと。
何より、今はこうして自分に協力してくれていることを、広瀬に感謝する松田だった。
「そろそろ出発するぞ」
そう言いながら広瀬の横を通り過ぎた広瀬の兄は、両手にご当地キャラのぬいぐるみを抱え、ポスターらしき筒状のものを小脇に挟んでいた。その姿を唖然と見ている松田の横で、広瀬は呆れていた。
車に戻る途中、松田は茜に電話を掛けた。
「お客様がおかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためかかりません」
もう一度掛けたが繋がらず、松田は諦めて車に乗り込んだ。そして、茜に買ったお土産をリュックの中に入れた。
三人を乗せた車は、再び高速道路を走り出し、順調に目的地に向かって進んだ。周囲にそびえていたビル群はとうになくなり、民家と畑が増えていった。車は周囲と同じスピードで、一定の間隔を保ちながら並走し続けた。
車内には、陽気な音楽が流れている。広瀬の兄は腹も満たされ機嫌は上々。
助手席の広瀬はまた眠っている。
後部座席の松田は写真を見ている。
《村の周りの山々、広大な畑とそこで働く人、いくつかの古民家と村人、食堂をバックに出演者と満面の笑みを浮かべる年老いた村人》
そして、映画の舞台になっている《山荘》と《小さな診療所》とその隣に建つ《呪いの家》
その家こそ、松田たちが向かう場所。
今も存在しているのか。
そこに行けば呪いを解く鍵は見つかるだろうか。見つからなければ、加地と同じ運命を辿り、その呪いは妹の茜にまで伝染するかもしれない。
考えれば考えるほど不安になる松田だった。
しばらくして、松田たちの車は高速道路を下りた。
遠くに大きな山が見える。高いビルはないが、商業施設もあれば民家も多く連なっている。車もまだ多く、歩道を歩く人の姿もある。
だが、山に近づくにつれて、建物も人も車も減っていった。前を走る車は、松田たちの車とは別の方向へ曲がり、後ろの車はかなりの距離を取っている。すれ違う車もほとんどいなくなっていた。
周囲は小さな民家と畑が増え、凸凹とした荒れた道の方が増えていった。
どのぐらい走っただろうか。後方を走っていた車の姿もなくなり、前方に古いトンネルとオレンジ色の照明がぼんやりと見えてきた。
かなり古いトンネルで、まだ日が出ているにも関わらず、中は夜のように暗かった。トンネルの手前で車は急に減速をした。
「ここ通るのか?」
嫌そうな顔で広瀬の兄は言った。
「トンネル通った方が近い」
いつの間にか起きていた広瀬が、カーナビを見ながらそう言った。
「別の道でいいだろ。引き返そう」
「兄貴、ビビってないで、早く行って。時間ないんだから」
「ビビッてはねぇよ。けど、見た感じ古いし、崩落するかも。他に誰も通ってないしよ」
「立入禁止の札もないし、大丈夫だって。早く、早く!」
広瀬に煽られ、渋々アクセルを踏む広瀬の兄。車はゆっくりとトンネルに入っていく。
トンネルの壁面は亀裂があり、そこから雨水が滴っていた。弱々しいオレンジ色の明かりが不気味に映っていた。広瀬に兄は、しきりにサイドミラーを気にしていた。その表情は険しかった。
トンネルを抜けた時、眩しい光で目を細めた。何事もなくトンネルを抜けられたことに、松田以上に安堵している広瀬の兄だった。
またしばらく車を走らせた先で、広瀬の兄は車を止めてカーナビを見た。ナビに表示された目的地は目前。視線の先には、大きな山がある。車をゆっくり走らせながら、麓の小さな村を探した。
朽ちた村
広がる草原と木々の向こうに民家が数軒見えた。草原をよく見れば、かつては畑だった形跡が残っている。だが、今では作物ではなく雑草しか生えていない。
少し離れた場所に、ポツリポツリと民家が見える。木造二階建ての建物が見え、車はゆっくりと近づいた。
その建物は外壁が黒く汚れ、ガラス戸は濁り大きなヒビが入っていた。上には看板らしきものがあるが、文字は擦れて読めなくなっている。その建物を見て、松田は写真の食堂であると気が付いた。
車から出た松田と広瀬は、入り口のガラス戸から中を覗き込んだ。店内は埃まみれでテーブルと椅子が置き去り。あちらこちらに蜘蛛の巣が張られていた。人がいる気配はなく、ガラス戸は鍵がかかっていて開かない。
二階も人がいる気配はなく、声をかけても返事がなかった。
食堂から少し離れた場所に、二階建ての建物が見えた。そこもまた長い間放置されているようで、外壁も剥がれ落ちていた。看板には薄っすらと「宿」という文字が見えた。松田が声をかけてみたが、誰も出てくる気配はなく、戸も開かなかった。他にも小さな民家が残っていたが人の気配はまるでなく、廃村になっていた。
車に戻ると、運転席では仏頂面の広瀬の兄が待っていた。
「ここは廃村だ。誰もいない。俺は、あまりここにいたくない」
松田は謝りながら車に乗り込むと、目的地である山の入り口に向かった。
そこは青々とした木々が生い茂る山。まるで森のようで、多方向から野鳥の鳴き声が聞こえてくる。
入口には木製の古い道標があり、擦れた文字で「山荘」「トンネル」と書かれ、山の奥を指している。
山道は長く放置されているようで、アスファルトの道は地割れでヒビが入っていた。
運転席の広瀬の兄は、ハンドルに腕を乗せたまま険しい顔で山道の奥を見つめていた。
「どうしたの、早く進んで」
痺れを切らす広瀬。
「本当に行くのか?」
「そうだよ。なんで?」
「嫌な予感がする。俺は行きたくない」
「兄貴はホント、ビビり」
「うるせーよ。もういいだろ。村には人もいなかったし。帰ろうぜ」
「ここまで来て引き返せるわけないでしょ!」
松田の目の前で兄妹喧嘩が始まってしまった。嫌な予感というのは、松田も感じていた。
「あの、ここからは俺一人で行きます」
「ここから歩くなんて無理でしょ。日没までに戻ってこれないかも」
「ここまで連れてきてもらっただけで十分だよ。本当に感謝している。広瀬のお兄さん、ありがとうございました」
松田は広瀬の兄に頭を下げた。
「広瀬も色々ありがとな」
そう言うと、松田は外に出て一人歩き出した。
遠ざかる松田の後ろ姿に、広瀬はとっさにドアノブに手をかけ車から出ようとした。
だが、とっさに広瀬の兄が広瀬の腕を掴んで阻止した。
「何? 離してよ」
「行くな!」
「私の勝手でしょ。兄貴はここで待っていてくれればいいよ」
「だめだ。お前に何かあったら、俺が親父に殴られるだろ」
「心配しなくても、用が済んだら戻ってくるよ」
「あいつが何の目的でこの山に入るのか知らないが、ここはよくない。ここというより、もっと奥にある何か。きっと、あいつが行こうとしている場所だろ。嫌な気配がする。わかるだろ。どういうことか」
「また霊的なこと?」
「違う! 予感だ!」
広瀬の兄は霊感がある。駅で松田を見た時、体の周囲に薄っすらと黒い靄のようなものが広瀬の何には見えていた。それは目的地に近づくほど濃くなっていた。
「それじゃ、なおさら一人で行かせられないでしょ。私にも責任があるんだから!」
なおも車から出ようとする広瀬を、どうにか止めようとする広瀬の兄。
「大丈夫だって。可愛い妹を見捨てたなんて、誰にも言わないから」
広瀬は兄の手を振り払い、意地悪そうに笑った。
そして、広瀬は松田の後を追いかけた。
そんな広瀬の姿を見て、広瀬の兄はため息をつきながらハンドルに顔をうずめた。
松田は地図を手に山道を進んでいく。地図に記された呪いの家まではかなり遠い。
「待って!」
振り返ると、広瀬が走って追いかけて来た。
「私も一緒に行くから」
「お兄さんが心配するよ。戻った方がいい」
車に戻るように促す松田をよそに、広瀬は一人前に進んでいく。
「私は興味がある。その呪いの家に」
「亮介みたいなこと言うなよ。何かあったらまずいだろ。ここまで連れて来てくれたのに、恩を仇で返すようなことはしたくないんだ」
「私はね、半信半疑なのよ。呪いとか祟りって、結局は思い込みなんじゃないかって。すべては偶然の不幸が重なっただけなんじゃないかって」
そう言いながら、松田の前を進む広瀬。
生い茂る草木がざわざわと音を立てて揺れた。ふと、松田は視線を感じた。
身を潜めているのは、野生生物かそれとも人ならざる者か。広瀬は前者で息を呑み、松田は後者で息を呑んだ。
その時、背後から車のクラクションが鳴り、広瀬が思わず悲鳴をあげた。その声は普段の広瀬とはまるで違う高い声で、松田は驚きながら広瀬を見た。
すると、それに動揺した広瀬はすぐに低い声で「あー驚いた。まったく」と呟いた。
二人に近づいてくるのは、広瀬の兄が運転する派手な車。松田のそばで止まると、広瀬の兄は「乗れよ」という合図をした。
「連れて帰る気?」
広瀬の兄を睨みつける広瀬。
「乗せて行けばいいんだろ。この先に」
不機嫌そうにそう言う広瀬の兄に、
「最初からそうしてくれれば、恥をかかずに済んだのに」
と広瀬は助手席に乗り込んだ。
一方、松田は遠慮してなかなか乗らずにいた。すると、苛立った広瀬の兄が強い口調で「早く乗れ! 時間が勿体ないだろ!」と言った。松田は頭を下げ、車に乗り込んだ。
車は山道を道なりに進んだ。奥に進めば進むほど道はひどく荒れていく。途中に薄っすらと「診療所」と読める木製の古い道標を見つけた。野鳥は相変わらず騒がしく、時々草むらの奥に獣の影を見た。
しばらく進むと、山道は二手に分かれた。
ひとつは舗装されたアスファルトの道。もうひとつは道幅が、車一台やっと通れる程の荒れた道。目的の家に行くには、荒れた道の方を進まなくてはいけなかった。周りの木々は入り口よりも無造作に生い茂り、中には倒れそうなほど傾いている木もあった。
地面は大小の石が転がり、進むとガタガタと車を揺らした。
そんな道をしばらく進むと、目の前に土砂崩れでも起こったのか、大木が根元から倒れ道を完全に塞いでいた。
「これ以上進むのは無理だ」
広瀬の兄はそう言い、倒れた大木の手前で車を止めた。
松田と広瀬が車を降りて調べに行くと、倒れた大木はその先の木に引っかかり、下には人が通れるだけの隙間があった。
「この隙間から通り抜けよう」
そう言って、松田は通り抜けようとした。
大木が寄りかかる木は頼りなく、いつ大木が地面に倒れるかわからない。倒れたら確実に押し潰される。
車から降りてきた広瀬の兄は、
「そこを通るのは危険だぞ」と言った。
だが、松田は耳を貸すことなく大木の隙間を潜っていった。
「本当に平気?」
広瀬も恐る恐る大木を潜り、松田の後を追った。
「嘘だろ……」
唖然とする広瀬の兄。
「危険なので無理しないでください」
大木の向こうから松田の声がした。
だが、「こんなところに一人で置いて行かれる方が嫌に決まってるだろ」と呟きながら、広瀬の兄も後を追おうと大木に手を触れた。
その時、倒れた大木の向こう側から風が吹いた。周りの木々がざわざわと音を立てて揺れ、広瀬の兄の不安を煽った。
「そこで待っててくれてもいいよ! 私たちだけで行ってくるから」
倒れた大木の向こうから広瀬の声がした。
「待て! こんなところに置いて行くなよ。お、俺も行くから」
そう言うと、広瀬の兄も意を決し大木の隙間を潜り抜けた。
三人の先には、薄暗い荒れた道が続いている。道はだんだんと上り坂になり、息が自然と上がっていく。途中にまた診療所への古い道標を見かけた。どれも文字が辛うじて読めるほど擦れていた。
松田と広瀬は、汗を拭いながら道標が示す方へ歩いた。そのずっと後方では、広瀬の兄が汗だくで息を切らせながら歩いている。松田は時々立ち止まり、後方から歩いてくる広瀬の兄のことを待った。一方、広瀬はお構いなしに先に進んでいく。
ようやく坂を上りきると、そこには木々に囲まれた広場と不釣り合いなコンクリートの建物、そして二階建ての家が建っていた。今まで鳴いていた野鳥の声が消え、気味が悪いほど静かだった。
松田はリュックの中から写真を取り出し、目の前に建つ家と見比べた。人が住んでいる様子はなく、写真よりも家の周囲には雑草が茂り、壁面には蔦が這い、玄関の引き戸はガラスが割れていたが、写真と同じく「廣田」と書かれた表札があった。
呪いの家が、そこに建っていた。玄関の前に立つ松田は息を呑んだ。
「中に入れるのかな」
すでに廃屋と化している家を見上げながら広瀬はそう言った。
「無理矢理にでも入る」
「ワイルドだこと」
戸は鍵が壊れているのか、よく見ると少し開いていた。松田は玄関の戸に手を掛けて力いっぱい引いた。
だが、立て付けがかなり悪いようで、開いたのは人一人が通れるだけの隙間だった。
松田はリュックを下ろすと、中から懐中電灯だけを取出し、リュックは玄関の横に置いた。そして、松田は戸の隙間から家の中に入ろうとした。
「ちょっと待て!」
ようやく坂を上りきった広瀬の兄が、家に入ろうとする松田を止めた。
汗まみれで息を切らせ、呪いの家を見上げる広瀬の兄の表情は険しい。
「目的地ってここか?」
「はい」
広瀬の兄の問いに、松田が返事をする。
「その家に入る気なのか? 俺はおすすめしない。入らない方がいい」
広瀬の兄には、その家から禍々しい気配を感じていた。
「またそれ? 兄貴はホントに怖がり。平気だって」
「どうしても、この家で調べたいことがあるんです」
「それなら、お前(松田)ひとりで行け。お前(広瀬)は入るな」
「は? 無理。私もこの家で起こった事に興味があるし」
「この家で起こったことってなんだよ」
「兄貴は知らない方がいいよ」
「何だよ、そりゃ」
「お兄さんの言うとおりだよ。広瀬はお兄さんと外で待っていてくれ。それに家の中は床が腐っていて危険かもしれない」
「行くか行かないかは自分が決める」
「俺は行かないぞ」
「いいよ、兄貴は外で待ってて」
「何があっても知らないぞ」
広瀬は兄の制止を聞かず、松田と広瀬は玄関の隙間から家の中に入っていった。
呪いの家
薄暗い家の中。玄関から真っすぐと伸びた廊下と、二階に続く階段が目に入る。その光景は映画で見たものと同じだった。
土間の隅に目をやると、そこには虫の死骸と古い男女の草履が無造作に置かれていた。
松田は懐中電灯で辺りを照らす。家の中は長く掃除をされていないようで、カビのにおいが漂い、床はゴミと土や泥で汚れ、天井には蜘蛛の巣があちこちに張られていた。
二階へ続く階段の途中には、人を阻むように荷物が積み上げられていた。
松田と広瀬は家に上がると、一階を探索しはじめた。廊下の途中にある浴室やトイレは、ドアが壊れていて開かず、隙間から中を覗くと、壁や床にはヘドロのようなものがこびりついていた。においも酷く、二人はすぐにそこから離れた。
廊下を進むと、そこには広いリビングとキッチンが繋がる部屋があり、廊下は映画通りにL字に伸びていた。
二人がリビングを覗くと、家具は当時のまま残っていて生活感が漂っていた。だが窓ガラスが割れていてそこから獣が入り込んだのか、部屋は荒れていて床はガラスの破片と泥とガラクタで足の踏み場がなかった。天井には獲物を待つ大きな蜘蛛が巣を張っていた。
松田が部屋に一歩踏み出すと、床が音を立ててわずかに沈んだ。床が腐っている。そう感じた松田は、踏み出した足を引いた。
その時、ふと視界の隅で人影を捉えた。とっさに廊下の奥に顔を向けるも、そこには誰もいないが代わりにあるものが目に入った。それを見た松田の心臓は激しく鼓動した。
それは廊下の突き当りにある、地下室に続くドアだった。
「あの先だ」
ギシリギシリと軋む廊下。
ドアに近づくにつれ、少しずつ空気が重くなるのを松田は感じていた。
ドアにはまるで封印するかのように古い板が打ち付けられ、周りにはテープのようなものが張られていた。かなり古いようで、指で触れるとパリパリと崩れ落ちていく。
「封鎖されている」
ドアの先にあるのは地下室へ続く階段。そこで、紗夜子という女が監禁され、酷い扱いを受けた挙句に恨みを抱いて死んだ。その地下室では、犯人であるこの家の男も同様に死んでいる。呪いはきっとそこから始まっている。
ドアに打ち付けられていた古い板は、道具があれば剥がせそうだった。
だが、ドアノブには小さな古い南京錠がかけられていた。
「鍵がかかってる。鍵を探さないと」
「この南京錠って、きっと今の管理者がつけたんだよね? この家に残っているかな」
「わからない。とりあえず探してみよう。鍵が見つからなければ工具を探す」
「悪巧みだね。見つかったら怒られそう。じゃ、二手に分かれて探してみようか」
「床が腐っているところもある。気をつけろよ」
松田と広瀬は、別々に鍵と板をはずすための道具を探し始めた。
《広瀬の兄》
呪いの家に入っていく松田と広瀬を見送った広瀬の兄。二人の影が玄関のガラス戸から消えると、周囲の木々が音を立てながら風に揺れた。家からは禍々しい空気が漂い、妹のことは心配であったが後を追うことは出来なかった。
広瀬の兄はスマホゲームで時間を潰そうとした。しかし、スマホを見ると圏外なうえに充電がわずかしかなく諦めた。
ため息をつきながら顔を上げた時、呪いの家の隣に立つ小さな診療所が目に入った。コンクリートの壁は呪いの家と同じく蔦が這い、外壁の一部が剥がれ落ちていた。看板の文字は擦れ、診療所の文字だけが微かに残っているようだった。
入口のガラス扉や窓も、土埃で汚れ、ヒビが入っていた。廃墟になってから、かなりの年月が経っているようだった。
診療所からも気配を感じていた広瀬の兄だが、そこから漂う気配は「怒り」や「憎しみ」というよりは、「喪失感」や「悲しみ」だった。
汚れた窓ガラスから室内を覗き込むと、そこは受付と待合室のようだった正面には受付カウンターがあり、その両脇に扉があるようだった。
待合室には無造作に置かれたテーブルや椅子があり、床にはゴミが散乱していた。
人の気配はもちろんない。広瀬の兄が玄関の扉を押した。すると、扉は途中まで開いたが、何かに当たりそれ以上は開かなかった。
見れば、扉の向こう側に土嚢のような袋が置いてあった。
力を入れると土嚢の袋はわずかに動いた。
広瀬の兄は扉に体重をかけて押し込んだ。
すると、扉は土嚢とともに開いた。
中に入ると、埃のにおいが充満していた。至るところに埃が積もっていた。
壁に張られたポスターや告知も、何が書かれているかわからないほど字は擦れていた。壁掛け時計もまた、その役目を終えていた。
左右に伸びた通路の先には、扉のない入り口と重苦しい扉があった。それぞれの入口の上にはプレートがあり「診察室」「処置室」「病室」「事務所」と書かれていた。
そして、広瀬の兄は扉のない病室に足を向けた。
「病室」
入口にドアがなく、床には汚れた布が落ちていた。広瀬の兄は、それを跨ぐと病室の中に入った。
大きな窓ガラスがある病室は、そこから射し込む光で明るく、外の景色がよく見えた。少し開いたその窓からは、時折涼しい風が入ってきた。
だが、床は土で汚れ、壁はところどころカビが広がっていた。
病室の両脇には古いベッドが置かれ、その上には汚れたシーツと快適とは無縁そうな枕がそのまま放置されていた。
ベッドの横に古いチェストがあり、広瀬の兄が引き出しを開けてみたが何も残っていなかった。
そして、広瀬の兄はその病室を出た。
「診察室」
部屋に入ると布部分が黒く変色して朽ちている衝立と、その向こうに机と椅子が並んでいた。その横には、埃まみれの診察台があった。
壁際には大きな扉付きの棚があった。片方には薬品の瓶が無造作に置かれ、片方には色別の分厚いファイルが残されていた。
瓶の中身は空のものもあれば、当時のまま残っているものもあった。
ファイルが気になった広瀬の兄は、棚の扉を開けようとした。
すると、建付けが悪く強引に開けた拍子に薬品の瓶が一つ床に落ちて割れた。黒い液体が床に広がると、血生臭いにおいが漂い顔をしかめた。診察台の下に薄汚れたシーツを見つけ、それを上に被せた。
棚からファイルを一冊引き抜くと、広瀬の兄は埃まみれの椅子に座りファイルを開いた。それは一般患者のカルテのようだった。
カルテには患者の名前と症状、病名、処置方法や薬の名前などが書かれ、同じ名前のカルテがいくつか存在した。すべてのカルテには「廣田純一郎」という医師の名前が書かれていた。達筆なその字は、その人柄を表しているようだった。
そして、また別の色のファイルを手に取った。そこに書かれていたのは、妊娠、出産に関わるものだった。検査日、出産予定日、胎児の様子、出産後の経過などが細かく書かれていた。
そのカルテも同じ医師の名前が書かれていた。それらのファイルは、診療所が廃業になっても、そのまま放置されていたようだ。
それらは何の変哲もない、ただのカルテだった。
広瀬の兄は持っていたファイルを棚に戻すと、机の周囲を調べ始めた。壁に飾られたカレンダーは、今から四十年以上も前のものだった。机の上には医学書関係の本が並び、上には未整理のカルテと、何やら契約書らしき紙がしわくちゃの状態で散乱していた。どれも長い年月が経っていて文字は読めなかった。
引き出しには、ガラクタ以外には何もなかった。他にめぼしいものもなく、広瀬の兄は診察室から出ようとした。
その時、どこからか赤ん坊の泣き声が聞こえた。
「は? 嘘だろ。こんな廃墟に赤ん坊? いやいや、違う。この声は赤ん坊なんかじゃない」
とっくに廃れた診療所。他に患者もいなければ、医師も看護婦の姿もない。そんな診療所に赤ん坊なんているはずがない。そう思いながら、広瀬の兄は診察室から外に出た。
診察室の隣にある事務所は、ドアノブが完全に壊れているようで、力ずくで開けようとしてもびくともしなかった。ただ、聞こえてくる赤ん坊の泣き声はその部屋からではないようだった。
そして、最後に残った部屋。そこに近づくほど、赤ん坊の泣き声が大きくなる。扉の上には、どす黒いタールのようなものがこびりついたプレートがあり、そこには「処置室」と書かれていた。
扉の向こうから聞こえてくる赤ん坊の声に広瀬の兄は息を呑んだ。心臓は今にも張り裂けそうなほど鼓動していた。
意を決し、処置室の扉を開けると、赤ん坊の泣き声がぴたりと止んだ。
広瀬の兄は安堵し、そのまま中に入っていった。
《呪いの家(松田・広瀬)》
一方、松田と広瀬は扉の鍵と工具を探していた。
松田は一階にある和室にいた。そこには古いタンスが二棹と、古い木製の化粧台が置かれていた。畳は歩くたびミシリミシリと音を立てながらやや沈み、格子型の窓ガラスは割れ、外の草木が顔を出していた。押入れの襖は半開きで、ところどころ破れていた。
松田がタンスを開けてみるが、どちらも中には何も残っておらず空っぽだった。唯一残っているのは、とうに役目を終えた乾燥剤だけだった。
化粧台の引き出しには、使いかけの口紅や油紙、そして古い白黒の写真が入っていた。写真に写っている人物は、背広姿に眼鏡をかけた細身の初老の男性。少し気難しそうな顔をしていた。
犯人の写真だろうか。
そう思いながら、松田がふと顔をあげた。
埃の被った化粧台の鏡に、自分の顔がぼんやりと映っている。指でなぞると鏡についた埃が拭き取られ、自分の顔が良く見えるようになった
その時、松田の背後で押入れの方を向いて立っている黒い人影が現れた。松田はとっさに振り返ったが、黒い人影はもう消えていた。
松田は気になり、半開きになった襖に恐る恐る手をかけると、中から壁を引っ掻くような音が聞こえ、驚いた松田はとっさに手を止めた。
次の瞬間、押入れの隙間から大きなネズミが飛び出し、割れた窓ガラスから外に逃げていった。
腰を抜かしながらも、ネズミだったことに安堵する松田。
改めて押入れを開けると、そこには大量の糞があり、ネズミの住処となっていた。その奥で、埃の被った段ボールが一つ残っていた。引っ張ってみると、何か入っているようで重かった。
松田は段ボールの上に積もった埃を手で払い、その蓋を開けてみた。
そこには写真アルバムが何冊か入っていた。表紙を捲ると、古い白黒写真で正装姿の男女と若い女性と青年が並んで写っていた。だが、四人の顔はどれもサインペンで塗りつぶされていた。他の写真も同様だった。
「なんだよ、この写真」
段ボールから他のアルバムを拾い上げると、その下に裏返った大きな額縁と黒い縦長のものが目に入った。そこが何かの賞状や絵だと思った松田は、何の躊躇いもなく表を返した。
すると、それは白黒の男性の遺影で、化粧台の引き出しに入っていた写真の人物だった。額縁はもうひとつあり、それは初老の女性の遺影だった。
黒い縦長のものは位牌だった。位牌の文字は擦れて読むことは出来なかった。
「なんでこんなものが押入れにあるんだ」
その瞬間、目の前の段ボール箱がただの思い出の詰まった箱から、触れてはいけない禍々しい箱へと変わった。
松田はすぐに蓋を閉じると、押入れの中に戻した。
「松田君、ちょっと来てくれない」
リビングから広瀬の大きな声が聞こえた。
松田は探し終えた和室を出ると、広瀬がいるリビングに向かった。
「どうかした?」
リビングを覗くと、広瀬はキッチンの方でノートらしきものを見ていた。
「ちょっと、これ見て」
松田は軋む床を慎重に歩きながら広瀬に近づいた。
キッチンカウンターの上に、ノートが二冊置かれていた。そこには「料理法」と書かれ、表紙を捲ると文字通り料理のレシピが手書きで細かく書かれていた。
「料理本がどうした?」
「こっち!」
そう言うと、広瀬は分厚いノートを松田に差し出した。
そのノートは古くてボロボロで、表紙は何も書かれていない。表紙を捲ると、日付と文字が書かれ誰かの日記のようだった。
「日記か。どこにあった?」
「キッチンの引き出しのずっと奥の方に、料理本の下に置いてあった」
「なんでそんなところに?」
「さぁね。私なら金庫に入れるけど」
「金庫ってお前」
「その日記、結構やばいこと書かれてあるよ」
松田は日記を開いた。
××年××月××日。
今日から正式に父の診療所で看護婦として働くことになりました。これからは、診療所でも母の代わりに父を支えていくつもりです。
遠い地で入院している母の病状は厳しい。けれど、母は常に気丈に振る舞い、家族のことを気にかけてくれます。
それなのに、父は母の見舞いに行こうとしません。ここを離れるわけにはいかないと。母も強くは望んでいないようです。それはこの診療所が、村で唯一の医療だからでしょう。けれど、もう少し母を大切にしてほしい。
弟の和雄に連絡を入れてみたけれど、忙しいと電話を切られてしまいました。研修医になってから、弟はどこか苛立っているようで心配です。また四人で仲良く暮らせる日が来ることを私は祈っています。
××年××月××日。
思えば、昔から不可解なことがありました。
普段、父は無口ですが優しい人で、村の人からもとても慕われています。
私と弟が幼い頃、よく診療所で勉強を見てもらったり、患者さんに遊んでもらったりしていました。しかし、私だけ診療所から追い出されることが時々ありました。
しかし弟は許されていて、私は不公平さを感じていました。いつだったか、内緒で中に戻ろうとして見つかってしまい、叱られた挙句に鍵までかけられました。
理由を聞いても教えてはくれず、弟も父に口止めされているようでした。
そういう日は、決まって見知らぬ妊婦さんが診療所に来ておりました。お産の邪魔になるからと思っていましたが、弟はどういうことなのか……。
大人になった今でもそうなのです。
今日、父からまた診療所を追い出されました。診療所には、村の人ではない妊婦の患者さんが来ていました。
診察時間を終えた後、父から家に帰りなさいと。日が明けるまで診療所に入るな。と言われました。助産師の資格があると伝えても、入れてはもらえませんでした。
一体、父は何をしているのだろうか。
××年××月××日。
今日は母のお見舞いに行きました。
ずっと疑問に思っていたことを、母に尋ねましたが教えてはくれませんでした。
「ごめんなさいね」とただ謝るだけでした。
そんな母は会うたびに痩せていきます。
顔色は悪く目は窪んでいきます。
どうか神様。母をお助けください。
××年××月××日。
母が亡くなりました。
その日記から、家族構成を知ることが出来た。
家の隣に建つ診療所は、日記の著者の父親が医師として働き、母親が看護師として働いていた。
患者の多くは、麓にある村で暮らす人々。
診療所は産婦人科も兼ねていて、他県からも患者が訪れていた。
母親が病気で他県の病院に入院してから、娘が看護師として働きだした。
弟の和雄は、医師になるために他県の病院で研修医として働いていた。
この人物が監禁事件の犯人だろうと松田は察した。
日記には両親に対する疑念が書かれていた。
筆者が幼い頃から、見知らぬ妊婦の患者が来ると追い出され、それは大人になり看護婦として働きだしてからも同じ。父親は一体何をしていたのか。
松田が日記の続きを読もうとした時、広瀬のスマホが鳴りだし、着信音に驚いた広瀬がびくりと肩を震わせた。
スマホを見ると、「兄貴」と表示されていた。
「兄貴からだ。面倒くさいな。出るのやめようかな」
鳴り続ける着信に、面倒くさそうな顔をしている広瀬だった。
「ちゃんと出てやれよ」
松田に促され、広瀬はため息をつきながら電話に出た。
「もしもし?」
電話の向こうから酷い雑音が聞こえる。
「もしもし? なんか、電波ひどいんだけど」
雑音にイラつく広瀬。
「……こっちに来てくれ……」
ようやく聞こえた兄の声。
「今、こっちで探し物しているんだけど!」
「……こっちニ来てクれ……」
「後でいいでしょ?」
「……こっちニ来てクれ……」
繰り返すその声に違和感を覚えながらも、広瀬は渋々「わかった」と伝え電話を切った。
「まだ探し物見つけてないのに。兄貴が来てくれってしつこいから、ちょっと行ってくる。すぐに戻るから」
「ああ、わかった」
松田がそう返事をすると、広瀬は足早にリビングを出て行った。
《診療所・処置室(広瀬の兄)》
一方、広瀬の兄は処置室にいた。
処置室の中はひんやりとした空気が漂い、薬品のにおいが漂っていた。壁は黒ずみ、床には汚れた布やゴミが散らばっていた。中央には古びた手術台があり、空っぽのカートは全体的に錆びついていた。無影灯は黒く汚れ、電球は割れていた。
壁際に置かれた棚には、埃まみれの薬瓶が並び、その向こうには赤黒く汚れた布が置かれたテーブルがあった。その赤黒く汚れた布は、何かを隠すように膨らみがあった。そして、よく見るとそれは呼吸をするかのように、わずかに上下していた。
脳裏に浮かぶ赤ん坊の声。広瀬の兄は指先で恐る恐る布を捲りあげた。だが、そこにあったのは赤ん坊ではなく、黒ずんだ古いノートだった。
《呪いの家(松田)》
一方、一人になった松田は日記の続きを読む。
××年××月××日
今日、弟が何の連絡もなく突然家に帰って来ました。驚きましたが、私はどこかうれしかったのです。
けれど、問題がありました。
研修医として勤めていた病院を辞めてきたそうです。それどころか、医者もやめると言い出しました。理由を聞いても答えず、部屋に籠ってしまいました。せっかく父も喜んでいたというのに。一体、何があったのかしら。
弟の顔はどこか思い詰めている様子で、気持ちも不安定なようでした。
父も弟のことを心配しています。早く以前の弟に戻ってくれるといいけれど。
××年××月××日
今日も、弟は部屋に閉じこもっています。
用事がある時にだけ、部屋から出てきます。
目は虚ろで疲れた顔をしています。父が薬を処方しようとしても拒否し、相談に乗ろうとしても、弟は何も話してはくれません。
母がいてくれたらと常々思います。偉大さを実感しました。
私に弟を支えられるでしょうか。
××年××月××日
弟が時々、森に出掛けるようになりました。
外に出ることはいいことです。
この山は自然が豊かで鳥や動物も多い。
きっと心も体もいい方向に向いてくれるはず。
弟が以前のように戻れば、父の診療所をいつか継いでくれるでしょう。
××年××月××日
弟の部屋から異臭が漂ってきます。
ドア越しに尋ねても、部屋の中にいる弟は無反応。
昼過ぎに食事を取りに来た弟の手と服には、血痕がついていました。
嫌な予感がして、私が問い詰めると、弟は私のことを睨み、料理をすべてひっくり返してしまいました。
それに怒った父は弟を殴りました。
すると、弟は奇声をあげながら、自分の部屋に閉じ籠ってしまいました。
床に落ちた料理を拾いながら、私は悲しくて涙が出ました。
それでも、私は弟のことが嫌いになれません。それは、産まれたばかりのあの子の笑顔と、私の指を握ったあの小さい手が今でも忘れられないからです。
それを思い出すたび、私は弟を愛しく思ってしまうのです。
××年××月××日
朝、父が亡くなっていました。
父は布団の上で、土下座をするように体を丸め、見開いたその目は真っ赤に充血していました。口からは大量に吐血し、布団はまるで血の海でした。
その姿を見て、私は父が生前こぼしていた言葉を思い出しました。
「私はきっと安らかには死ねないだろう」
理由を尋ねても、教えてはくれませんでした。
一体、父はどんな罪を犯してしまったのでしょう……。
××年××月××日
今日は父の葬儀でした。
それなのに、弟は部屋に籠ったまま。父を見送ったのは私だけとなりました。
村の人たちから、何故勝手に葬儀を済ませたのかとお叱りを受けましたが、あのような父の姿をよそ様に見せるわけにはいきませんでした。
きっと、父もわかってくれると思います。
葬儀が終わって家に帰ると、弟は狂ったように笑っていました。
父が死んだことを、まるで喜んでいるようでした。
私はそんな弟を見て、悲しみとほんの少しの怖れを感じました。
××年××月××日
弟が突然、家に地下室を作ると言い出しました。
住んでいるのは今や私と弟の二人だけ。部屋が足りないということはないはずです。
それなのに、地下室を増設するだなんて。用途を聞いても答えませんでした。
弟はすでに決めているようで、どこかに電話をかけて建築のお願いをしていました。
その時の表情は、とても生き生きしていて終始笑顔でした。
私は弟の笑顔が大好きでした。医者を辞めて帰って来てからも、また笑顔に戻れることを望んでいました。
けれど、その時の弟の笑顔を見て、何故か鳥肌が立ったのです。
同時に、何か嫌な予感がしました。
日記には、診療所の事も書かれていた。
医者を失くした診療所は、しばらくは看護師である長女が対応していたが、やはり限界があり廃院となった。
長女は隣の村の医師に頼み込み、そちらに行くよう村人たちに伝えたと。
村人は跡継ぎとなる和雄を待っていたが、『弟は大都市の病院で活躍していて戻って来られない』という長女の嘘に騙され、それは叶わなかった。
長女は、『弟が家にいることを誰にも知られないように』と、生前父からずっと言われていたのだった。それを守っていた。
医者である父、純一郎が死んだことを知らずに訪れてくる妊婦の女性は、事情を聞くと落ち込んだ様子で聞き入れる。
診療所で出産は可能だと伝えても、みんな出産を拒否した。そして、長女に何かを言いかけ帰って行く。
結局、何が目的でこんな山奥の診療所に来るのか、長女にはわからなかったようだ。
そして、地下室が完成する。
急ごしらえで作られた地下室は、薄暗くて湿った空気が漂っていた。それは、まるで牢獄のようだったと書かれていた。
松田が日記のページを捲ろうとした時、廊下の方から女のすすり泣く声が聞こえた。
家には誰もいないはず。
まさか紗夜子が現れたのか。
松田は物陰に隠れながら様子を伺った。
すすり泣く声が近づいてくると、リビングの前の廊下を白衣姿の女が横切った。それは紗夜子とは別人のようだった。
松田はテーブルの上に日記を置くと、音を立てないように廊下に顔を出した。白衣の女は松田に気づいていない様子で二階に続く階段へ曲がった。そして、かすかに階段を上っていく軋む音が聞こえた。
「二階に行ったのか?」
家に入って来た時、階段には塞ぐようにして物が置かれていた。それらを動かす音はしなかった。
松田は不思議に思いながら、白衣の女を追いかけ廊下に出た。
その時、突然酷い耳鳴りに襲われて視界が歪んだ。松田はとっさに目を瞑り、耳を塞いだ。
すぐに耳鳴りは止み、目を開けると家の雰囲気が変わっていた。割れたガラス戸は元通りになり、廊下に落ちたゴミも、壁の汚れも、天井の蜘蛛の巣も消えていた。浴室やトイレのドアも、まるで人が暮らしていた頃に戻ったかのように綺麗になった。地下室へのドアは施錠はされているが、封鎖していた板がなくなっていた。
松田は白衣の女を追いかけ階段に向かった。
玄関の扉はヒビもなく、階段に置かれていた物も消えてなくなっていた。
「どうなっているんだ……」
松田は戸惑いながらも階段を上り、二階へ向かった。
二階は一階よりも明るく、一階よりも荒れていなかった。
廊下に白衣の女の姿はなく、すすり泣く声も消えていた。足音も聞こえず、人の気配もしなかった。
松田が階段に近い部屋の襖を開けた。そこは六畳ほどの何もない和室だった。中に入ってみると、年季の入った壁や天井は変色していて、ヒビが入った窓ガラスはガムテープで補強されていた。畳は所々黒く腐食していた。
ふと押入れに目を向けると、破れた襖が少しだけ開いていた。隙間を覗くと、中板の上に紙の切れ端があり、そこには何か文字のようなものが書かれているようだった。
松田は気になり襖を開けた。
すると、目に飛び込んできたのは赤黒いインクでびっしりと書かれた文字だった。
『お願い許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許シて許しテ許シテゆるシテ許しししし死死》
文字はだんだんと原型を失い、最後には読めなくなっていた。
それを見た松田は、あまりの気味悪さに血の気が引いた。だが、裏にも何か書かれているかもしれないと思い、紙の切れ端に触れた。
その瞬間、再び激しい耳鳴りに襲われた。
松田は顔を歪めながら、とっさに耳を塞いだ。紙の切れ端に書かれた赤黒い文字が、鮮やかな赤に変わっていく。
思わず目を閉じた松田は、暗闇で白い服を着た紗夜子の姿が浮かび上がり、とっさに目を開けた。
ようやく耳鳴りが収まり、松田は耳を塞いでいた手を離した。
「許して……」
背後から声が聞こえた。それは弱々しく、絞り出すような声。そして、今まで感じなかった人の気配と軋む音。
松田は恐る恐る振り返った。
すると、そこには天井から伸びた縄で首を吊っている白衣の女がいた。その目は力なく虚空を見つめ、体は振り子のように僅かに揺れていた。
すでに死んでいるようで、女の手足は黒ずみ、足元には黒い水溜まりが出来ていた。
だが、松田の耳には聞こえている。
『許して、ごめんなさい』と泣きながら詫びる声が。
徐々に恐怖から同情に変わっていく。
白衣の女の右手に何か握られていることに気づいた松田は、恐る恐る女の右手に手を伸ばした。
すると、その手は凍えてしまいそうなほど冷たく、指は死後硬直をしているのかなかなか開くことが出来なかった。
女の指を曲げるたび、ミシミシと骨が軋む音がした。指の隙間から見えるのは、古い小さな桐の箱のようだった。
最後に残った小指を桐の箱から離そうとした時、腐っていたのか小指がポトリと床に落ちた。焦った松田は、小さな桐の箱を手にすると部屋から飛び出た。
そして、廊下から動かない白衣の女と落ちた小指に向かって、何度も手を合わせて謝罪したのだった。
その時、どこからかテレビの砂嵐の音が聞こえて来た。音のする方を見ると、廊下の奥にある部屋のドアが少し開いているようだった。
松田が二階に来た時、音もしなければ部屋のドアは閉まっていた。それなのに……。
松田は誘われるように、小さな桐の箱を握りしめながら廊下の奥に向かって歩きだした。
その途中、耳元で蠅の飛び回る音がして思わず振り払ったが、周囲を見ても蠅はおろか虫すら飛んでいなかった。松田は困惑しながらも先を進んでいると、隣の部屋の襖がぽっかりと穴が開いていた。松田はその部屋にも何かあるかもしれないと、穴の中を覗いた。
穴の向こうは、何もない薄暗い和室だった。
だというのに、部屋の中から血生臭い香りとクチャクチャという奇妙な音が聞こえて来た。加えて、蠅の羽ばたく音が松田の耳元に纏わりつく。音とにおいに反応し、胃から酸が込み上げてくる。
松田は穴から身を引いたが、気分が悪くなりその場に吐くと、そのまま気絶した。
《呪いの家・外(広瀬)》
その少し前、兄からの電話で呪いの家の外に出た広瀬は、その兄を探していた。
だが、どんなに呼んでも兄は見当たらず、広瀬は電話をかけることにした。
コールが数回鳴った後、兄が電話に出た。
電波が悪くて声が途切れ途切れであったが、何とか隣の診療所にいることがわかると、広瀬は診療所に向かった。
そして、診療所の中に入った広瀬は大声で兄を呼んだ。
「兄貴ー、どこにいるの?」
「ここだ。処置室」
兄の声が返ってきた。
広瀬はその声が聞こえた方へ向かうと、処置室と書かれたプレートと扉を見つけた。
その扉を開けると、中からひんやりとした空気が肌に触れた。
そして、処置室の片隅で読み物をしている兄の姿を見つけた。
「寒いね、ここ」
広瀬が声をかけた。
「この診療所はやばい」
と、広瀬の兄は真顔でそう言った。
広瀬の兄が持つ古いノートは、黒ずんだ布の下にあったものだった。
用紙が一枚ずつ紐でまとめられたノート。表紙には小さく「堕」と赤い文字で書かれていた。表紙を捲ると、それは色焼けして文字も擦れたカルテの束だった。
最初のページの日付は五十年以上も前のものだった。
そこには日付、患者名、年齢、周期と子宮内にいる赤ん坊の絵が描かれていた。
赤ん坊の大きさはどれも異なっていた。
中には、まだ人の形を成していない絵もあった。
どのカルテにも共通していたのは、赤ん坊の絵の下に赤いペンで×と記され、小さく日付が書かれていたことだった。それは、この場所で行われていた堕胎手術の記録だった。その中には、出産間近の赤ん坊まで堕胎していた。
「ったく、とんでもないところだぜ」
「呪いと関係あるのかな」
「呪い? さぁね。この診療所に漂うのは、罪悪感みたいなものだろうな」
「霊的な感じ?」
「霊的とか言うなよ。で、なんでここにいるんだ? いいのか、あいつだけあの家に置いてきて」
「何、言ってんの。兄貴が電話で呼んだんじゃん。こっちにきてくれって」
「は? 俺は電話なんてしてないぞ」
「はぁ? 冗談やめてよ」
「着信履歴を見てみればいいだろ」
そう言われ、広瀬は自身のスマホの着信履歴を確認した。すると、一番上にあるはずの兄の名前がなかった。
混乱する広瀬。
「いやいやいや。私、兄貴と電話で話したって!」
「電話なんてかけてないって言ってるだろ。履歴がないのが証拠だろうが」
「でも、確かに兄貴の番号からだったし、声だって兄貴の……」
そう言いかけた時、電話の途中からノイズが混じり、兄の声が別人のように聞こえた後で電話が切れたことを思い出した。
「松田君のところに戻るわ」
「さっきも言ったが、あの家は本当によくないぞ」
「兄貴はほんとにビビり。私には何も感じなかったし。ただの古くて埃っぽくて虫パラダイスな家って感じ。逆に見てみたいよ。幽霊」
「とにかく、あの家で深追いするな。連れていかれるぞ」
「はいはい」
広瀬は兄の臆病さに呆れながら、松田がいる呪いの家に戻った。
広瀬が診療所から出た直後、広瀬の兄の背後からまた赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
「またかよ……」
その泣き声はどうやら室内ではなく、裏口の向こうから聞こえるようだった。広瀬の兄は裏口に近づくと、ドアをゆっくりと開けた。
すると、外の光で広瀬の兄は目を細めた。
ゆっくりと浮かび上がる景色。
診療所の裏は小さな庭になっていた。雑草が生い茂り、壁際には古い洗濯機と花のない鉢植えと物干し竿が目についた。
裏庭に出た広瀬の兄は、生い茂る草木の向こうに石でできた円柱の構造物を見つけた。
どうやらそれは、古い井戸のようだった。
《呪いの家(松田)》
意識を取り戻した松田は、壁にもたれながら休んでいた。蝿の音は消えたが、不快なにおいは鼻についたまま。朦朧としながら、廊下の床を見つめていた。
すると、何の前触れもなく誰かが松田の前を通り過ぎた。床の軋む音と、松田の目には男物の真新しい足袋と着物の裾が映った。
松田がそっと顔をあげると、着物の男は奥にある部屋の前に立っていた。その男の顔は、一階の和室の段ボールの中に入っていた遺影の男だった。
ドアはいつの間にかまた閉まっていて、着物の男は裾から鍵を取り出すと、鍵を開けて中に入っていった。
それを見ていた松田はゆっくりと立ち上がり、鍵のかかっていた部屋に近づいた。
そして部屋のドアノブに手を掛け、ばれないように少しだけドアを開けると隙間から中を覗いた。目に入ったのは、大きさの違ういくつかの古いブラウン管テレビと椅子だった。着物の男は死角にいるのか見当たらないが、物音もせず気配も感じられなかった。
迷った挙句、松田はドアを小さくノックした。
しかし反応がない。
ゆっくりとドアを開けると、部屋には誰もいなかった。部屋のドアは一つしかなく、汚れた窓も錠が錆びていて開かないというのに。
着物の男は忽然と姿を消したのだった。
「どこに行ったんだ?」
戸惑いながら、松田はその部屋を見回しハッとした。
そこは夢で見た光景と似ていた。
机の上には大きさの違うブラウン管テレビがあり、どれも埃まみれで壊れているようだった。
ブラウン管テレビの正面には椅子あり、それはまるで監視室のようだった。
その時、再び耳鳴りが松田を襲った。
さっきよりもひどい耳鳴りに視界が歪み、松田が目にしている世界が白黒に変わった。戸惑う松田を前に、何も映っていなかった大きさの違ういくつものテレビが砂嵐を映し、そこからノイズと誰かの悲鳴のような声が聞こえてきた。
一つのテレビが、砂嵐から呪いの家(廣田家)の一階リビングの映像に変わった。テーブルの上には料理が並び、白衣を着ていた女とその隣にはもう一人、怪我をしているのか左足に包帯を巻いた若い女が椅子に座って笑顔を見せながら和やかに食事をしている様子が映っている。
怪我をした若い女の向かいには、顔は見えないが黙々と食事をしている着物の男がいた。
笑顔で食事をしていた若い女が体をゆらゆらと揺らした後、突然に箸を止めるとそのまま気を失いテーブルに突っ伏した。
映像が乱れた。
今度に映し出されたのは家の廊下だった。
気を失った若い女を、着物の男が担ぎながら廊下の奥に歩いて行く。白衣の女が止めようとしたが、着物の男はそれを振り払い進んでいく。その先には、地下室に続く扉がある。
そこで映像は乱れ、砂嵐になった。
今度は隣のテレビが映り始めた。
そこは薄暗い空間。ぼんやりと映し出されたのは、コンクリートの壁に囲まれた部屋と簡素なベッド。そこが地下室だということは、安易に想像ができた。
小さな窓から漏れるわずかな光の中で着物の男が立っている。その視線の先には、意識を取り戻した若い女が、手足に鎖をつけられ壁に繋がれていた。
若い女は怯え、泣いているようだった。
すると、着物の男は壁から鎖を離し、若い女を無理やりベッドに押し倒した。そして、着物の男は若い女に覆いかぶさった。
若い女の悲鳴がする中、映像は砂嵐に戻った。
隣のテレビは砂嵐のまま、若い女の悲鳴とベッドの軋む音がする中、着物の男の吐息も聞こえた。その声に、松田は嫌悪感を抱いた。
その音が消えた後、テレビのスピーカーからノイズ混じりに何か聞こえてきた。
「許サナイ……許サナイ……許サナイ……許サナイ……許サナイ……」
砂嵐から、ノイズ混じりの映像が映し出された。
そこには、壁にもたれ鎖で繋がれた足を投げ出している白い服を着た女がいる。
その白い服の女こそが紗夜子だった。紗夜子が来ている白い服は、汚物や土埃に汚れ、裾は破れているようだった。
地獄のような場所で、何度も酷い目にあったというのに、紗夜子は自身の腹部を撫でながら笑みを浮かべていた。その顔は不気味なほど穏やかだった。
そして、映像は乱れ砂嵐になった。
一瞬、女の声で「あなたが唯一の希望」という声が聞こえた。
だが、次の映像では状況が一変していた。
叫んでいる女の声。乱れた映像の中、ベッドの上で腹の膨れた紗夜子が足を広げている。そばには白衣を着た男女が立ち、紗夜子の様子を見ている。
力みながら、叫んでいる紗夜子。
それを黙って見ている白衣の男女。
松田は、それが出産だと気づいた。
今までにない大きな叫び声がした後、紗夜子は力尽きて倒れ込んだ。
白衣の男が、赤ん坊を抱きあげた。
どれだけの間、紗夜子が地下室で監禁されたのか。それは想像を絶していた。ただ生かされ、着物の男の玩具にされ、そして妊娠までさせられた。
白衣の男は赤ん坊を白衣の女に渡した。
だが、その赤ん坊を見た白衣の女は何やら戸惑っている様子だった。
白衣の男がドアの方へ指を差すと、白衣の女は赤ん坊を抱きかかえたまま地下室から出て行った。
それに気づいた紗夜子は、体を起こして叫んだ。
「私の赤ん坊をどこに連れて行くの! 返して!」
赤ん坊を取り返そうとしたが、繋がれた鎖を白衣の男に引っ張られ、何度も殴られた。それでも、スピーカーからは「返して……。私の赤ちゃん」と力ない声が聞こえ続けた。
「返して……。返して……」
松田は思い出し、思わず耳を塞いだ。
そして、また砂嵐になり別のテレビに映像が映し出された。
そこは薄暗い地下室の中。壁にもたれながら、紗夜子はブツブツと何か呟いている。その姿はまるで魂が抜けたようで目は虚ろだった。足元には蠅の集った食事がある。
聞こえてくる、耳障りな蠅の音。ちらちらと画面に黒い点が飛び回っている。
よく見ると、床にうつ伏せで倒れている着物の男が映っていた。
壁にもたれていた紗夜子が、倒れている着物の男の体を仰向けにすると、喉元にハサミらしきものが刺さっていた。
すると、紗夜子はそのハサミを引き抜き、奇声をあげながら何度も何度も着物の男の腹に振り下ろした。
そして、紗夜子は着物の男の臓物を掴み取ると、そのまま口に入れて頬張った。
その姿は獣のようだった。
それを見た松田は、胃から込み上げて来たものを床に吐いた。
映像はそこで砂嵐となった。
松田は持っていた小さな桐の箱を開けた。
すると、中には黒ずんだ綿の中に、干からびた紐状のゴムのようなものが入っていた。
松田は一度、それを見たことがあった。
それは松田がまだ中学生の頃。
学校から帰宅すると、一階の和室から物音が聞こえた。
松田がその部屋を覗くと、母親が押入れの整理をしているようだった。床には布団乾燥機やらヒーターやら衣装ケースやら小物等が散乱していた。
「何してんの?」
松田が声をかけた。
「あら、おかえり。いやぁね、そろそろ溜まった写真を整理しようと思って」
そう言いながら、母親は写真アルバムが入った箱を探していた。
松田は床に置かれた見慣れない箱を見つけた。
「それ、何が入ってるの?」
箱を指差しながら、松田はそう尋ねた。
すると、母親はその箱を手に取って中を開けた。そこにはまた小さな桐の箱が二つ入っていた。
母親はその一つを手に取り、裏を見た後で松田にそれを渡した。
「中、見てみなさい」
中を開けると、真っ白な綿の中に干乾びた細長い塊が入っていた。
「何これ」
松田は渋った顔でそう尋ねると、
「それはあなたのへその緒。私とあなたが繋がっていた証。大切な親子の絆よ」
母親は微笑み、それを宝物だと言った。
だが、松田にはそんなものが宝物だなんて思えなかった。
紗夜子も、我が子を返せと言っていた。
だから、この「へその緒」を返せば、もしかしたら呪いが解けるかもしれない、と松田は考えた。
砂嵐を映していたテレビが、一斉に消えて真っ暗になった。そこから鎖が擦れる音が聞こえると、今度はすべてのテレビが同じ映像が映し出した。
薄暗い空間の中で、天井から二つの人影がぶら下がり揺れている。スピーカーから金属が擦れる音が聞こえる度にその影が増えていく。
中肉中背の影、体格のいい影、髪の長い影、若い男の影と様々な影がいくつも吊るされていた。
松田はそれを見て、呪いの映画の犠牲者だと察した。その中に加地らしき影も見つけた。
暗闇の中から、手足を鎖で繋がれた白い服を着た紗夜子が現れた。よろよろと体を揺らしながらゆっくりと近づいてくる。
その目は穴が開いたように黒く、憎しみが溢れていた。
紗夜子を見ていると、心臓が苦しくなってくるというのにその目を逸らすことができない。
松田は恐怖で足が震えた。
紗夜子はそれがわかっているかのようにニッタリと笑った。
映像が一階の廊下の突き当りにある、地下室に続く扉の前に変わった。そこに映る扉が、悲鳴のような音を立ててゆっくりと開いた。
その先は闇のように暗い。
映像はノイズで乱れるとそのまま消えた。
松田は息を飲み、へその緒が入った小さな桐の箱を握りしめ部屋を出た。
軋む廊下を歩きながら、和室の前を通りかかると、首を吊った白衣の女の姿は消えていた。
階段を下りていく途中、玄関からリビングの方に向かって歩く人影を見た。
松田は広瀬が戻って来たのだと思い名前を呼びながら一階へ下りたが、その人影は広瀬ではなく着物姿の男だった。この着物姿の男が加害者で、日記に記されていた和雄だと松田は理解したのだった。
着物の男は足音も立てずに廊下の角を曲がっていった。
後を追う松田は、廊下の奥を見て驚いた。
来た時には板が打ち付けられ南京錠までかかっていた扉が、二階で見た映像と同じく漆黒の口を開いていた。
リビングに広瀬の姿はなく、松田は一人廊下を進む。
そして、地下室への階段の前に立つと、その先は暗闇が続いていた。持っていた懐中電灯の灯りで周囲を照らすと、天井には壊れた豆電球が垂れ下がり、下はコンクリートの階段が下に続いていた。
一番下に、地下室の扉が見える。
息を呑み、松田が階段を下りようとした時、背後から男の息遣いが聞こえた。振り返ると、そこには濁った目玉で頬骨が露出した和雄が立っていた。
松田はその姿に驚き、持っていた懐中電灯を落とした。懐中電灯は、階段の一番下まで転げ落ちてしまった。
松田が振り返った時、着物の男はすでにいなくなっていた。
《呪いの家(広瀬)》
一方、広瀬が呪いの家に戻って来た。
家に入ると、妙に冷たい空気が肌に触れ、広瀬は思わず身を震わせた。さっきよりも廊下が薄暗く感じたが、それは時間経過のせいだと思った。二階へ続く階段は、相変わらず荷物で塞がれていた。まるで時が止まったかのように、家の中は静かだった。
リビングに向かった広瀬だが、そこに松田の姿はなかった。テーブルの上には日記が開いたまま置き去りになっていた。
周囲は物音すらも聞こえない。
「松田君、どこに行ったのだろう」
広瀬は日記を手に取り、続きを読み始めた。
××年××月××日
洗濯物を畳んでいると、玄関の戸を叩く音がしました。
村の誰かが怪我でもしたのかと思い出てみると、そこには見慣れない若い女性が泥だらけで立っていました。
彼女の話では、圏外からある野鳥を探しにやって来て、その途中で小さな崖に滑り落ちてしまい、足を痛めてしまったそうです。
連絡手段もなく途方に暮れていると、我が家の診療所の案内板を見つけ、何とか辿り着いたそうです。当然、診療所には誰もおらず、隣に建つ我が家にやってきたということでした。
私は彼女を家に上がらせ、怪我の手当てをしました。幸い、骨折はしておらず捻挫程度でした。
彼女は帰ろうとしましたが、外はすでに日が暮れ始めて薄暗く、山道は危険だからと我が家に泊まることを勧めました。
彼女は断りましたが、熊が出ることを伝えると納得しておりました。
彼女の名前は紗夜子さん。都心で暮らしていて、仕事を辞める前はOLさんだったそうです。私は羨ましくて、ほんの少し嫉妬してしまいました。
ちょうど夕食の時間が近いこともあり、私は彼女に食事を勧めました。彼女はお腹が空いていたそうです、とても喜んでいました。
私も誰かと食事できることに心が躍りました。
お客様用の豪華な食事ではないけれど、冷蔵庫にあるありったけの食材を使って、私は紗夜子さんに料理を振舞いました。
彼女はこの山に存在する野鳥の事を、目を輝かせながら話してくれました。生まれ育ったこの山に、それほど珍しい鳥がいるだなんて、私は気にもしませんでした。
彼女が描いたという野鳥の絵はとても素晴らしいものでした。そして、それは私の好きな鳥でした。
あぁ、なんて幸せな時間。
こんなにも楽しいのは久しぶり。
そう思ったのも束の間、階段を下りて来る足音で現実に引き戻されました。
弟のことをすっかり忘れていました。そして、浮かれていた心に不安が過ったのです。
機嫌が悪くなると物や私に当たる弟。
私も何度も殴られ、蹴られ、体中は痣だらけです。けれど、私にとっては大切な家族で可愛い弟。どんなことがあろうと弟を咎めることはできません。
紗夜子にその矛先が向かないか心配でした。
リビングへやってきた弟は、紗夜子さんの事を見て一瞬険しい表情になりましたが、驚くことに普段見せないような優しい表情で名前を尋ねたのでした。
私が事情を話すと、弟はニコニコしながら紗夜子さんのことを歓迎していました。
これを機に、弟が変わってくれるかもしれない。そんな期待が生まれました。
それに、ずっと引き籠っていた弟とも食事するが出来てとても幸せでした。
ああ、今日は何ていい日なのだろう。
弟は紗夜子さんに興味があるのか、食事の支度をしている私を横目に、この山に来た目的、どうやって来たのか、職業、家族構成、恋人の有無を聞き出していました。
どうやら彼女は子供の頃から天涯孤独で、恋人とは半年前ほどに浮気が原因で別れ、そのショックで勤め先も辞めてしまうという、波乱万丈の人生を送ってきたそうです。
彼女は嫌な顔もせず、弟の問いかけに笑顔で答えていました。
彼女がお手洗いに席を立った時、弟はお手洗いに向かう彼女のことを執拗に見つめていました。その口元が、一瞬笑んだのを私は見逃しませんでした。
そして、弟は戸棚から母が生前使っていた強力な睡眠薬の入った小瓶を取って、私に渡してきたのです。
弟に命令されて、私はその薬を彼女の味噌汁に入れてしまいました。
逆らえばこの家を出て行くと。
私は一人になりたくなかったのです。
私はひどいことをしました。
味噌汁を口にした彼女は、異変に気付く暇もなくすぐに眠りに落ちました。
弟は眠っている彼女を見ながら薄ら笑いを浮かべ、彼女の体を担ぎ上げると部屋を出ていきました。
どこに向かうのかと思えば、用途不明だった地下室。弟は会ったばかりで、しかも怪我をした彼女を監禁しようとしたのです。
私は止めました。こんなことが知れれば、弟は捕まってしまう。亡くなった両親に顔向けできない。
けれど、弟は私を突き飛ばして地下室に行ってしまいました。
日記には、次第に異常さを増していく和雄のことが綴られていた。
紗夜子を逃がさないように地下室の扉と階段の扉に鍵をかけ、手足には鎖をつけた。
和雄の姉は、紗夜子の食事と排泄物処理を任されていたが、和雄が食事を運ぶ事もあり、その時は決まって紗夜子に性行為を行っていた。
地下室には二十四時間監視するため、監視カメラがいくつも設置された。
和雄は紗夜子のことが甚く気に入ったようで、献身的に世話をしていた。
紗夜子を監禁するようになり、姉に対して怒りや苛立ちをぶつけることが減った。だから、姉は紗夜子から助けを求められても、それに応えることはできなかった。
四六時中、和雄は自室で紗夜子の様子を監視カメラで監視していた。
紗夜子も、最初のうちは助けを求めて大声をあげたり、泣き叫んだりしていたが、二ヶ月もすれば諦めて大人しくなった。
こんな山奥で、身寄りもなく、社会との繋がりもなくなった人間が行方不明になっても、誰も気づかない。
完全に諦めた紗夜子の目は虚ろになり、表情がなくなったという。
××年××月××日
彼女が妊娠をしました。
そのページを読もうとした時、部屋の外から足音が聞こえた。広瀬は松田が戻ってきたのだと思い廊下を覗いたが、廊下には誰もいなかった。
「松田君、どこに行ったんだろう」
広瀬はポケットからスマホを取り出し、松田に電話をかけようとした。
だが電波が不安定なようで、圏外と表示されていた。
広瀬は待つことを選択し、日記の続きを読むことにした。
××年××月××日
彼女が妊娠をしました。
無論、子の父親は私の弟。
遅かれ早かれこうなることはわかっていました。
私は彼女が妊娠したことを、紗夜子さんと弟に伝えました。
弟は無関心を装っていましたが、その胸中は穏やかではないようで、表情が一瞬険しくなったのを私は見逃しませんでした。
彼女もまた絶望した様子でした。
薄暗い地下室から、彼女のすすり泣く声がずっと聞こえていました。
××年××月××日
彼女の妊娠がわかってから、地下室に入ることを極力禁じられていました。
ですがこの日、弟に呼ばれて地下室に入ってみると、息をするのも困難なほど酷い匂いが充満していました。
排泄物が地下室の隅にそのまま寄せられているだけで、そこには大量の蝿が集っていました。そんな場所で、彼女は淡々と食事をしていました。
私は排出物を掃除させられ、終わるとすぐに追い出されました。
これまで地下室から出ていく私をすがる目で見つめていた彼女ですが、それもなくなりました。
××年××月××日
弟は今日も地下室に。
その隙に私はこっそりと作った合鍵で、弟の部屋に入りました。
弟の部屋というのは名ばかり。今では、彼女を監視するための部屋。
この部屋に入ったことが見つかれば、私も弟に叱られてしまう。けれど、私は勝手に地下室に入ることは出来ない。だから、仕方がないのです。
弟は地下室に向かえば、一時間は戻って来ません。だから、その間に痕跡が残らないように、彼女の様子を見ることにしたのです。
複数あるテレビの画面には、地下室の様子が映し出され、彼女と弟がいました。
しばらく見ないうちに、彼女の様子が変わっていました。
妊娠を知った時は、あれほど絶望的な様子だったのに、今では弟に嫌なことをされていても、薄ら笑いを浮かべていました。
彼女にどんな心境の変化があったのかはわかりませんが、どこか気味の悪さを感じたのです。
地下室から弟が出ていく姿を見て、私も監視室から出ようとしました。
すると、微かに彼女の声が聞こえたのです。
「私の赤ちゃん。あなただけが唯一の味方」
彼女はベッドで仰向けのまま、そう呟きながら腹部を撫でたのです。
信じられないけれど、彼女はこんな地獄の中で希望を見つけたのです。
例え、それが彼女にとって悪魔との子であっても。
それを読んだ広瀬は、『最悪』と口から漏らした。
日記は、壊れていく紗夜子とそれが気に入らない弟のことが書かれていた。苛立つ弟の暴力が、紗夜子や姉に対してエスカレートしていったのだった。
××年××月××日
今日、彼女が出産しました。
白衣姿の弟に呼ばれて地下室に向かうと、彼女はベッドの上で両足を開いて寝かされ、大きな声で叫んでいました。私が着くと、すでに彼女の恥部から、赤ん坊の頭が見えていました。
私は弟に命令され、彼女の出産を手伝いました。彼女は頑張っていました。弟もまた手慣れた様子でした。
少しして、彼女の赤ん坊が生まれました。男の子でした。
弟はハサミで母と子を繋ぐへその緒を切ると、赤ん坊を私に渡しました。その扱いは乱暴で、私は危うく生まれたばかりの赤ん坊を落としそうになりました。
血塗れの赤ん坊には、へその緒が垂れ下がったまま。
彼女は疲れた様子でぐったりとしていました。
私が垂れ下がったへその緒を切ろうとした時、赤ん坊が元気に泣き始めました。
すると、弟は煩いと怒鳴り、目障りだから出て行けと言われ、地下室から追い出されそうになりました。
すると、彼女が叫びました。
『私の子を返して』と。
『私の希望を返して』と。
それは当然のこと。私は彼女のところに戻ろうとしました。けれど、弟がそれを許しませんでした。私はへその緒がついたままの赤ん坊とともに、地下室を追い出されました。
閉められた扉の向こうで、彼女の叫び声が聞こえていました。
『返して!』と。
けれど、彼女の声はすぐに悲鳴に変わり、そして静かになりました。何があったのかは察しがつきます。
私は恐怖と罪悪感が募る中、階段を駆け上がり自分の部屋に戻りました。せめて、この赤ん坊だけでも大切に育てようと決めました。
切ったへその緒は、診療所に残っていた小さな桐の箱に大切に納めました。
××年××月××日
私はもう弟の事がわからない。
泣いている赤ん坊を部屋であやしていると、弟が来て強引に赤ん坊を奪っていきました。部屋を出ていく弟にどこに連れて行くのかと尋ねましたが、答えてはくれませんでした。
私は嫌な予感がして弟を必死で止めましたが、弟の強い力で突き飛ばされた拍子に頭をぶつけ、そのまま意識を失ってしまいました。
目が覚めた時、赤ん坊の姿はどこにもありませんでした。
部屋にいた弟に赤ん坊の居場所を尋ねると、弟は何も言わない代わりに不敵な笑みを浮かべました。私はその笑みの意味を察し、ゾッとしました。
ごめんなさい。私は守れなかったようです。
××年××月××日
あれから、毎日、毎日、朝も昼も夜も赤ん坊の泣き声が聞こえます。声を探しても、その姿はないというのに……。
赤ん坊の泣き声が聞こえるたび、意思と関係なく涙が流れてきます。
夢現の中で、紗夜子さんが私のことを恨めしそうに見つめて叫んでいました。ごめんなさい。
私はもう地下室には行けない。
日記を書く手も震える。
ああ……。また赤ん坊が母を呼ぶ泣き声が聞こえます。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。許してください、許してください。
××年××月××日
もうこれ以上は耐えられません。
ごめんなさい。さよなら。
そのページはまるで涙で濡れたようにシワシワで、文字は滲んでいた。そして日記はそこで終わっている。
読み終えた広瀬はこの家で起こった生々しい事件に戸惑い、同時に恐怖を感じていた。
《呪いの家(松田)》
地下に続く階段の一番下で、懐中電灯が横たわり点滅している。
松田はスマホの明かりを頼りに、壁に手をつきながら階段を下りていく。空気が冷たくなり、おまけに息苦しい。体が重くなっていくのを感じる。点滅する懐中電灯の明かりが、弱々しくなっていく。
嫌な予感しかしない。松田の心臓は今にも張り裂けそうなほど鼓動していた。
階段の一番下に着いた時、懐中電灯の明かりは消えていた。松田が拾ってスイッチを入れたが、懐中電灯は壊れて着かなくなっていた。
そして、目の前には地下室の古い扉がある。周りには真っ暗になった古い細長い紙が数枚貼られていた。よく見ると、それは扉を封印するかのように貼られていたが、今はどれも破れて跡だけが残っていた。壁には、まるで呪いのように黒いシミが広がっていた。
ドアノブには、三つの南京錠がかかっていた。だが、どれも劣化していて少しの衝撃でも壊れそうだった。
松田は壊れた懐中電灯を南京錠に叩きつけた。
すると、南京錠は簡単に壊れ、床に落ちた。
二つ目も同じく、すぐに南京錠は欠けて床に落ちた。
三つ目を壊そうとした時、ふいに恐怖心が込み上げて思わず手を止めた。
この先には入ってはいけない。そう直感した。
けれど、入らなければどのみち呪いで死ぬだろう。呪いを解いて、必ず家族の元に帰る。
だから、松田は三つ目の南京錠も壊した。懐中電灯はボロボロになり、床に落ちた三つの南京錠は、一瞬にして黒く変色してしまった。
扉を押すと、金具が錆びているのか扉は重く悲鳴のような音を立てて開いた。
地下室の中は薄暗く、足元には黒ずんだコンクリートの床が見えた。
そして、松田は地下室の中に入っていった。
地下室は薄暗く、ひんやりとした冷たい空気が肌に触れ、水の滴る音が聞こえた。そして、カビ臭い匂いが漂っていた。
天井付近にある小さな窓には植物が覆い、外の光が遮られていた。松田はスマホのライトを照らしながら地下室の中を見回した。
カビだらけの壁から水が染み出していた。
足元はひび割れたコンクリートの床。
そして、映像の通りであれば、奥には忌まわしいベッドと鎖を繋ぐ金具があるはずだった。
だが、そこには何もなかった。
近づいてみると、そこにはかつてベッドや家具、壁には金具が取り付けられていた痕跡だけが残っていた。
誰かが撤去したのか、設置されていたはずの監視カメラもなかった。映像とは違う光景に、安堵と同時に戸惑う松田だった。
「(どうしたら供養できる?)」
紗夜子が探している赤ん坊。その赤ん坊と繋がっていたへその緒が入った小さな桐の箱を置いて、念仏でも唱えれば自身の呪いが解けるだろうか。
松田の耳元で鎖の擦れる音と女の唸り声が聞こえた。スマホのライトが点滅し、今にも消えそうなほど弱々しくなると、松田は焦って地下室を出ようとした。
だが、閉じた扉はどんなに力を入れてもびくともしなかった。
「嘘だろ! どうして開かない!」
松田は何度も何度も扉に体当たりをしたが、扉は開かない。背後に近づいてくる鎖の擦れる音と気配。
松田は恐る恐る振り返った。
スマホのライトを地下室の奥に向けると、何もなかった場所に赤黒く汚れたシーツとベッドが現れ、それにもたれかかるように大きな塊が姿を現した。飛び交う大量の蠅と腐敗臭で、松田は鼻を押さえた。
ライトをベッドの横に流すと、赤黒く染まった白い裾と女のか細い足が見えた。
その瞬間、スマホのライトが消えた。
暗闇から聞こえてくる、自分以外の息遣いと鎖の擦れる音。
『返シテ……返シテ……』
その声に、松田は思わずスマホを落とした。そして、震える声で言った。
「あなたが探しているものを持ってきた。だから、殺さないで」
暗闇から聞こえる鎖の音が近づいてくる。
『返シテ……返シテ……』
松田の目が薄暗い地下室に慣れてくると、目と鼻の先に手足を鎖で繋がれたボロボロのくすんだ白い服を着た紗夜子が立っていることに気づいた。
松田は恐怖で腰を抜かした。
紗夜子はゆらゆらと左右に揺れながら、乱れた髪の隙間から松田を見下ろした。
松田は震える手で、小さな桐の箱を紗夜子に差し出した。
紗夜子の手がゆっくりと松田に近づいてくる。その腕は赤く爛れて膿が流れ、爪は剥がれ落ちていた。
松田は恐怖で目を瞑った。
紗夜子は、手にした小さな桐の箱を開けるとすすり泣いた。
『私ノ愛シイ子……』
そう呟きながら、紗夜子は血と膿で染まる手で松田の顔に触れた。優しく撫でる手は、我が子を思う母親そのものだった。
『愛シイ子……』
腐敗臭が鼻につき、顔をしかめる松田。腐った血肉が肌にこびり付く。
『オカエリ……私ノ子……』
それを聞いて、松田はとっさに否定した。
「違う! 俺はあなたの子供じゃない!」
顔を背ける松田を見て、紗夜子は触れていた手を離し、鎖の音を立てながら暗闇の中に姿を消した。
息遣いも鎖の音も消え、松田はホッと肩を撫でおろした。
彼女の探していた赤ん坊のへその緒も返せた。
「これできっと大丈夫だろう」
松田は地下室の扉を開けようと手をつき、力強く押した。
だが、やはり扉は開かない。
「どうして開かないんだ。誰か、気づいてくれ! 広瀬―」
どんなに力を入れても、扉はビクともしない。
そして、また松田の背後から鎖の音が聞こえると、松田の耳元で声がした。
『私ノ子ヲ返セ』
松田は断末魔をあげた。
《呪いの家(広瀬)》
リビングにいた広瀬の耳に、松田の断末魔が届いた。
「えっ? 松田君どこにいるの!」
声は廊下の突き当りから聞こえる。
しかし、地下室に続くドアには板が打ち付けられ、南京錠もついたままで到底開けることは出来ない。
広瀬は押したり引いたりしてみたが、やはりドアはびくともしない。
「なんでこの先から松田君の声が? どうやって中に入ったのよ」
理解が追い付かない。
松田の叫び声はもう聞こえない。
広瀬はドアの隙間から松田の名前を呼んだが、返事は返って来ない。
廊下に転がっていた木片で南京錠を壊そうとしたが壊れず、広瀬は兄に助けを求めに外に出た。
兄の姿は家の外になく、広瀬は診療所に向かおうとした。
すると、ちょうど診療所の裏から出てくる広瀬の兄と鉢合わせをした。
「兄貴、大変。松田君が!」
広瀬の兄の顔は青ざめていて、目の前で必死に訴える広瀬にも無反応だった。
「ちょっと聞いてる?」
広瀬はそんな兄を怪訝な顔で見つめた。
「もう帰るぞ……。俺は帰る。帰るんだ。来るんじゃなかった。こんなところ。来たくなかったんだ、俺は。嫌な予感がしていたんだ。帰る。俺は帰る」
広瀬の兄は一方的に言葉を吐き、そのまま来た道を帰ろうとした。そんな兄の手を引っ張り、広瀬は兄を必死で止めた。
「松田君が大変なの! 助けてよ、兄貴!」
広瀬の手を振り払い、広瀬の兄はそれでも帰ろうとする。
「松田君を見捨てる気?」
広瀬の兄はピタリと足を止めた。
「お前はここがどんなにやばいところか知らないから、そんなことが言えるんだ!」
「やばいのはわかったよ。だけど、兄貴には何がわかるの」
「俺だってわかる。声が聞こえる。その家にはどす黒い嫌なものが纏わりついている。それがどんなにやばいものかって、中に入らなくてもわかる!」
「やっぱり霊感あるんじゃん」
「うるさい!」
「なら、なおさら松田君を助けないと!」
「あいつはもうダメだ。もう助からない!」
「そんなことない! 地下室に入れれば、きっと助けられるはず!」
「地下室に入ったのか?」
「私は入ってない。鍵がかかっていたの。なのに、松田君の叫び声が地下室の方から聞こえたの。助けないと。私、もう一度行って鍵が壊せないかやってみる!」
そう言って、広瀬はもう一度家に戻ろうとした。
そんな広瀬の腕を、兄は掴んで止めた。
「止めるぐらいなら一緒に来てよ! 私は松田君を見捨てない」
兄の手を振り払い、広瀬はそう叫んだ。
「わ、わかったよ……」
広瀬の兄は渋々了承した。
玄関の前に立つ広瀬の兄は、恐怖で少し震えていた。視線の先には、松田が残していったリュックがある。
広瀬が先に家に入り、その後を広瀬の兄が入っていった。
ずんずんと廊下を進んでいる広瀬に対し、広瀬の兄は玄関から入ってこようとしない。
それは見えている世界が、広瀬と兄とでは微妙に違うからだった。
廊下はさらに暗く感じ、空間が微かに歪んでいる。家鳴りが騒がしく、この家に住んでいた人間の残像が、影となって広瀬の兄の目には映っていた。
広瀬に急かされ兄も仕方なく廊下を進んだが、奥に行くにつれて空気が重苦しくなっていく。
「帰りたい……」と思わず広瀬の兄は呟いた。
地下へ続く階段のドアの前についた広瀬は、打ち付けられている板を外そうとしたがやはり外れず、兄に助けを求めた。
だが広瀬の兄は、ドアから少し離れたところでガタガタと体を震わせていた。何故なら、広瀬の兄の目には、そのドアの隙間から漏れ出す禍々しい靄が見えていたからだった。
「ビビってないで手伝って!」
広瀬に言われ、広瀬の兄は南京錠に手を伸ばした。
そして、指が触れた瞬間、悲痛な叫び声と共に強い怨念が伝わって来た。
とっさに手を引いた広瀬の兄。広瀬の腕を強引に掴むと、そのまま玄関に向かって歩き出した。
「何? 離してよ」
広瀬の兄は何かに怯えるように目を見開いたまま、無言で前だけを見ていた。広瀬が手を振り払おうとしたが、その力は強くてそのまま玄関の外まで引っ張られた。
家の外で、広瀬の兄はボソリと言った。
「やっぱりここは無理だ」
「離してよ!」
広瀬は思い切り兄の手を振り払った。
「もういい! 私が一人で松田君を助けるわ。兄貴はいつもそう。私が男の子にいじめられた時だって、兄貴の方が年上なのにビビって逃げ出しちゃって」
「あれは! 相手が空手のジュニアチャンピオンだったからだ。敵うわけないだろ。それに、お前が先に喧嘩を売ったんだろうが!」
フンと鼻を鳴らし、そっぽを向く広瀬。
広瀬の兄はしばらく考えた後、スマホを取り出すとうろうろとスマホをかざし始めた。
「ねぇ、何してるの?」
「ちょっと待ってろ。ここならいける」
スマホの画面を見ながら、広瀬の兄はどこかに電話をかけ始めた。
「どこにかけるの?」
「警察だよ」
『はい。友人が廃屋に入ってしまって。
そこで閉じ込められてしまったみたいで。
私たちではどうしようもなくて。
場所は……。よろしくお願いします』
そう言って、広瀬の兄は電話を切ると、家の外に向かった。
広瀬は兄を追いかけながら大袈裟だと文句を言ったが、兄はただ黙って家の外の地面に座り込んだ。
散々文句を言った広瀬だが、ドアの板は一人では取り除くことは不可能であり、南京錠の鍵もない。二人は家の外で警察が来るのを待った。
広瀬は兄に長女の日記の話をした。
怪我をして診療所に訪れた若い女が地下室で監禁され、誰にも助けてもらえず、妊娠までさせられた。絶望の中で、彼女は子に希望を感じていたが、その希望まで奪い取られた。
監禁に手を貸していた長女は、赤ん坊の死の罪悪感から気を病み自殺した。日記はそこで終わっていたと。
それを聞いた広瀬の兄は、広瀬についてこいと言い歩き出した。
向かったのは診療所の裏庭。生い茂る雑草の中にひっそり身を潜める古井戸。古井戸の上には分厚い石の蓋が乗っている。
古井戸に近づくにつれ、何やら胃を弄られるような不快なにおいが漂ってくる。
広瀬は吐き気に襲われ、手で口を覆いながら立ち止まった。
「大丈夫か?」
先を進む兄は妹を心配しながらも、その不快なにおいに顔を歪めていた。
「何なの、このにおい」
「こっちに来てみろ」
古井戸のそばに立つと、広瀬の兄は古井戸の上に乗った分厚い石に手を掛けた。その石はかなり重く、自身の体重をかけながらゆっくりと押し出した。
古井戸の蓋が開くにつれ、においはさらに強くなる。たまらず広瀬は裾で鼻を塞いだ。
「酷いにおい。井戸の中で何か死んでいるんじゃないの」
石の蓋が半分開いたところで、広瀬の兄は手を止めた。
古井戸の縁は、苔や泥で黒くなっている。
古井戸の中は真っ暗で何も見えない。
広瀬の兄はスマホのライトを使い、古井戸の中を照らして見せた。
恐る恐る中を覗き込む広瀬。スマホのライドで、中がほんの少しだけ見えた。
古井戸の底に水はなく、代わりに赤黒い泥のような塊が見えた。
「何これ、泥?」
「ただの泥ならいいけどな」
「どういうこと?」
「この診療所で見つけた記録があるだろ。ここの医師が裏で行っていた堕胎処理。俺の予想じゃ、そのうちの何体かはこの中だろう」
「はぁ⁉ 冗談でしょ」
「確信はないけどな」
「そんな、そんなはずないじゃん」
広瀬は否定をしたが、広瀬の兄にはそれがぼんやりと見えていた。
いくつもの赤ん坊の顔がうごめき、そのどれもが母親を求めて泣いている。
古井戸の裏には、まるで弔うように小さな石がいくつも積み重なっていた。
そして、広瀬の兄は再び古井戸の蓋を閉じたのだった。
ここでは、いくつもの悲しい出来事が起こっていた。
空がオレンジ色に変わる。木々が夕陽を遮り、辺りは暗くなってきた。広瀬と広瀬の兄は、警察の到着を待っていた。
広瀬は何度も松田に電話をかけたが繋がらず、不安を募らせていた。
しばらくしてパトカーがやってくると、中から二人の警察官が出てきた。
広瀬が事情を説明すると、「廃屋は危険だから面白半分で入ってはいけない」と叱られた。
広瀬は謝り、松田が地下室に閉じ込められたかもしれないと伝えた。
ただ、そこへ向かう階段のドアは板で塞がれ、鍵がかかっていると伝えると、当然怪訝な顔をされた。それでも広瀬は、地下室から松田の声がしたと伝えると、警察官はフラッシュライトを照らしながら、家の中に入っていった。
日が暮れ始め、家の中はより一層暗くなっていた。
階段は荷物で塞がれていることもあり、二人の警察官は一階のそれぞれの部屋を探したが、やはり松田の姿はどこにもない。
そして、廊下の一番奥にあるドアの前にやってきた二人の警察官は、その閉ざされたドアに不信感を覚えたのと同時に、その先に人がいるなどあり得ないと感じていた。
だが、進むことを決めた二人の警察官は南京錠と板を壊して扉を開けた。
扉の先には真っ暗な階段が下まで続き、二人の警察官は気味の悪さを感じながら、フラッシュライトを照らして階段を下りていった。
一人の警察官は、暗闇を恐れて震えながら腰の拳銃に手を掛けた。最下段の床には、壊れた懐中電灯が落ちていた。
地下室の扉には、薄っすらと文字が書かれたお札がびっしりと貼られていたが、どれも触れれば落ちてしまいそうなほど劣化していた。そして、三つの南京錠がかけられ、足元には真っ黒になった盛り塩があった。
警察官は中に向かって声をかけた。
「誰かいるか?」
返事はない。
「もう一度聞く。中に誰かいるか?」
扉を叩きながら言ったが、やはり返事はなかった。
地下室には誰もいないと判断した二人の警察官は、安堵のため息を漏らして一階に戻ろうとした。
その時、地下室の中から扉を叩く音がした。
二人の警察官は三つの南京錠を壊すと、地下室の扉を躊躇なく開けた。中から、カビ臭いにおいが漂ってくる。
一人の警察官が慎重に地下室の中に入っていき、もう一人の警察官は扉を開けながら警戒していた。
中に入った警察官がライトで地下室内を見回すと、そこは黒カビに浸食された何もないコンクリートの部屋だった。
だが、地下室には誰もいなかった。窓があるが、人が出られる大きさではない。二人の警察官は、お互いに顔を見合わせ怪訝な顔をした。
閉塞感とカビのにおいで、中にいた警察官が『気分が悪い。もう出よう』と訴えた。すると、もう一人の警察官も『肩と頭が重い』と言い出し、身の危険を感じた二人の警察官は一階に戻ると、そのまま家を出た。
家の中から、二人の警察官が出て来た。
地下室には誰もいなかったと伝えられ、納得がいかない広瀬は自ら探しに行くつもりで家に戻ろうとしたが、警察官らに止められた。
「松田君がまだこの家にいるんですよ。ちゃんと見つけてくださいよ」
必死に訴える広瀬。
「あの状況で、地下室に人が入れるわけがないんだ……」
一人の警察官が苦痛な表情を浮かべながら言った。
「今まで一緒にいたのに。忽然と消えるなんてことあるわけないじゃん。やっぱり、私が行ってくる」
「もう中は暗くて危険だ。行かせるわけにはいかない。大丈夫。明日の朝、増援を連れて彼を探し出します」
顔色の悪い一人の警察官が、体を揺らしながらそう言った。
警察官から『夜の山は危険だから下山するように。指示に従わない場合は学校に連絡を入れる』と言われ、広瀬は仕方なく指示に従うことにした。広瀬の兄は、心なしか安堵していた。
玄関に置いたままの松田のリュックを抱きかかえ、広瀬は警察官に頭を下げた。
「どうか、松田君を見つけてください」
もう託すしかなかった。
二人の警察官は、そんな広瀬に敬礼をした。
広瀬の兄は、診療所の裏庭にある古井戸の事を警察官に伝え、一同は下山した。
《呪いの家(松田)》
松田を探しに来た警察官が地下室から出て行く。扉が閉まり、地下室は真っ暗になった。
そこには誰もいない。
二階にある監視室。壊れて消えているテレビ。その一台がゆっくりと映像を映した。
そこには暗い地下室の扉の前で泣き崩れている松田の姿が映っている。
開くことのない扉。それは二人の警察官が入ってきた地下室とは別の次元。
松田の手に握られたスマホはずっと圏外のまま。松田の耳には赤ん坊の泣き声と鎖が擦れる音が聞こえている。
「誰か助けてくれ」
松田のその声は誰にも届かない。
まるで、かつて監禁されていた紗夜子と同じように。救いのない暗い地下室に閉じ込められた。
そして、絶望している松田を映した監視室のテレビは、誰にも見られることなくひっそりと消えた。
その後
その後、広瀬の願い通り捜索隊が編成されたが、呪いの家(廣田家)をはじめとする診療所や周辺の山や山荘、それに廃村までもが捜索対象になった。
山中では以前行方不明となった女性の頭蓋骨の一部が見つかったが、松田は行方不明のまま。
地下室を調査していた警察官が全員体調不良を訴えたため、危険と判断されて早期に引き上げられた。
あの時、広瀬や広瀬に兄のもとに駆け付けた二人の警察官は、数日後に不可解な事故と病で亡くなっていた。
警察が診療所の裏庭にある古井戸を調べてみると、底にこびりついた赤黒い泥やヘドロから複数の胎児の小さな骨が見つかった。
それらの小さな骨は、近くの寺院にて供養された。
地下室の扉には新しい札が貼られ、再び封印された。それは捜索隊の中に、監禁事件のことを覚えていた警察官がおり、その者が依頼したという。
広瀬は兄によって強制的にお祓いに連れていかれた。
その甲斐もあってか、広瀬は三日間の高熱だけで済んだ。
広瀬の兄は、幻聴で赤ん坊の泣き声に悩まされたが、命を脅かされるほどではなかった。
あの日の帰り、広瀬は警察官の一人と松田家を訪れ、松田が行方不明になったことを家族に伝えた。松田のリュックを渡すと、広瀬は頭を下げて謝罪した。
両親も茜も、理解が追い付かない様子で唖然としていた。
広瀬はリュックの中から、松田が茜のためにお土産として買ったうさぎのぬいぐるみキーホルダーを取り出すと、それを見た茜はポロポロと涙を流して泣いた。
その日以来、茜は笑顔を失い、部屋に引き籠るようになってしまった。
家族や広瀬の願いも空しく、松田は見つからないまま捜索は打ち切られた。
数日経ったある日、食事を運んできた母親が茜の部屋に入ると、茜は膝を抱えたまま砂嵐が映るテレビをずっと見つめていた。
何をしているのか、と母親が尋ねると、
「時々、お兄が映るの」
そう言って、茜は笑みを浮かべた。
母親は茜を心配し、病院に連れていこうとした。
だが、茜はその翌日に自室のベッドの上で亡くなっていた。目を見開き、悲痛な表情を浮かべていた。首には鎖の痕があったが時間とともに消えた。
茜の枕元にはうさぎのぬいぐるみキーホルダーがあり、壁には黒いシミが広がっていた。
茜の両親は殺人容疑で疑われた。容疑はすぐに晴れたが、それによって父親は仕事をクビになり、母親は心を病んで引き籠るようになった。
明るかった松田家が、今では暗い影を落としていた。あの映画に出会わなければ、今も変わらず幸せな日常を送っていただろう。
おばけ横丁
その商店街には小さな横丁がある。
明るい表通りにはたくさんの店が並び、買い物客でいつも賑わっている。
一方、小道を挟んだ先にある横丁は、薄暗くて人気がほとんどない。
通称、おばけ横丁と呼ばれている。
おばけ横丁に並ぶ店の店主はみんな変わり者。店を開けるも閉めるも気分次第。
そして、そのおばけ横丁に来るのは物好きな連中だけ。
そんなおばけ横丁に、一人の客がやってきた。島田という年配の男。小脇にポーチを抱え、パジャマ姿で草履を引っ掛けている。
居酒屋を通り過ぎ、向かうのはレンタルビデオ屋。視線の先には、今にも切れそうなレンタルビデオ屋の看板が点滅している。
レンタルビデオ屋のシャッターは閉まっている。それを見て、島田は眉にしわを寄せた。
すると、シャッターがガラガラと音を立てながら開き、中から店主の男が出て来た。
店主は島田と目が合うと笑顔で挨拶をした。
「島田さんじゃない。こんにちは」
島田は困ったように店主に話しかけた。
「店長、どうしたのよ。一ヶ月も店開けないなんて、さすがにひどいんじゃないの?」
「あー、悪かったね。実は上さんに謝罪旅行をさせられていたんだよ」
「一体、何をしたんだい」
「ちょっとね。お姉ちゃんと遊んでいるのがばれちゃって」
「まったく。店がずっと閉まっていたから、借りていたDVDが返せなくて困ったよ」
「返却ボックスに突っ込んでおいてくれたらよかったのに」
「どこにあるんだい?」
店主が店の前を探すも返却ボックスは見当たらず、店の隅に置かれていた。
「そうだ。中にゴミを入れる輩がいて、一時的に店の中に入れていたのをすっかり忘れていた」
「それじゃ困るよ。大幅に返却期限過ぎちゃったよ」
「あぁ、返却期限なんてあってないようなものだから気にしないでよ。それに、返却されなくても、中にはちゃんと戻って来るものもあるんですよ。すごいでしょ」
「なんだいそりゃ。犬じゃあるまいし」
「ハハハ。それより、旅行先で面白そうな作品をいくつか手に入れたんですよ」
「俺の好きそうなものはあるかい?」
「ありますよ! それはもうすごいやつが」
店主と島田が店の中に入っていく。
店主はバックヤードから薄いケースを四本と汚れたビデオテープを一本持ってきた。
ケースの中には名前だけが書かれたディスクが入っている。それは、見たこともない映画タイトルと卑猥なタイトルだった。ビデオテープには、「黒い街」という付箋が貼られていた。
島田は卑猥なDVDを興味深そうに手に取った。
「これを借りようかな」
「ありがとうございます」
店主は徐に付箋がついたビデオテープをカウンターの下に置いた。
「今のは、どんな映画なんだい?」
「ホラー映画らしいです。俺は見てないんですけどね、そういうの好きな人いるでしょ?」
「俺は、ホラーには興味ないね」
「そうでしょう、そうでしょう。触らぬ神にってやつです。あとでバイト君にダビング頼まないと」
店主は島田からレンタルDVDを受け取り、代わりに仕入れて来た卑猥なDVDを手渡した。
島田は上機嫌に帰っていった。
店には返却の問い合わせの電話が鳴り響き、数名の常連がDVDを返却しにやってきた。
店主が貸出状況を確認すると、未返却の客がまだ数人残っていたが、店主はさほど気にしていなかった。
ただ、「山荘の惨劇」のタイトルと未返却の文字を見て、店主は登録されている番号に電話をかけた。
それは加地の電話番号。
『お掛けになった番号は、現在使われておりません』
電話を切った店主は、しばし沈黙した後で店の奥に向かった。
そこはホラー映画のコーナー。その一角には「呪いのDVD」と書かれたプレートがあり、DVDのパッケージが五本ほど並んでいた。
そこには、レンタル中のプレートがついた「山荘の惨劇」のパッケージが並んでいた。
店主がDVDのケースを引き抜いた。本来であれば貸し出し中で空っぽのはずだった。
だが、店主がケースを開くと、そこにはタイトルだけのくすんだDVDディスクが入っていた。
「やっぱり、戻って来た」
そう呟くと、店主は「レンタル中」のプレートをはずし元の場所に置いた。
そして、店主は何食わぬ顔をしてレジカウンターに戻ったのだった。
商店街のおばけ横丁には、呪いのDVDが置いてあるレンタルビデオ屋があるという。
見れば呪われ、惨い死が訪れる。
(了)