
フォロワー讃歌
フォロワーが1000人になりました。消えたいです。
フォロワーの数は向けられた銃口の数とよく言われますが、私にとってのフォロワーの数はいつか私を見捨てる人の数です。私は1000人の人からさようならを言われる可能性があり、その重圧を背負っています。誰でも最初は私の文章になにか好意的なものを感じてフォローしてくれるはずなのですが、私がフォロワーの期待通りの文章が書けないとフォロワーは私に飽きてしまう。きらいになる。ぷいっとそっぽを向く。なんでお前のこと好きになったんだっけ、と倦怠期カップルめいた台詞(※想像)とともに別れを切り出される。そうして私のもとを去っていったフォロワーが今まで何人いたことでしょう。そのたびに私は夜な夜な枕を濡らして眠ったものです。
フォロワーがフォローという行為を行うと同時に、そこにはお別れする可能性が生まれます。逆に言えばお別れする──たとえばフォローを外す、アカウントを消す、ブロックする──行為は、フォローしている人にしかできません。フォローしていないのにフォローを外すことは不可能だし、そもそも出会ってもいない人と別れることだってできません。
私だって私自身の力でブロックするなりアカウントを消すなりしてフォロワーの目の前から消えることはやろうと思えばできますが、私からは絶対にしません、と明言しておきます。ですから私とお別れするか否かの選択権は常にフォロワー自身が握っており、私が関与することは一切できません。私の力ではどうにもできない、及ばない。
ああ消えたい。いつかあなたも消えるのでしょう、どうせ消えるんでしょう、だったら最初から私の前に現れなければよかったのに。でも、あなたと出会わない世界線を生きるくらいなら私のほうが消えたいです。ああ消えたい。
私にとって、フォローするという行為は相手に対する肯定です。いいねやスキもそう。フォローしましたという通知は、あなたのことが好きです、の告白だと思っています。大げさだと思いましたか? でもあながち間違いではありませんよね。きらいな人や興味のない人をわざわざフォローする人はいないと思います。いたとしたら、そういう類の変態です。
私は私のことが好きな人のことが好きです。そういうわけでフォロワーのことも大好きです。愛しています。しかし愛が重すぎて相手をびっくりさせてはいけないので、いつもこの想いを秘めておくことに必死です。それでかえって私の愛に気づかないまま離れていってしまう人もいますが、私がひとたび愛を伝えはじめてしまうと際限がなくなり相手の気を狂わせてしまうおそれがあるので、私の愛など知らないほうが幸せでしたよ、よかったですね、とそっと見送ることにしています。表向きは。
心の中はというと、嵐が吹き荒れています。やまない雨が降っています。大好きな人に見捨てられることが、悲しくないはずがありません。親に捨てられた子供のような気持ちです。これもまた大げさかもしれませんが、私はフォロワーのことを肉親のように感じているふしがあります。そんなつもりでフォローしてない、と思われたでしょう。私をフォローしたが最後、私からはそういう目を向けられるのです。できてますか? 私に愛される覚悟。
私はいささかフォロワーのことが好きすぎるんだと思います。ちょっと病的だし、かなりキモいですよね。わかってます。だって私、四六時中フォロワーのことばかり考えてるし、寝ても覚めてもフォロワーだし、フォロワーの書いたものは隅々まで追ってるし、フォロワーの好きなものにも興味が湧いて仕方がないし、それに私寝室の天井にフォロワーのアイコンを貼り付けて寝てるんですよ。フォロワーブロマイド。フォロワーの顔はもちろん知らないので、代わりにアイコンを崇めてるんです。先ほども言ったように消えていったフォロワーがたくさんいるので、その数は1000枚をゆうに超えています。1200枚くらいあるんじゃないかな。そう考えると、私の5年間には200もの人との悲しい別れがあったということですね。このくだりはさすがに嘘ですけど。
ですが私、私のもとを去っていったフォロワーの記事も完璧に覚えています。フォロワーはなにが好きで、なにに傷つき、なにに悩んでいたのか、私はちゃんと見てきました。私のもとからいなくなっても、あれからどうなったんだろう、あの人の人生はどう変わっていったのだろうと時折様子を覗きにいきます。元気そうにしていたらほっとするし、更新がぴたりと止まっているようであれば辿れるものはすべて辿りその人の形跡を片っ端から追います。アカウントごと消えている人もいます。そんなとき、ああ、フォローフォロワーの関係とはなんて儚いのだろうと天を仰ぎます。まさに、消えちゃったら終わり、なんですよね。
そろそろ、なに言ってんだこいつくそきもいな、って思いました? 思ってもらっても構いませんし、伝えてもらってもいいですよ。でも私はフォロワーの言葉しか聞きません。私はフォロワーのことしか信じていないから。
フォローされるたびに疑心暗鬼になるくせに信じているとはどういうことか。簡単な話です。私はフォロワーには関心を持ち、非フォロワーに対しては完全に無関心であるというだけのことです。私はフォロワーによってしか感情を動かされません。非フォロワーが私の悪口を言おうが叩こうが貶そうが、お、なんかキャンキャン吠えてんな、と思うだけです。歯牙にもかけないってやつです。
フォロワーのケツはいつまでもどこまでも地の果てまで追いかけますが、非フォロワーが目の前を通り過ぎても私はうたた寝でもしていることでしょう。フォロワーと非フォロワーが同時に川で溺れていたら私はフォロワーを真っ先に助けるし、フォロワーと非フォロワーに告白されたら私はフォロワーの告白を受けるつもりです。これは差別ではなく、区別です。
だって、人間ってそういうものじゃないですか? 私のことを知らない人間が私にとやかく言う筋合いはないし、私は私のことを知っている人たちの言葉を大切にしたい。それだけのことなんです。無関係な人たちの言葉まで真に受けて気に病んでいるようじゃ、人生やってられないですよ。
そういうわけで、私はいつかフォロワーの言葉たちをかき集めた聖書をつくり、肌身離さず持ち歩こうと思っています。今私の目の前にいてくれるあなたのことも、かつて隣にいてくれたあの人のことも、決して忘れないために。あなたと交わした会話、あなたが私の文章をスクロールした形跡、あなたが見たもの、感じたものすべてをこの胸に、この瞳に、脳みその皺の奥深くまで刻み込むために。あなたが私といてくれた時間を、永遠にするために。
私はフォロワーのことが好きです。フォロワーは神様です。フォロワーをこの世に生み出してくれたすべての人に感謝を述べたいくらいです。フォロワーが私のそばにいてもいなくても、私はフォロワーのあとをいつまでも追い続けるし、夢にも出るし、今はあなたの後ろにいます。愛してるよ、フォロワー。
こちらの記事は最新刊『ぜんぶ嘘だよ、ほんとだよ。』収録作品を一部改編したものです。