
万馬券とLINEスタンプ
授業料未納
10月の終わりに張り出されたとき、その紙には十数人の名前がありました。
それらが気温の低下とともに少なくなっていくのを、私は他人事のように見ていました。
冬休みに入る直前に掲示を見に行くと、新たなA4の紙に印字された名は私のほかに一つ。
この大学で後期授業料を納めていないのは私とその知らない名前の男、ただ二人となっていました。
名前の上の文言は、「未納だから払ってね」といった内容から「除籍するよ?」という文言に変わっています。
広すぎる余白の部分がそれ以上の何かを語っているようです。
冬休み、12月23日。
私は東京競馬場にいました。
ほとんどの大学の週末を、競馬場でバイトして過ごしました。その日は私にとって東京競馬場で迎える5回目の有馬記念でした。
授業料はどこへ消えた
親から私の口座に振り込まれた大学後期の授業料がなぜ消えてしまったのか。
これはタイミングが悪かったとしか言いようがないです。
当時の私はそれがかっこいいという理由で、バックパッカーもどきのことをやっていました。
行き先は適当に決める。
現金はないからクレジットカードで航空券を買う。
出発の日が近づいても旅費はない。
そこで少ない友達を誘って居酒屋に行く。
私がカードで支払いをする。
友人が割り勘の金額を各自私に渡す。
これを数回やれば、貧乏旅行するくらいの現金が音もなく手元に現れます。
禁じられた「飲み会幹事の錬金術」です。
というわけで帰国してからカードの請求が来ますが、当然払えません。
カード利用停止。
必死にバイトする。
支払うべきギリギリの額を、ギリギリの期限※にどうにか振り込む。
※噂では怖い人が取り立てに来ない、という期限
アメリカが誇るBuy now Pay later文化を地で行く学生でした。
しかしある月の支払いで、本来であればからっぽの私の銀行口座に、突然数十万円が現れます。
それを大学が引き落とす前に、カード会社がかっさらっていきました。
大学は授業料の引き落とし日を、カード会社のそれより前に設定すべきでした。まったく大学側の落ち度。
それでも別によかった
それならばバイト代を授業料に回せばいいかというとそうでもないのです。
どういうわけか毎月振り込まれるバイト代は、そのたびきれいにカード会社が回収していきます。
いつ何にいくら使ったかなんて、全然把握してないし明細なんてものは見ないので、当然の帰結でした。
なぜこれほどまでに危機感がなかかったか。
当時の時点で私は理由を知っていました。それは五木寛之氏のエッセイ『風に吹かれて』の、とあるエピソードです。
五木氏は大学生の頃、友人が親から授業料をもらってきたというので、その金を持って数人で新宿に繰り出し、一晩で使い果たしてしまったというのです。
私はこれにしびれました。
五木氏は新宿に言い放ちます。
「これは焼け野原からおれたちが作った街だ。そこにずっとあったパリとは違う」
またしびれました。
そんな生活していたので、最終的に五木氏は早稲田を除籍となります。
有馬記念、終わりよければ
自分もそうやって退学して、作家にでもなれると思っていたのかもしれません。
だから2007年の有馬記念に賭けたとき、私の馬券が当たった場合の払戻金がほぼ授業料分に相当するなんて、そんな計算をしたわけではありませんでした。
マツリダゴッホとダイワスカーレットの馬連でついたのは22,190円。
それを1000円買ったので払戻金は221,900円。
一方の授業料、265,000円。
大きいレースには卒業した先輩などがバイト先に遊びに来ます。
私は競馬にそれほど詳しくなかったものの、彼らに自分の分の馬券を買ってもらったりしていました。
もちろん当たることはあまりなく、当たっても利益が数千円という状態だったので、ある時から大穴ばかりに賭け始めます。
どうせ買うなら夢を買おうというやつで、当たらずとも先輩や友人とやいのやいの騒ぐのが楽しかったです。
そんなことをGⅠのたびに数年続けてたので、来るべきときが来たと言えばそうなのかもしれません。
私は勝ったマツリダゴッホではなく、二着のダイワスカーレットを軸にして何頭か流していました。
なんでそんな選択をしたのかは分かりません。
五木寛之氏の新宿をさまよった、『ロストイントランスレーション』のスカーレットヨハンソンにあやかったのか。
そんな私も今では劇中の彼女よりビルマーレイの方が年齢的に近くなってしまいましたが、もとい騎手の安藤勝己は、彼女つまりダイワスカーレットをよく導きました。
私の周囲は文字通りマツリダ騒ぎとなったのですが、授業料滞納を普段から話のネタにしていたので、たかってくる者はいません。
馬券の払戻金にどうにか有り金を足して翌春、私は大学を卒業しました。
売れないLINEスタンプ
もう競馬はやらない。こんなことは二度とない。
大学を卒業できたせいでギャンブル沼にはまってはどうしようもないのです。
そう。思えばこれで説明ができます。
なぜ今私は、ひとつ120円のスタンプをちまちま作っては1個売れた2個売れたなどとやっているのか。
20数万円と言うのは学生にとって、確かに小さい金額ではないですが、私がひとかどの人間であったらなそんなものどうでもよかったのでした。
五木寛之氏のようにそのまま新宿まで出て行って、友と使い果たしてもよかった。
その金でカシミールでもソマリアでも行って、人生(観)をぶっ壊されたのち帰っても(帰らなくても)よかった。
たまたま当時のNVIDIA株を買って、現在1億円近い資産を手にしていてもよかった(いや大学を出たほうが生涯賃金としては…などと考えた時点で小物です)。
そうしないで卒業、就職し、私は賃金労働者としてどうにか足るを知る生活を送っています。
おしまい
ずっと、絵を描くことや何かを作ることが好きです。
そう言えるのは、「ありのままの自分が好き」とか「私は私のままでいい」といった、批評性を欠いた自己承認の結果ではありません。
成し遂げなかった何かを背負いながらも胸を張ろうとしているからだと思います。
今スマホの画面に指を滑らせて現れる線は、あの有馬記念から現在の私まで長く続いてきたもの。
ほんの小さなものしか作れない。
ときに哀しいが、でも決して悪いことではない。
年が明けて授業料を払い、しばらくたってふと、私は大学の掲示板を見に行きました。
未納者の張り出しはなくなっています。あのA4の紙に最後まで私とともに残ったもう一人の学生は、除籍となったのかもしれません。
だとしたらその名は、マツリダゴッホが勝たなかった世界のもう一人の私でした。
彼は、焼け野原から一つの街を作り上げるほどの作家になったでしょうか。