
藪蚊に食われた午後
今から三十年以上前、私は二十歳。まだ学生で、母の実家に顔を見せに行った。そこには叔父家族と祖母、そして曾祖母も居た。
曾祖母は老衰で、少し前からほとんど布団で横になっている状態だった。当時は施設なども少なくて、身近な存在ではなかった。利用すること自体が姥捨てのようで、人でなしに思われる時代でもあった。
農家の広い平屋だから可能な介護だった。なにかあれば主治医が車で往診に来てくれる。
田舎の家に着いて、ひとしきり挨拶を交わし、仏壇に手を合わせ、出されたお茶を飲んでひと休みする。裏の畑でもいだばかりのトウモロコシをせいろで蒸して、祖母が塩壷と共に、ざるに盛って運んでくる。
曾祖母の部屋へ様子を見にいった叔母が「大婆ちゃん起きたから、会ってあげて」と私を呼びに来た。一日中、うつらうつらしていて、ときおり目を覚ますのだそうだ。
私は曾祖母の初ひ孫だ。外孫だけれど、訪れるたびに、かわいがってくれた。「大婆ちゃん、こんにちは。実々だよ」曾祖母は無反応だった。耳が遠くなって聞こえないのかな、と、少し大きめの声で、ゆっくりと「おおばあちゃん、実々が来たよー」と言ってみた。曾祖母は困ったような顔をした。私を思い出すのに時間がかかるのかな。
私は曾祖母の手を両手で包もうとした。すると私の手を払いのけて「誰ですか、ようこー、ようこー」と、普段お世話をしている叔母を呼んだ。いったんその場を離れていた叔母は、戻ってきて明るい声でおっとりと「なんだのぉ?せっかく実々ちゃん来てくれたのに。実々ちゃんよぉ」
叔母の説明で私が初ひ孫の実々だと、わかって欲しかったけれど、もう一度私が「大婆ちゃん」と、近づこうとしたら「堪忍してください」と言ったのだ。なんでよ……
耐えられなかった。高齢者と同居の経験もなく、人が年をとって変化していくことは理解していても、私が私として認識されない経験は初めてだった。ひどくショックを受けた。その場にいられなくなって、サンダルをつっかけて母屋の裏にまわり、氏神のところで嗚咽した。震えが止まらなかった。藪蚊に食われた。なんでこんなになっているのかわからないくらい、悲しかった。
従妹の泉ちゃんが、私を追ってきた。「大丈夫?大婆ちゃんね、私のこと、美希って言ったことあるよ」美希は泉の姉で、その年の春から実家を出て短大に通っていた。高校生だった泉ちゃんは、同居のひ孫でもこうなのだから、というようなことを言って私を慰めた。
「うん、大丈夫だよ。びっくりしちゃっただけ」若かった。無防備だった。だから、受け身も取れず、まともに食らって尻もちをついたのだ。そんな可能性があることは知っていても、わが身に起きるとは、それが今日だとは、思えないものなのだ。
先日、友人が、認知症のお母さんが暮らす施設を訪れた。入室すると、お母さんは、訪ねてきた娘を介護士さんだと勘違いして話しかけてきた。友人は、いよいよこの日が来たかと受けとめ、話を合わせていた。複雑な気持ちの反面、母が落ち着きを取り戻し、この環境で穏やかに過ごせているならと安堵もした。
花瓶や湯飲みなどを洗って部屋に戻ると、母は「あら、みさちゃんいつ来たの?」と、今度は満面の笑みで両手を広げた。友人は、母とハグしながら、これこそ本当に最後の、自分を自分としてわかってもらえる機会なのではないかと涙が溢れた。「どうしたの、みさちゃん。なにか悲しいことがあったの?」と案じる母の胸で、幼子のように泣きじゃくってしまったそうだ。
自分が自分であるとは、なんなのだろう。自分が自分であると認識してもらえないと、どうしてこんなにショックを受けるのだろう。
どうして傷つくのか、その答えを私は今も持っていない。ただ、知識と経験で耐性ができた。それと、自分がどうしようもなく傷ついてしまったときは、それをひとりぼっちで胸に抱えておくのではなく、打ち明けられる誰かに聞いてもらうことだ。
家族や直接の友人でなくても構わない。むしろ、カウンセラーに有償で話すほうが気がラクだったりもする。私がそうだった。noteに書いたって良いのだ。思いを言葉にして外に出そう。こんな風に。
(見出し画像:ヒメコウゾ)