
戦争を知らない大人たち
僕は戦争を知らない大人。
過ぎたことであるから、然し、今でも戦争は各地で起きてゐる。
知らない、とは、実際に経験していないということである。
知ることはできる。だが、実戦(本当の意味で)は経験していないし、トラウマのようなこともない。知ることと実地で経験することとは、地と天ほどに違うのだらう。
杉田二郎の戦争を知らない子どもたち。コード進行は憶えていると思ふ。中学生か高校生かの頃に、TVの懐メロのメロディを聞いて、学校で配られた歌集を見ながら、そして、その頃に我が家にあったフォークギターで弾き語った。
秀雄おじいちゃんの記憶が甦る。
彼は軍属であった。フィリッピンへ向かう輸送船団の船長であったと母から聞いたのはいつのことであったか。おそらく、小学生の頃だらう。
おじいちゃんの子守唄は、「戦友」。
ここはお國を何百里
離れてとほき滿洲の
赤い夕日にてらされて
友は野末のずゑの石の下
祖父は、私が弐歳前に天国に召された。直腸癌であった。
その頃の記憶は確りと憶えている。
福田町の荒神さん。吉迫といふ駄菓子屋。緑の乳母車に乗せられ、吉迫の前に着き、おじいちゃんが一人で店に入り、見ていると、ヤクルトを飲んでゐる。僕は其れを見て、僕も飲みたい、と、そこに行きたいのだが、シートベルトみたいなのが掛かってゐるので、どうにもならなくて、やきもきした、と、母に語った。
驚かれた。
まだある。
おじいちゃんが、末期の癌になり、入院する前であらう、部屋で布団に寝てゐる。
僕は牛乳が飲みたかったので、冷蔵庫から、赤と白の酪連牛乳を取り出し、おじいちゃんの枕元に置き、数秒後である。
おじいちゃんは、がばり、と、布団から体を起こし、グラスに注いでくれて、そしてすぐ、寝てしまった。
其れを母に話した。
おじいちゃんは末期癌じゃったろうに、体中が、痛かったじゃろうと思うんよ。それでも、起きて牛乳を注いでくれたんじゃね、、、
まだある。
おじいちゃんは、フィリッピンに向かう輸送船団の船長と前述した。
敵機からの機銃掃射により、おじいちゃんの脇の下を、弾丸が貫いた。
そして、船員が、針金を通したそうだ。
船長、針金が通りました。貫通したので、大丈夫です、と、云われたさうだ。
貫通銃創というわけである。
急所は外れたのだらう。
脇の下にも、急所は在る。
太い動脈も通ってゐる。
おそらくは、此れは私の推測であるが。
御先祖様が、護ってくれたのだらう。
おじいちゃんは、千人針など要らぬ、と、断ったそうだ。
こんなものを着ていても、死ぬときは死ぬ、と言ったらしい、と、照子おばあちゃんから聞いた。
さうして。僕もおじいちゃんに護られていると感じた経験は何度かある。
中学生の頃に、福田から竹原に引っ越し、自転車を駐輪場に停めやうと思って、自転車を押していたら、壱メートルくらい下のコンクリートに落ちてしまった。それもそれで痛かったが、空を見ていると、上から自転車が落ちてくる。それでも、落ちてきた自転車は、川の方に落ち、僕は無事だった。打撲位はしただらう。直ぐに自転車を拾い上げ、元々の場所に停め、何の痛みもなく、帰宅したのだ。
此れは、おばあちゃんから聞いた、祖父がルソン島で捕虜になる前と、なっていた頃の話。
食糧も無くなッて、水もなくなッて、そろそろ限界か、といふときに、おじいちゃんのポケットに、米の缶詰が残ッてゐた。
其れを取り出し、戰友に分けて食べ、すると、もりもりと力が漲り、椰子の木に登ッて椰子の実を取ッていたら、米さんの偵察機に見つかッてしまッてしまッたさうだ。
さうして、捕虜になり。当然模範囚として過ごし、早くに日本に送られたのだと。おばあちゃんは自慢げに話してくれた。
祖父は、字が上手であった。文章は、昭和のやうだった。兄が、おじいちゃんの書いた戦記、または、大崎上島の家の記録、そして、福田の家の記録を、福田の仏壇の中に見つけ、確保してくれたので、それをScanしたPDFを送ってくれた。
それを、夜にしこたま飲んで、帰りに読む。祖父の祖父、父のことが書いてある。そして、子どもたちの記録。そして、孫の記録。中々私の名前は出ない。
遂に、僕の名前が出てきたとき、私は、心から泣いた。何故なら、おじいちゃんが、僕のことを書いてくれていた。
さて戦争を知らない大人たち。
私たち僕たちは、戦争を知らない。
だがだ。このやうに、語り継ぐことはできる。
俄にはたと倒れしを、我は思わず駆け寄りて。
戦友が、撃たれたのだ。
此処から、やや長くなるが、引用する。
ああ戰ひの最中に
隣にをった此この友の
俄かにハタと倒れしを
我はおもはず駈け寄って
軍律きびしき中なれど
これが見すてて置かれうか
『しっかりせよ』と抱き起し
假繃帶も彈丸の中
折から起る突貫に
友はやうやう
顏上げて
『お國のためだかまはずに
おくれてくれな』と目に淚
後に心は殘れども
殘しちゃならぬ此からだ
『それぢゃ行ゆくよ』と別れたが
ながの別れとなったのか
悲しい瞬間である。
そして、戦い済んで日が暮れて。
戦友を探して戻る。
どうか生きていてくれよ、と、願いしも。
残念ながら戦友は、天に召される。夭折だらう。魂は歸ったのだ。靖国の社に。
ポケットに、コチコチと、響く、時計が、動いて、ゐるのも、情けなや。
僕は戦争を知らない。
それでも。この素晴らしき歌詞から、知ることは出来る。
歌詞の終りは。
友の最期を。
細々と。
親御へ送る此手紙。
筆の運びはつたないが
行燈のかげで親逹の
讀まるる心おもひやり
思はずおとす一雫
戦争を知るべき、大人たちさ。