メインコンテンツへスキップ
見出し画像

会社人|「会社に合わない」は「働けない」と同じなのか

    電話が鳴るたび、仕事の手が止まった。

    新卒で入った会社のデスクで、僕はよく固まっていた。画面には書きかけのコードがある。頭の中には組み立てかけの処理の流れがある。そこへ、デスクの固定電話が鳴る。

    心臓が跳ねる。手が止まる。頭が真っ白になる。

    相手の会社名を聞き取れるか。名前を聞き取れるか。話しながら要件をメモできるか。変な言葉遣いにならないか。一瞬で、頭の中にタスクが雪崩れ込んでくる。

    電話が終わって、画面に戻る。でも、さっきまで自分がどのコードを読んでいて、どこまで実装していて、何をしようとしていたのかがまったく浮かんでこない。目の前には電話に出る前と同じ画面がある。でも、頭の中は更地だ。

    こうした切り替えの難しさは、発達障害のひとつであるASD(自閉スペクトラム症)の人に見られることがあると、のちに知った。

    外から見れば、ただ電話を1本取っただけである。でも僕の中では、作業中のアプリケーションを強制終了されたような感覚だった。

    「未保存の変更があります」

    そんな警告すら出ない。無慈悲だ。

    会社で働くって、何なんだろう。最近また、そんなことを考えている。

    新卒で入った会社は、電話対応や人間関係のストレスが積み重なり、適応障害で1年ほどで辞めた。そのあと、いろいろ工夫して入った次の会社では、3年以上働くことができている。

    でも、いま僕はまた休職している。

    だからこれは、「発達障害と精神疾患があっても、工夫すれば会社で働ける」という、きれいな成功談ではない。そう言い切れたら、たぶん読み物としては明るい。でも、現実はそこまで明るくない。

    最初の会社では壊れた。次の会社では3年以上もった。でも、いままた壊れている。
    とはいえ、その3年が無意味だったとも思っていない。僕はその3年で、自分がどんな場所なら少し働けるのか、どんな場所だと削られていくのかを、前より具体的に知った。

    会社で働くとは、自分を会社の規格に合わせることなのか。それとも、自分が壊れずに能力を発揮できる場所を探すことなのか。

    エンジニアとして入ったはずだった

    最初の会社で、僕はエンジニアとして入社した。エンジニアとして働く。その言葉には、当時の僕なりの期待があった。システムを作り、サービスを改善する。自分の頭で考えて、手を動かして、誰かの役に立つものを作る。そういう仕事をするのだと思っていた。

    もちろん、それ自体は間違っていない。実際に、コードを書く仕事がメインだった。機能改修もしたし、社内ツールの開発もした。少しずつできることが増える感覚もあった。

    ただ、会社で働くということは、思っていたよりずっと多くの「本業ではない仕事」を含んでいた。

    電話を取る。会議をセッティングする。空気を読む。急な依頼に対応する。雑談する。会議で議事録を取る。曖昧な優先順位を、自分でいい感じに並べ替える。どれも、会社では当たり前にできることとして扱われる。でも僕には、それらが当たり前ではなかった。

    特に電話対応は、最初から最後まで苦手だった。子どもの頃から電話そのものが苦手だったし、会社名と名前を同時に聞き取ってメモし、相手の要件を理解し、適切な人に取り次ぐという一連の流れが、僕にはかなり難しかった。

    仕事が嫌だったわけではない。むしろ仕事をしたかった。でも、仕事にたどり着く前のところで、何度も足を引っかけていた。

    「エンジニアである前に社会人」

    新卒当時、電話対応が苦手なことを担当人事に相談した。会議室で、相手と二人きりだった。お互いの口調は、つとめて冷静だったと思う。

    「電話対応が苦手です。集中が切れてしまうし、エンジニアとして入ったのに外線を取ることがどうしてそんなに大事なのかがわかりません」

    そんな話をしたら、返ってきた言葉は、ざっくり言えばこうだった。

    「エンジニアである前に、ひとりの社会人だよ。社会人として必要な業務だから」

    その場では何も言い返せなかった。むしろ納得した。そうか。僕はエンジニアである前に、社会人にならなければいけないのか。
    でも、あとから苦しくなった。

    社会人とは、電話が取れる人のことなのか。報連相のタイミングを読める人のことなのか。急な仕事にも、いい感じに対応できる人のことなのか。

    「仕事ができない」と言われるなら、まだわかる。でも、「社会人として足りない」と言われると、仕事以前に人間の型が違うと言われているような気がした。

    これは、けっこうきつい。

    当時の僕は、その言葉をほとんどそのまま飲み込んでしまった。自分には、会社で働くための土台が足りないのだと思った。

    でも今なら、少し違う見方もできる。

    あれは単に「社会人として足りない」という話ではなく、会社が求める動作と、僕の特性や体力の使い方が噛み合っていなかった話でもあったのだと思う。

    もちろん、会社側の言い分がまったくわからないわけではない。電話対応や報連相が必要な場面はある。組織で働く以上、自分ひとりの都合だけで動けないこともわかる。

    ただ、それでも思う。

    それができない人を、いきなり「社会人として足りない」と呼んでしまうのは、少し乱暴ではないか。

    報連相というゲーム

    電話対応だけではない。報連相も苦手だった。
    もちろん大事なのはわかる。報告・連絡・相談。社会人の三種の神器みたいなやつだ。持っていないと門前払いされるイメージがある。

    僕が困っていたのは、「どのタイミングで報告するのか」だった。実装が終わったタイミング。コードレビューを出したタイミング。こういう明確な区切りはわかる。でも、その他の雑務や、まだ形になっていない相談ごとになると、いつパスを投げればいいのかがわからない。

    早すぎると、自分で考えていないように見える。遅すぎると、抱え込んでいるように見える。そもそも自分から人に話しかけるのが苦手だ。ちょうどいいタイミングが、僕にはわからなかった。

    タスクが終わり、それをいつでも上司が確認できる状態、つまり「自分がボールを持っていない状態」になったので次のタスクに取り組んでいたら、「終わったなら報告してよ」と言われることがしばしばあった。

    大企業には、説明書に書かれていないお作法が多すぎる。ずっとその説明書を探していた気がする。問題は、「何を、いつ、どの粒度で、誰に伝えるか」が、暗黙知になりやすいことだ。

    FPSゲームでいうなら、多くの人はオートで照準が合う設定になっているのだろう。僕はどうやら、その設定がオフになっているらしい。エイムを合わせるのに繊細な注意が要る。

    役に立つつもりで入ったのに

    最初の会社を辞めるとき、いちばん強かった感情はふがいなさだった。
    エンジニアとして役に立つぞ。そう思って入社した。でも実際には、電話対応でつまずき、報連相でつまずき、暗黙のルールでつまずいた。

    プログラミングが嫌いだったわけではない。むしろ、コードを書いたり、システムの知識をつけたりする業務には手応えもあった。

    でも会社は、成果物だけで人間を見てくれるわけではない。電話を取れるか。空気を読めるか。急な依頼に対応できるか。そういう“会社員所作”のようなものが求められる。僕はそこで、何度も足を引っかけた。

    そしてある朝目が覚めると、身体のどこにも力が入らず、ベッドから起き上がれなくなった。

    そのとき僕は、自分が”社会人”になれなかったのだと思った。自分の苦手を、うまく言語化することも、相談することもできなかった。

    次は、会社ではなく条件を探した

    それからしばらく休職したのち、その会社を退職した。「ひとつの会社で最低でも3年は勤めないと」という今では懐かしい言説も、当時はうっすら身体にまとわりつく感じがした。

    退職後は傷病手当を受けながら、フリーランスで働く可能性も探りつつ、転職サイトもゆるく眺めていた。もう一度会社に入るのか。会社に属さず働くのか。そもそも、自分は会社で働ける人間なのか。

    はっきりした答えは得られなかった。

    ただ、ひとつだけ思っていたことがある。同じような環境に戻ったら、たぶんまた壊れる。だから次に転職するなら、会社名や年収ではなく、自分が壊れにくい条件で探そうと思った。

    電話対応がないこと。リモートワークが可能なこと。周囲に大人数がいない環境。暗黙のルールが少ないこと。

    特に、リモートワークは重要だった。単に通勤がないから楽、という話ではない。音。人の気配。視界の中で動くたくさんの人。急に話しかけられること。満員電車で削られる体力。こういう刺激を減らさないと、仕事そのものに使うエネルギーが残らない。

    休職しながら心療内科に通ううちに、自身のASD特性を知り、勉強する中で見えてきたことだった。

    仕事を始める前から、HPが半分以下になっている。そんな状態で「普通に働け」と言われても、かなり難しい。少なくとも僕の場合は、職場にたどり着くまでが、すでにひとつの労働だった。

    当時の転職活動は、いい会社を探しているというより、自分が壊れにくい条件を探している感覚に近かった。

    「どこなら自分を高く売れるか」ではなく、「どこなら自分を壊さずに済むか」。転職活動としては、あまり景気のいい話ではない。でも、僕にはそれが必要だった。

    私を雇うべきではない3つの理由

    失業中のある日、自宅のデスクで転職サイトのプロフィールを書いていた。昼間で外は明るいはずなのに、画面の前にいる自分だけが、少し薄暗い場所にいるような気がした。

    転職サイトのプロフィール欄には、ふつう自分の売り文句を書く。
    これができる。これだけ意欲がある。御社に貢献できる。そういう大事な欄だ。

    でも僕は、そこに「私を雇うべきではない3つの理由」と書いた。今振り返ると、相当こじらせている。

    1. 電話対応が苦手

    2. 臨機応変な対応が苦手

    3. 会話や会議中のメモができない

    こんなことを書いたら、だれが雇いたいと思うだろう。恋愛リアリティーショーで初回の自己紹介に、「僕を選ばないほうがいい理由が3つあってね…」と言いだす男が、女性に選ばれるわけない。

    でも、これらの苦手を隠して、再び同じ苦しさを味わうほうが怖かった。また電話の前で固まり、急なタスクで焦り、会議中のメモで置いていかれる。その未来のほうが、僕にはずっと怖かった。

    そしてプロフィール欄の最後に、自分をワケあり野菜にたとえてみた。

    見た目は悪いけれど、味は悪くない。規格には合わないかもしれないけれど、むしろ可食部は規格品より多いかもしれない。そんな野菜を仕入れて、美味しい料理を出してくれるレストランのような会社と働きたい。そう書いた。

    これは、卑下のようでいて、僕なりの戦略だった。

    「買わない理由」を先に出す。それでも面白がってくれる人がいれば、その人はちゃんと自分をひとりの人間として見てくれるかもしれない。逆に、それで落とされるなら、それはそれでいい。

    合わない会社に入ることのほうが、僕には怖かった。僕は、ワケあり野菜として棚に並ぶことにした。この比喩は、今でもけっこう気に入っている。

    転職市場には、まっすぐで、きれいで、どこに出しても恥ずかしくない野菜が並んでいるように見える。少なくとも、僕にはそう見えていた。でも、形が少し曲がっているからといって、食べられないわけではない。

    必要なのは、ワケあり野菜を排除することではなく、そのまま使ってくれる料理人を探すことだったのかもしれない。

    ここなら少しやれるかもしれない

    そんなワケありプロフィールのまま転職サイトを放置していると、あるIT企業から面談のオファーがきた。
    非常に小さい会社で、面談はなんと社長みずから。

    リモートワークができる。社員が少人数である。話していて、合理的に物事を考える人だと感じる。

    面談後、劇的に「ここだ!」と思ったわけではない。でも、じんわりと「ここなら少しやれるかもしれない」と思った。事業内容も素敵だったし、プロフィールの内容についても話すことができた。

    前の会社では、「何を言うか」よりも「誰が言うか」に重きが置かれることが多かった。でもこの会社では、僕のような人間でも発言の中身を尊重してくれる感覚があった。

    結果、この会社のオファーを受け、入社することにした。

    会社は僕を治してくれはしないけど

    発達特性や精神疾患のことも、会社には伝え、いわゆる「オープン就労」を選択した。最初から診断名を前面に出したというより、まずは具体的な困りごととしてだった。

    会社側の反応は、かなりフラットだった。
    「はい、わかりました」
    そんな感じだ。

    感動的な理解があったわけではない。当然だが、会社側にASDについて深い知識があったかといえば、たぶんそうではない。

    でも、僕の調子が良いのか悪いのか。どの仕事なら進められるのか。業務をどう組み立てるのか。そこをドライに見てくれた感じがあった。

    これは、僕にはありがたかった。

    過剰に感動されるわけでもない。必要以上に問題視されるわけでもない。ただ、前提として扱われる。会社は僕を治したわけではない。ただ、少しだけつながれた。そんな感覚だった。

    この「治したわけではない」というところは、かなり大事だと思っている。多少環境が合っても、人は水を得た魚とはいかない。苦手が消えるわけでも、疲れなくなるわけでもない。

    ただ、苦手を避ける工夫の余地があり、疲れ方が少しだけ読めるようになる。自分の価値が、前より少し発揮しやすくなる。
    それだけでも、かなり違う。

    3年以上働けた。でも、「会社人」になれたわけではなかった

    今の会社で、僕は3年以上働いている。これは自分にとって、かなり大きなことだった。最初の会社を半年ほどで休んで辞めた僕が、次の会社では3年以上働けた。環境選びは、たしかに大事だったのだ。

    あとから数字を見て、腑に落ちたことがある。厚生労働省の令和5年度障害者雇用実態調査では、従業員5人以上の民営事業所に雇用されている発達障害者は、推計9万1,000人とされている。平均勤続年数は5年1か月だった。

    もちろん、この数字だけで何かを断定することはできない。未診断の人もいれば、会社に伝えず働いている人もいる。

    それでも僕は、この数字を見て思った。発達障害を抱えながら会社で働き続けることは、やはり簡単な話ではないのだと。

    そして僕はいま、また会社を休んでいる。ある日また、いきなり体調を崩した。

    その日は体に違和感を覚えながらも、午前中は仕事をしていた。だが、お昼休み中には、強い倦怠感と虚無感に襲われていることに気づいた。
    上司に体調のことを相談し、その日は休みにした。そしてその後も連日同じような状態が続き、心療内科に行くと「休職が必要」との結論になった。

    休んでから時間をおいて振り返ると、いろいろなものが積み重なっていた。

    • いつSlack(チャットツール)の通知が飛んでくるかわからない状態

    • 即レス・マルチタスクを是とする風土

    これらは前職の大企業とはまた違った、ASDの特性と相反する課題だった。それが浮き彫りになった。ひとつひとつは小さいのかもしれない。でも、小石が靴の中に入ったまま歩き続けるのはどうしてもストレスだ。

    3年以上働けたことは誇りに思っている。でも、3年平気だったわけではない。続いたことと、苦しくなかったことは違ったのだ。

    「続いたんだから大丈夫なはずだ」と思ってしまう。でも、人は大丈夫ではないまま、けっこう長く働けてしまう。

    そうしてまた、鬱になる。

    トランプのジョーカーにはなれなかった

    最近思うのは、会社は従業員にトランプのジョーカーであることを求めているのかもしれない、ということだ。

    ジョーカーはたいてい、どんなゲームでも、どんな役割でもこなせる。急な仕事にも対応できる。人とも調整できる。成果も出せる。空気も読める。安定して働ける。

    そんな、何でもできるカード。

    もちろん、そういう人はすごい。会社から見れば、とてもありがたい存在だと思う。文字通り、引く手あまただろう。

    でも僕は、ジョーカーではなかったのだ。ビジネスパーソンというより、クラフトパーソン、つまり職人に近いのだと思う。少なくとも、僕は自分のASD特性はその感覚が近いと認識している。

    刀匠で例えてみる。職人は山にこもって刀を打つ。たまに引き取りの業者が来て、できた刀を受け取り、代金を頂戴する。話しかけられることもなく、会議もなく、ただ刀を日がな一日作りつづける日々だ。

    もちろん現代の会社で、そんな働き方がどこまで可能なのかはわからない。でも、僕はどちらかというと成果物で語りたいタイプなのかもしれない。

    コードを書いているとき。設計を考えているとき。長い時間、中断されずにひとつの問題へ潜っているとき。そのときだけは、自分がちゃんと仕事をしている気がする。

    会社はジョーカーを欲しがる。でも、ジョーカーになれない人間にも、今の社会や会社でできる仕事はあるはずだ。

    問題は、その人のカードが弱いことではなく、そのカードをどの場に出すかを間違えていることかもしれない。「3」くらいのカードでも、ストレートフラッシュは出せるのだから。

    会社で働くって何なんだろう

    会社で働くって、何なんだろう。

    新卒で入った最初の会社を辞めたとき、僕は自分が“社会人”になれなかったのだと思っていた。そして次の会社で3年以上働けたとき、もしかしたら少しは“社会人”かつ、組織で働く“会社人”になれたのかもしれないと思った。そして今また休職して、やっぱり簡単ではなかったのだと思っている。

    でも、全部が無駄だったとは思わない。

    自分がどういう環境で削られやすいのかを前より知ることができた。どんな場所なら、少し能力が発揮できるのかも知った。

    元NewsPicksパブリッシング創刊編集長の井上慎平さんは著書『弱さ考』の中で、認知科学者の鈴木宏昭さんの『私たちはどう学んでいるのか』に着想を得て、次のように書いている。

    能力は個人の内部にある「モノ」じゃない。外部(状況・環境)との関係性の中でつど生成する「コト」、つまりは相互作用であり、現象だ。

    『弱さ考』より

    同じ人間でも、環境が違えば発揮できることが変わる。そう考えると、「会社で働けない」は、必ずしも「能力がない」と同じ意味ではないのだと思う。

    “会社人”になることは、ただ会社に属すことではないのかもしれない。
    会社の形に自分を無理やり押し込むことでもない。
    自分の苦手を全部なかったことにすることでもない。

    自分を壊さずに、少しでも貢献できる接続点を探し続けること。たぶん僕は、まだその途中にいる。

    普通の会社員には、なれなかったのかもしれない。でも、会社で働くということを、前より少しだけ具体的に考えられるようにはなった。

    それだけでも、この3年間には意味があったのだと思いたい。

     
     
    発達障害あるあるで終わらない、もう一歩実用的な話を。仕事、生活、障害や特性のことを、当事者目線・エンジニア的な整理で発信中。YouTubeも。

    あなたへのおすすめ