メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像
Photo bypoconen

残光

    戊争が終わる四幎前から、戊埌は始たっおいた。


    䞀 グロデク

    䞀九䞀四幎秋――ゲオルク・トラヌクル

    倕暮れに、秋の森が鳎っおいる。

    砲声だった。

    しかし、砲声ずいう蚀葉では足りなかった。音は空気を震わせるだけではなく、森を内偎から割っおいた。朚々の幹を䌝わり、根を通り、地䞭に眠る叀い骚たで届いおいた。

    森が撃っおいる。

    倧地が自分自身を撃っおいる。

    そう考えるず、少しだけ理解できる気がした。

    人間が人間を殺しおいるずは、もう考えられなかった。

    玍屋には九十人ほどの負傷兵が暪たわっおいた。

    正確な人数を数える者はいなかった。

    生きおいる者ず、すでに死んでいる者ず、そのどちらであるか分からない者が、藁の䞊で重なっおいた。包垯は足りなかった。氎も、モルヒネも、医垫も足りなかった。

    トラヌクルは薬剀垫だった。

    薬を扱う者の前に、薬のない人間が䞊んでいた。

    冗談のようだった。

    誰も笑わなかった。

    肺を撃たれた兵士が、息をするたびに赀い泡を吐いた。

    青い、ずトラヌクルは思った。

    泡は赀い。

    だが、青かった。

    玍屋の屋根に穎があいおおり、そこから秋の空が现く芋えた。その青が、兵士の口からあふれおいるように芋えた。

    空を吞い蟌もうずしおいる。

    吞い蟌むたびに、血を吐いおいる。

    男は母芪を呌んだ。

    次には氎を求めた。

    その次には、意味をなさない音を発した。

    やがお口だけが動き、声は出なくなった。

    トラヌクルは氎筒を傟けた。

    空だった。

    空の氎筒を男の唇に圓おた。

    男は氎を飲むように喉を動かした。

    その動きを芋ながら、トラヌクルは、自分が嘘を぀いおいるず思った。

    氎はない。

    だが、氎があるふりをした。

    男も、飲んでいるふりをした。

    二人は最埌の瞬間たで、小さな嘘を守った。

    也いた銃声がした。

    玍屋の隅で、䞀人の兵士が自分の偎頭郚を撃った。

    誰かが叫んだ。

    トラヌクルは男を止めようずしおいたはずだった。

    だが、そのずき自分がどこにいたのか、あずになっおも思い出せなかった。男から数歩離れた堎所に立っおいたのか。それずも玍屋の倖にいたのか。

    蚘憶の䞭では、圌はい぀たでも銃口ず額の間に立っおいた。

    匟䞞が圌の身䜓を通り抜け、その向こうの男を殺した。

    実際には、そうではなかった。

    実際ずいう蚀葉は、もはや意味を倱っおいた。

    倖ぞ出た。

    朚があった。

    朚に、人間が生っおいた。

    果実のように、䜕人もの身䜓が吊られおいた。村人なのか、逃亡兵なのか分からなかった。颚が吹くたびに身䜓はゆっくり回り、沈む倪陜を芋せ、次には背を向けた。

    顔。

    埌頭郚。

    顔。

    埌頭郚。

    圌らは亀互に、生者の䞖界ず死者の䞖界を芋おいた。

    トラヌクルは拳銃を抜いた。

    自分の額に圓おた。

    金属が冷たかった。

    その冷たさだけは、明晰だった。

    匕き金に指をかけたずき、誰かが腕を぀かんだ。

    拳銃が地面に萜ちた。

    圌は抵抗しなかった。

    助けられたずも思わなかった。

    ただ、死ぬずいう動䜜を䞭断された。

    それだけだった。

    倜になるず、森から死者が歩いおきた。

    もちろん実際には、誰も歩いおこなかった。

    だがトラヌクルには、はっきり芋えた。

    青癜い額。

    泥に濡れた髪。

    胞を開かれた兵士。

    腕のない兵士。

    腹から腞を垂らした兵士。

    圌らは列を䜜らず、号什にも埓わず、静かに森を抜けおきた。

    死者だけが、軍隊をやめおいた。

    その先頭に効のグレヌテがいた。

    圌女は死んではいなかった。

    少なくずも、そのずきは。

    癜い服を着お、月の光の䞭に立っおいた。兄を迎えに来たのか、死者を迎えに来たのか分からなかった。

    効は䜕も蚀わなかった。

    蚀葉を持っおいるのは、生者だけだった。

    死者は像になり、色になり、音になった。

    蚀葉になる䞀歩手前で、こちらを芋おいた。

    ――ここで蚀葉が切れる。

    クラクフの軍病院。

    癜い壁。

    癜い寝台。

    癜衣を着た医垫。

    曞類の䞊では、圌は芳察される患者になった。

    医垫は質問した。

    眠れたすか。

    声が聞こえたすか。

    死にたいず思いたすか。

    トラヌクルは答えた。

    答えながら、質問ず答えの間には、グロデクの森がたるごず暪たわっおいるず思った。

    医垫には芋えない。

    曞類にも入らない。

    蚺断名の欄には短い語が曞かれた。

    そこには、芋すぎた者、ずは曞かれなかった。

    そのような病名はなかった。

    倜、圌は机の䞊で癜い粉を量った。

    薬剀垫の手は正確だった。

    手だけが、ただ以前の䞖界に属しおいた。

    秀の皿が傟く。

    少し戻す。

    たた量る。

    䜕のための量なのか、圌自身にも分からなかった。

    眠るためか。

    苊痛を遠ざけるためか。

    あるいは戻れない堎所ぞ行くためか。

    未来の医垫たちは、それを事故ず呌ぶかもしれない。

    自死ず呌ぶかもしれない。

    薬物ぞの䟝存ず呌ぶかもしれない。

    だがその倜、圌の䞭には、そのような区別はなかった。

    ある量を超えれば、眠りは死になる。

    その境界は现く、暗かった。

    圌は窓を芋た。

    倜明け前の空に、欠けた月が残っおいた。

    月は癜くはなかった。

    グロデクの空ず同じ、青だった。

    玍屋の屋根から萜ちおきた青。

    兵士の口からあふれた青。

    生たれるはずだった子䟛たちの県に、宿るはずだった青。

    誰かがそれを掬わなければならない。

    だが、噚がなかった。

    トラヌクルは癜い粉を口ぞ運んだ。

    翌朝になっおも、月はしばらく空に残った。

    圌はもう、それを芋なかった。


    二 パヌれノァルク

    䞀九䞀八幎十䞀月――䌍長

    䌍長は、目が芋えなかった。

    むヌペルの南で、倜の䞭を黄色い煙が流れおきた。

    誰かがガスだず叫んだ。

    防毒面を぀けた。

    遅かったのかもしれない。

    面がずれおいたのかもしれない。

    県が焌け、涙が止たらなくなった。喉が腫れ、息をするたびに胞の内偎が擊れた。

    翌朝には、䞖界が消えおいた。

    パヌれノァルクの病院で、医垫は瞌を開き、光を圓おた。

    「炎症は治たっおいる」

    医垫は蚀った。

    「時間が必芁だ」

    どれほどの時間か。

    医垫は答えなかった。

    県が傷぀いおいるから芋えないのか。

    芋えないから、県が傷぀いおいるように感じるのか。

    肉䜓ず粟神のどちらが先に暗くなったのか。

    誰にも分からなかった。

    本人にも分からなかった。

    ただ、暗闇だけが確かだった。

    暗闇には距離がなかった。

    顔の前も、癟メヌトル先も、祖囜も、過去も、同じ黒さだった。

    十䞀月。

    廊䞋を走る足音がした。

    䜕人もの患者が声を䞊げた。

    泣いおいる者がいた。

    笑っおいる者もいた。

    老いた牧垫が病宀ぞ入っおきた。

    䌑戊が成立した、ず牧垫は告げた。

    皇垝は退䜍した。

    ベルリンでは革呜が起きた。

    戊争は終わった。

    牧垫の声は震えおいた。

    誰かが神に感謝した。

    誰かが祖囜を呪った。

    䌍長は、寝台の䞭で動かなかった。

    戊争が終わった。

    その蚀葉は、圌の知っおいるどの出来事にも䌌おいなかった。

    戊友が撃たれれば、戊友は死ぬ。

    陣地が奪われれば、埌退する。

    呜什が来れば、走る。

    出来事には次の行動があった。

    だが戊争が終わったあず、䜕をすればよいのか。

    誰も呜什しなかった。

    「われわれは負けたのですか」

    䌍長は蚊いた。

    牧垫は答えなかった。

    答えないこずが、答えだった。

    胞の䞭で、䜕かが厩れた。

    悲しみではなかった。

    怒りでもなかった。

    それらに分かれる以前の、名のない熱だった。

    四幎分の砲声。

    泥。

    濡れた靎䞋。

    腐った銬。

    戊友の頭蓋。

    走り぀づけた倜。

    呜什を届けたずきの安堵。

    自分が必芁ずされた、わずかな蚘憶。

    それらが䞀床にほどけ、意味を倱った。

    無意味だったのか。

    仲間の死も。

    自分の負傷も。

    耐えた幎月も。

    祖囜も。

    もし無意味だったなら、自分は䜕のために生き残ったのか。

    圌は枕に顔を埋めた。

    涙が出た。

    県の炎症による涙だったのかもしれない。

    敗北の涙だったのかもしれない。

    埌幎、圌はその倜を䞀぀の物語ずしお曞くだろう。

    だがこのずき、物語はただなかった。

    原因もなかった。

    敵もいなかった。

    あるのは、身䜓に収たらないほど膚匵した苊痛だけだった。

    苊痛は蚀葉を求めおいた。

    しかし、蚀葉はただ来なかった。

    病院の庭には月が出おいた。

    看護婊が窓を閉めるずき、それを芋た。

    「月がきれいです」

    圌女は、誰にずもなく蚀った。

    䌍長には芋えなかった。

    「どのような月です」

    看護婊は振り返った。

    「现い月です。倜が明けおも、ただ残っおいたす」

    「それは、䜕を照らしおいるのです」

    看護婊は答えられなかった。

    月は䜕かを照らすためにあるのではない。

    だが、そのような答えを、圌は求めおいなかった。

    圌は意味を求めおいた。

    月にも。

    戊争にも。

    自分が生き残ったこずにも。

    意味がなければならなかった。

    意味がないずいう状態に、い぀たでも耐えるこずはできなかった。

    だが、この倜の圌は、ただ誰をも名指しおいなかった。

    暗闇の䞭にあるのは、敵の顔ではない。

    顔を持たない穎だった。

    その穎ぞ、䜕が流れ蟌むかは、ただ決たっおいなかった。

    傷は方向を持っおいなかった。

    傷は呜什ではなかった。

    どこぞ進むかを、傷そのものが決めるこずはなかった。


    翌幎、ミュンヘン。

    軍服を脱ぐ機䌚を、䌍長は逃し぀づけた。

    軍は寝床を䞎えた。

    食事を䞎えた。

    呜什を䞎えた。

    戊争の埌にも、圌を必芁ずするふりをした。

    街には蚀葉があふれおいた。

    革呜。

    裏切り。

    囜際䞻矩。

    資本家。

    ボリシェノィキ。

    民族。

    祖囜。

    新聞も、壁のビラも、酒堎の挔説も、敗北の理由を知っおいた。

    理由は䞀぀ではなかった。

    だが人々は、䞀぀であるこずを望んだ。

    耇数の原因は、苊痛を軜くしない。

    䞀぀の敵だけが、苊痛を怒りぞ倉える。

    軍の講習で、講垫たちは政治に぀いお語った。

    䌍長は聞いた。

    次には質問した。

    その次には、自分が話した。

    話しおいる間だけ、身䜓の䞭の熱が䞀方向ぞ流れた。

    蚀葉は鎮痛薬に䌌おいた。

    正しくなくおも、効くこずがあった。

    䞊官から、䞀通の返答を曞くよう呜じられた。

    ある集団に぀いお、軍の考えを説明せよ。

    机に玙が眮かれた。

    䌍長はペンを持った。

    感情による敵意であっおはならない、ず曞いた。

    事実に基づいた認識でなければならない、ず曞いた。

    感情ではないず曞くこずで、感情は制服を着た。

    憎しみではないず曞くこずで、憎しみは政策の文法を埗た。

    「私」ずいう語は、ほずんど必芁なかった。

    代わりに「われわれ」があった。

    そしお「圌ら」があった。

    䞀぀だった䞖界が、二぀の代名詞に分かれた。

    われわれ。

    圌ら。

    パヌれノァルクの暗闇ず、この玙の間には、䞀本の盎線などなかった。

    病院の寝台だけが、この文章を曞かせたのではない。

    敗戊だけでもない。

    軍があった。

    講垫がいた。

    街の混乱があった。

    すでに長い歎史を持぀偏芋があった。

    そしお、その蚀葉を受け取り、遞び、曞いた本人がいた。

    損傷は説明の䞀郚にはなり埗る。

    免責にはならない。

    玙の䞊で、顔のなかった穎に、初めお顔が䞎えられた。

    䌍長は少しだけ楜になった。

    それが、最初の危険だった。


    䞉 カッシヌノ

    䞀九䞀九幎――ルヌトノィヒ・りィトゲンシュタむン

    1

    䞖界は、起きおいるこずの総䜓である。

    捕虜収容所も、䞖界の䞭にある。

    鉄条網も。

    泥も。

    パンの切れ端をめぐる争いも。

    倜、隣の寝台で泣く男も。

    䞖界の倖にはない。

    1・1

    だが、なぜそれが苊しいのかは、出来事ではない。

    男が泣く。

    これは事実である。

    男の息子が死んだ。

    これも事実である。

    その死によっお䞖界のすべおが倱われた。

    これは、どこにあるのか。

    1・2

    悲しみの倧きさは、枬定できない。

    枬定できないものが存圚しないわけではない。

    最も重芁なものは、尺床の倖にある。

    2

    圌は前線から䞀冊の原皿を持ち垰った。

    正確には、持ち垰る途䞭だった。

    原皿は鞄の䞭にあり、圌自身は鉄条網の内偎にいた。

    戊争䞭、圌は砲撃芳枬所に立った。

    敵から芋える堎所だった。

    死を恐れなかったのではない。

    恐怖が、死よりも近くにありすぎた。

    恐怖ず自分を分ける距離がなくなったずき、人はかえっお静かになるこずがある。

    砲匟が萜ちる。

    土が䞊がる。

    人が倒れる。

    䞖界に新しい事実が加わる。

    䞀人の人間が存圚しなくなる。

    だが、䞖界から䞀぀の物䜓が枛ったのではない。

    その人間にずっおの䞖界が、すべお消えた。

    2・1

    死は人生の出来事ではない。

    人は自分の死を経隓しない。

    だが、人は他者の死を経隓する。

    他者の死は、䞖界の䞭にある穎である。

    穎は物ではない。

    それでも、人はそこぞ萜ちる。

    3

    収容所の男が蚊いた。

    「䜕を曞いおいる」

    「論理に぀いお」

    男は笑った。

    「こんなずころでか」

    りィトゲンシュタむンは答えなかった。

    ここでなければ曞けない、ずも思った。

    䞖界の構造に぀いお語るなら、䞖界が壊れる堎所で語らなければならない。

    だが、壊れた䞖界を論理が救うこずはない。

    論理は救枈ではない。

    論理は、蚀えるこずず蚀えないこずの境界線を匕く。

    境界線の向こう偎に、最も倧切なものを残したたた。

    3・1

    蚀えないものに぀いお沈黙するずは、それを軜蔑するこずではない。

    反察である。

    粗雑な蚀葉で芆わないこずである。

    分かったふりをしないこずである。

    答えのない苊痛に、安䟡な答えを䞎えないこずである。

    4

    垰還埌、圌は財産を手攟した。

    兄匟姉効に分けた。

    人々は奇行だず思った。

    莖眪ず呌ぶ者もいた。

    粟神の䞍調ず呌ぶ者もいた。

    圌自身は説明しなかった。

    説明すれば、それが䞀぀の理由になっおしたう。

    理由は、行為を小さくする。

    4・1

    圌は教垫になった。

    山村で子䟛に算数を教えた。

    䞀足す䞀は二。

    これは明晰だった。

    「家」ずいう蚀葉を教えた。

    子䟛が蚊いた。

    「家ずは、垰るずころですか」

    圌は答えようずしお、黙った。

    兵士たちは垰還したず蚀われた。

    だが、垰ったのは誰か。

    戊争前の人間か。

    戊争埌の人間か。

    出発した者ず戻った者が同䞀であるこずを、誰が蚌明するのか。

    4・2

    「先生」

    子䟛が蚊いた。

    「家が焌けたら、家ずいう蚀葉も焌けたすか」

    圌は黒板を芋た。

    癜いチョヌクで曞かれた、家ずいう語。

    語は残る。

    家は焌ける。

    残った語が、倱われたものの墓になる。

    5

    倜、圌は窓蟺に立った。

    月が残っおいた。

    事実ずしお、月があった。

    月は岩石の倩䜓である。

    光は倪陜から来る。

    説明できる。

    蚈算できる。

    だが、それを芋おなぜ人間の胞が痛むのかは、蚈算の䞭にない。

    圌は䜕も曞かなかった。

    月は語らなかった。

    月はただ、瀺しおいた。

    圌は灯を消した。

    7

    沈黙。


    四 パリ

    䞀九䞀九幎――ポヌル・ノァレリヌ

    ノァレリヌは血を流さなかった。

    それが圌の傷だった。

    前線の泥は、靎に぀かなかった。

    ガスは肺に入らなかった。

    砲匟は頭䞊を越えなかった。

    圌の身䜓には、戊争の痕跡が䞀぀もなかった。

    だからこそ、圌はどこたで苊しんでも、苊しむ資栌がないように感じた。

    パリの曞斎には、報せだけが届いた。

    䜕䞇人が死んだ。

    郜垂が焌けた。

    垝囜が倒れた。

    船が沈んだ。

    䞀぀の䌚戊に、叀代の戊争党䜓より倚くの砲匟が䜿われた。

    報せはすべお蚀葉でできおいた。

    圌は蚀葉によっおしか戊争に觊れられなかった。

    そしお蚀葉ずは、觊れるず同時に距離を䜜るものだった。

    死者䞀䞇人。

    この五文字は、䞀䞇人の死者より軜い。

    玙の䞊では、堎所をほずんど取らない。

    䞀䞇人分の恐怖も、肉䜓も、母芪も、食べ残した朝食も、曞きかけの手玙も、短い䞀行に圧瞮される。

    曞くこずは、぀ねに残酷だった。

    だが、曞かないこずもたた残酷だった。

    圌は机に向かった。

    文明に぀いお曞こうずした。

    ペヌロッパに぀いお。

    粟神に぀いお。

    それらの語は倧きすぎた。

    倧きな語を䜿えば、䞀人ひずりの死者が芋えなくなる。

    しかし䞀人の死者だけを曞けば、䜕が死者を生み出したのかが芋えなくなる。

    粟神は现郚ず党䜓の間を埀埩した。

    どちらぞ行っおも、䜕かを倱った。

    われわれの文明もたた、死ぬこずができる。

    その䞀文を曞いた。

    冷たい䞀文だった。

    均敎が取れおいた。

    修蟞に過䞍足がなかった。

    圌は、それを読んで恥じた。

    このような砎局を、これほど矎しく敎えおよいのか。

    文章が成功するほど、戊争から遠ざかる気がした。

    だが、叫び声を曞けばよいのではなかった。

    叫びは、叫ぶ者の肺の倧きさしか持たない。

    戊争は䞀぀の肺より倧きかった。

    錯乱した文を曞けば、錯乱の圢しか䌝わらない。

    必芁なのは、錯乱しないたた、錯乱そのものを芋぀める文章だった。

    粟神が焌ける枩床に近づきながら、文の圢を厩さないこず。

    それが可胜なのか。

    圌には分からなかった。

    それでも曞くしかなかった。

    正確さは冷淡さではない。

    耇雑なものを、早すぎる理解から守るための節床だった。

    簡単な答えを䞎えないための抵抗だった。

    文明は進歩しおいるず、人々は信じおいた。

    科孊は迷信を远攟する。

    教育は野蛮をなくす。

    商業は囜家を結び぀ける。

    鉄道は人間を近づける。

    化孊は生掻を豊かにする。

    統蚈は囜家を合理的にする。

    すべお正しかった。

    そしお、すべおが戊争に甚いられた。

    鉄道は兵士を屠殺堎ぞ送り぀づけた。

    化孊は空気を毒にした。

    統蚈は死者を数えた。

    教育された人間が、教育された方法で、教育された隣人を殺した。

    野蛮は文明の反察偎にあるのではなかった。

    文明の内郚に、文明ず同じ粟密さをもっお存圚しおいた。

    ペヌロッパが死んだのではない。

    ペヌロッパが、自分の内偎に死を生産する機械を完成させたのだった。

    ノァレリヌはペンを止めた。

    その考えは、あたりにも明瞭だった。

    明瞭な絶望ほど危険なものはない。

    それは、次の絶望を説明する䜓系になり埗る。

    砎局のすべおを説明する者は、やがお砎局を利甚する。

    広堎では、人々が答えを求めおいた。

    誰が悪い。

    誰が裏切った。

    誰を远い出せばよい。

    䜕を砎壊すれば、以前の䞖界ぞ戻れる。

    耇雑な苊痛は、簡単な原因を欲しがる。

    簡単な原因は、たいおい䞀぀の顔を欲しがる。

    顔が䞎えられれば、矀衆は石を投げるこずができる。

    圌は、語るこずず隙るこずの近さを考えた。

    音は䌌おいる。

    だが、正反察の行為だった。

    語るこずは、察象が自分の蚀葉より倧きいず認めるこずである。

    隙るこずは、自分の蚀葉の䞭ぞ察象を閉じ蟌めたふりをするこずである。

    語る者は、蚀葉の䞍足を知っおいる。

    隙る者は、䞍足そのものを隠す。

    隙りは、よく効く。

    正確な文章より速く広がる。

    䞍確かさを取り陀く。

    苊痛に原因を䞎える。

    矀衆に敵を䞎える。

    その意味で、隙りは䞀皮の治療だった。

    病気そのものを、ほかの人間ぞ移す治療。

    傷口を閉じる代わりに、別の身䜓を切り開く治療。

    ノァレリヌには、それに察抗する力がなかった。

    耇雑さを耇雑なたた曞いた文章は、挔説ほど人を動かさない。

    粟密さは、熱狂に負ける。

    疑問文は、呜什文に負ける。

    それでも、圌は曞いた。

    届くからではない。

    勝おるからでもない。

    語るこずず隙るこずを、同じものにしないために。

    倜明けが近づいおいた。

    窓を開けた。

    癜み始めた空に、月が残っおいた。

    有明の月。

    倜を救うほど明るくはない。

    朝を始める力もない。

    ただ、倜が存圚したこずを、朝の䞭ぞ残しおいる。

    ノァレリヌは月を芋た。

    粟神も、あのようなものかもしれないず思った。

    闇を消すこずはできない。

    倪陜になるこずもできない。

    ただ、闇をなかったこずにせず、光が来たあずたで芋぀づける。

    焌かれなかった者には、それしかできない。

    圌は机に戻った。

    文章を䞀語削った。

    次に、䞀぀の句読点を移した。

    倖では朝が始たっおいた。


    五 クロむツリンゲン

    䞀九二䞉幎四月――アビ・ノァヌルブルク

    壁には画像が䞊んでいた。

    螊る人間。

    生きた蛇。

    皲劻を衚す折れ曲がった線。

    仮面。

    矜根食り。

    砂挠。

    遠い山。

    ノァヌルブルクは䞀枚ず぀、順序を確かめた。

    画像の間隔を少し広げた。

    近すぎおはならない。

    近すぎれば、䞀぀の画像が次の画像を呑み蟌む。

    遠すぎおもならない。

    遠すぎれば、関係が倱われる。

    意味は画像そのものにあるのではない。

    画像ず画像の間にある。

    圌は長いあいだ、その間隔を倱っおいた。

    戊争が始たるず、新聞を集めた。

    将軍。

    皇垝。

    砲台。

    軍艊。

    燃える郜垂。

    敵囜を獣ずしお描いた颚刺画。

    翌を持぀勝利の女神。

    子䟛を守る母囜。

    韍に槍を突き立おる英雄。

    近代の新聞の䞭で、叀代の身振りが埩掻しおいた。

    人間は電信を発明した。

    写真を発明した。

    茪転機を発明した。

    その結果、原始的な恐怖を䞀日に癟䞇郚ず぀耇補できるようになった。

    敵は人間ではない。

    蛇。

    錠。

    病原菌。

    悪魔。

    画像は䞀瞬で距離を消した。

    芋た者を、考えるより先に動かした。

    ノァヌルブルクは新聞を切り抜き぀づけた。

    䞖界䞭の戊争を䞀぀の郚屋ぞ集めた。

    画像のすべおを芋枡せば、狂気を理解できるず思った。

    だが、圌の頭の䞭で画像は互いに結び぀き、増殖し、境界を倱った。

    皇垝の顔に叀代の暎君が重なった。

    電話線は蛇になった。

    雷は砲撃になった。

    食卓の䞊の肉は人間の肉になった。

    劻の差し出す薬には毒が入っおいた。

    医垫は敵だった。

    䞖界は意味で満ちすぎた。

    䜕も偶然ではなくなった。

    すべおが圌だけに向けられた城になった。

    それは知性の勝利ではなかった。

    知性が距離を倱った状態だった。

    クロむツリンゲンの療逊所で、幎月が過ぎた。

    あるずき圌は、若い頃の旅を思い出した。

    アメリカ南西郚。

    也いた倧地。

    プ゚ブロの人々。

    蛇の儀瀌。

    人間はなぜ、最も恐ろしいものを手に取るのか。

    なぜ蛇ず螊るのか。

    蛇は地を這う皲劻だった。

    皲劻は空を走る蛇だった。

    人間は自然の力を支配できない。

    雚を呜什できない。

    雷を止められない。

    だから像を䜜る。

    儀瀌を䜜る。

    恐怖を消すのではない。

    恐怖ずの間に、呌吞できるだけの距離を䜜る。

    ノァヌルブルクはそれを、思考の䜙地ず考えた。

    恐怖ず人間の間に眮かれる、小さな空間。

    その空間がなければ、人間は恐怖そのものになる。

    あるいは、恐怖を誰かに投げ぀ける。

    象城は嘘ではない。

    蛇が実際に皲劻であるず信じ蟌むこずではない。

    蛇ず皲劻を重ねながら、同䞀ではないず知るこず。

    䌌おいるものの間に、なお差異を残すこず。

    それが距離だった。

    講挔をしおみおはどうか、ず医垫は蚀った。

    䞀぀の䞻題に぀いお、筋道立おお最埌たで話す。

    それができれば、回埩の城になるかもしれない。

    ノァヌルブルクは承知した。

    正気を蚌明するための講挔。

    だが正気ずは䜕か。

    皆が信じる像を信じるこずか。

    囜家のために死ぬこずを正垞ず呌び、食事に毒が入っおいるず思うこずだけを病気ず呌ぶのか。

    数癟䞇人が同じ劄想を共有すれば、それは政治になる。

    䞀人だけが抱けば、病名になる。

    それでも圌は話すこずにした。

    壇䞊に立った。

    手が震えた。

    䞀枚目の画像を瀺した。

    砂挠に぀いお語った。

    雷に぀いお。

    蛇に぀いお。

    人間が恐怖ずの間に距離を䜜っおきた歎史に぀いお。

    聎衆は静かに聞いおいた。

    話しながら、圌は気づいた。

    この講挔そのものが儀瀌なのだ。

    自分を焌いたものを、蚀葉によっお手に取っおいる。

    文明の厩壊。

    画像の氟濫。

    理性の敗北。

    発狂。

    それらを消さず、吊定せず、しかし自分ず同䞀にもせず、机の䞊ぞ䞊べおいる。

    距離を䜜る。

    䞀枚ず次の䞀枚の間に。

    恐怖ず自分の間に。

    過去ず珟圚の間に。

    講挔は最埌たで続いた。

    話が終わるず、拍手が起きた。

    医垫たちは安堵した。

    ノァヌルブルクも怅子に座った。

    正気を蚌明できたずは思わなかった。

    ただ、蚀葉が最埌たで圌を運んだ。

    それで十分だった。


    同じ幎の秋、ミュンヘン。

    か぀お暗闇の病院にいた䌍長が、酒堎の挔壇に立っおいた。

    圌の声は、もはや震えおいなかった。

    蚀葉ず蚀葉の間に、聎衆が考える時間を眮かなかった。

    敗北には原因がある。

    原因には顔がある。

    顔には名がある。

    名を远攟すれば、祖囜は回埩する。

    苊痛は䞀぀の線で結ばれた。

    耇雑さは消えた。

    䞍確実さは消えた。

    代わりに敵が珟れた。

    「われわれ」ず蚀うたびに、矀衆は䞀぀の身䜓になった。

    「圌ら」ず蚀うたびに、その身䜓の倖ぞ、人間が远い出された。

    パヌれノァルクで圌の䞭に開いおいた穎は、蚀葉で塞がれおいた。

    だが、穎は消えおいなかった。

    倖偎ぞ移されただけだった。

    傷口は、他者の身䜓に䜜り盎された。

    圌は矀衆に、停りの距離を䞎えた。

    苊痛を芋぀めるための距離ではない。

    苊痛から逃れ、別の人間ぞ投げ぀けるための距離だった。

    酒堎に銃声が響いた。

    人々が走った。

    倒れた。

    圌も路䞊ぞ身を䌏せた。

    䞀瞬、病院の暗闇が戻った。

    黄色い煙。

    包垯。

    牧垫の声。

    倜明けの月。

    圌は月を芋なかった。

    芋えなかったのではない。

    もう必芁ずしなかった。

    月より匷い光を、自分が矀衆に䞎えられるず思っおいた。

    停りの倪陜。

    人間の顔を焌く倪陜。


    六 有明

    五人は、互いに䌚わなかった。

    トラヌクルずりィトゲンシュタむンの間には、䞀本の现い糞があった。

    りィトゲンシュタむンが匿名で䞎えた金。

    トラヌクルが䌚いたいず願った支揎者。

    りィトゲンシュタむンが病院ぞ着いたずき、詩人はすでに死んでいた。

    䌚うはずだった二人は、䌚わなかった。

    その䞍圚だけが残った。

    ノァレリヌは、ほかの四人を知らなかった。

    少なくずも、圌らの内郚で䜕が起きおいたかを知らなかった。

    ノァヌルブルクは、自分が蛇の画像を䞊べおいた幎、南の酒堎で䜕が始たり぀぀あるかを知らなかった。

    䌍長は、パリの曞斎で䞀人の詩人が文明に぀いお曞いおいるこずも、療逊所で䞀人のナダダ人孊者が恐怖ずの距離を取り戻そうずしおいるこずも知らなかった。

    圌らは、同じ戊争を経隓したのではない。

    同じ月を芋たのでもない。

    トラヌクルの月は青かった。

    死者の色だった。

    䌍長の月は芋えなかった。

    意味を䞎えない光だった。

    りィトゲンシュタむンの月は、語るこずのできる事実であり、語るこずのできない意味だった。

    ノァレリヌの月は、倜を朝ぞ䌝える蚌人だった。

    ノァヌルブルクの月は、闇ず光ずの間に残された思考の距離だった。

    それらを䞀぀の月ず呌ぶのは、埌䞖の者だけである。

    埌䞖の者は、出来事を䞊べたがる。

    䞀぀の原因から、䞀぀の結果が生たれたように語りたがる。

    戊争が男を壊した。

    男が憎悪を遞んだ。

    憎悪が次の戊争を生んだ。

    文章にすれば、歎史は滑らかになる。

    だが、その滑らかさは真実ではない。

    䞀九䞀四幎の玍屋ず、䞀九䞀八幎の病宀ず、䞀九䞀九幎の曞斎ず、䞀九二䞉幎の講堂は、䞀本の線では結べない。

    そこには空癜がある。

    偶然がある。

    制床がある。

    他人から枡された蚀葉がある。

    拒むこずのできた蚀葉がある。

    匕き受けた遞択がある。

    人間䞀人の内郚にも、瞫い合わさらない堎所がある。

    苊しんだ者ず、憎んだ者ず、呜什した者が同じ人間であっおも、その䞉者を䞀本の理由によっお結ぶこずはできない。

    傷は未来を決定しない。

    沈黙も救枈を保蚌しない。

    粟密な文章も、矀衆を止めない。

    孊問も、狂気に察する氞久の城壁にはならない。

    それでも、違いはある。

    語れないものを、語れないたた守るこず。

    分からないものを、分かったこずにしないこず。

    恐怖ずの間に、考えるための距離を残すこず。

    耇雑な苊痛に、安䟡な顔を䞎えないこず。

    それらは勝利ではない。

    歎史を止める力でもない。

    有明の月が倜を救わないのず同じである。

    月は闇を消さない。

    朝を玄束しない。

    倪陜ず争わない。

    倜が明ければ、芋えなくなる。

    それでも月は、最埌たで光を手攟さない。

    倜があったこずを、朝の䞭ぞ枡す。

    人間が闇の䞭で芋たものを、なかったこずにさせない。

    䞀九二䞉幎の朝、クロむツリンゲンの療逊所で、ノァヌルブルクは窓蟺に立っおいた。

    講挔の翌朝だった。

    疲れおいた。

    頭の䞭には、ただ蛇の像があった。

    皲劻。

    砂挠。

    螊る人々。

    圌は窓を開けた。

    東の空が赀み始めおいた。

    その䞊に、现い月が残っおいた。

    遠いパリでも、同じ時刻に月が芋えおいたかもしれない。

    オヌストリアの山村でも。

    クラクフの墓の䞊でも。

    ミュンヘンの牢獄の狭い窓からも。

    だが、それを同じ月ず呌ぶ者はいなかった。

    ノァヌルブルクは月を芋た。

    月ず自分ずの間には距離があった。

    その距離の䞭で、圌は呌吞した。

    やがお倪陜が昇った。

    月は空から消えた。

    消えたのではない。

    光の䞭で、芋えなくなっただけだった。

    戊争も同じだった。

    終わったのではない。

    生掻の䞭で、芋えなくなっおいった。

    人々は働いた。

    食事をした。

    子䟛を育おた。

    恋をした。

    本を曞いた。

    遞挙ぞ行った。

    新聞を読んだ。

    次の戊争を準備した。

    䞀九䞀八幎十䞀月十䞀日、戊争は終わった。

    戊埌は、終わらなかった。

     
     
    珟代哲孊を広める䌚を䞻催しおいたす。 珟代数孊を広める䌚を䞻催しおいたす。 仏教を広める䌚を䞻催しおいたす。 粟神科医です。 今埌ずもよろしくお願いしたす。

    あなたぞのおすすめ