
使命感に頼りすぎた社会
子どもの頃の「なりたい職業ランキング」では、看護師はいつも上位に名を連ねます。人を助ける仕事として憧れを持つ人は決して少なくないはずなのに、現場では「看護師不足」が叫ばれています。
一方で国内には、資格を持ちながら現場を離れた「潜在看護師」が数十万人いるといわれています。
なぜ資格を持ちながら就業していないのか。その理由には、いくつか共通するものがあります。
・夜勤や交代勤務による身体的負担
・人手不足による慢性的な長時間労働
・医療事故への強いプレッシャー
・患者や家族からのクレーム対応
・責任の重さに比べて十分とは言えない給与
・出産や育児後に復帰しにくい職場環境
つまり、「好きだから始めた仕事」が、「好きだけでは続けられない仕事」になってしまっているのです。
日本では、医療・介護・教育・警察・消防・役所の窓口など、社会を支える現場ほど、なぜか「我慢して当然」「文句を言うな」「責任感で乗り切れ」という空気があります。
本来なら、仕組みで支えるべき仕事を、私たちは個人の善意や使命感に頼ってきました。
ここが問題の本質ではないでしょうか。
特に現業の公務員や医療職は、国民生活に直結しているため、失敗が許されにくい仕事です。しかも相手は、困っている人、怒っている人、不安を抱えている人たちです。そのため現場には、肉体的な負担だけでなく、精神的な負担まで集中してしまいます。
それにもかかわらず、給与や人員配置は十分とは言えません。
結果として、現場で働く人たちの胸には、こんな思いが積み重なっていくのではないでしょうか。
「社会のために働いているはずなのに、社会から大事にされていない」
これでは誇りを持って仕事を続けることはできません。
昔の滅私奉公は、会社や国家に尽くすことが美徳とされました。高度成長期には、その努力が給与や生活水準の向上という形で報われるという期待もありました。
しかし今は、見返りが薄いまま精神論だけが残り、「我慢すること」が美徳であるかのような空気だけが受け継がれているように思えます。
つまり、報われる滅私奉公から、報われない我慢へと変質してしまったのではないでしょうか。
この構造は、看護師だけに限った話ではありません。
教師も、介護士も、保育士も、消防も、警察も、役所の窓口職員も、似たような状況に置かれています。
社会に必要な仕事ほど現場にしわ寄せが集まり、その現場が壊れ始めると、今度は利用者である国民が不便を受けることになります。やがて、その影響は社会全体へと広がり、安全網そのものが薄れていきます。
だからこれは単なる人手不足ではなく、社会の土台を誰が、どのように支えていくのかという問題なのだと思います。
しかし、制度の見直しは十分に進まず、現場の当事者たちは限界を迎えようとしているように思えてなりません。
社会は使命感だけでは支えられません。使命感を持つ人が安心して働き続けられる仕組みがあってこそ、初めて社会は成り立つのではないでしょうか。
現場で尊い汗を流す人たちの努力が、「当たり前」として消費されるのではなく、正しく報われる社会であってほしいと願っています。