
【美術展2025#20】岩竹理恵+片岡純也×コレクション 重力と素材のための図鑑@神奈川県立近代美術館 鎌倉別館
会期:2025年2月1日(土)〜4月13日(日)
2013年よりユニットでの作品発表を始めた岩竹理恵+片岡純也(共に1982-)。イメージの連想によって絵画の空間性を思索する岩竹の平面作品と、身の回りや自然の現象から着想を得た片岡のキネティック作品とを、インスタレーションとして構成することを通して、身体性や時間性を喚起する新たな視覚体験を促してきました。本展は、曼荼羅、大津絵、鯰絵、茶器などの日本美術を中心に作家と学芸員が作品を選定し、当館のコレクションに新たな光をあてる企画です。対象を他のものになぞらえ、そこに実在しないものをあるように表現する「見立て」や、浮世絵の画中画などに示される絵画の「入れ子」構造など、日本美術に見られる造形的な特色と魅力を、遊び心のあるユニークな手法を通して探究します。
鶴岡八幡宮の北側に位置する神奈川県立近代美術館鎌倉別館。
八幡宮敷地内にある鎌倉文華館鶴岡ミュージアム(旧神奈川県立近代美術館)からハシゴする。

館内に入ると早速機械仕掛けで動く装置がいくつか並んでいた。
枝がヤジロベエのようにペン先でバランスを取っている(ように見せている)ペンがカップの中をくるくる回る装置。

《やじろぐ枝》 2023
本をガラス壁に押し当てながら回転させパラパラと風を起こす装置。

《ガラス壁による本からの微風》 2025
磁石で裏側から操って紙の上の石がくるくる回る装置。

《石の重さで紙をずらす》 2017/25

なんだか美術大喜利みたいな作品群。
展示室に入る。
遠目で見ると写実的なビル群の風景。

《測度空間ー新陳代謝のある都市の風景》 2024
近づいてみると身近な印刷物の切り抜きの集積。

アーカイブ的な資料かと思いきやそれぞれが作品のようだ。

《内包される風景》ほか

ドクロの目と木魚のバチが連動している。

《ミシン台の上の木魚と視線の連絡》 2024

なんだか岩竹氏と片岡氏の作品スタイルが違いすぎて、ユニットで活動する必要があるのか謎。

《室内画43ー木下コレクションのある室内》 2024
木下コレクションとは ↓

ということで、木下コレクションの作品群に描かれるモチーフが色々と引用されている。




《歓喜天曼荼羅》15世紀頃
木下コレクション
歓喜天はヒンドゥー教の神ガネーシャ由来の天部。
ガネーシャはシヴァの息子。
ある日シヴァにブチギレられて首を切り落とされてしまったが、我に返って焦ったシヴァがたまたま通りかかった象の首をぶった斬ってとりあえずポン付けしたらこうなった。なんだそりゃ。


一番奥のガラスケースを遮るように壁が作られている。

隙間から奥の作品の一部が見え隠れするが全体像は見えない。


壁の端から奥にも行ける。


ところでこの二人、神奈川県と何か縁があるのだろうか。
岩竹氏:南アフリカ共和国生まれ→金沢美工大→筑波大院
片岡氏:栃木県生まれ→武蔵美→筑波大院
…どうなのだろう。
コロナ禍以降、他館から作品が借りづらくなったために自前のコレクションを持つ美術館は持ち駒を活用した新たな見せ方をする必要に迫られた。
その手法のひとつとして自館収蔵作品を用いて、アーティストとのセッション系展覧会を行う美術館が各地で増えた。
昨年私が行った展覧会からざっと思い出すだけでも、
・【美術展2024#21】ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?@国立西洋美術館
・【美術展2024#59】内藤礼 生まれておいで生きておいで@東京国立博物館
・【美術展2024#70】Nerhol 水平線を捲る@千葉市美術館
・【美術展2024#88】「岡本太郎に挑む 淺井裕介・福田美蘭」展@川崎市岡本太郎美術館
・【美術展2024#98】毛利悠子 ピュシスについて@アーティゾン美術館
…などなど。
美術館側からすれば自館の作品を用いるので輸送費を大幅に削減できたり自館のコレクションをアピールできたりとメリットは多い。
だが、どこもかしこも同じようなことを始めるとそれこそ大喜利大会みたいに思いつきの一発ギャグみたいな作品が蔓延してしまわないだろうかと余計な懸念を抱いてしまう。
もちろんアーティストもしっかりとリサーチをしてうまいこと作り込むだろうからそれなりのクオリティは保てるのだろうが、それはアートの本質とはなんか違ってしまっているような気もする。
そもそも各美術館のコレクションも美術史のマスターピースからマイナーな郷土作家の作品までピンキリだ。
「飛車角」級のコレクションを持つ美術館とのジャムセッションで生まれる新たな作品はマーケットでの耐性がありそうだが、「歩」しか持たない美術館とのジャムセッションで生まれる作品は、その館以外にとってはアーカイブ的な価値しかなさそうな気もする。
美術館Aと(作品aと)アーティストBが行うセッションになんらかの文脈なりストーリーなりの必然性がなければ、そこで生まれる作品Cは切って貼っただけで、ともすればその意味においてはそれこそまじゃりんこシールとさして変わらなくなってしまうのでは、なんて思った。
今回の展覧会自体はまあ面白かったのだが、別の意味でのモヤモヤが残った。
館外に出て、庭に展示されているコレクションの彫刻作品を見て回る。

ふと気付くと作品の隣の木に何かぶら下がっている。

さりげなく吊るされたCDが風に煽られてキラキラと輝いている。

はは〜ん。
今回の作家は身近な素材や日用品を用いて気付きを創出するという手法をよく用いるとのことだし、さらに今回の展覧会タイトルは「重力と素材」。
間違いない。
これはやってんな。
しばし見入る。
微風にも反応してゆっくりと回転する円盤。
紐で吊るされているので否応なく重力を感じる。
角度がわずかでも変わる度に鏡面素材が光に反射して七色にキラキラと輝く。
周囲の些細な言動や行動も気にしてその都度取り繕うように表面的な反応をしてしまうような軽薄な人間関係を表しているのだろうか。
現代社会のSNS上のみで繋がる脆い関係性のメタファーのようにも思える。
自然の木漏れ日の中で、身近な日用品であるCDをあえてそのまま用いて人工的な反射を作り出すという違和感。
重厚な歴史を持つ鎌倉に、過去の記録メディアとなりつつあるCDを重ねるという記憶と記録の栄枯盛衰が練り込まれたコンテクスト。
それらが「重力と素材のための図鑑」という展覧会タイトルの元、高次元で交わり合い諸行無常を醸し出している。
使用素材も紐とCDのみ。まさに現代の「もの派」。
むむむ、深い。
今回のセッション展で一番心を動かされた作品。
だが作品リストには作品名が書かれていなかったので館内に戻ってスタッフに聞いてみた。
すると…
「あ〜、あれはただのカラスよけです。」
ブフォ!! (爆死)
…そうです。
私が庭の隅っこのただのカラスよけをしたり顔でニヤニヤ見入っていた変なおじさんです…。
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