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三国志の武将「黄忠」に憧れる現役SEが、AI時代も新しいことに挑戦する理由

三国志の話から始まりますが、書きたかったのは歴史の話だけではありません。

年齢を重ねても、新しいものに手を伸ばし続けること。

黄忠こうちゅうと、若いころに憧れた人を思い出しながら、今の自分について書いてみました。

AIを学び、noteを始めた今だからこそ、改めて思うことがあります。


老いては、ますます壮さかんなるべし

私は『三国志』に登場する黄忠が好きだ。

黄忠といえば、白いひげをたくわえ、それでも戦場の第一線に立ち続けた老将。「老いて、ますます壮ん」という言葉を、そのまま人にしたような人物だ。

『三国志』には華々しく活躍する英雄が何人もいるが、なぜか私は昔から黄忠に惹かれてきた。

若いころは、単純に「年を取っても強いなんて格好いい」と思っていたのかもしれない。でも、自分も年齢を重ねた今、黄忠に感じる魅力は、それだけではなくなってきた。

なぜ私は黄忠に惹かれるのか。
改めて考えてみることにした。

黄忠は、本当に「老将」だったのか

黄忠は、中国の後漢末期に劉備りゅうびに仕えた武将だ。

正史『三国志』には、常に先頭に立って敵陣を破るなど、非常に勇猛な武将だったことが記されている。

その名を大きく高めたのが、定軍山ていぐんざんの戦いだ。黄忠はここで敵軍の名将・夏侯淵かこうえんを討ち取り、その功績によって高い地位へと昇進した。

しかも、それは亡くなる前年のことだった。

実は、年齢が分からない

私はずっと、黄忠は史実でもかなりの高齢だったのだと思っていた。

ところが調べてみると、正史『三国志』には生年も年齢も記されていない。
実際に何歳だったのかは、分からないのだ。

ただ、黄忠が後将軍こうしょうぐんに任命された際、劉備配下の名将・関羽かんうが「老兵と同列にはなれない」といった趣旨の不満を口にした記録は残っている。少なくとも関羽からは、「老兵」と見られていたようだ。

私たちがよく知る白ひげの老将・黄忠の姿は、後世の『三国志演義』でさらに鮮やかに描かれている。

「年寄り扱い」に奮い立つ

『三国志演義』には、私の好きな場面がある。

黄忠が戦いに出ようとしたとき、諸葛亮しょかつりょうがその年齢を心配する。
すると黄忠は怒り、80歳になっても活躍した昔の武将を引き合いに出して、自分はまだ70歳にもなっていない、と反論する。

そして、夏侯淵を討ってみせると宣言するのだ。

年を取っているから難しい。そう見られた黄忠は、言葉だけで反発するのではなく、実際に戦場へ出て結果を残した。

若者のふりをしたわけでも、老いを隠したわけでもない。

年齢を重ねた自分のままで、力を示したのだ。

私は、そんな黄忠に憧れる。

便利になったのに、少し寂しい

私は長年、SEとして働いてきた。

その間にも技術はどんどん進化し、時間をかけて覚えたことが、いつの間にか簡単な操作でできるようになった。
何時間も悩んでいた作業を、今ではツールがあっという間に終わらせてくれることもある。

便利になるのはありがたい。
昔の苦労を、これからの人まで繰り返す必要はないと思っている。

それでも、ときどき少し寂しくなる。

何度も失敗して、調べて、試して、やっと身につけたことを、新しい技術があっさり飛び越えていく。
覚えたことがすべて無駄になるわけではないし、その経験があるからこそ分かることもある。

でも、自分が苦労して登った坂道に、いつの間にかエスカレーターができていたような気持ちになることがある。

便利になったことは、うれしい。

それでも、その坂道を登った時間が少し遠くなってしまったようで、寂しく感じるのだ。

若いころ、まぶしく見えた人

私がまだ若かったころ、新しい技術を楽しそうに取り入れていく人がいた。

いわゆる、昔ながらの「PCオタク」だ。

少し語弊があるのは承知のうえで、エンジニアではない人にもイメージしやすい言葉を使うなら、そんな人だった。

ただ、パソコンが好きなだけの人ではなかった。仕事もできたし、難しいことにも率先して手を挙げるような人だった。

新しいものが登場すると、まず自分で調べて試してみる。誰かに言われたから覚えるのではなく、新しい技術そのものが好きで、難しいことにぶつかっても、それすら少しわくわくしているように見えた。

正直、まぶしかった。

私はどちらかといえば、仕事だから覚える。必要だから調べる。そういうタイプだった。

だから、新しいものにも難しいことにも自分から向かっていくその人に憧れた。
同時に、自分とは少し違う、遠い存在のようにも感じていた。

私もあんなふうになれたらと思ったけれど、結局、同じようにはなれなかった。

気づけば、私も「あの人側」になっていた

あれから長い時間がたった。

若いころの私は、ずっとパソコンに触れてきて、新しい技術にも自分から飛び込んでいくあの人を、少し遠いところから眺めていた。

気づけば今は、私も若い人から見れば「昔からパソコンを使ってきた人」だ。

長く仕事をしてきた分、知っていることも、経験してきたことも増えた。でも、技術の世界では、経験が長いだけで前へ進めるわけではない。知らないことは、今も次々に出てくる。

「昔はこうだった」という話なら、いくらでもできる。

けれど、昔の話だけをしていたら、私はそこで立ち止まってしまう。

新しいものを一から覚えるのは大変だし、慣れ親しんだものを使っているほうが楽でもある。

それでも、「新しいものなんて」と背を向けてしまったら、若いころに憧れたあの人からも、黄忠からも、少し遠ざかってしまう気がする。

今、私はAIとnoteに挑戦している

そんな私が今、取り組んでいるもののひとつがAIだ。

分からないことはまだたくさんあり、試してみても思ったとおりにならず、何度もやり直すこともある。それでも、まずは使ってみる。

若いころに憧れたあの人なら、きっと新しいおもちゃを見つけたように夢中になったのだろう。

私はそこまでではない。

それでも、分からないからと遠ざけるのではなく、自分なりに触り続けている。
そして今年は、もうひとつ新しいことを始めた。

noteだ。

今年スマホデビューをしたばかりで、SNSも未経験だった私が、今こうして記事を書いている。少し前の自分なら、想像もしていなかったことだ。

どちらも、少し前までの私にはなかったものだ。それでも今は、分からないなりに手を伸ばしている。

あの人にはなれないけれど

あの人と同じようにはなれなくても、真似できることはある。

歩みを止めないことだ。

新しいものについていくのが大変だと思うことは、これからもあるだろう。それでも、年齢を理由に「もう新しいものなんて」と背を向ける人にはなりたくない。

若い人と同じ速さでなくてもいい。

分からないことがあれば調べて、できることから試してみる。そんなふうに、私は私なりに動き続けていきたい。

戦い続けた黄忠に憧れたように、私も年齢を重ねた自分のままで、新しいものに向かっていきたいと思う。

老いては、ますます壮んなるべし。


※黄忠の史実については、陳寿『三国志』蜀書「黄忠伝」「費詩伝」を参照しています。黄忠の生年および享年は不明で、広く知られる老将像には、小説『三国志演義』による脚色が含まれています。


ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。

みなさんにも、「こんなふうに年齢を重ねたい」と思う人はいますか?
「老いては、ますます壮んなるべし」に共感していただけたら、スキ♥️で教えていただけるとうれしいです。
みなさんが今挑戦していることも、コメントで聞かせてください😊✨

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