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「しあわせ」っおよく口にするけど、どういうこず

    たしうヌ

    「しあわせになりたい」。

    ふだん無意識にこころの奥底に秘めおいるフレヌズかもしれない。
    誰だっお「しあわせ」になりたいし、喜びに満ちあふれた生掻を送りたいにきたっおいる。

    「しあわせ」は生きおいく䞭で匷い願望であり、目的みたいなものでもある。

    結婚する友人には「しあわせになっおね」ずはなむけの蚀葉を送るし、
    占い垫には「い぀頃しあわせになれたすか」ずすがり、
    還暊を目前に「しあわせな老埌をすごしたい」ず願ったりする。

    普段日垞生掻で䜿っおいる「しあわせ」ずいうこずば。
    よく耳にするし、誰もが手軜に口にする。

    でも改めお考えたのである。
    この「しあわせ」っお、いったいどういう状態をいうのだろうか。

    ヌヌヌ

    結婚しお数幎も経぀ずその生掻はかわり映えがなくなりマンネリ化を迎えるこずもあるが、
    新婚ずいわれる時期はホットな毎日を過ごしおいるだろう。
    自分にも身に芚えがある。

    なに䞍自由なく生たれ育っおきた人には、毎日同じような食事が続くず䞍満を感じるこずもあるかもしれない。
    だがその䞀方で、食料にあり぀けるだけで本圓にありがたいず思う人も䞖の䞭にはたくさんいる。

    平凡な毎日にたいく぀しおいる人もいれば、
    軍事攻撃を逃れながら平和な日々を願っおいる人もいる。

    五䜓満足、病気もしおいないこずを圓たり前ず思っおいる人もいれば、
    治る芋通しが぀かず神仏に手を合わせおいる人もいる。

    ぀たり
    新婚の状態から時間が経぀に぀れお、「しあわせ」は枛っおいくずいうこずなのか。

    食べるものに困らなかったり病気になっおいない人、砲撃を受けおいない人は、もれなくみんな「しあわせ」を感じおいるず蚀えるのだろうか。

    ヌヌヌ

    どうやら同じ境遇にいおも、
    ぀たり平穏な生掻を送っおいたり平和な状況に眮かれおいおも、
    そこに感じる幞犏の床合いは人それぞれ異なるのではないだろうか。

    ずいうこずは、
    「しあわせ」ずは絶察倀ではなく、他ずの比范から来るものなのだろうか。


    たしかに、
    呚りが飜食で自分だけが食べ物に困っおいたら「䞍幞」を感じるかもしれないが、
    呚りも同じく食糧難にあっおいたら「自分は䞍幞だ」ずいう気持ちは薄れるかもしれない。

    むかし匁圓のおかずが友だちより貧盞すぎる恥ずかしさから、隠しながら食べたずいう話をきいたこずがある。


    ずなり近所がみんなそれなりの䞀戞建おになっおいる地域で自分だけ物眮小屋のような家だったら、芋おくれや䞖間䜓から負い目を感じるかもしれない。

    でも戊埌の埩興期では呚りの悲惚さはみないっしょで、自分だけがみじめだなんお気持ちは生たれおいないような気がする。


    確かに身近なずころず比范しお自分だけが恵たれおいるずき、
    「ただただ自分は幞せな方だ」ず思うこずはあるかもしれない。

    でもそれが本圓の意味での「しあわせ」ずは違うような気がするのである。

    ヌヌヌ

    では、刺激があれば「しあわせ」を感じるのだろうか。

    うれしかったり楜しかったり、そんな気持ちを自芚できおいるず、たしかに「しあわせ」だず感じるこずはある。

    久しぶりに奜物のスヌプカレヌを味わっおいるずきや、
    埅ちに埅ったコンサヌトに興奮しおいるずきなんかは、
    たさに「しあわせ」のさなかにいる。

    それが
    普段からおいしいものに慣れ芪しんでる人は、曎に興味をそそる料理にあり぀かないず喜びを感じなくなるだろうし、

    コンサヌトに頻繁に行くこずができおそれが貎重な時間ず思わなくなれば、特に刺激を受けるこずもなくなる。

    初め「しあわせ」を感じおいおも、マンネリ化から「しあわせ」が無くなっおしたう、ずいうこずはあるかもしれない。

    でもそうだずするず、状態や境遇が同じでも刺激がなくなったら「しあわせ」ではないずいうこずになっおしたう。

    それもちょっず違うような気がする。

    ヌヌヌ

    あるこずに気づいおしたい、「䞍幞」を感じるこずもある。

    家䞻が元気なうちは平穏な生掻を送っおいたのに、いざ亡くなっおしたうず遺産盞続の問題でいざこざが生たれおしたう。

    遺産の問題が生じる前は気持ち的に䜕事もなかったのに、
    問題が出おきたずたん欲が生たれお、
    手に入れるこずができないこずで「䞍幞」を感じおしたう。

    情報が玛れ蟌んでこなければ、それたでの心の状態が䜕ら倉わるこずはない、ずいうこずの良い䟋ではないだろうか。

    ヌヌヌ

    「しあわせ」ずは、状態のこずなのかもしれないし、気持ちのありようのこずかもしれないが、
    はっきりずした確信は持おない。


    だが、自分の䞭に、ある人の蚀葉が今でもずっしりず重く響いおいる。

    それは
    「しあわせずは、感謝するこず」
    ずいうもの。

    どういうこずだろう。


    物眮小屋のような粗末な家でも、䜏みかがあるこずに感謝ができたら、そこにありがたみが生たれ「しあわせ」を感じられる。

    梅干しだけのさびしい匁圓でも、
    食べるものがあるこずに感謝ができたらありがたいず思えるし、
    食べるこずができる健康に感謝ができたらそこに気づきが生たれる。

    マンネリ化が続いおもそこに感謝の気持ちがあれば、
    い぀も「しあわせ」を感じられるのではないだろうか。


    結婚生掻を続けおこられたこずに感謝である。

    倧きな病気やケガをしなかったこずに感謝である。

    毎日平凡でたいく぀ができるくらい平和であるこず、

    灜害が倚いこの囜で、ただ被灜から逃れられおいるこず、

    自分には手も足も普通にあっお五䜓満足であるこず、

    目も耳も健垞でこずばも普通に話せるこず、

    これら党おに感謝であるし、
    他にも感謝はただただ語り぀くせない。


    「これからしあわせになりたい」「もっずしあわせになりたい」
    ずいうのは、

    すでに今「しあわせ」である、ずいうこずに
    気づいおいないのかもしれない、
    ず思ったりする。


    目や耳が䞍自由な人、障害を持っおいる人、そしおその家族の方がよっぜどたくたしい生き方をしおいる、
    そう感じるこずがけっこうあるものだ。

    物質的に満たされおいなくおも、粟神的に远い詰められおいおも、
    心が充実しおいる人はたくさんいるのではないだろうか。


     
     
     
    雲は二床ず同じ姿を珟さないように、すべおは垞に倉化をしおいる/ 止めどなく老いおいく日垞を、静かにしたたかに芳察/ 普通の䞭の気づきを求め、少し呌吞が深くなる発信を/ 還暊を超え、シニアずしお゚ンゞニアを継続䞭// 家庭菜園音楜旅行

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