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『昼間に輝く星はない。』~たかが一つの特徴が強みに変わる過程~



    はじめに


    昼間に輝く星はない。

    なのに、「輝く星はどこにあるのだろう。」

    そう言って、ずっと探し続ける人がいる。
    地球の反対側に行けばいいだけなのに。

    才能なんてものも、同じようなものじゃないかな。

    そもそも、その星が光っているかどうかなんて分からない。

    たかが星。されど星。

    そんな話をしましょう。



    第一章 人は何を評価しているのだろう

    1-1 花の金曜日

    「花の金曜日」ってよく言いますよね。

    一週間の仕事が終わり、ようやく迎えた金曜日の夜。

    気の合う仲間と飲むお酒は格別です。

    「あぁ、終わった!」

    溜まりに溜まった疲れが一気に吹き飛ぶ。

    お酒が美味しい。
    料理も美味しい。

    明日も、明後日もずっと休み。
    期待。ゆとり。

    そのすべてが重なって、あの何とも言えない解放感を生み出しているんですよね。

    1-2 サザエさん症候群

    もし日曜日の夕方、金曜日と同じように気の合う仲間とお酒を飲んだらどうでしょう?

    同じ仲間。
    同じお酒。

    心の底から楽しめるでしょうか?

    楽しくないわけじゃない。

    でも時計を見るたびに、「もうこんな時間か」「明日からまた仕事か」

    そんなことが頭をよぎります。

    「サザエさん症候群」

    ♪さーざえーさん、さざえさん、、♪

    あのテーマ曲が流れると、何かのカウントダウンが始まったように、一気に憂鬱な気分になりますよね。

    1-3 水曜日の夜は天国なのか地獄なのか

    では、水曜日の夜はどうでしょう。

    明日も仕事。明後日もまだ仕事。

    仕事が辛い人にとって、決して幸せな状況ではありませんね。

    だけど、日曜日の夕方ほどでもない。

    月曜日から続く日常の中にいると、慣れるというか辛いことが当たり前になってきます。

    そこには大きな落差がありません。

    花の金曜日のような大きな幸福感も生まれないし、サザエさん症候群のような強い憂鬱も生まれない。


    私たちは、「今」そのものを感じているんじゃないかもしれない。

    過去との違い。これから待っている未来。
    そんなことすべてを含めて、「今」を感じているんじゃないですか。

    もしそうであれば、花の金曜日やサザエさん症候群の話だけでは終わりません。

    お金も。才能も。ビジネスも。

    私たちは、同じような見方をしているのかもしれません。


    第二章 宝くじ当選者の末路


    例えば、宝くじで三億円当選したら。。

    昨日まで貯金がほとんどゼロ。 それが一夜にして三億円。
    人生で味わったことのない幸福感に包まれるでしょう。

    何買おうかなって、考えるだけで胸が躍りますよね。

    一億円で家を買う。 三千万円で憧れのスポーツカーを買う。 海外旅行する。 美味しいものを食べる。

    贅沢三昧の日々。。
    気がつけば、残りは一億円。

    すると、
    「あと一億円しかない。」 そんな気持ちが、少しずつ顔を出し始めます。

    冷静に考えれば、おかしな話です。
    ついこの前まで貯金ゼロだったのに、まだ一億円も持っている。
    それだけでも十分すぎるほど恵まれているのに。

    「まだ一億円もある」とは思わず、「もう一億円しかない」と感じてしまう。

    更に、九千万円。 八千万円。。 七千万円。。。と徐々に減ってくれば、 その気持ちはどんどん強くなるでしょう。

    問題は金額の大小じゃなくて、昨日より増えたのか、減ったのか。

    気がつけば、そればかりを見ています。

    第三章 才能もまた、環境によって評価が変わる

    3-1 全国大会に対しての評価

    生まれつきの能力。
    努力で変わらないもの。
    その人だけが持つ特別な何か。

    才能って、そんなふうに考えられていますよね。

    でも、本当にそうですか?

    甲子園に出場したことがあると言えば、多くの人は驚くでしょう。

    スゴ~い!ってね。

    でも同じ“高校生の全国大会”でも、別の競技になると反応が変わります。

    弓道。
    剣道。
    軟式テニス。

    へぇ~凄いですね。
    決して「!」マークは付きません。

    どれだけその競技が知られているか。
    どれだけ日常にあるか。
    どれだけ憧れの対象になっているか。

    同じ全国大会出場でも、その競技を見ている人たちの世界によってその意味が違うんです。


    3-2 牛乳一気飲み

    さらに、もう一つの極端な例を出しましょう。

    もし“牛乳一気飲み”が世界的な競技だとしたらどうでしょう。

    誰もがその技術を磨き、
    大会が開かれ、
    記録が称賛される世界。

    そのとき、今は笑われるような特技が、
    まったく別の意味を持つかもしれない。

    変わったのは牛乳一気飲みする速さや能力ではなく、
    それらを評価する側の世界です。

    3-3 大谷翔平選手

    そしてもう一人、象徴的な存在を紹介しましょう。

    大谷翔平。

    圧倒的な才能。
    誰もが認める結果。

    しかしその評価もまた、どこでも同じではありません。

    野球という文化がある場所だからこそ、その価値が見える。

    もし別の文化の中に生まれていたら、
    同じ評価にはならなかったかもしれない。

    ここで一つ、はっきりしてきます。

    才能とは、その人の中に“あるもの”というより、
    その人の周りの世界によって“そう見えるもの”ということです。

    決して、固定されたものではありません。


    第四章 環境は“与えられるもの”なのか


    4-1 環境が整うまで待ち続けるのか?

    これまで見てきたことは、すべて同じ構造でした。

    金曜日の夜は、なぜか軽くなる。
    日曜日の夕方は、なぜか重くなる。
    水曜日の夜は、そのどちらでもない。

    同じことをしていても、その時の感情が大きく違います。

    お金も同じようなものです。

    今持っている金額がいくらであろうと、
    増えたと感じるか、減っていくと感じるかで意味が変わる。

    才能もそう。
    どこで評価されるかで価値がまるで変ってしまいます。

    つまり私たちは、
    「そのもの」を見ているようで、
    実は、その周りにある環境や条件を含めて評価しているんです。


    では、その環境や条件は、ただ与えられるものなのでしょうか?

    自分の特徴が評価されるまで、首を長くして待ち続けるしかないのか?

    その問いに、一つの答えを示した人物がいます。

    ヘンリー・フォードです。


    4-2 ヘンリーフォードという男


    彼は、自動車を作った人として知られています。

    しかし、ここで注目したいのは、自動車そのものではありません。
    その自動車という特徴が、どのように価値あるものへ変わっていったのか、という部分です。

    今でこそ、自動車は私たちの生活に欠かせない存在になっていますね。

    しかし、最初からそうだったわけではありません。

    どれだけ優れた自動車をつくっても、それを使う環境がなければ価値は生まれない。

    当時、

    道路は整っていない。
    使い方も広まっていない。
    生活の中に自動車という存在がない。

    そんな世界では、自動車の持つ可能性も十分には評価されなかった。

    つまり、自動車という特徴が活きる条件が、まだ整っていなかったのです。

    まだ時代が早いか。
    世の中が求めていないのか。

    しかし、フォードは、自動車そのものだけではなく、
    自動車が当たり前になる社会を作ろうとしたんですね。

    大量生産によって価格を下げる。
    そして多くの人が手に入れられるようにする。

    自動車が生活を変えるという認識を広げていく。

    もちろん、一人ですべての環境を作ったわけではありません。

    道路。交通の仕組み。社会全体の変化。

    多くの人たちの力によって、自動車が活躍できる世界が作られていきました。

    気が付けば自動車という特徴は、人々の生活を変える大きな強みに変わったのです。

    ここで重要なのは、自動車そのものだけが変わったのではないということ。

    変わったのは、その特徴を評価する環境です。

    特徴が意味を持つ世界が生まれたのです。


    人間も同じではないでしょうか。

    今は評価されていない特徴。
    誰にも気づかれていない特徴。
    時には、欠点だと思われている特徴。

    それらには本当に価値がないのでしょうか。

    もしかすると、その特徴が輝くための環境や条件がまだ整っていないだけなのかもしれません。


    第五章 私には才能なんてない・・?


    「自分には何の才能もない。」

    そう感じている人に、私は無責任な慰めを言うつもりはありません。

    あなたには必ず才能があるとか、いつか必ず誰かが認めてくれるとか、

    そんなことを言いたいわけじゃない。

    ここまで見てきたように、強みとは、その人の中に最初から存在しているものではありません。

    その人が持っている特徴と、それを評価する環境や条件・・
    その二つが重なった時、初めて生まれるものだと私は思います。

    だから、どれだけ自分の特徴を磨いても、それが強みになる保証はありません。

    努力の方向を間違えてはいけないという話です。


    大切なのは、自分には何があるのか、だけではなく、

    自分の持つ特徴がどこで必要とされるのか、どんな環境なら価値を持つのか。

    特徴と環境を、セットで考える必要があるんです。

    ヘンリー・フォードもおそらく、そこに気が付いていたのでしょう。

    自動車という特徴だけを磨いたのではない。
    その特徴が価値を持つ世界を考えた。

    だからこそ、自動車は多くの人に必要とされる存在になっていった。

    人間も同じなのかもしれません。

    私たちは、自分の特徴だけを見て判断してしまう。

    これは長所。
    これは短所。

    これは才能。
    これは欠点。

    それらは絶対的な評価ではありません。

    その時々の環境や条件のもとで付けられた名称と言っていいでしょう。


    同じ特徴でも、場所が変われば評価は変わる。
    必要とされる時代が変われば、意味も変わる。

    だから今、自分には何もないと思っている人に伝えたい。

    あなたの特徴が、いつか必ず輝くとは言いません。

    でも、
    今、評価されていないからといって、あなた自身に何もないわけじゃない。
    ましてや、あなたが誰かより劣っているわけでもない。


    この世の誰もが持っているものは、評価されるための環境や条件に出会う前の「特徴」なんです。

    たかが特徴。
    されど特徴です。

    その特徴は環境や条件によっては、評価されるかもしれません。

    その時はじめて、あなたの「たかが特徴」が、「才能」とか「強み」と名付けられる・・かもしれません。

    第六章 物事には陰と陽がある

    6-1 成功は一人で掴んだものなのか?

    では、逆の立場から考えてみましょう。

    今、多くの人から才能があると言われている人。
    大きな成功を手にしている人。

    そんな人たちは本当に自分一人の力だけで、その場所に立っているのでしょうか。

    もちろん、本人の努力はあります。

    誰にも見えないところで積み重ねた時間。
    諦めずに続けてきた日々。

    それを否定するつもりはまったくありません。

    しかし、ここまで書いてきた評価の仕組みを考えると、見えてくるものがありますよね。

    その努力や特徴を、強みとして成立させた環境です。

    例えば、野球選手。

    どれほど素晴らしい身体能力を持っていたとしても、野球という競技が存在しなければ、その特徴は今とは違う評価を受けていたかもしれない。

    野球というものを作った人がいる。
    競技として育てた人がいる。

    球場を作った人がいる。
    応援してきた人がいる。

    子どもたちが憧れる文化を繋いできた人たちがいる。
    そのすべてが積み重なった上に、一人の選手の特徴が置かれた。

    そこで初めて、その特徴は大きな輝きを放つんです。


    6-2 表現したいことをこれでもかーって書けるんですよ、誰でも。その周りの影をどう見せるかが大事でね


    絵の話ですけど、、

    光が当たってるところを描く時にね、
    それと同時に、影の部分をどう描くかってことが重要だったりします。

    影があるから光が目立つ。

    ほとんどの人が光の部分しか見ようとしない。
    答えばかりを追いかける。

    文章も同じです。
    具体的に説明しましょう。


    日曜日の公園で一人淋しくベンチに座って・・なんてことを描く時に、

    僕は寂しい、独りぼっちだってことを、これでもかぁって表現するのもいいんですけど、
    淋しい自分の周りにいる人たちをどう描くか?・・なんですよ。

    ゴザ敷いて、お弁当広げて、幸せそうな家族がいて、
    子犬が走り回っていて、ギャーギャー泣き叫ぶ小さな子供がいてお母さん大変みたいな。

    その向こうの方には恋人同士、ひざ枕なんかして、
    それを見て見ぬふりして、僕は寂しくなんかないよって読書してるフリをする。。



    全体の中に独りポツンと自分がいる。

    楽しくやってる家族とか恋人同士が「影の部分」
    1人ぼっちで寂しい自分が「光の部分」

    光の部分というのは強調して描きたいところです。

    もっと話を膨らませれば、過去の楽しかった思い出も「影の部分」になります。

    彼女とこの公園で散歩していた昔を楽しく描けば描くほど、今の自分の独りぼっち(光の部分)が際立ちます。

    影が大きく濃くなれば、一点の光でも輝いてみえる。

     
       ・・そんな感じ。

    絵を描く時も文章を書く時も同じ。
    光をより強調させるには、影の部分をどう描くかが大事です。

    同時に、

    人生において、影の部分をどう捉えるか?・・ってことも、
    重要なことでしょう。

    物事にはすべて陰と陽がある。

    それらをちゃんと感じ取れるのか否か?
    それによって、人生は変わってくると思いませんか?

    役に立たないどうでもいいことでも、全体を通してみれば重要な役割があります。

    そういうことに拘っているとね、いろんなことが見えて来て、
    結局は仕上がるんですよ。

    6-3 感謝は構造を理解した時に生まれる


    私たちは、輝いている人を見る時、その人という光だけを見てしまう。

    でも、その光の周りには必ず影がある。

    支えてくれた人。
    場所を作ってくれた人。
    時代を繋いできた人。

    その特徴が評価される世界を作ってくれた、数えきれない存在があります。

    それが理解できた時、

    感謝の気持ちというものは無理に持とうとしなくても、自然と生まれてくるものです。


    第七章 最後に・・この面倒くさい話も、いつか誰かの役に立つのだろうか


    ここまで、長々と書いてきましたが、

    花の金曜日から始まり、お金の話、才能の話、
    そして、成功というものについて考えてきました。

    正直、自分でも思います。

    よくこんな面倒くさいことを考えるものだと。

    多くの人は、金曜日の夜をただのんびりと楽しんでいます。

    それでいい。
    むしろ、それが普通でしょう。

    でも私は、その当たり前の感情に立ち止まってしまう。


    サザエさん症候群という憂鬱の裏には、花の金曜日がある。
    牛乳の一気飲みが速い人と大谷翔平を同列に考えようとする。

    そんなことを、いつまでも考える。
    非常に面倒くさい。

    いったい何の役に立つのだろう?

    でも、この文章を書きながら、やっぱり思うんですよ。

    これも一つの特徴なんだと。

    評価されるかどうかも分からない。
    役に立つかどうかなんて分からない。


    私の中にある「たかが特徴」
    「されど特徴」なんです。

    それだけのことだと思います。


    ただ、、この特徴を持ったまま、誰にも届ける場所がなかったら、

    「面倒くさい人」で終わっていたのかもしれない。

    でも、
    こうして自分の考えを文章にできる場所がある。
    作品として届けられる環境がある。
    それを読んでくれる人がいる。

    その環境と出会った今、

    ただの面倒くさいという特徴が、もしかすると誰かにとって意味のあるものに変わるのかもしれない。


    私の中にある特徴に影響を与えてくれたすべてのものや人たちに、
    感謝せずにはいられない。


    最後まで、この面倒くさい話に付き合ってくれて。

    本当にどうもありがとうございました。



                       根本 優

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