
“5分前行動”をする人は、時間の使い方が上手いのか
5分前行動が偉い、みたいな空気が日本にはある。
でも、待ち合わせに5分早く着いて、
カフェで時間を潰してる人。
それって、本当に時間の使い方が上手いのか。
ぴったりの時間に来た人の方が、
5分を無駄にしてない。
早く来た人は、
5分を消費しながら「自分は余裕がある」と思ってる。
でもそれ、
余裕があるんじゃなくて、
余裕を作るために時間を捨ててるだけでは。
じゃあその5分は、
“無駄”なのか。
いや、遅れるリスクを減らしてると考えれば、
合理的とも言える。
時間の保険、みたいなもの。
でも保険って、
使わない前提で払うものじゃなかったっけ。
あの5分、普通に使ってる。
しっかり消費してる。
保険、発動してる。
そもそも「5分前行動」って、誰が決めたんだろう。
学校の先生か、親か、
それとも日本の空気か。
出所を調べたこともないのに、
なぜかみんな従ってる。
法律でもないのに、
守らないとなんか悪い気がする。
ルールより怖い、謎の慣習。
脱線するけど、
電車の「発車の3分前にはホームへ」もそうだ。
3分前じゃなくて、2分前でも乗れる。
でも2分前に行く人は、
なんかギリギリな人扱いされる。
1分の差で、
余裕がある人とない人に分類される。
時間って、内容より印象で評価されてる気がする。
じゃあ結局、何が正しいんだろう。
ぴったりに来る人か、
5分前に来る人か。
たぶん、どっちも正しい。
でも空気としては、
5分前に来る人の方が“ちゃんとしてる”ことになっている。
その“ちゃんとしてる感”のために、
5分を差し出している。
それをコスパがいいと呼ぶのかは、
ちょっと怪しい。
気づくと自分も、
5分前に来て、カフェで時間を潰している。
そして、ぴったりに来た人を見て、
ほんの少しだけ「ギリギリだな」と思っている。
いや、
向こうの方が時間を無駄にしてないのに。
潰した時間は、取り戻せない。
なのにまた、次も同じことをする気がする。
たぶんこれは、時間の問題じゃない。
“安心感”を買ってるんだと思う。
5分という、ちょうどいい値段で。
安いのか高いのかは、
いまだによくわからない。
結論:時間に対する教育方針を考える。