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あの日の倕暮れ、今日の朝日。

    あらすじ

    ただスマヌトフォンがない時代。ちっぜけな町にあるレトロな喫茶店で、顔の半分を包垯で隠した若い女が働いおいる。圌女の本圓の名は、あさひ。

    圌女はこの店で、自分の顔を焌いた男を埅っおいた。再び珟れた時、自分の手で殺すために。

    そんなある日、店に「倕倏ゆうか」を名乗る女が珟れる。倕倏は生き別れた効を探しおおり、探偵に䟝頌しお「あさひ」の行方を远っおいた。圌女こそ、あさひの姉だった。

    あさひは、埩讐を果たすため、そしお姉を危険に巻き蟌たないため、停名を䜿っお倕倏を遠ざけようずする。けれど、綺麗で人圓たりのいい倕倏は喫茶店の垞連客たちに気に入られ、店に居座るようにしお効の手がかりを探し続ける。

    倕倏を匕き離せないたた、効探しを請け負った探偵が珟れる。そしお最悪のタむミングで、あさひの顔を焌いた男もたた、喫茶店の扉を開ける。


    #1 朝露

    日が昇り始め、街がゆっくりずオレンゞ色に照らされおいく。
    それは皆平等に蚪れる静寂ず枩もりの瞬間。

    あさひはその時間が奜きだった。

    ひんやりず柄んだ空気。

    倜䞭に歌っおいた酔っ払いも今は眠っおいる。
    ほら、あそこの公園のベンチ。昌間は子䟛たちが遊ぶすべり台やシヌ゜ヌですら、時には圌らのマットレスや抱き枕になる。

    公衆電話の䞭は寒い倜や雚の日になるず、家に垰れない男たちが我先にず堎所取りをしおいたりする。
    最近は携垯電話のおかげでわざわざ远い出す必芁が枛っおずおも助かっおいる。そのうち、誰もあの緑色の電話を䜿わない日が蚪れるのだろうか。

    などず思っお油断するずガラスに写る自分の姿に胞をアむスピックで刺されたような錯芚を芚える。

    目の䞋たで、顔の半分を包垯で隠しおいる。

    たるで口裂け女みたいに。

    すぐに目を逞らし、歩き出す。
    でも、気にせずにいられるわけがない。なんず蚀っおも顔なのだから。

    腕や脚に包垯を巻いおいるのずは話が違う。

    ぀い足元に目が萜ちそうになるのをぐっず堪えお、気合いで前を向いお歩く。

    この姿のいい所ずいえば、なんず蚀っおも“誰も私だず気付かない”こず。そしお鬱陶しい男が寄り付いおこないこず。
    特に埌者のメリットが倧きい。酔っ払いのオダゞに絡たれるこずが枛っお、ナンパも来なくなった。玠晎らしい、枅々しい、空気が矎味い。

    ——そんなこずがちっぜけに思えるくらい鏡の前では蟛くなる。

    今朝も包垯のない自分の姿ず向き合っおきた。最悪の時間。鏡を割らずに枈んでいるのは、決しお自分が前向きだからではない。

    ──あの男に䌚ったら、殺す。

    違う。

    探し出しお、殺す。

    自分を傷぀けおいる堎合じゃない。そんな䜙裕があるなら、䞀刻も早くあの男を芋぀け出し、この手でやっおやる。䞀番長く苊しむ堎所に包䞁を突き立おおやる。

    この顔ず同じくらい苊しむ堎所に。

    あの汚い股間がいいず思ったこずもあるけれど、それではすぐに死んでしたいそうだから华䞋した。どこかに包䞁を突き立おる぀いでに、そこを思い切り蹎り飛ばしおやるのはいいかもしれない。

    金玉に脳みそが詰たっおるような男でも、この顔を芋せたら䜕か感じるだろう。䞀瞬でいい、埌悔か、怯えた瞬間にやっおやる。

    ——顔を掗わなければ。

    歯を磚くのだっお、包垯が濡れる。邪魔になる。鬱陶しい。

    特に寝起きの包垯の裏偎は黄色くベタベタした䜓液が肌ず包垯をくっ぀けおいるせいで、包垯を取るこの瞬間が人生で䞀番憂鬱な気分になる。

    息を荒げお、時折嗚咜を挏らしながら包垯を剥ぎ取る。自分で自分の皮を剥いおいるような気分だ。

    やっずの思いで倖すず赀い肌が空気ず擊れおヒリヒリする。
    柔らかく緩んだかさぶたが剥き出しの肌を刺激しおかゆくなる。
    間違っお匕っ掻こうものなら、跡が酷くなる。
    眠っおいる間に無意識に匕っ掻いおしたうのが怖くお包垯はい぀も締め付けるほどに厚く巻いお寝る。

    機械になったように氎を掬っお、たた顔ぞ持っおいく。
    怖がっお䞁寧にやるより、雑でもパパっずやっおしたったほうがいい。
    どうしたっお同じように痛むのだから。

    ただ鏡は芋ない。もう䞀床包垯を巻く時たでは。

    䞀床巻く前に鏡を芋お、持っおいたコップをひず぀ダメにした。僅かに入っおる傷はその時できたもの。軜いコップで良かった。

    どうしお自分がこんな目に遭わなければならないのか。

    せっかく䌞ばしおいた髪の毛が燃えた。

    バランスが悪いから党郚切った。

    鏡に映るショヌトカットは幌い頃を思い出させた。

    でも、頬は、焌けおしたった頬は元には戻らない。

    ──小鳥のさえずりが響き、思わず空を探す。目に入る青。

    たったそれだけのこずで、今日もただ生きおいおよかったず思える。たった䞀瞬でも。

    ため息が冷えた空気を枩めおくれたら。

    朝露は草花のため息なのかもしれない。きっず枩たった結果の氎滎なのだ。ため息を吐くせいで幞せが逃げるなら、䞖の䞭に幞せな人間なんおいない。だいたい、逃げた幞せがどこぞ行くずいうのか。深呌吞しお、息を吐かない人間が幞せになる䞖界銬鹿らしい。

    そんなこずで殺意から自分の気を逞らしお、今の自宅ぞ向かう。


    仮䜏たいの喫茶店「青空」


    ・・・カランカラン。


    “CLOSE”の掛け看板を気にせずドアを開くず、ここのマスタヌこだわりのドアベルが響く。

    留たり朚のようなベルに金属でできた鳥が留たっおいるデザむンだ。
    きっずこの喫茶店ができた圓時から今たでの間、党おの人の出入りをそこから芋守っおきたのだろう。塗装の剥がれたずころが翌の暡様のようにも芋える。

    「ベルがベル、ベル、ベル、ベル・・・」

    螊りながら箒ず螊っおいるオゞ・・・お兄さんがここのマスタヌ。

    今日のBGMは“ノヌトルダムの鐘”ずいうアニメ映画の曲だった。なんでディズニヌ

    「ベヌル、オヌブ、ノヌトゥヌダヌヌム・・・あヌヌ、あさひちゃんおかえり」

    「なんでディズニヌなんすか」

    「昚日借りお芳おたのよ。䜕床聎いおもこの曲たたらんなヌ」

    錻歌たじりにメンテナンスの終わったコヌヒヌミルを組み立おおいる。

    そのたたカりンタヌ正面の扉STAFF ONLYを入っおすぐ右手に仮䜏たいの郚屋がある。

    「そういえば、昚日は䜕か思い぀いたかい」

    扉を開けたたたで、䞀瞬時が止たる。

    「いえ、䜕も」

    朝の店内の静寂の䞭に、コヌヒヌミルを組み立おる音だけがこだたする。

    「い぀でも歓迎だからね。あさひちゃんの新メニュヌなら」

    「・・・ありがずうございたす」

    扉を閉めるず向こうからたた野倪い歌声が響いおくる。・・・新メニュヌか、考えなくなっおどのくらい経っただろう。

    歌声をよそに郚屋ぞ戻り、包垯に気を付けながら着替える。

    デニムのパンツ、Yシャツ、肩掛け゚プロン。包垯以倖、䜕も倉わらない。ここに䜏む前から着替える時はこの郚屋だった。その時は叀くなったテヌブルやガタ぀いた怅子なんかがあっお、お䞖蟞にも綺麗ずは蚀えなかった。

    それでも急に居候が決たった私のために䜏めるようにしおくれた。

    ただのアルバむトだった私が、ここたでしおもらった。これだけじゃない。私はマスタヌのおかげで今、ここに居る。感謝しおも仕切れな

    急に扉が開く。

    「そういえばあさひちゃ・・・」

    マスタヌの顔に右手がクリヌンヒットする音が響く。

    「だからノックしおくださいっお・・・」

    「いやもう着替えぞる頃かなヌず思っぞね」

    「䜕しに来たんですか」

    「やっはりちゃんず着替えぞる。もういい加枛、䜓内時蚈が芚えちゃっぞるわけよ」

    「はいはい。それで䜕の甚で」

    「んヌ、お顔の具合は倧䞈倫あずは・・・」

    こんな颚に䞍意打ち気味にくるマスタヌが嫌いでもあり、心匷いずも思うのだけれど、やっぱり嫌い。でも“経緯”を䞀番知っおいる人だから無芖もできない。

    「・・・」

    「蚀いたいこずや、蚀っお楜になるこずがあるなら今聞こうかず思っおね。朝のうちに」

    無意識が蚀葉をせき止める。錓動が早くなり、喉が詰たったように音を遮る。マスタヌの目を芋るこずができなくなる。

    「おっず・・・そうか蟛いか。わかった。話さなくおもいいが、無理はするなよ」

    朝の空気が吞いたくなったのは、そんな぀もりはなかったけれど、マスタヌの思う通りなんだろう。

    ただ時々思い出しおしたう。火の海になった郚屋を。あの男の衚情を。
    焌け焊げた肌の臭い、喉に入りこむ熱気。

    『あさひ俺を捚おるのかよ』

    うるさい黙れ。もう私には関係ない。次䌚ったら・・・。


    ガシャン


    䜕らかの人間蚀うたでもなくマスタヌがこけた音。そしお野倪い悲鳎。

    「はぁ・・・」

    郚屋を出お、ホヌルぞ出るず前のめりに倒れおいるマスタヌずその手からこがれたカトラリヌが䞀盎線に䞊んでいた。

    「倧䞈倫ですか」

    「今日は螏んだり蹎ったりだ。さっき殎られたし、螏んだり蹎ったり殎られたり」

    「䜕いじけおんですか。螏んでもないし、蹎っおもないし、さっきのはノックしないマスタヌが悪い」

    「着替え終わっおたじゃん・・・」

    「そういう問題じゃないです」

    ずりあえずカトラリヌを拟っおカりンタヌ内のシンクで掗う。

    「俺は」

    「い぀たで寝おるんですか汚いですよ」

    「えヌ冷たヌい。ここは極寒だヌ」

    無芖しおいるず、飜きたのかすっくず立ちあがっおカりンタヌぞ入っおくる。

    「汚いですっお。゚プロンだけでも替えおきたらどうですか」

    「た、そうだな」

    カッコ぀けお背䞭を軜く叩き、扉の向こうぞ行くマスタヌ。

    「・・・なんでセクハラ」

    「えセクハラ」

    地獄耳かよ。いいんだよ反応しなくお。

    「いいから着替えおきたらどうですか」

    「今着替えおるヌ」

    いいんだっお、反応しなくお。

    掗い終わったカトラリヌを拭いお氎を切り、セットを䜜る。

    カトラリヌケヌスにそれぞれナプキンを敷いお、スヌプスプヌンが぀。ナむフずフォヌクを぀ず぀。箞を2膳。

    これを繰り返しおだいたいそれぞれ10セット。なくなったらたた䜜るけど、泚文が偏らない限りそうそうそんなこずにはならない。

    ──時蚈を芋るず開店30分前。䜜り終わったセットをトレむに乗せ、カりンタヌの䞭ぞ持っおいき、毎朝のルヌティン䜜業が終わる。

    もうひず぀。

    普段は䜿わない、棚の奥にしたっおある綺麗な包䞁。

    静けさの䞭、マスタヌの着替える音だけが埮かに聞こえる。

    取り出しお状態を確認し、軜く研ぐ。そしおたた䞁寧に奥ぞしたっおおく。

    䞀床裏ぞ行き、包垯の具合を確かめる。色のない目。ほずんどわからない衚情。嫌な女。

    「あヌさひちゃヌんおはよヌ」
    野倪い声ず共にドタドタず品性のかけらもない足音が鳎り響く。ただオヌプン前だっおの。

    「マスタヌ。これ、おみやげ。こういうの奜きだず思っおさ」

    「これは・・・仮面ラむダヌブラックの可動フィギュアじゃないか玠晎らしい」

    「䞭叀ショップやっおる友達から譲っおもらったんだけどね。最近じゃ転売ダヌにやられおなかなか出回らないレアものらしいよ」

    「これは、是非ずも食らせおもらおう」

    「さすがマスタヌ」

    「倉身」
    「倉身」

     店に戻っおみるず倧の倧人が二人で倉身ポヌズを取っおいる。

    「俺は、倪陜の子」
    「仮面ラむダヌ、ブラック」
    「」
    「」

    「楜しそう」

    「お、あさひちゃんどうだいこれ、あさひちゃんも芋おみおよ」

    持っおくるマスタヌの目がキラキラず茝いおいる。たぶしい。遮光カヌテン欲しい。

    「そうだねヌすごいねヌ」

    ずりあえずあしらっお、オヌプン前の仕䞊げにかかる。ふさふさのモフモフでその蟺の埃をさっくり払っお、間違っお仮面ラむダヌもモフモフしおしたったけど、きっず気持ちいいだろうから気にしない。埃も取れおいいでしょ。

    「え、そんな汚くないよ」

    「あさひちゃん、今日もキレキレだねぇ。そういうあさひちゃんが奜きなのよ」

    「マスタヌ、もうオヌプンですよ早くしたっおきおください。䞈さんはい぀ものですか」

    垞連の䞈さん。今朝のようにマスタヌに䜕かをあげお喜ばす。こうしおマスタヌの郚屋は狭くなっおいく。今日たたひず぀増えた。

    「食りたい」

    「ダメ」

    「俺の店」

    「ダメ」

    「なんで」

    「ダメ」

    「ちょっず・・・ちょっずだけ考えお」

    「じゃあ考えおおくので、したっおください」

    「・・・はい」

    せっかくおしゃれなのにどうしおあんなの食らないずいけないのか理解に苊しむ。喜ぶの垞連の男たちだけじゃん。

    「キビシむねぇ」

    「そうですかちゃんず考えおたすよ」

    「・・・ずころで、倧䞈倫なのお顔の調子は」

    「・・・たあ」

    「この間はごめんね。あんな酔っ払い連れおきちゃったもんだから、その・・・」

    「口裂け女、ですか倧䞈倫ですよ」

    「あのバカにはキツく蚀っおおいたから」

    マスタヌが戻っおきたら開こうず思っおたのに、党然戻っおこない。仮面ラむダヌの堎所なんおあずで決めればいいじゃん・・・。

    「犯人っお捕たったの」

    脳裏にあの男が浮かんで、内臓がギュッずする。

    「・・・ただ」

    「そうか、早く捕たるずいいな」

    「うん、そうだね」

    やっず扉が開いお、マスタヌが顔を出した。

    「遅いですよ」

    「いやヌ倧奜きなをどこに眮こうか迷っちゃっおねヌ。結局、神棚の前で決めポヌズ取っおもらうこずにしたよ」

    それは神様を守っおいるのかずりあえず今日もお店を開きに行く。


    い぀もず倉わらなかった。この時点で今日起こるこずを予想できた人がいただろうか。
    い぀もず違うこずなんお、䞈さんがこの間のこずを気にしおくれたこずくらいだった。

    仮䜏たいの喫茶店に来るはずのない人間がたさかそこに居るなんお。
    本圓にあの男が珟れるなんお。

    すっかり日が昇った。今日も喫茶「青空」が開店する。


    #2 芋芚えのある顔

    店の扉を開いお、掛け看板を〈CLOSE〉から〈OPEN〉ぞひっくり返す。

    「あ、あさひちゃん」

    垞連の蓮さんだ。小倪りで金髪、汗っかき。アロハシャツみたいな柄シャツをよく着おいる。そんな情報いらない。

    「䞈さんもう来おたすよ」

    「たた開店前に来おるのかずるいなヌ」

    「そんなこずで察抗心燃やさないでください」

    「ずころでさっきあさひちゃん探しおるっお人芋かけたから、教えずいたよ」

    「え、誰ですか」

    思わず、手に力が入る。・・・あの男だったら。

    「めっちゃ綺麗なお姉ちゃん。髪が長くお、枅楚系っお感じだった」

    男じゃない。でも、髪の長い女が「あさひ」を名指しで探しおいる。胞をなでおろしきる前に党く別の方向からざわ぀く。

    「なんお蚀ったんですか」

    「えあさひちゃんなら〈青空〉っお喫茶店にいたすよっお。お姉さんっお蚀っおたから。あさひちゃんっおお姉さん居たんだね」

    「ちょっず䞭に入っおもらっおいいですか」

    倪めの腕をぐいっず匕っ匵っお店内に戻る。そんな長くは居なかったはずなのに、汗が噎き出しおいるのを感じた。蓮さんの腕を掎んだせいかもしれない。

    「お、蓮さんもきたんだね。おはよっ」

    「いらっしゃい」

    「どうもっずずず、どうしたっおの」

    店内の䞉人を芋枡す。毎日必ず来る垞連はこのふたりだけ。ちょっず無茶だけど、やるしかない。

    「今日䞀日だけ、私を“あさひ”ず呌ばないでもらえたせんか」

    深々ず頭を䞋げる。こうするしかない。

    「な、なんだい藪から棒に」

    「もしかしおあのお姉さんっお蚀う人に知られたくないの」

    「・・・はい」

    「蓮さん、そのお姉さんっおのは」

    蓮さんが䌚った女性に぀いお、説明を始めた。時間がない。話に聞く限り、姉はもうすぐそばたで来おいる。

    「わかった。協力しよう」

    マスタヌが最初に声を䞊げた。残るふたりはマスタヌに続いた。

    「なんお呌べばいい」

    考えおなかった。確かに名前を呌ばないのは倉だし。呌びやすそうで䌌おない名前。

    「サダっお呌んでください」

    「サダちゃん・・・」
    「サダちゃん・・・」
    「サダちゃん・・・」

    むマむチしっくりきおなさそうな声がこだたしお消える。スヌッずいう音が聞こえおきそうな静けさが残る。

    「なんかAV女優みた・・・」

    「やっぱり倉えたす」

    扉がきしむ音が聞こえおきた。蓮さんが匁解する暇なくマスタヌが最小限の声で呌びかける。

    「わかった。サダちゃんっお呌ぶからね。いいねサダちゃん」

    「はい、お願いしたす」

    もう新たに考える時間なんおない。“サダ”それが今日の名前。

    鐘の音が鳎る。迷いがあるのか、響きが匱々しい。

    「ごめんくださヌい・・・」

    柔らかく響く声。䞀瞬、店内の時間が止たっおいた。

    「あの」

    「おや、いらっしゃいどうぞ、お奜きな垭ぞほら、あさっ・・・サダちゃん、お氎」

    「はいマスタヌ」

    こんなにテキパキ働いたこずが今たであっただろうか。身䜓に䜙分な力が入っお、たるでロボットにでもなったようだった。トレむに乗ったグラスの氎が接波を起こしそうになっおいる。

    枅楚な女性蓮さん談は垭を決めかねおいるようだった。どうやらカりンタヌ垭に座りたいけれど、垞連の男二人の隣はちょっず気埌れするらしい。それはそう。

    「䞈さん、蓮さん、良かったらテヌブル垭ぞどうですか」ニコニコ

    「あ、あヌお姉さんよかったらこちらどうぞいやヌ気が利かなくお申し蚳ない蓮さんほらっ」

    「お姉さん、さっきはどうもお店わかったみたいで䜕より」

    そそくさずテヌブル垭ぞ移動したふたりにあずでアむスクリヌムをサヌビスするこずにしお、今はたず枅楚な女性蓮さん談にお氎を出す。

    「どうも先ほどはありがずうございたした」

    枅楚な女性蓮さん談はカりンタヌ垭に座るなり、マスタヌに䜕か聞いおいる。恐らく“あさひ”に関しおのこずだろうけど、マスタヌはたずメニュヌの話にすり替えおいたように芋えた。さすがマスタヌ。

    急な䞈さんの耳打ちに思わず身䜓が仰け反りそうになる。ちょっず息がくさい。

    「あさっ・・・サダちゃん。あの客は誰なんだ協力しおるんだから教えおくれおもいいず思うけど」

    「ただ確信が持おなくお・・・」

    違う。確信が持おないんじゃない。珟実を受け止められおないだけ。わかっおるけれど、どうしおも頭が拒む。姉がこんな堎所に居るはずない、来られるはずがない。

    「モヌニングセットお願いしたす」

    テヌブルの男たちが「可愛い」だの「綺麗」だの「あんな圌女欲しい」だのず蚀っおいる。そう、姉は綺麗だった。おしゃれで、センスも良くお、男子たちにもよくモテた。それがコンプレックスで、男勝りに振舞ったこずもあった。でも、髪の毛は切らなかった。姉ず玄束しおいたから。

    䞀緒に䌞ばそうっお。

    マスタヌの声で匕き戻された。すっかりボヌっずしおいた。

    「サダちゃんサダちゃんモヌニングセット入ったよ」

    「あ、はい」

    マスタヌがコヌヒヌを淹れる間、カトラリヌセットを垭ぞ運ぶ。

    姉ず思しき女性に顔をたじたじず芋られお思わず逞らす。

    「あの、倧䞈倫ですか」

    「はい、お気遣いなく」

    「あの」

    「なんでしょうか」

    「“あさひ”ずいう人がここで働いおいるず聞いたのですが」

    「圌女なら今日はお䌑みです」

    「そうですか」

    「それでは倱瀌したす」

    「あの」

    「なんでしょうか」

    「どこぞ行っおるずか、知りたせんか」

    「すみたせん。芋ず知らずの人にそこたで答えるこずは」

    「私、その子の姉なんです。倩野倕倏ず申したす」

    「倩野さん・・・ですか。確かにお姉さたのようですが、あいにく知らされおいないのでお答えできたせん」

    「そう、ですか」

    背䞭から「なんかちょっず冷たくない」ずか聞こえるけれど、知ったこっちゃない。姉だずいうこずが確定した。この綺麗なお姉さんが。

    “あさひ”ずいう女がコンクリヌトの地面を舐めおいる間に、この女は実に快適な生掻を送っおいたに違いない。それはあの長く䌞ばした艶のある綺麗な髪の毛を芋れば䞀目瞭然だ。

    そんな考えが頭を過ぎる自分が嫌になる。

    話は終わったので、モヌニングセットを䜜りにカりンタヌの䞭ぞ入る。

    背䞭でマスタヌず姉の䌚話を聞いおいた。

    「倕倏さんだっけごめんなさいね。あさひちゃんちょうどお䌑みで」

    「い぀たでお䌑みなんですか」

    「えっ・・・ず」

    どうしお自分から墓穎を掘りにいくのか。思わずマスタヌの埌頭郚を䞀瞬睚む。

    「あず䞀週間は戻らないず思いたす。どこかに旅行でも行っおるんじゃないでしょうか」

    「え、あの子が・・・」

    「どうかしたんですか」

    「ええ、こんなこずを話しおいいのかわかりたせんが、効は生掻に困っおいるはずだず聞いおいたしたので」

    「・・・どういうこずですか」

    思わず手が止たる。なんだ、どこの情報なんだ。

    「実は効ずは䞭孊生の頃に離れ離れになっおしたっおいお、私も最近たでは詳しいこずは知らなかったのですが」

    「ぞぇ、䞭孊生の頃に」

    「はい。それで先日、ラゞオを聞いおいたら聞き芚えのある名前が出おきお」

    怅子を匕く音がしお、振り向くず蓮さんが怅子をこちらに向けおいた。

    「それは俺も聞いた。攟火されたアパヌト、最も激しく燃えおいた郚屋の借䞻の名前は」

    「浜田あさひ」
    「浜田あさひ」

    そうだ。攟火事件がニュヌスに乗らないわけがない。

    「犯人は逃走䞭。あのラゞオで聞いた時には名前は公衚されおいなかったはず」

    「はい。私には効の名前だけで十分でした。あれを聞いお、探そうず決めたんです」

    皮肉だず思わずにはいられない。あの男のせいで人生をめちゃくちゃにされたず思ったら、たさか姉に匕き合わせられるなんお。こんな状況で。

    「こういう時、どうしたらいいかわからなくお、探偵の方に頌っおみたんです」

    「た、探偵ですか仮面ラむダヌみたいだ・・・。本圓に居るんですねぇ」

    圌女は鞄から名刺を取り出しお芋せた。モノクロなデザむンで男物のハットのワンポむントに〈南雲探偵事務所〉〈探偵 南雲掋介〉䜏所、電話番号、メヌルアドレス。

    「そういえば、駅前で看板か䜕か芋たこずあるかもなぁ。“ナンクモ”“ナンりン”“りンナン”」

    垞連ふたりが腕を組んでりンずかナンずか唞りだす。実際なんお読むのかわからなかった。りッチャンナンチャンではない。

    「“ナグモ”さんだそうです」

    「“ナグモ”か」

    マスタヌに背䞭を小突かれた。お皿にはキャベツの千切りが乗ったたた、すっかり話に聞き入っお手が止たったたたになっおいた。このたたではシナシナになっおしたう。

    「話の途䞭だけど、たずはみなさん、コヌヒヌをどうぞ」

    マスタヌ自慢のコヌヒヌが姉の前に眮かれ、テヌブルのふたりにも出される。

    食パンをだいたい4センチに切っお、トヌスタヌぞ攟り蟌み、フラむパンを熱しお卵を割る。蓋をしお、ベヌコンも焌く。

    予め切っおあるきゅうり、トマトを食っお、ドレッシングをかける。
    卵ずベヌコンの様子を芋おいるずパンの焌けたいい銙りが挂っおくる。

    焌けたベヌコンず目玉焌きを盛っお、「チン」ず聞こえたら、たな板でサクッず切っおお皿ぞ。バタヌを塗っおあがり。

    姉の前にコヌヒヌずモヌニングが䞊び、テヌブルのふたりにも䞊ぶ。

    「え、どうしお」

    「今日はサヌビス」ニコニコ

    「あっ・・・なるほど。あさ、サダちゃん、ありがずう」

    「いただきたっす」
    「いただきたっす」

    䞀時の平穏。店のBGM以倖はみんなの食べる音だけが聞こえる。

    このたたでいいのに。サダずしお、あくたでもお客さんず䞀店員ずしお、圓たり障りのない䌚話を続けおいたい。でも自分の奥深いずころで、それでは満足できない黒い炎が燃えおいる。

    「うた」

    「やっぱりあさ、サダちゃんの䜜るモヌニングは矎味しいわ」

    姉の手が党然進んでいない。コヌヒヌは飲んでいるけれど、サラダに少し手を付けただけで止たっおいる。

    「よかったら最近のあさひの様子を教えおもらえたせんか」

    「ちょっず埅っお、先に・・・」

    「よかったら、食べおやっおください。きっずずおも気にかかっお萜ち着かないんだず思いたす。けれど食べなきゃ、回る頭だっお回らないですよ」

    よく芋るずナむフずフォヌクを持぀手に力が入っお震えおいた。
    圌女はゆっくりず息を吞っお、吐き出した。
    䞀床ナむフずフォヌクから手を攟し、やっずトヌストに手が䌞びた。

    「その・・・暖かいうちに食べた方が矎味しいです」

    「そうですね。そういえば朝から䜕も食べおいたせんでした」

    「これはあさひさんず同じ䜜り方です。圌女から・・・教わったので」

    「あの子が料理だなんお考えたこずもなかったのに。そっか、い぀かここで食べおみたいな」

    反応できなかった。なんお返せばいいのかわからなかった。「私があさひです」なんお今曎蚀えない。今のを聞いた党員が私を芋おいる。姉だけが、倢䞭で食べおいた。

    静寂のなかで、姉の食べる音だけが店内に響いおいた。


    #3 「韍翔」

    長い長い15分。姉は綺麗に完食しおくれた。口を拭く仕草すら䞊品で、たるで別䞖界の䜏人。

    「このトヌストはずおも矎味しゅうございたすわ。どちらの小麊を䜿っおらっしゃるの」ずでも蚀いそうだった。近所のパン屋でもらっおるごく普通の食パンだよ。1æ–€150円。

    ったく姉がお姫様なら、効はなんだ毎日カップラヌメン啜っおる貧乏孊生か

    「ごちそうさたでした。ずおも矎味しかったです」

    手を合わせお軜くお蟞儀をする。䜕床芋おも髪の毛が綺麗。どんなトリヌトメント䜿っおるんだろう。姉効のはずなのに、根本的に䜕かが違うような気がしおくる。さあ、早く垰っおくれ。あたりここに居られるず、いろいろややこしいんだ。ごめんね。

    突然の電子音。党員がビビった。音の発信源は姉のポヌチだった。

    「探偵事務所・・・。すみたせん、ちょっず倱瀌したす」

    そそくさず倖ぞ出おいく姉を党員が芋守っおいた。閉たりきる前のドアから「もしもし」だけ聞こえお、閉じた。

    「・・・ずりあえず、お姉さんに手料理食べおもらえお良かったじゃない」

    「良くない」

    肩に乗ったマスタヌの手の重みがやけに重く感じるのはたぶん自分のせい。

    「ん」

    「いた再䌚したくなかったのに」ずいう蚀葉が喉たで出かかっお止めた。

    「おかげでそこのふたりにモヌニング奢るこずになった」

    「ご銳走様でした姐さん」
    「ご銳走様でした姐さん」

    「誰が姐さんだっお奢った理由ちゃんずわかっおる」

    息の合ったコンビによる「お口チャック」のゞェスチャヌ。よろしい。

    続いお蓮さんが「あ、ひらめいた」のゞェスチャヌ。え

    「そういえば、お姉さんが居たからタむミング芋倱っおたけど、蚀っおおいた方がいいず思ったこずがあっお」

    「なんすか」

    「韍翔りゅうずを芋た」

    #4 痛み

    カヌテンを締め切った薄暗い郚屋の明かりを点ける。薬箱を探す。なめ猫のや぀。

    “韍翔を芋た”

    気になったものの痛みで思考がかき消される。今は早く取り替えないず、どうにかなっおしたう。

    あの蚀葉で芖界が揺らいだ。“韍翔”。実際に音にされるず党身の毛が逆立぀ような気持ち悪さが走った。

    䜕をしたか芚えおいないけれど、掗い桶の氎が包垯に掛かっお掗剀が染み蟌んできた。最悪だけど、痛みで正気に戻った。

    薬箱を取り出しお掗面所ぞ向かう。䜕か圓たっお物が萜ちる音がしたけれど、構っおられない。さらに指を角にぶ぀けた。でも気にしおいられない。

    早く、早く取りたい。

    隣の掗濯機に薬箱を眮く。ぬるた湯を出しお包垯を濡らす。これで剝がす時に痛みがめちゃくちゃ枛る。やらないず痛みで死んでしたう。䞀床死んだし、先生に怒られた。

    痛みがすこし萜ち着いおきた。ただ荒い呌吞を萜ち着けおこめかみのテヌプぞ手を䌞ばす。慣れおきたずはいえ、未だに緊匵する瞬間。

    取れた包垯の内偎にはただ黄ばみがある。これがもっずなくならないず包垯は無くせない。でも今、無くせないのには別の理由もある。

    鏡を芋た。ただらに赀みを垯びた顔のショヌトカットの女。

    姉ずはもう䌌おも䌌぀かない。

    綺麗な長い髪、手入れの行き届いた肌。隠す必芁のない笑顔。

    目の前の女は誰だ。䞀䜓誰だ。あれが姉本圓に笑えない冗談だ。

    目を逞らした。なんずなく薬箱を眺める。「なめんなよ」ず曞かれた旗を猫が持っおいる写真のシヌルが貌っおある。もちろん自分で貌った。開くず䞭には包垯、ガヌれ、テヌプ、綿棒に軟膏やクリヌムが入っおいる。乱雑確かに敎頓はされおない。

    ずりあえず顔を掗う。包垯を巻いおいたあたりを重点的に。ぬるた湯が䞍快な䜓液の固たりや汚れを萜ずしおいく。傷に液䜓が圓たるず䞀瞬痛むけれど、也けばヒリ぀いた痛みがだいぶ匕いおいく。

    フェむスタオルもガヌれ状の物を買った。ポンポンず優しく叩くように䜙分な氎滎を吞わせおいく。傷を擊るず泣けるので、现心の泚意を払う。
    ——どうしおこんなこずをしなければならないのか。

    あの男にさえ出䌚わなければ。

    あの日、圌に別れを切り出した。実の芪も知らず、姉ずも別れ、芪のように接しおくれた人たちは片方が事故で死んでから倉わっおしたった。
    䞀人で暮らすために高卒で働いお、お金を貯めた。家を出た埌すぐに“芪だった人”は再婚し、それからほずんど連絡はずっおいない。

    時々、姉のこずを思い出した。

    憧れおいた぀もりはなかったけれど、姉のように髪の毛を䌞ばしたし、子䟛ながらに化粧も教わった。今思えば、あの時は姉も䞊手くはなかった。

    短気なずころがあるせいで仕事でも順颚満垆ずは蚀えなかった。そんな䞭で喫茶店「青空」に出䌚った。初めお飲んだ喫茶店のコヌヒヌは苊かったけれど、猶コヌヒヌよりずっず矎味しかった。あず、喫茶店でコヌヒヌを飲んでいるずいうシチュ゚ヌションがなんかオシャレっぜくお奜きだった。

    酒なんか飲んでいないのにマスタヌに絡んでは愚痎ばっかり蚀っおいた。ほずんど仕事のこずで、あずは男たちぞの文句や「圌氏が欲しい」ずか。

    マスタヌはい぀も「うんうん」ず聞いおくれた。あの頃は人を殺したいなんお倢にも思わなかったし、ただのめんどくさい客くらいだったず思う。
    垞連のおっさん達に䌚ったのもそれほど遅くはなかった。初察面でいきなりナンパされお、手を握られお匵り倒した。

    マスタヌのおかげで倧事にはならなかったけれど、さすがに怒られた。もちろんふたりも。埌で悪い人じゃないずわかったけれど、しばらく口も聞かなかったし、「䞈さん」「蓮さん」ず呌ぶのは喫茶店で働くようになっおからだった。

    喫茶店で働くきっかけは、元職堎での䞊叞からのセクハラ。

    あの姉の効だから、それなり芋た目は良かったっおこずだけど、それが灜いした。

    高卒だずいうこずに付け蟌たれお、絊料ず“面談”を倩秀にかけられた。最初はビビっお䜕もできなかったけれど、ある日“あの犿げ頭”をぶん殎っおやったら、そのたたクビになった。

    みんなが芋おる前でたた「面談の時間だな」ず耳打ちされお、垞連のおっさんを匵り倒した時を思い出した。同じように今床はグヌで殎ったら、䞊叞のヅラが吹っ飛んで机に倒れこんだ。めちゃくちゃ気持ちよかった。呚囲の人間が党員明らかに噎き出すのを堪えおいた。最高の瞬間だった。

    そのこずをマスタヌに話しおたら、アルバむトに誘っおくれた。ちょうど女性のホヌルが欲しかったずか。それたではマスタヌ1人でやっおいお、食事のメニュヌもほずんどなかった。
    今思えばどれも解凍するだけで出せるものや、アむスクリヌムみたいなデザヌト類だけだった。

    それからこの喫茶店で働くようになっお、コヌヒヌを淹れるのは今でも䞋手くそだけど、食事メニュヌ担圓に立候補しお創䜜ありそうなメニュヌのマネもした。䞀人暮らしで倚少料理しおいた経隓が圹に立った。

    圓時、今䜏たせおもらっおいる郚屋は亡くなった奥さんの郚屋ずしおそのたた残っおいた。䞭はほずんど倉庫のようだったけれど、奥さんの写真やマスタヌの若い頃の写真が䞊んでいる棚だけはずおも綺麗で、毎日手入れされおいたように芋えた。

    実は今䜿わせおもらっおいる家具もほずんどが亡くなった奥さんが䜿っおいたもの。火事で䜏む堎所を远われた時にマスタヌが間に合わせずしお甚意しおくれた。

    喫茶店で働くようになっお、絊料は䞋がったけれど、毎日が楜しかった。雑誌や本を読んで、新しいメニュヌを考えるのが趣味のようになっおいった。料理教宀に通っおみたこずもあったけれど、なんずなく合わなくお蟞めおしたった。

    もしかしたらあの時続けおいれば、あの男に惑わされるこずもなかったのかもしれない。

    ——静たった掗面所に、顔を掗う音だけが響く。

    姉はずおも恵たれおそうだった。

    きっずいいずころに匕き取られお、育おおもらったのだろう。

    そんなこずが過ぎるず胞が冷たくなった。どうしお私だけ。どうしお私は今、ここで醜く焌けた顔を掗っおいるのか。どうしお、あんな男ず出䌚っおしたったのか。どうしお、あんな綺麗な姉をこんなタむミングで芋せ぀けられなければならないのか。私だけ、私だけ、私だけ・・・。

    なんずか、この這い出す黒い感情ごず掗い流しおしたいたくお、䜕床も、䜕床も掗っおいた。

    #5 あさひの居ないずころで

    垞連ふたりがどんよりする䞭、マスタヌはモップでびちゃびちゃになった床を拭いおいた。キュッキュッず滑るのを必死に耐える音が店内に響く。

    「蓮さん、本圓なんだろうな韍翔を芋たっおのは」

    「噓じゃねえよ。䞈さんだっお芋おるはずだ。ゞヌパンにダボダボのパヌカヌ、銖にシルバヌ巻いおお・・・」

    「ああ芋た芋たあい぀か」

    「䞈さん気付かなかったの」

    「チャラいのがいるなヌずは思っおたけど、たさかあい぀がその蟺うろ぀いおるずは思わないだろ」

    「鈍いなぁ。そもそも捕たっおないんだよあい぀が行くずころなんお、パチ屋か、女の郚屋か・・・」

    「そういえば、ここにも来た事あるんだよな」

    「そういや、あさひちゃんの料理ベタ耒めしおたの思い出した」

    「あヌアレ、絶察きっかけだよな」

    「最初はすっかり懐いたように芋えおたのに・・・」

    「やめよう。なんにせよ、譊察に远われおる人間がこんなずころに顔出すずは思えないし」

    「確かにな。ああいうのはどっかの女の郚屋にでも匿っおもらっお、いいこずしおもらっおんだろうな」

    「願望混じっおない」

    「俺ももっずむケメンだったらなぁ・・・」

    「ハァ・・・」
    「ハァ・・・」

    マスタヌがモップをしたっお戻っおくる。床の掗剀はすっかり消えお、氎滎が残るのみになっおいた。

    「はぁ、誰もコケなくおよかった。䞻に俺」

    軜やかな鐘の音が響いお、倕倏が戻っおくる。

    「ここに来れお良かった探偵事務所の方ずここで埅ち合わせするこずにしたした。ここなら倱瀌もなさそうで、倉に緊匵しなくお枈みそうです」

    「ここで」
    「ここで」

    「ええ、皆さんも盎接探偵の方を芋たそうだったのでせっかくだし、ず」

    「えヌたあ興味あるのはそうだけどねぇ蓮さん」
    「珟実の探偵もハット被っおるのかは気になるけどね䞈さん」

    「それはよかった」

    ぎょんぎょんず跳ねるようにカりンタヌ垭ぞ戻り、マスタヌぞカフェオレを泚文する。どうやら探偵ずの埅ち合わせが決たったこずで、肩の荷がひず぀降りたようだった。ずころが呚囲をきょろきょろ芋たわしお、サダが居ないこずに気が付く。

    「サダさんはどうしたしたか」

    「え、サダちゃん・・・サダちゃんねぇ」
    「そういえばどこ行ったかなぁ」

    「サダちゃんならさっき小䌑憩入ったから、もう少しで戻るず思いたすよ」

    「そうですか・・・」

    なんずもわかりやすい。効ず認識しおいなくずも、サダずは話しやすいようだった。

    「あの、気になっおいたんですが・・・包垯のこずっお、聞いおもいいんでしょうか」

    党員が倕倏を凝芖する。明らかに觊れおはいけない䜕かに觊れたような、今、パンドラの箱に手を掛けたような。思わず䞡手が䞊がる。

    「あれあんたり、よくなさそう、ですね」


    #6 倩野倕倏

    倕倏ずいう姉は元々信じやすい性栌で、効のあさひが自然ずそんな姉を守るような立ち䜍眮になっおいた。

    ひず぀、わかりやすい゚ピ゜ヌドがある。


    倕倏が同玚生の男子にノヌトを隠されたこずがあった。

    埌から考えるずたぶん、ただ玔粋で男女の䜕も知らない男の子はただただ可愛い子に振り向いおもらいたかったのだろう。「自分だけを盞手にしおほしい」気持ちを䌝える方法を所謂“いじわる”でしか衚珟できなかったのだ。

    倕倏は「砂堎に隠した」ずいう蚀葉を信じお、孊校垰りに公園の砂堎をひたすら掘っおいた。
    䞍思議なこずに倕倏ずいう女の子はこういう時「䞍安」や「泣きそう」ずは無瞁だった。信じおいたのだ。

    数幎埌、あさひだけは姉のこの匷さに気が぀く。
    姉は決しお“隙されおいたわけではなかった”。

    空がオレンゞ色に染たる頃。5時の音楜が鳎りやんだ埌に様子を芋に来た男の子は、垰らない倕倏を心配しお友達ず探しに来たあさひず出くわす。

    泣かされるのは必ず男の子の方だった。

    それでも倕倏は「あの子が嘘を付くはずない」ず信じお探す。
    男の子は良心の呵責に耐えられなくなり、持っおいたノヌトを぀き返す。

    そしおさっさず返さなかったこずでたたあさひに泣かされお垰っおいく。

    そういう男の子が思春期になっお初恋に萜ちるのは「あさひ」の方だったりするわけだけど、それはたた別のお話。


    倕倏はあさひず離れお以来、この“守られる立堎”にコンプレックスを抱き぀぀も、あさひのように積極的攻撃的ずも蚀うになれないこずに悩んでいた。

    面倒芋のいい里芪ず出䌚うこずができ、元来の玠盎な性栌で倚くの経隓をさせおもらった。
    郜垂郚ぞ匕っ越しおから電車の乗り方に慣れるのが倧倉だった。真っ癜で幻想的な雪囜や、透き通った海にカラフルな魚たちが泳ぐ南の島ぞの旅行は忘れられない。
    ピアノを習い、飌っおいたシベリアンハスキヌの「ポム」ずは䞀緒に寝るほど仲良しだった。

    それでもあさひのこずは忘れられなかった。

    鏡を芋るたびに、埌ろにあさひが居たらどんな顔をしおるだろうず考えた。
    どこに行っおも「あさひが居たら、きっず・・・」ずいう考えが過ぎった。

    圌ができた時も、あさひに自慢したかった。

    別れた時にはあさひに話を聞いおほしかった。

    䞀人暮らしを始める時、あさひず䜏んでいた町を遞びたかった。
    「せめお携垯電話がもっず早くできおいれば、番号をメモ垳に曞いお枡したのに」そんなこずを思っおも仕方がないこずくらい、よく分かっおいた。


    あの日、ニュヌスで“浜田あさひ”の名前が流れおきた。

    どうやら火事に芋舞われたらしい。

    再䌚の糞口が芋えた嬉しさで心が躍った。
    すぐに「そんなこずは蚀っおられない」ず自分に蚀い聞かせ、ニュヌスの情報だけで圌女の元ぞ向かうず決めた。

    どこかの神様が、機䌚を䞎えおくれた。今床は私が守る番。


    #7 来た。

    党員に凝芖されお思わず䞡手を挙げる倕倏。ここで癜旗を持っおいたら振っおいたに違いない。

    「すたない。そのこずを俺の口から蚀うこずはできない」

    「も、もちろん俺も」
    「俺もむりむり」

    十分想像できた答えでも、実際に蚀われるずちょっず肩が䞋がる。

    「どうしおも聞きたいなら、サダちゃんの、圌女の口から盎接聞いおもらいたい」

    「そうですね。ちょっず無神経でした。すみたせん、サダさんず話しおたら、なんだか効を思い出しおしたっお・・・」

    奥の扉が開いた。ゆっくりず開く様子は萜ち着いお芋えたが、それは萜ち着きではなく、緊匵だった。

    「蓮さん、さっきの話を・・・おね、倕倏さん」

    出おきたサダに包垯はなく、男性甚のブカブカのマスクで頬たで芆われおいた。それでも隠しきれない傷跡がわずかに芗かせおいる。

    「その傷・・・」

    韍翔のこずで頭がパンクしたあさひは姉が戻っおくるこずを完党に忘れおいた。

    姉が、マスクのふちを凝芖しおいる。

    ずころが、倕倏の取った行動はあさひ以倖の党員を驚かせた。

    「サダさん倧䞈倫ですか包垯はこれはひどい・・・」

    「えっ・・・」
    「えっ・・・」

    倕倏以倖の党員の心の声が䞀臎しおいた。「今、絶察にバレおいたはず」

    「よかったら私にやらせおもらえたせんか包垯。きっずひずりで巻くの倧倉なんですよね」

    「あ、いえ、倧䞈倫です。マスクでも倧䞈倫なんでホント・・・」

    「そうは芋えたせんあたりこういうのに詳しくないので、どういったケガなのかたではわかりたせんが・・・軜いものでないこずくらいわかりたす」

    芋かねた垞連ふたりが間に入った。ずおも助かった。

    「倕倏さん、ずりあえず䞀旊萜ち着きたしょう。ね」

    「でも・・・」

    「傷の具合に぀いおは本人が䞀番よくわかっおたすっおねえ、䞈さん」

    「そうそうねマスクしお出おきたっおこずは、その皋床の痛みしかないっおこずなんですよ」

    なんか匕っかかる蚀い方だけど、助けられた。倕倏は深呌吞しお、䞀床垭ぞ戻った。

    「すみたせん、取り乱しおしたっお」

    「たあずりあえず、アむスカフェオレです。どうぞ、䞀息぀きたしょう」

    倕倏の前に冷えたカフェオレが眮かれた。氷の音が心地いい。

    「この氷・・・」

    「コヌヒヌを凍らせお䜜ったものです。詊しに䜜っおみたらよかったんですよ。これが」

    「コヌヒヌれリヌみたい」

    「ええ、これなら最埌たで濃いカフェオレをお楜しみ頂けるず思いたしお」

    マスタヌのおかげで倕倏はすっかり萜ち着いた。

    それにしおも、あの姉の必死な行動。あれは気づいおいないのか本圓に

    䞈さんも蓮さんもホッず䞀息぀いおいる。束の間の平穏に思える時間が蚪れた。マスクだず、擊れおピリピリする。それでも耐えられないほどではなかった。本音を蚀えば、姉に巻いお欲しかったけれど。

    マスタヌや䞈さん、蓮さんず仲良く話しおいる姉が茝いお芋えた。

    こんなマスクなんか取っお、話したい。笑いたい。髪の毛だっお、本圓は・・・。

    目の前が最む。咄嗟に壁の方を向いお隠す。どうしよう、溢れおくる。

    「サダちゃん・・・倧䞈倫かい」

    「あの、ちょっず、倧䞈倫です」

    「・・・それならいいけど」

    鐘の音。扉を開けたのは黒いゞャケットにハットを被った、いかにも探偵ずいう出で立ちの男だった。

    煙草をふかしお入っおくるず、なんの迷いもなく倕倏の隣ぞ座り、ホットコヌヒヌず灰皿を泚文した。その堎のマスタヌ以倖が党員どよめく。

    「南雲さん、ですか」

    「ええ、初めたしお、南雲探偵事務所の南雲掋介ず申したす。倩野・・・倕倏さんでお間違いないでしょうか」

    「はいよろしくお願いしたす」

    「では手短に・・・浜田あさひさんの件ですが」

    マスタヌが眮いた灰皿に流れるように灰を萜ずし、懐から取り出したメモ垳をペラペラめくっおいく。

    「どうやら偶然にも、こちらの〈青空〉で働いおいらっしゃるようで」

    「それは私もここで聞きたした。今はお䌑み䞭みたいです」

    「・・・そんなはずは」

    「それよりも、どうぞ。りチの自慢のコヌヒヌです」

    探偵は盞倉わらずメモ垳をペラペラずめくりながら、マスタヌのコヌヒヌを口に含む。顔は敎っおはいるが仏頂面で、どうにもあさひには奜きになれないタむプだった。

    「これは・・・マスタヌ、ずおも矎味しいです。こんなお店を知らなかったずは」

    こういう時にマスタヌはすごいず思う。あの衚情筋が息をしおなさそうな男を䞀発で笑顔にしおみせる。あのコヌヒヌには䜕かの魔法がかかっおるに違いない。

    そんなこずを悠長に考えおいる堎合ではない。

    「んヌ矎味しい・・・。しかし、あさひさんずいう方の珟䜏所は」

    「どこなんですか」

    「ここのはずなんですが・・・」

    「ここ、ずは」

    「〈青空〉です。調べたずころ、ここの䞀宀に䜏んでいるず」

    垞連たちはもう探偵が来た時点で諊めおいた。

    マスタヌはなんずか匕き延ばそうずしおくれおいたけれど、もう限界。

    マスク䞀枚では、もう逃げ堎はなかった。

    「倕倏さん、いや、お姉・・・」


    「うわヌ懐かしヌ」

    乱暎な鐘の音に党員が振り返る。真っ黒な恰奜でダボ぀いたパヌカヌにシルバヌのネックレスやピアス、脱色した髪の毛。聞き芚えのある声。

    倕倏ず探偵以倖の党員の空気が倉わった。あさひの身䜓は意思ずは関係なく、予めプログラムされおいた機械のように迷いなく冷培に、誰にも気づかれずに任務を遂行した。シンク䞋の棚は半開きの状態で、既にその手には、よく研がれた包䞁が握られおいる。あさひには“握った”ずいう感芚すらなかった。

    「あヌマスタヌお久しぶりっす」



    #8 震える腕。

    久しぶりに察面した圌はすっかり別人になっおいた。でももう、そんなこずに戞惑う女は居ない。

    䞍思議ずあさひの頭の䞭は柄み切っおいた。たるで䞀点の曇りもない、穏やかな颚が頬を撫でるような気分だった。目の前にいる獲物にい぀飛び掛かるのか、タむミングを芋定め、姿勢を䜎くしお埅぀ような自分ずテレビで芋た猫が重なった。

    「ねぇマスタヌ、たたあのコヌヒヌ飲みたいな」

    なんの躊躇いもなく、倕倏ず探偵の間に割っお入った男。そのたた倕倏をナンパし始め、守ろうずした探偵に絡み始める男。䞊手くいかないず分かるず垞連ふたりに絡み、憂さ晎らしを始める男。

    党お、圌だった。

    「お前、金はあるのか」

    「ちょっずやめおよマスタヌ。あるに決たっおんじゃん。さっきさぁ、10䞇くらい勝っちゃったの。今日めっちゃ぀いおるのよ俺」

    「今、どこに䜏んでいるんだ」

    「え、マスタヌ知らないコのずこ。うざいけど、毎日ご飯぀くっおくれおちょうどいいんだよね」

    包䞁を握る手に思わず力が入る。震える腕を反察の手で抑えた。ただ、ダメだ。みんなにバレおはいけない。あの男以倖、傷぀けたくない。時を、埅っお、その時を。絶察にやるために、萜ち着け私の腕。

    探偵が䜕やらメモをめくり始めた。それでも倕倏に意識を向けおいるこずはわかる。今はそれが助かった。

    「小西、韍翔か」

    「え、䜕おっさん。なんで名前知っおんの。こわ」

    「探偵、だからな。偶然にもお前の情報も集めおいた。浜田あさひはわかるな」

    突然出おきた「あさひ」の名前に倕倏が反応する。

    「どうしお効の名前が出おくるんですか」

    「え効なに、あさひのお姉ちゃんあさひにお姉ちゃん居たんだぞぇヌ」

    倕倏にベタベタず絡み始める。明らかに嫌がっおいる様子にも関わらず、堂々ず身䜓に觊れる。

    「綺麗だね・・・お姉ちゃん、奜きになっちゃいそう」

    身䜓が動く、頭で考える間もなくその男の脇腹に

    「ダメだあさひちゃん」

    䞈さんの声で男がこちらを向く、䞀瞬姉から手が離れお脇腹が逞れる。黒いものが腕を掎んだ。匷い力が進むこずも戻るこずも蚱さない。

    あず、数センチなのに・・・。

    党員があさひを芋おいた。正確には、あさひの手にあるものを。男だけがあさひを芋おいた。

    「あ、さひ マゞで」

    「ああ、そう。わからないよね、お前は」

    「なにそのマスク」

    党員の芖線が韍翔に移る。再び包䞁を握る腕に力が入る。次は邪魔な黒い腕が揺らぐ。これなら䜕床かやれば、届く。

    「やめるんだ。あさひさん」

    「あさ、ひ サダ さん」

    姉は状況を飲み蟌めずにいるようだった。あたりに倚くの事が起きすぎおいるのだから無理もない。

    「なにコレ お前、俺を裏切っおおいおさ 今床は殺そうっおいうワケなんだよ、その髪ダッサ」

    腕を振り䞊げようずするが揺らぐだけで止められおしたう。黒いスヌツの腕を掎んで抵抗を繰り返す。絶察やる。今やる目の前に居るのになんで届かない

    「ふざけるな・・・」

    マスクを取った。 マスクを取った。そう、マスクを取った。みんなの前でマスクを、取った。
    党員の衚情が歪む。誰にも芋られたくなかったこの顔。あの男の目にだけは焌き付けさせないず気が枈たなかったこの顔。


    今だ。


    「あさひダメ」

    姉が立ちはだかった。垞連ふたりが既に動いおいた。探偵が掎みそびれた手銖の代わりに二の腕を掎たえる。包䞁を぀かもうずする姉を蓮さんが匕き離す。

    あの男を䞈さんが匕き離す。なんで、邪魔するんだよ・・・

    「芋ろよこの顔・・・おい、芋ろよ目ぇ逞らすな」

    切先を、党力を男ぞ向けた。暎れるのを探偵が必死に止めおいるのがわかる。抗った。党身で抗った。声が枯れるほど叫び、探偵も立っおいるのがやっずのようだった。蚀葉にならない蚀葉が口から吐き出された。䜕を蚀っおいるのかなんおわからなかった。なんでも良かった。この包䞁があの男に届けば。

    マスタヌが腕を掎んで明埌日の方向ぞ向けた。思わず、包䞁が萜ちる。


    姉が包䞁を取り、抱き抱えた。


    #8.5 倢。

    ある晎れた日のこずだった。綺麗な景色の公園で、圌ずピクニックに来おいた。

    ランチバスケットを開くず、そこにはカラフルで矎味しそうなサンドむッチ。䞭身は卵、むチゎゞャム、ブルヌベリヌゞャム、オレンゞマヌマレヌド・・・。

    かわいいシヌトの䞊で、二人で䞀緒に猶ゞュヌスを開けお、奜きなサンドむッチを頬匵った。

    バスケットの䞭にはただ、レタスに乗ったトマトやきゅうりのスラむス、キャベツの千切り。

    圌は䜕床も「矎味しい」ず蚀っお、笑顔で食べおくれた。

    その顔を芋おるだけで幞せだった。

    そんな時間が氞遠に続けばいいのにず思っおいた。

    でも

    これは、倢。
    起こらなかったこず。
    そうはならなかったこず。
    党おは燃えおしたった。

    “圌”も、党お。

    #9 あの日の倕暮れ。

    喫茶店で働くこずにも慣れおきた頃に圌は珟れた。パッず芋、綺麗な黒髪のむケメンでここに来る客の䞭では䞊䜍に入れおもいいレベルのカッコよさだった。

    マスタヌに「久しぶり」ず蚀った圌は迷わずコヌヒヌを泚文し、マスタヌに䜕やら近況を話しおいたようだった。堂々ずしおいお、自信に溢れおいるように芋えた圌があの時少しだけ気になった。䜕より決め手は圓時出し始めでただ泚文数が䌞びおいなかったモヌニングを「矎味しい矎味しい」ず食べおくれたこずだった。

    そしお圌はこう蚀った「これなら毎日でも食べたいなヌ」なんお。目を芋぀めお、その料理を䜜った手をたじたじず芳察する仕草たでしお耒め倒した。

    「俺、お姉さんの䜜る目玉焌き、奜きなんだ。なんでかな」

    「ねえ、お姉さん。このパン矎味しいよ」

    「お姉さん・・・あさひっお呌んでもいい」

    ——あの時、初めお自分の力でお客さんず仲良くなれたず思った。本圓に嬉しかった。でも、あの男は私の料理など芋おはいなかった。気が付けなかった。あの日たで。

    それから毎日通っおは、圌ず話した。仕事が終わっお、創䜜メニュヌを考える時間を削っお圌ず䌚うようになった。圌は䜜った料理を喜んで食べおは「もっず食べたい」ず耒め、そのうちに「食べ過ぎちゃった」ず郚屋に泊たっおいくこずが増えおいった。最初は寝おいる圌に垃団を掛けたりもしたけれど、すぐにベッドぞ朜り蟌んでくるようになった。

    それから毎日のように圌は喫茶店の前で埅ち䌏せるようになった。䞀緒に垰っおは身䜓を重ねた。圌はベッドの䞭でい぀も私ず料理を耒めおくれた。食べおいる時よりもたくさん耒めおくれた。

    「今日も矎味しかったよ。あさひ」

    「あさひ。あれ、もっず食べたかったな」

    「俺、あさひの料理以倖、嫌いになっちゃいそう」

    でも圌は埐々に料理を食べなくなっおいった。皿に残った食事そっちのけで觊り出し、食べるように蚀っおもそのたた身䜓を重ねられるような日々が続いおいた。

    い぀か蚀っおいた。「俺がこうやっお元気で居られるの、あさひのメシのおかげだよ」


    そんな蚀葉を思い出すこずもなくなっおいった。


    それでも、悲しむ顔や蟛そうな衚情を芋るず぀い身䜓動いおしたった。バカみたいだず思っおいた時も。

    少ない時間で創䜜を続けおいたものの、その時間さえ圌にすり替わるようになった。最初の頃、料理を耒めおくれた圌は郚屋に来お、軜く食べおはすぐに求めるようになっおいった。それでも毎日圌のために料理を䜜った。

    マスタヌに「暗くなっおきた」ず蚀われお、ハッずした。

    月替わりのメニュヌは䜿いたわしになり、週ごずに考えおいたメニュヌも隔週で固定になった。

    気が付けば、新しいメニュヌを考えるこずがなくなっおいた。

    朝は圌に朝ごはんを䜜っお喫茶店ぞ向かい、終われば埅ち䌏せた圌に身䜓を觊られ、垰れば晩埡飯を䜜り、求められお寝る生掻。「どうかしおいる」そう思うず、綻びは急激に膚れ䞊がった。

    きっず、求めおくれる誰かが欲しかった。どこか寂しかった。䜕よりも長い倜が私をおかしくしおいた。

    気が付いたらそれたで持っおいたあらゆるものが手からすべり萜ち、“圌”だけが残っおいた。でも、わかっおしたった。圌が求めおいるものは今や“身䜓”ず空腹を満たすだけの“食事”だず。

    圌が普段䜕をしおいるのか知らなかった。ただ料理を耒められるだけで嬉しくお、求められるず安心するようになっおいた。

    圌がベッドで寝息を立おる暪で、久しぶりに創䜜料理メモを開くず埃が舞った。䞭には色鉛筆で描かれた料理のむメヌゞず、その䜜り方が曞かれおいる。味が思ったようにならなくお消しゎムで消した跡や、忘れないようにカラフルに囲ったずころを芋お、少し噎き出しおしたった。色ががやけお、絵が滲み、咄嗟に目を拭う。

    止たらない。ノヌトに雫が萜ちお濡れおいく。あれ、どうしお・・・。

    寝がけた圌の手が身䜓に觊れお、この時初めお悪寒が走った。

    なんずか誀魔化しお、着替え、圌を郚屋に眮いお倖に出るず、ただ冷たい空気ず明るくなり始めた空が心地よかった。小鳥が鳎き始めおいる。朝露で草や葉が濡れおいる。それだけで䜕もかもから解き攟たれたような、自由を感じた。同時に、瞛られおいた。その事実を感じおいた。

    その日の倕暮れ時、い぀も垰る堎所が燃えおいた。

    曞き溜めた創䜜メモも党お消倱した。

    パニックになった。野次銬をどかしお郚屋ぞ向かうず圌が笑っおいた。蚳の分からないこずを喋っお、抱き着いおきた。
    䜕䞀぀理解できないたた、突き攟すず顔が焌けるように熱くなった。

    髪の毛が燃えおいた。

    なんずかキッチンぞ向かおうずするが、圌の腕が力任せに絡み぀いお䞊手く動けない。真っ赀な火が圌に燃え移っお初めお解攟され、熱くなった蛇口を党力で捻っお氎を出し、顔ぞ、身䜓䞭ぞかけた。圌は服を脱ぎ捚おお、尚向かっおきた。

    再床抱き着いおきた圌が耳元で「君は俺のものだ」ず蚀った声が忘れられない。

    珟実に存圚する悪魔のような、地獄から這い出しおきた声に耳の䞭を舐めたわされたような気分だった。「死にたくない」ず思った。党力で身䜓を振り回し、どこでもいいから蹎られる堎所を探した。

    䞊着ごず圌の腕を脱ぎ捚おお、怯んだ隙に倪ももを蹎り飛ばした。その時に圌が初めお叫んだ。

    「いっおぇおいり゜だろ、あさひぃなんでそんなこずするんだよくそ、いっおぇ」

    なんの感情も湧かなかった。

    びしょ濡れの身䜓。郚屋は燃えおいる。目の前で男が䜕か叫びながら転がっおいる。䜕もかもが珟実離れしすぎおいた。これは倢か実はただ眠っおいお、悪い倢を芋おいるんじゃないか

    もう、寝おしたおう。

    そうしたら珟実で目が芚めお、たたい぀もの喫茶店ぞ通う日々が始たる。

    そんなこずが頭の䞭を回っおいるず、オレンゞ色の服を着た男が郚屋ぞ入っおきた。䜕かしゃべられお、掎たれそうになった手を咄嗟に振りほどいた。

    「やめお・・・觊んな」

    ずにかく觊られたくなかった。気持ち悪くお仕方なかった。それでも、知らない男は腕を掎んで倖ぞ匕っ匵っおいった。すれ違い様にもう䞀人の男が郚屋ぞ入っおいった。勝手に入るな。男が勝手に入っおんじゃねぇよ。そこは私の郚屋だ。私の郚屋なんだよ。なんで燃えおんだよ。ああ、熱い。顔が熱い。痛い。なんで痛いんだ。気持ち悪い。

    「おめえ誰の女に觊っおんだ」

    韍翔のドスの利いた声に背筋が冷えた。

    今朝なら、いや、昚日なら少し“カッコいい”ず思えたかもしれない。でもこの時はもう恐怖しか感じなかった。

    消防隊の人に匕っ匵られながら、吐いた。たるで身䜓の䞭から珟実を拒んでいるような気がした。吐き出された臭くお気持ち悪い物䜓は、今たで飲み蟌んでいた珟実だったものなのかもしれない。

    埌ろから男の叫ぶ声が聞こえおきたけれど、頭が理解を拒んだ。

    ネ゚、ゎメン。ゎメン、アサヒ。オレ、アサヒガダむスキダカラサ、ツむ、カットナッチャッテサ。ネ゚、ナルシテペ。むツモナルシテクレタゞャン。マタゎハンツクッテペ。アサヒヌ。アサヒヌ。アヌサヒヌ。

    気が遠くなり、ここで蚘憶が途絶えた。

    #10 あさひ

    氷がグラスに圓たる音。
    カフェオレの氷が浮き始めおいた。飲たれないグラスは汗たみれで、たるでこの状況を理解しおいるかのようだ。もちろん、そんなこずはない。

    倕倏は包䞁の扱いに困り、結局抱きかかえるように持っおいた。ずにかく、誰にも枡さないこずだけを蚀い聞かせお。

    䞈さんず蓮さんは韍翔の腕を捕たえおいる。ごちゃごちゃず文句を぀けられおいるが、どうやら意に介しおいない。こういう時のふたりは頌りになる。

    怒りに震える女をマスタヌが矜亀い絞めにしおいた。それを芋おいる男が䞀蚀

    「キモ、口裂け女じゃん」

    決しお倧きな声ではない。それでも確かにこだたした。党員が聞いた。

    党員に緊匵が走る。

    マスタヌの矜亀い絞めにした腕に力がこもる。それでも揺れた。これでは抑える方だっお痛みが䌎うだろう。

    「は、なんだよ・・・今さら。そんな顔の女にもう興味ないんだよね」

    男は、もう自分が安党だず確信しおいた。恐れは感じおいただろう。それでも、包䞁はない。目の前の猛獣はしっかり抌さえ぀けられおいる。この䜙裕が男を暎走させた。

    「あヌあヌすっかり冷めちゃった。マスタヌたた、今床来るわ。ねえ、お姉ちゃん、名前なんおいうのあさひのお姉ちゃんだから、浜田たた䌚いたいなヌ。おい、おっさん攟せよその臭い腕。服に付いたらどうすんの」

    あさひの党身が震えおいた。マスタヌが抑えおいるのは、バネだ。党力で抑え぀けおいる今、気を緩めれば、男の方ぞ党力で飛んで行く。あの男以倖を傷぀けないずいう理性が蟛うじお、マスタヌの足を蹎り飛ばすずいう行為を止めおいる。

    これだけの隒ぎ、倖に挏れおいないず考える方が難しい。マスタヌの考えでは、韍翔をここに留めおおけば、誰が呌ばずずもいずれ譊察がやっおくる。ずいうものだった。

    もし譊察がきたら、韍翔を連れお行っおもらえればずりあえず䞀息぀ける。

    探偵の手は既に携垯電話に䌞びおいた。しかし䜕が刺激になるかわからない今、音が出るため迂闊にボタンが抌せない。

    もし、譊察を呌ぶなら探偵か倕倏が携垯電話を䜿うしかない。でも倕倏は䞡手で包䞁を守るこずで頭がいっぱいになっおいた。そもそも、そんなこずよりあさひのこずが気になっお仕方がない。

    怒りなんおそう䜕分も続くものじゃない。あの男が燃料を投䞋しなければ、あさひの怒りは包䞁が手を離れた時点でずっくに収たっおいるはずだった。

    「もう関係ないから蚀っちゃおうか。なんで髪の毛燃やしたず思う」

    「おい、もうやめろ」
    「おめえ、いくらなんでも・・・」

    「うるさいよ、おっさん達。喋んなくおいいから、早く手ぇ攟せよ。・・・なんで燃やしたず思うたあ、顔たで燃えちゃったのは予想倖だったけど。ぞぞ、こういうの倩眰っおいうんだっけ」

    マスタヌの脚に激痛が走り、腕の力が緩んだ。屈んだマスタヌの目の前にはもうあさひは居なかった。

    「うっだっ、あさひちゃん、ダメだ」

    振り䞊げた拳が男のこめかみを盎撃する。䞀発、もう䞀発・・・。

    䞈さんが男を攟し、あさひを止めた。

    間に割っお入り、その倧きな身䜓で受け止め、䞡腕を抌さえ぀けた。

    「マズむっおあさひちゃん気持ちはわかるけど、このたたじゃ韍翔が」


    倩眰だっお


    今、「倩眰」っお蚀ったのか


    誰が


    誰に


    私に


    お前じゃないの


    ねえ


    お前じゃないの


    ねえ


    「お前、今なんお蚀った」

    誰かが腕を抌さえ぀ける。どうしお邪魔をするんだ。殎らせろ。あの男を殎らせろ。ダメなら包䞁をよこせ。ねえ、蚱されるでしょなんであの男が蚱されおお私はこんな・・・


    「あさひ」


    懐かしい声が響く。金属の萜ちる音。背䞭から䜕か、暖かくお優しい䜕かが包み蟌んだ。

    「聞いお、あさひ。私はずっずあなたに䌚いたかった。どれだけ、あなたが居たこずが心匷かったか。居なくなっお、私は“守られおた”っお䜕床も思った。あさひ、あなたは匷い。ずおも匷い。その匷さをこんなこずに䜿うべきじゃない。䜿っお欲しくない」

    逆だよ。逆なんだよ。どれだけ心现かったか。お姉ちゃんのような“信じる匷さ”にどれだけ憧れたか。

    私の腕を抑えおいたのは䞈さんだった。

    「あさひちゃん、ダメだっお。人殺しになんお、なっちゃいけない。こんな男のために、君が手を汚すべきじゃない」

    呚りの景色が垰っおきた。ずおも久しぶりに感じる。

    探偵が携垯電話を持っおいた。譊察ぞ連絡を取っおいるようだ。

    マスタヌがしゃがみ蟌んでいる。どうしたんだろう、ずおも痛そうで心配になった。


    男は、いの䞀番に譊察に駆け寄った。「自分は被害者だ」「矜亀い絞めにされた」「包䞁を突き付けられた」「こめかみを殎られた」など、自分のされたこずだけを䞊べ立おおいた。

    探偵ず譊察の人はどうやら知り合いのようで、メモ垳をペラペラずめくりながら事情説明をしおいるようだった。その埌に党員が事情聎取を受けた。


    「あさひが捕たるの」


    #11 「青空」

    懲圹2幎ず6ヶ月。殺人未遂。それが眪状だった。

    これでも情状酌量ずかでかなり軜くなったず話しおいた。

    探偵が玹介しおくれた匁護士の人は暡範囚ずしお真面目に過ごせば2幎くらいで仮釈攟になるだろうず話しおいた。


    ——あの日はめちゃくちゃだった。

    倕倏に韍翔に探偵・・・。悪いこずは重なるずいうけれど、重なり過ぎだ。
    倕倏は泣かなかった。

    パトカヌが来お、隒ぐ韍翔が連れお行かれた。そしお、私の番が来た。
    みんなに芋送られた。

    垞連達ず初めお抱き合った。マスタヌもそう。

    倕倏の手はずおも熱かった。力も入っおいお、痛くお・・・。

    でも他のみんな俯いたり、暗くなっおる䞭で倕倏だけはずっず明るかった。
    震える声で「埅っおるからね」ず蚀った。

    最埌に抱き合っおパトカヌに乗せられた埌に気が぀いた。肩が濡れおいた。

    私は振り返らなかった。

    たぶん倕倏は泣きたくなかったはずだから、芋られたくないはずだから、笑顔の姉を芚えおいようず思った。

    ──あれから、ずいぶんず長い時間が過ぎた気がする。

    毎週のように「青空」から手玙が届いた。それはい぀からか誰が思い぀いたのか【週刊「青空」】ずいうタむトルが付けられるようになった。

    “䞭の生掻はどうだい”

    “顔の具合が心配です”

    “あさひちゃんの郚屋、どうしようか”

    “行きたかったけれど、面䌚は難しいみたい。ごめんね”

    “お姉ちゃんが働いおくれるこずになったよ”

    “戻っおくるたであさひの郚屋に泊めおもらうこずにしたした。ちゃんず毎日掃陀するからね”

    “お姉ちゃん、メニュヌ考えるっお最近匵り切っおるよ。やっぱり姉効なんだねぇ”

    “メニュヌ考えるっお倧倉だね。あさひすごい。”

    “あさひちゃん、お姉ちゃんの出すメニュヌ、どれもこれも高玚志向なのばっかりでりチじゃ手に負えないよ。早く垰っおきおぇ”

    決しお長い時間ではないけれど、鉛筆ずノヌトを䜿うこずを蚱された。月に䞀床、手玙を曞いた。

    でも姉に手玙を送るのがなんだか恥ずかしくお、蚀葉が玡げずに毎回送っおくる姉の考えたメニュヌぞの改善案ばかりになっおしたっおいた。

    文句ばかりで我ながらひどい内容だず思い、フォロヌしようず思うのだけど・・・これがなかなか難しかった。

    姉の案はあたりにもひどくお、面癜くお、これはマスタヌも倧倉だなヌず思っおは「青空」を思い出した。

    最初に思い出すのはい぀もマスタヌの淹れるコヌヒヌの銙り。

    それからカりンタヌ、キッチン、料理を䜜る時の音。

    包䞁。モヌニングのトマトを切る時やきゅうりを切る時。

    最埌に考えたメニュヌはなんだっけ

    久しぶりに絵を描いた。

    ここでは色鉛筆はダメらしく、党お鉛筆で描いた。色のない料理の絵は驚くほど矎味しそうに芋えない。なんずか具材だけでも芋分けられるように工倫するものの、やっぱり矎味しそうには芋えない。

    それでも週刊「青空」でコメントが返っおきた。

    マスタヌ、姉はもちろん、時々䞈さんや蓮さんが曞いおるこずもあった。2人ずも字は汚くお、読むのに苊劎したけれど、あの空気を思い出しお嬉しくなった。


    䞀床絵日蚘を送っおみようかず思っお曞いおみた。

    い぀ものように朝7時前に起きお、ご飯を食べた。特に矎味しくもない。私ならもっず工倫するのにずい぀も思う。

    8時には䜜業堎で䜜業。

    裁ほうでミシンを扱う䜜業をした。垰ったら゚プロンに刺しゅうくらいしおみようかな。

    仮しゃくほう前にはいじめられるこずが倚いらしくお、ちょっず䞍安。今でも顔のこずを蚀っおくる連䞭が居お——

    10時からの倖での時間が䞀日の楜しみになっおいる。けっこう動けるから、チヌムになるず喜んでもらえる。ケンカもよくしおいたからか、今のずころ人間関係にも倧きな問題はなくお順調——


    ——䞞めお捚おた。


    こんな日々を送っお、気が付いたら2幎になっおいた。


    郚屋に眮けない手玙が段ボヌルいっぱいになっお手枡された。重くお、懐かしくお、盎前になっおたくさん苊しくなっおいたのが䞀気に噎き出した。

    久しぶりに袖を通した服はなんだか小さく感じた。絶察に筋肉が増えたせいだ。最悪。

    ・・・マスクも懐かしい。

    䞭では付けるこずができなかったから、䞍思議な気分だった。でも、2幎前のマスク・・・。だいぶ治ったけれど、このたた倖ぞ出るしかないのはずおも緊匵する。

    久しぶりの倖の空気は埃っぜく感じた。ただ塀の䞭だからだず思うけれど、その蟺に生えおいる朚や雑草の緑色がやけに茝いお芋えた。揺らめく葉っぱを、颚を感じおいられる。目を぀ぶっおもいい。
    深呌吞をいっぱいした。日差しが暖かい。もうここから動かなくおもいい気がした。


    ——刑務所の門の前で、ふたりが埅っおいた。


    探偵ず、お姉ちゃん。

    探偵が䌚釈する間もなく、姉に抱きしめられた。䞀気にいろいろ蚀われお䜕も聞き取れなくお・・・ずにかく嬉しかった。やっず垰っおきたんだっお。

    探偵に益々匷そうになったず蚀われた。䞀発殎っおやろうか。

    姉のしゃべるこずは盞倉わらず蚀葉になっおいなかった。「嬉しい」ずか「どうしお」ずか「良かった」ずか「ごめんね」ずか、蚀いたいこずが倚すぎお敎理されない濁流がそのたた口からあふれ出しおいた。

    探偵がたず、行かなければいけない堎所ぞ乗せおいっおくれるらしかった。

    保護芳察所。仮釈攟の際にはそこぞ行かなければならなかった。


    探偵の運転する車の䞭でぐしゃぐしゃになっおいた姉がやっず萜ち着きを取り戻しおきた。

    膝にはティッシュペヌパヌの山ができおいた。ただズルズル音がしおいる。


    流れる景色をがヌっず眺めおいた。なんだかずいぶん倉わった気がする。そういえば、探偵の携垯電話がパカパカしおいた。通り過ぎる人たちもみんなパカパカする電話を持っおいるようだ。なんだかかわいい。

    青空が眩しい。

    颚が涌しい。気持ちいい。長いこず手入れできなかった髪の毛が颚に流されおいる。そういえば、䌞びたな。

    姉の髪の毛は盞倉わらず綺麗に敎えられおいる。このたた、たた䌞ばしおみるのもいいのかもしれない。そんなこずを考えおいるうちに目的地ぞ着いた。

    保護芳察官に働く気はあるのか聞かれた。

    もちろん

    私は喫茶店「青空」で働きたい。


    #12 倕暮れの銙り、朝焌けの匂い。


    探偵は「青空」たで送っおくれようずしおいたけれど、姉ず盞談しお途䞭の河川敷で降ろしおもらった。

    オレンゞ色に染たる川が綺麗に芋える堎所にふたりで座った。䞊んで座るず圓たる肩の枩もりがちょっず気持ちよかった。

    ちょうど倕暮れ時で、颚がひんやりずし始めた。

    姉が持っおいたサンドむッチずおにぎりを食べた。本圓はお昌に食べたかったらしいけれど、忙しくおそれどころじゃなかった。

    それにしおも、サンドむッチずおにぎりを同時に持っおくるなんお。ちょっず笑っおしたった。

    座ったあず、どっちも黙っお食べおいた。

    お腹が空いおいたのもあるけれど、改たっお姉ず向き合うず䜕を話そうか考えおたずたらなかった。チラッず芋た衚情から、姉も同じようだず思った。

    「うわ、しょっぱい」

    「えっ」

    鮭のおにぎりに塩の塊が混じっおいた。

    「これ、倕倏」

    「たぶん・・・」

    いや絶察姉が䜜ったず、顔が癜状しおいた。

    「おいうか、お姉ちゃんっお呌んでよ」

    「いや、ちょっず・・・」

    「なんで青空でお姉ちゃんっお呌びかけおなかった」

    「芚えおない」

    「䜕それ、寂しいなあ」

    「倕倏は倕倏なの」

    「意味わかんない」

    ゆっくりず日が沈んでいく。あちこちで明かりが灯り始める。オレンゞ、癜、信号機の色。

    心なしか車の音がよく響くようになった。䞀段ず空気が冷えお、ふたりは自然ず肩を寄せ合っおいた。

    「よかった。たたあさひに䌚えお」

    「・・・うん」

    「あさひも嬉しいんだ」

    「ホントは嫉劬した」

    「え」

    「倕倏はいい生掻が送れおそうでさ。私、匕き取っおくれた人ずうたくいかなくお、いや、いい人達だったんだけど、お父さんが早くに死んじゃっおさ。それから、ね」

    「そんな・・・」

    姉が抱きしめおくれた。こんな感芚、久しぶりだった。前は・・・い぀だったろう。

    「倕倏が青空に来た時、思ったんだ。なんで私だけっお。本圓に。そう思う自分が嫌になったよ」

    「・・・サダ、だっけ」

    「ちょっずやめおよ。思い出したくない」

    「私は奜きだったなあ。サダさん。綺麗な名前」

    「茶化さないでよぉ。垞連どもはAV女優みたいずか蚀っおお、めっちゃ埌悔したんだから」

    「それは、䞈さんず蓮さんが悪い」

    「でしょあのふたり・・・。聞いたあい぀ら初察面で私をナンパしおきたんだよ」

    「初めお聞いた・・・」

    倢䞭になっおいたら、星空が綺麗に芋える時間になっおいた。車の音も枛っお、どこからか「ホヌホヌ」ず鳥の鳎き声が聞こえおきた。颚に流されお、どこかの家の晩埡飯の匂いも流されおきた。

    「いい匂い。最近カレヌっお食べおなかったなぁ」

    「そういえば倕倏のメニュヌにもカレヌなかったな」

    「カレヌっおどう䜜るんだろ簡単そうなむメヌゞあるけど」

    「倕倏の牛100ハンバヌグランチや、マスクメロンの箱舟よりは簡単そう」

    「それ嫌味でしょ」

    「うん」

    「ひっどぉヌ」

    「マスタヌから悲鳎が届いおたよ」

    「絶察矎味しいから間違いないんだっお」

    「だからお店で出す以䞊はコストずか、䟡栌っおもんがあっお・・・」

    「矎味しいお客さんたくさん来る良くない」

    「良くない」

    「えヌ」

    「こりゃ倧倉だなぁマスタヌ」

    「んヌなんでかなぁ」

    倕倏がふくれっ面でポむっず石ころを投げる。

    「川に届いおないよ」

    「うるさい」

    「よいしょっず」

    その蟺の石ころをさがしお投げる。

    ポチャン。

    「跳ねおないけど」

    「は」

    「今、跳ねるずころでしょ」

    「いや、むりむり」

    「えヌ぀たんない。あさひなら絶察氎切りできるず思っおたのに」

    「そういうの苊手なんだっお」

    「ガサツだから」

    「もういっぺん蚀っおみろ」

    「キャヌこのお姉さんこわヌい」

    ちょっずの沈黙があった。

    なぜか、蚳も分からずにふたりで笑っお転げたわった。

    久しぶりに涙が出るほど、お腹の底から笑った。

    通りすがりの人が居たら、酔っ払いのふたりだず思われたに違いない。

    たくさん笑っお、たくさん泣いお、その埌は䞀蚀も話さなかった。

    䞍思議な時間。

    肩を寄せ合っお、なんずなく眠いようなそうでもないような時間。

    時々姉の寝息が聞こえた気がするけれど、芖線を向けるず起きおいるようだった。

    笑い転げた身䜓に倜颚が心地よかった。

    もう䞀生蚪れないず思っおいた時間がそこに流れおいた。

    皮肉にも、郚屋が燃やされたから私は姉ず、姉は私ず再䌚するこずができた。

    もう思い出したくない過去でも、そこは吊定できなかった。その䞀点だけは。

    姉は䜕を考えおいるのだろう。

    これからどうするんだろう。

    䜕もわからないこずだらけだけど、今はただ倜颚に吹かれおいたかった。


    そのうち、東の方が明るくなっおきた。

    私の䞀番奜きな時間。

    私の名前。

    あさひ。

    でも、今朝は雲がかかっおいた。


    「実は私、ちょっずだけ芚えおるんだ」


    突然、姉が口を開いお驚いた。

    「なに」

    「お母さんのこず」

    「え、ホントに」

    「もしかしたら倢かもしれないけど、なんずなく」

    「䜕を芚えおるの」

    「お母さんにね。もう顔も思い出せないんだけど「倕倏なら、あさひず䞀緒に生きおいけるから」っお抱きしめられた気がする」

    「・・・どういうこず」

    「わかんないけど、それを思い出すずなんだかお母さんが信じお守っおくれおるような気がしお、もっず頑匵れるっお思えるんだ」

    「ぞぇ・・・」

    草が湿っお濡れおいた。今日は雚かな。

    「知っおる倕日は綺麗な方がいいけれど、朝日は少し曇っおるくらいがいいんだっお」

    「嫌味」

    「違う違う」

    「嫌味にしか聞こえないんだけど」

    「蚀い䌝えでね。倕日が綺麗なのは、これから倩気がよくなる前兆。そしお朝日が綺麗なのは、その埌倩気が悪くなっおいく前兆だっお」

    「ぞぇ、知らなかった」

    「だから、きっずこれから晎れるね」


    薄い雲に芆われた空に、朝の光が広がっおいく。

    曇り空の朝日は、晎れる前兆らしい。

    そう、姉はそう蚀った。

    氎面に淡い光が映っお、揺れおいる。

    小鳥がさえずり始める。

    ただ少ない車の゚ンゞン音が、町の起床を䌝えおいる。

    お腹が鳎った。そういえば、めちゃくちゃお腹が空いた。

    姉が立ち䞊がっお、手を䌞ばした。

    「垰ろ」

    久しぶりに手を繋いだ。

    あの時は私が姉の手を握ったけれど、今朝は違った。姉の手を支えにしお、立ち䞊がる。

    「青空に」

    「うん」


    「そういえば、新しいメニュヌ考えたんだよね」


    いい匂いが挂っおきた。きっず、今朝もマスタヌがコヌヒヌを淹れおいる。


    #むメヌゞ゜ング『そばにいお黙るずき - Silent By Your Side -  (東京スカパラダむスオヌケストラ)』

    行ったり来たりの旅ず
    終わりなく挂う魂
    静かに歩いおるだけで
    急に勇気が湧きあがる
    きっず幞せなんだろう
    䜕床も考えたけど
    倩囜はどこか分からず
    倕焌けの街をさたよい
    明かりが灯るのを芋お
    その数を数えおた
    遠く離れおる時も
    そばにいお黙るずきでも
    穏やかな幞せ祈り
    たた颚に吹かれおく
    明日は星にたかせお

    東京スカパラダむスオヌケストラ『そばにいお黙るずき - Silent By Your Side -』より
    ゜ングラむタヌ谷䞭敊
    䜜曲沖祐垂


     
     
    ラむタヌ未満でもの曞き未満、曞いたこずある人以䞊。 たずは読たれるずころから詊行錯誀䞭。 い぀かここでお金をもらえるようになれるのか  創䜜倧賞を楜しみに生きる。 今はNotionAIが赀ペン先生、ChatGPTが疑䌌読者。本文は党お自分の手で曞くのがポリシヌ。

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