
消えていく風景、作り出していく風景
当たり前のように目の前にある景色。
それは、当たり前のようで永遠じゃない。
今年の4月、それを強く感じる出来事があった。
我が家は結構な田舎だ。
周囲には民家がそれほどなく、近くには畑や森が広がっている。
街からはやや遠く離れているが、その分自然に囲まれ、騒音とはほぼ無縁の生活を送っている。
聞こえるのは風の音、虫の声、鳥のさえずり。
時おりはるか遠くにやんちゃなエンジン音が聞こえることもあるが、虫の声と大差ない程度だ。
リビングからは森が見える。
森の多くは杉林だが、いくつか広葉樹もあり、その中には2本ほど山桜が混ざっていた。
その桜は、自然に芽吹いたものなのか、それとも地主さんが植えたものなのかはわからない。
だが、一本はソメイヨシノとほぼ同時期に、もう一本はソメイヨシノが散り切った頃に満開を迎える。
贅沢なことではあるが、我が家では3週間ほど、リビングから華やかな薄紅色の景色を楽しむことができていた。
この地に引っ越してきてから12年間、それは毎年変わることはなかった。
木の大きさから、樹齢は30年以上経ってるのではないかと思う。
その景色が、一変してしまった。
4月半ば、突然その森に重機が入り出した。
チェーンソーの音、ブルドーザーの振動。
平日の日中だけではあったが、静かだった空気が打ち破られ、突然何かが始まった。
最初は除草作業でもしているのかと思っていた。
だが日を追うごとに、徐々にそれらの意味しているものを目にすることになった。
森が、切り倒されていく。
全ての樹木というわけではないが、気づいた時には相当数が失われていた。
その中には、あのソメイヨシノと同時期に咲く山桜も含まれていた。
「えっ…あの桜、切る必要があったの…」
誰かに答えを求めたわけではない。
しかし、理解ができぬその光景に、思わず声が漏れていた。
うっそうと木々が茂っていたその森は、気づけば地面に陽の光が差し込むほどに刈り込まれていた。
もう一方の山桜に目を向けると、そちらは遅咲きのせいかまだ満開で、今年も薄紅色の花を一面に咲かせていた。
無事だった。
きっと、きっとあっちの桜は大丈夫。
自分にそう言い聞かせた。
──数日後。
花びら舞い散り始めたその山桜も、散り終わるのを前に伐採が始まった。
まるで大切な友人が倒れていく姿を、リビングからガラス越しに見せつけられているような光景。
心が痛んだ。最後まで見ていられなかった。
俺は、リビングのカーテンを閉めた。
数時間後、再びカーテンを開けると、我が家の景色から薄紅色は姿を消していた。
《当たり前》は、もうそこにはなかった。
伐採をしていた業者の人は悪くない。
依頼を受けた仕事をやっていただけだ。
業者に依頼をした地主の人も悪くはない。
恐らく、間伐や道路への倒木防止だったのだろう。
森を正しく管理するためには、間伐が必要だ。
通行人や車両に被害を出さないためには、危険な樹木は伐採しなければならない。
あそこの土地は、俺のものではない。
毎年見ていた山桜は、俺のものではない。
頭ではわかっている。
わかってはいるけれども…!
消えてしまったその景色に、しばらく納得はできなかった。
──さらに数日後。
俺はホームセンターで、あるものを買ってきた。

旭山桜。
この桜を、リビングと失われた薄紅色を結ぶ線上に植えた。
うちの庭は広くない。
ソメイヨシノや一般的な山桜のように、大きく育つ桜の木を植えることはできない。
この桜は成長しても2m前後しか伸びず、ソメイヨシノよりもやや遅れて咲く品種だ。
「一才桜」の別名を持ち、一年目から多くの八重の花を咲かせるらしい。
うちの庭にちょうど良いサイズ、そして花開く時期も同じ頃。
この桜を、大切に育てていくことに決めた。
適切に管理すれば、数十年生きるらしい。
長ければ、俺の寿命よりも生きてくれるかもしれない。
消えてしまった風景の代わりではない。
来年の春、この桜が薄紅色の筆を乗せる。
リビングのキャンバスに、新しい風景を描くように。
変わらないものはない。
だけど、自らの意思で変えていくこともできるんだ。
来年の景色を、今から楽しみに待とうと思う。