
記憶の中のあの体温
別に特別ヘコんでいるわけではないんだけど、いつだって死に方を考えてしまう。
「過去こうやって人が死んだ」という情報を、きっと人より強く覚えている。
お祭りの綿あめだかチョコバナナだかの串を咥えたまま走った子どもが転んだ拍子に、、という事故の話とか。
悲しい話ばかり思い出して悲しい気分になっている。
私は音楽が好きなのだけど、特に「6月」とか「梅雨」、「紫陽花」なんて歌詞が出てくる曲には特に惹かれてしまう。
そういった曲の大体は、自分が死のうとしているか、死んでしまった大切な人を思い出しているか、そのどちらかが多い、と私は思っている。
私のプレイリストにはそういう曲が多いのだ。
私は中学生の時に同級生を亡くした。
その子は小さい頃からずっと病気で入退院を繰り返していて、頑張って、頑張って、ついに亡くなってしまった。
彼は入院している期間が長かったので、一緒に過ごした思い出は少ない。それが悔しくて悲しい。
同級生の訃報を知ったのは秋だったが、私は春も夏も冬も彼を思い出している。
関係性が薄かったのでお墓は知らない。それも悔しくて悲しい。
その同級生が亡くなった2年後、今度は祖父が他界した。
その時の私は拒食の症状が強く体を動かすのもままならなかった為、遠方の病院で過ごす祖父を見舞うことが簡単にはできなかった。
当時のことは、ほとんど全部のことを覚えていない。しかしひとつだけはっきり覚えているのが、弱っていく祖父の手の冷たさだった。
私は人の死が怖い。多分ほかの人よりも実感を持って怖がっている。
ちょっと元気がなくなると、いつだって冷たい手を思い出す。
トイレから出る時、玄関のドアを閉める時、靴を履く時。本当にいつも。
この時期はどうしたって悲しい曲を聴いてしまう。
今日も街では紫陽花が雨に打たれている。