
あの子は戦友
友人の結婚式に行ってぼろ泣きした。10年近く会っていなかったのにだ。その子との関係性を知らない子には「そんなに会ってなかったのによくあんなに泣けるね」と不思議そうな顔をされてしまったけれど。
でも仕方ないのだ。あの子とは戦友だから。
中学時代の友人なのだが、当時の中学は、歴代トップクラスに荒れてた学年で、最も荒れたクラスだった(らしい)。廊下の窓ガラスは基本何枚か割れてて、3枚とかになると「今ちょっと多めだな~」みたいな感じだし、パトカーも来るし、校舎の中をチャリかバイクで走った人がいて、朝来たら廊下にタイヤ痕が残ってたりって感じだった。当時の友人と笑ってこの思い出話をしていたら、別の中学だった人はけっこうちゃんと顔がひきつってたから、多分普通より荒れていたんだと思う。
でも当時は、その環境がほかと比べて変なのかもわからなかったし、なじまないようにするほど、逆風に向かってふんばってるみたいな感じだった。荒れないようにするほど、私は頑なになり、心はすさんでいった。毎週のように学年集会とかいう連帯責任集団説教みたいのがあって、「お前らはひどい」「今までで一番最悪」とか言われ続けて、荒れてる人も荒れてない人もぼろぼろの状態だったから、あの時は本当にきつくて、どこにも逃げることはできなかった。
そんな中、結婚式を挙げた子と、わたし、そしてもう一人の三人組は、その世界を生き延びるための戦友だった。友人はわたしのことを「命の恩人だから」と言ってくれたけれど、わたしにとってもふたりは命の恩人だった。荒れ狂う学校の中でもげらげら笑えて、それでいて茶化されないということは、正気を保つことに本当に必要だった。
命の恩人だと言ってくれたが、わたしはその子がどんなことで悩んでいて苦しんでいたのかよく覚えていない。だから本当に救った覚えはないのだけど、でも何年も会えてなくても、これからも何年も会えないとしても、ふたりが少なくとも”今日”は幸せなのだということが見られて嬉しかった。(結婚式の主役ではなく、参列した友人と合流して顔を見た時点でちょっと泣きそうだった。)
そういう風に思えるのはやっぱりふたりが戦友だからだ。「よくそんなに泣けるね」と言われてしまったんだ~と話したら、神妙な顔で「あの時間を一緒に生きていたら仕方ないよ」とつぶやいた顔が忘れられない。
わたしたちの中には、確かにあの時代の苦しさは刻み込まれている。
だけど同時に笑って話せたってことはもう随分”距離”がとれたんだなあとも思った。
笑い飛ばせるって、引き離せることだと思う。
ネタにできるということは、距離をとって、観察ができるということだ。飲み込まれていたものを手のひらに載せて、こちらが観察者になる。(たとえば、ラランドの「お母さんヒス構文」もそうだと思う。)飲み込まれているという”従”の立場から、観察するという”主”の立場になることができるのだ。
笑い飛ばせないとしても、言葉にしようとすると客観視ができるようになる。「苦しい」「つらい」というときも、これはネタになるなと思えると、感情に溺れている自分を斜め上から見ているもうひとりの自分が出現する。
そいつがなんとかぐじゃぐじゃなままの感情を文章という規律正しく並ぶ文字に整理しようとする。
悲しいことがなくなったら書くことが無くなるのではないかと不安になることはあるけど、生活の全てを覆っていた学生生活が遠い記憶になっても今も悩み事なんてのは途切れずに湧いてくるものなので、どうせ今の悲しみがなくなっても悩み続ける人生なんだと思う。
どうせ悩む。二人と傷をなぐさめ合うことはもうないかもしれないけれど、でも私の悲しみなんかとは関係なく、二人には幸せであってほしいと思う。