
短編小説『音を売る雑貨店』| お人好しの店主と、店に集う人々の物語
古びた商店街の1番端。その雑貨店で買い物をする人は、ほとんどいない。夏のはじまり、7月に入ると、金井雑貨店は店先に、風鈴を売り始める。
「音だけ聞きに来るなんて、ひどいやつだなぁ。」
雑貨店の店主、金井進二が、店先に座る誠に言った。
「音聞きに来るくらいなら、風鈴買ってくれりゃあいいのに。」
「そんなこと言うなら、椅子なんか店先に出さなきゃいいのに。進ちゃんも人が良いんだから。」
雑貨店の前には、ベンチが1つと椅子が2つ、並べて置いてある。風鈴の音を聞きに来る人がいるからだ。その人たちは決まって、買い物はしない。幸か不幸か、雑貨店のほど近くにはコンビニエンスストアがある。人々はそこで、飲み物なりアイスなり買ってきて、雑貨店の前の椅子に座って過ごす。
「まこっちゃんさぁ、毎日ここに聞きに来るより、買った方が楽なんじゃないの?」
「こんな歳から、家に物増やしても困るんだよ。いつお迎えが来たっておかしくないんだ。」
誠は今年で87歳。3歳年上だった妻に去年先立たれ、今はひとりで暮らしている。
「それにしたって、毎日通うって、ちょっと多すぎやしないかい?」
風鈴を売り始めてからというもの、誠は毎日この店先のベンチに座っている。誠は5年ほど前までは、向かいの店で篠原古書店という古本屋を営んでいた。と言っても金井雑貨店と同じで、買い物をしていく人などほとんどいなかった。たまにふらっと人が入っては、立ち読みだけして出てゆく。そんな感じだった。5年前、妻の幸代が病気になったのを機に、店を閉めた。
「幸代がな、いるみたいなんだよ。こうやって座って風鈴の音聞いてると。幸代な、風鈴が好きで、夏どころか5月くらいから縁側にかけてた。幸代がいた頃は1年の半分は風鈴が出てたな。」
「まこっちゃん、その話今日だけで3回目。」
「あれ?まあ何度話したっていいじゃんか。」
誠は軽い認知症だ。人の名前は忘れていないけれど、何を話したか、何を食べたか、どこに行ったか、すぐに忘れてしまう。幸代がいた頃に出していた風鈴も、どこにしまったのか忘れてしまったらしい。それでも、幸代との思い出は絶対に忘れない。こうして1日に何度も話す。それだけ、妻がいなくなった心の穴は大きいのだろう。進二は、煙たがるようなことを言いながら、毎日誠を見守っていた。
「おい!小僧!」
店の中に戻っていた進二の耳に、誠の怒鳴る声が聞こえた。慌てて店先に出ると、追いかけようとしたのか誠が通りに出て立っている。
「どうしたの?」
「小学生くらいの小僧がな、風鈴、1つ盗みやがった。」
聞くと、ぼんやりと商店街を眺めて座っている間に、向いていた方とは反対側から来て盗んでいったらしい。風鈴の「チリン」という音で気がついたが、小学生の素早さには敵うはずもなく、とり逃したとのことだった。
「進ちゃん、ごめんな。俺がもっと走れたらな。」
「仕方ないよ。どうせひとつも売れやしないんだ。大丈夫だよ。」
進二は、残念ではあるものの、そこまでしてうちの風鈴が欲しい子どもとはどんな子だろう、と考えていた。進二自身も今年81歳になる。今さら店の売り上げなど、当てにはしていない。取り逃したと落胆する誠の背中を、たださすっていた。
次の日も、誠は店先のベンチに座っていた。持参した銀色の水筒から、よく冷えたお茶を水筒の蓋になっているコップに移して飲んでいた。
「今日は暑いね〜。」
コップに注いだお茶を飲み干して、誠が言った。
「そうだね、いよいよ夏本番ってとこだね。」
今日もお客は誰もいない。時折、アイスを片手に、近所の爺さん婆さんが店先の椅子に座りに来るだけだった。
「キヨさん、そんな硬そうなアイス食べて、あんた歯が丈夫なんだねぇ。」
椅子に座りに来た、商店街に住むキヨに誠が話しかけた。
「あたしゃ歯だけは丈夫なんだよ。頭は全然ダメだけどね。」
キヨはそう言って自分で大笑いした。
「羨ましいねぇ。俺なんて入れ歯だらけだよ。」
2人は店先で世間話を続けていた。
「あ!進ちゃん!進ちゃん!」
突然、誠が大声進二を呼んだ。
「どうしたの、まこっちゃん?」
「この小僧だよ。昨日風鈴を盗んだの!」
誠は、怒りを隠しきれないという声色で言った。進二は、誠が昨日風鈴が盗まれたことを覚えていたことに驚いた。誠にとって、よほど印象に残る出来事だったのだろう。その少年は、手に風鈴を持っていた。
「ごめんなさい。」
少年は手に持っていた風鈴を、進二に渡した。
「どうしてなんだ?」
「お母さんが、返してこいって。盗むなんて最低な人間のすることだって。」
少年は泣きそうな顔で言った。
「そうじゃなくて。どうして盗んだりなんてしたんだ?」
少年は目に涙をいっぱい浮かべて話始めた。
「お母さん、病気で、ずっと入院してて、風鈴好きなのに、今年は見れないから。去年の夏は、ここにお母さんと聞きに来てたんだ。暑いのは嫌いだけど、風鈴の音が聞けるから夏は好きだって、お母さん、そう言ってて。だから、聞かせてあげたかったんだ。」
少年はポロポロと涙を流した。
進二は、先ほど返して貰ったばかりの風鈴を少年の手に握らせた。
「え?」
「お母さんに、聞かせてあげな。」
「でも、お母さんにお金払わなきゃダメだって。でも僕、お金これしかなくて。」
少年はポケットから小銭を取り出した。数えると、176円。風鈴の値段には、遠く及ばない。
「じゃあ。」
そう言うと進二は、少年の手から10円玉を1つだけ取った。
「特別大セールだ。10円でいいよ。」
「え?ほんとにいいの?」
「ああ、それはもう、君が自分のお小遣いで買ったものだ。お母さんに持ってってあげな。」
少年は嬉しさと、戸惑いが混ざった表情で進二を見た。
「でもね、ものを盗むのはいけないことだ。もう二度としちゃあいけないぞ。」
「うん。もう二度としない。」
進二はニコッと笑って、少年の頭を撫でた。
「それならいい。早く持って行ってあげなさい。今度は胸を張って、自分で買ってきたんだってお母さんに言うんだよ。」
少年は嬉しそうに笑った。
「うん。ありがとう、おじさん。」
そう言うと少年は急いで走って行った。
少年の背中を目で見送ると、誠が立ち上がって言った。
「なにもあの小僧にくれてやらなくても。盗みをするような子に、美味しい思いさせちゃあいけないんだよ。」
「大丈夫。あの子は優しい子だ。もうそんなことしないさ。それにくれてやっちゃあいないよ。ほら、ちゃんとお代は貰ったさ。」
進二は10円玉をつまんで持ちながら言った。
「大赤字じゃないか。」
誠は呆れたように言った。
夕方の湿った風が商店街を抜けていく。今日、今年初めて風鈴が売れた。お代は10円。上がりなんてありゃしない。それでも進二は、満足気な顔をして店に立っていた。
「進ちゃん、椅子かりるよ〜。」
八百屋のトキがそう言って椅子に座った。
「座るだけじゃなくて買ってけってんだ。」
進二は呆れながら、でも笑って言った。
「トキちゃん、なに飲んでんの?」
「これかい?シー、ク、ワーサー、ソーダ、だってさ。ハイカラなもんだけどね、飲んでみようと思ってさ。」
「へぇ。変わったもんがあるねぇ。」
誠とトキは世間話で盛り上がっていた。
「そうだ進ちゃん。」
誠がそう言った。
「なんだい?」
「ここ、音を聞きにくる人から、金取ってみたらどうだい?店のものは全然売れやしないんだ。何十円でもさ、貰ったらいいんだよ。席代としてさ。」
誠は名案だ、という風に言った。進二は笑いながら返した。
「なんだい、今さら。そんなことしたら、まこっちゃんは一体いくら払ったらいいんだよ。」
「そりゃあ、そうだけど。音を売る雑貨店ってのも、なかなか洒落てるだろ?」
「音を売る雑貨店か。」
進二は、店先に並ぶ風鈴と椅子をちらりと見た。
「そうだなぁ。だったらこれだ。」
進二は、誠とトキの頬をちょんと指で触った。
「この顔がお代だ。あんたらが笑っててくれたらな、それがお代だよ。」
「進ちゃんはまったく、どこまで人がいいんだか。」
金井雑貨店の店先は、今日も風鈴の音と、笑い声が響く。買い物をしていく人は誰もいない。でも、そこに座る人は皆笑顔になる。音を売る雑貨店は、今日も大繁盛だ。