
私が相続から受けとったもの|#3-005| 叔父がくれた「人生の片づけ方」
叔父の死を通して、
私が向き合うことになったのは、
“死に方”ではなく、“生き方の終い方”だった。
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相続の手続きと聞くと、
煩雑で、
心がすり減るものだと思っていた。
けれど、
叔父の場合は、少し違っていた。
驚くほど、
迷いなく、
必要なことが終わっていった。
役所の中をいくつも回り、
確認や申請を重ねながら、
それでも手は止まらなかった。
叔父が残していた資料は、
すでに整えられていて、
判断に迷う場面が、ほとんどなかった。
手続きを終えるたび、
職員の方が、
「きちんとされていたんですね」 と、口にした。
その言葉を聞くたび、
私は、
胸の奥が静かにあたたかくなるのを感じていた。
叔父は、
自分の人生を、
自分で整えていた人だったのだと思う。
何も多くを残さない、という選択。
先回りして困らせない、という配慮。
誰にも頼らず、
でも誰かに負担を残さない、
という覚悟。
それらは、
声高に語られたものではない。
けれど、
遺された側の心まで、
そっと整えてくれていた。
たくさんのモノを残すことが、
必ずしも、想いになるわけではない。
姿勢や配慮が、
記憶として残ることもある。
人生をどう終えるかは、
その人が、
どう生きてきたかと、
きっと深くつながっている。
叔父の生き方は、そう、静かに語っていた。
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叔父が残したのは、
片づけられたモノではありませんでした。
自分の人生に、
どこで区切りをつけ、
どう手放していくかという、
ひとつの姿勢でした。
それは、
「いつかのため」の話ではなく、
「いま」をどう生きるか、
という問いにも
つながっている気がしています。