
父と珈琲
南の島で、美容師だった父は大工に転職し、雑貨屋をしたいという母のために小さな小屋を建てた。木造で、トタン屋根。かわいいドアもついていた。隣には家族4人で住む、狭くてボロいコンクリートの二階建ての家があり、小屋はその家と繋がるようにして建っていた。私たちはいつも、コンクリートの2階の窓から、小屋のトタン屋根にうつって、寝転んで星空を見上げたり、おにぎりや採れたてのシークワサーを食べながら、絵本や聖書を読んだりした。父と母と8つ上の姉は、父が淹れたブラック珈琲を飲んでいたけれど、7歳の私は苦くて飲めず、ミルクと蜂蜜がたっぷり入った珈琲牛乳を飲んでいた。早く大人になりたいと思っていた。
母はローラ・インガルスの「大草原の小さな家」が好きで、お金がなくても豊かに生きることを実践する人だった。ただのお水をワイングラスに入れて飲んだり、ただのキャベツを白くて大きな皿にちょこんと盛り付けたりした。家の中には父がベニヤ板で作ったベッドがあり、そこには母から「天蓋」と称されたカーテンがかけられていて、私たちは、貧乏だけど貴族のお金持ち風の暮らしを再現して遊んだ。
父が建てた小屋では、母が作ったトールペイントの雑貨が売られていた。お客さんが来て嬉しそうに帰っていく。島で初めてのフリーマーケットも開催した。私はレースのカーテンとピンクのリボンを体に巻き付けてお店番をしたりして、わくわくしていた。学校ではひとりでガジュマルの木で遊ぶ変な子だったけれど、家に帰れば居場所があった。
小学校1年生の、初めての運動会の日のこと。
わたしはかけっこでビリになった。クラスメイトはわざわざ家の前で「足が遅いあおまる〜!」と叫んで帰ったりした。ほんとうは傷ついていたけれど、家族には「だいじょうぶだよ」と伝えていた。
そんな私を見た父は、大工の仕事が終わった後、毎日毎日、小学校のグラウンドに連れて行ってくれ、走る練習に付き合った。指導するわけでもなく、ただ一緒に、にこにこしながら、前でも横でもなく、後ろを走っていた。とっても遅いのに。
毎日毎日、一緒に走ってくれたからか、数ヶ月後の持久走大会で、私は、「足が遅いあおまる〜!」と叫んで帰った子を抜き去って、前の方へいくことができた。終わったあと、父はまたニコニコ笑って「がんばったやんか」とだけ言った。
父のセリフを書こうと思っても、声を荒げたことのない、ほんとうに静かな人だったから、書くセリフがあまりない。
話さないけれど、ちゃんと、大切にされていることは感じ取れていた。
美容師だった両親の、仕事用のかみそりを私が触ってしまい、指を切った時は、その小さな指にティッシュ、キッチンペーパー、ハンカチ、タオルを巻き、その上から私をタオルケットと毛布にくるんで抱き抱えて病院へ走っていき、看護師さんたちに大袈裟だと笑われていた。
中学生になり、母が長く続く病気になった時には、しょっぱいおかか弁当を作ってくれたし、誰にも相談できずに32歳で離婚した時は母と飛行機で飛んできて、一緒に泣いた。父の涙を見たのは後にも先にもその日だけだ。
だから言葉がなくても「愛」を感じられた。
そんな両親が好きだったのだけれど、以前からどうしても信念が違うと感じていて、何年も、悩んで悩んで、「もう同じものを信じることはできない」と伝えた。まわりが動揺して、反対したり見放したりする中、父は、「あなたが決めて、あなたを生きていきなさいね」と伝えてくれた。心から救われた。
家族からも友だちや仲間からも離れ、自分ひとりで立って、生きていくことを決意して、鬱状態になりながらも国の制度を使って短大へ行き、再婚をして、就職をして3年がたった頃、両親と久しぶりに3人で会ってお茶をした。
普段あまり自分から口を開かない父が、母がトイレに行ってシーンとしている間にポツリと、「今の仕事、何年なる?」と聞いてきた。「3年かなぁ」と答えると、「えらいやんか。がんばりね」とまたポツリ。当時37歳の私は、その頃、年齢からすれば中堅なのに、まだ入職して3年で経験も技術もない自分に悩んで、しんどくてたまらなかった。だけど、また、父の言葉に救われた。わたし、えらいんだ。まだ3年じゃない。もう3年もがんばってるんだ。
多くを語らない優しさは、時に、誰かを強くする。たった一つの言葉が、誰かを生かすことがある。
なぜ父のことを書こうと思ったかというと、神戸にあるyocoron珈琲のオーナーさんの、父の日限定の珈琲の記事を読んだからだ。読んですぐ珈琲を買いに出かけた。大切な人に大切だと伝えられること。言葉にしなくてもそばにいられること。それがどんなに尊いことか。離れてみて、余計にそう感じる。
私はまだ、ミルク入りの珈琲を卒業できずにいて、こうして父との穏やかな記憶を思い出す時、父のような人になりたいと願い、決してなれない大きな存在を想って、笑みがこぼれる。
きっと今日も朝からせっせと畑仕事をして、母のために、珈琲豆をひいているのでしょう。
会いたいよ、父。