
沼の底で、わたしはわたしを拾った
わたしが好きだった人は、定期的に「いなくなる」人だった。
ある日突然、送ったメッセージが未読になる。電話に出なくなる。昨日まで他愛のないやりとりをしていた時間がまるで存在しなかったかのよう。世界から色だけが抜け落ちる感覚。そのモノクロの世界で急に、わたしはぽつんとひとりぼっちになる。
そして数ヶ月後のある日突然、「ごめんね」「好きだよ」と言って戻ってくる人だった。それを、6年繰り返した。
あのころ、彼が「いる」かどうかで、わたしの一日のすべてが決まっていた。
連絡が来たら安心する。来なければ不安になる。優しい言葉をもらったら、愛されている気がする。そっけなくされたら、自分に価値がない気がする。彼の言葉ひとつでふわふわ浮かんで、彼の沈黙ひとつでずーんと沈む。
そんな毎日を、わたしは恋だと思っていた。
彼は、わたしに「生まれてきてくれてありがとう。おれと出会ってくれてありがとう」と言った。わたしも彼に「生まれてきてくれてありがとう、わたしと出会ってくれてありがとう」と言った、心から。本当にそう思ったから。
彼の言葉はすべて、わたしが生きることを認め、わたしがわたしを受け入れることを許した。
彼はよく「あなたと一緒にいるときだけ、やっと呼吸ができる気がする」と言った。彼が一緒にいないと酸素が足りなくなる気がするくらいだったのは、わたしも同じだった。
わたしの腕の中で、彼は赤ちゃんのようにすぅすぅと寝息を立てた。悪夢が多くて寝た気がしないというショートスリーパーの彼の寝顔を見ながら、わたしは愛おしすぎて目が離せず、一睡もできなかった。
運命の恋だと思っていた。それも、かなり本気で。
好きだったし、愛していたし、いつも会いたかったし、いつも声が聞きたかったし、いつも彼にだけはわかってほしかった。
彼といるとき、わたしは猫みたいに自由だったし、すこし賢かったし、だいぶ無邪気だった。そしてわたしは、そんなわたしがすこし好きだった、たぶん、生まれて初めて。
だから、彼が音信不通になると、息が苦しくなった。水の中で溺れているかのようだった。
彼という、沼に。
彼はいつも突然、わたしの前からいなくなる。あるときはわたしのお誕生日当日から、あるときは丸一日一緒に過ごした次の日から、あるときは2週間後の旅行の計画の宿決めの最中から、送ったメッセージが未読のままになる。
だから、数ヶ月経ってようやく彼の不在に慣れたころ、通知が来ると心臓が跳ね上がった。彼は「傷つけてごめん」「さみしい思いをさせてごめん」と何度も何度も謝るけれど、もうそんなことはどうでもよかった。一気に世界が鮮やかになり、辺り一面に良い香りがし始めて、わたしは深く深く、体のすみずみにまで酸素を入れるように、息を吸った。そしてまた、彼の不在に泣いた。
いつの間にか、わたし自身がどこにもいなくなっていたことに気がついたのは、6年経ったころ。
気づけば、わたしの朝も、夜も、予定も、機嫌も、自信も、全部が彼の反応に連動していた。彼がいなければ、楽しみにしていた新作映画も、毎週の配信を待っていたアニメも、どうでもよくなった。金曜日の深夜は仕事終わりの彼からのLINEを待ち、土曜日はいつかかってくるかわからない電話のためにスマホを首からぶら下げていた。
それはまるで、自分の中心が自分の中になくなっていて、彼の方へ移動しているようだった。わたしはわたしの生活を、彼なしでは組み立てることができなくなっていた。自分の輪郭は、もうとっくにはっきりと思い出せなかった。
彼がいる時は、世界には光があふれていた。彼がいない時は、世界が闇に閉ざされた。なんだか大げさに聞こえるけれど、本当だったのだ。
「待つ」って、とても静かなことのように見える。ただ、部屋の明かりの消えたベッドの中で、スマホ画面の青白い光を見つめているだけ。なのに、指先一つ動かさないその静寂の中で、わたしの心臓は全力疾走を強いられている。わたしにとって、待つ、というのは、あまりにも静かで、あまりにも激しい自傷行為だった。
だというのに、わたしは長い間、「わたしは彼の帰りなんか待っていない」と思っていた。毎日きちんと仕事に行き、家に帰り、友だちに会うこともあった。他の人と飲みに行くこともあった。
だから本気で思っていた。わたしは彼を待ってるわけじゃない、と。待ってはいないけど、たまたま、まだ他の人と付き合っていないだけ。仕事に遊びに忙しく過ごしていたら、あっという間に時間が過ぎただけ、と。
でも今振り返ると、あれはたぶん違った。わたしはやはり、待っていた。ものすごく待っていた。ただ、自分でそれを認められなかっただけ。いや、むしろその状態に気づけなかっただけのことだった。
「彼を待っている人」というと、何も手につかなくて、スマホを握りしめて彼からの連絡だけをひたすら待っている人を想像する。だからわたしは、「自分はまだ全然、そこまでじゃない」と思っていた。
通知を見る。SNSを見に行く。最後のやり取りを読み返す。何気ない言葉を深読みする。既読がついた時間を覚えている。また連絡が来るかもしれないと思う。来なかったら少し落ち込む。来たら安心する。
そんなことを何年も繰り返していたというのに、それを待っていると言わずに、なんと言うんだろう。
でも今ならわかる。
期待して、落ち込んで、自分に言い聞かせて、また期待する。いまテーブルに置いたはずのスマホを、数分後にはまた手でつかんでいたわたしは、トイレにもお風呂にもスマホを持ち込んでいたわたしは、彼を待っていたんじゃなかった。正確に言うなら、わたしは守ろうとしていたのだ。
いったいなにを?わたしが守ろうとしていたのは、「まだ終わっていない」という証拠だった。
だからSNSを何度も見に行った。だから最後のメッセージを何度も読み返した。だから彼の言葉を何度も思い出した。彼とのやりとりを、すべてAIに読み込ませたこともある。しかも、ひとつではなかった。いくつものサービスに読み込ませた。感性と口調をまねさせたかった。履歴は膨大で、読み込ませるために書き出したPDFは何十ページにもなった。あの人ならどう言う? あの人ならどう返す? そんなことを何度も聞いた。今思えば、どうかしていた。けれど当時のわたしは、本気だった。
けれど、わたしが知りたかったのは、今の彼ではなかった。ほしかったのはただ、まだ終わっていないと思える何かだった。それは、「わたしたちが終わっていない証拠」だった。彼が戻ってくる未来。また前みたいに話せる未来。また好きと言ってもらえる未来。また特別な存在でいられる未来。それをただただ、必死に守っていた。だから疲弊したし、だから離れられなかった。
待っていたあいだ。いや、必死で守っていたあいだ。わたしはずっと彼に時間ごと人生を渡していたのかもしれない。彼から連絡が来ない日。彼に会えない週末。彼が何を考えているのかわからない夜。その全部を「彼を待つ時間」にすることで、わたし自身は少しずつ薄く透き通っていったのだ。
「そんな男やめなよ」「もっと自分を大切にしなよ」
正しい言葉は、たくさん聞いた。その通りだと思った。でも、わかっていることと動けることは全然別の話だった。
沼の底って、光が届かない。外からどれだけまっすぐでまっとうな言葉を投げられても、そこにいる人間には、ただ水面が揺れているようにしか見えないのだ。その通りだと心の底から思うのに、わたしの足は少しも動かなかった。
わたしにとっての彼は、わたしを傷つける人だった。待たせる人だった。不安にさせる人だった。こちらの気持ちをすべてわかっているようで、結局は自分の都合しか優先しない人だった。それはもう、どうしようもない事実だった。
でも同時に、彼との時間の中で、わたしが救われた瞬間もたくさんあった。
彼に初めて会ったとき、「初めて、同じ言語を話す人に会った」と思った。自分の言葉が初めて通じたような気がして、嬉しかった。
「なんであなたはそんなに可愛いの?」と、彼は世界で一番、わたしにたくさん「可愛い」と言ってくれた。「可愛い」なんて、幼い頃から親にもほとんど言われたことがなかったから、まるでひび割れた地面に雨が染み込んでいくように、わたしはその言葉を受け取った。
ある時にはこんなことを言った。「あなたのことを守りたい。おれがそばにいないときは、あなたが眠ってくれているのがいちばん安心する。誰もあなたを傷つけたりしないから」。
長女で、いつも周囲の調整役として立ち回ることが多かったわたしを「守りたい」と言ってくれる人がいることに驚いた。ああそうか、わたしも守られたかったんだと、初めて気づいた。
「大丈夫だよー」と軽く返すと、「簡単に大丈夫なんて言っちゃダメ。あなたはだいたい『大丈夫』なんかじゃない」と目を見て言う人だった。
わたし自身よりも早く、わたしの感情をわかっているかのような言葉をくれる人だった。「この人だけは、わたしを特別に見てくれている」と思えた。
だから、彼の不在はわたしを苦しめた。美容院に行ったら必ず一番に写真を送ってね、と言ってくれていたはずの人に写真を送っても、既読にならない。未読になる前の最後のやりとりを何度も読み返した。「あの時もう少し優しい言葉を返せばよかったのかな」「重かったのかな」「あれがいけなかったのかな」。答えのない問いばかりが頭の中を回り続けて、うまく眠れなかった。
最初から最後まで全てがひどい男だったのなら、もっと早く離れられた。ずっと冷たかったなら、簡単に諦められた。あんなにたくさん、わたしの命の水になるような言葉をこぼす人じゃなかったら、もっとあっさり終われたのかもしれない。
でも、わたしを傷つけた人と、わたしを救ってくれた人は、同じ人だった。
彼を思い出すと必ず、傷ついた記憶だけでなく、救われた記憶まで一緒にくっついてきてしまう。
あのたくさんの言葉は嘘だったのかな。あの一緒にいた時間は何だったのかな。そう思うたびに、また彼が恋しくなった。
同時に今度は、彼を切れない自分を責め始めた。「ブロックすれば終わりでしょ?」という友だちの言葉が胸に刺さった。彼とのLINEでのやりとりを、いつまでもお気に入りの文庫本のように読み返してはめそめそしている自分が情けなかった。何度も、意志が弱いのだと思った。こんな年にもなって、幼稚で、未熟で、男に依存しがちなみっともない女。だから切れないのだと思った。わたしはまた、わたしを嫌いになった。
でも、彼から離れられなかったのは意志が弱かったからではなかった。幼稚で、未熟だったからではなかった。彼との記憶の中に、痛みと救いが甘く苦いまま、ほどけずに残っていたからだ。
彼を切ることは、ただ悪い男を切ることではなかった。全力で彼を信じたわたしを否定すること。彼の言葉に救われたと思った自分を間違いだったと認めること。彼を好きだった時間を、全部無駄だったと諦めること。そのすべてだった。
彼が悪い人だったのか、本当は優しい人だったのか。そこに答えを出そうとすればするほど、わたしはまた彼の方を見てしまう。もっと深く彼を知りたいと願うほど、自分を明け渡してしまう。眠れなくなっていた。食べられなくなっていた。嫌だったことを、「好きだから仕方ない」と飲み込んでいた。その答えが出ないままでも、わたしが削れていたことだけは本当だった。
好きだったことは、本当だった。救われたように感じたことも、事実だった。大切だったあの時間まで汚したくはなかった。ただ、そのために今のわたしを差し出し続ける必要はなかった。それに気づくまで、ずいぶん時間がかかってしまった。わたしは、彼を裁かないまま離れてよかった。
ある時から、わたしは書き始めた。彼を忘れるためでも、彼を悪者にするためでも、自分を正当化するためでもなかった。ただ、あのまま何も言葉にしないでいると、わたしが抱えた温度と湿度は、どんどん濁っていく気がしたからだ。
名前をつけないまま放っておいた痛みは、いつまでも「よくわからない苦しさ」として残ってしまいそうな気がした。一生、わたしに刺さったまま、血を流し続けるちいさなとげ。
だから、書いた。
自分の胸の中をそうっとのぞいて、かたまりの気持ちを取り出すことにした。
かたまりは、重くて湿っていて、ぐちゃぐちゃに絡まっていた。ひとつずつ分けていかないと、全部が「好きだったから」で片づいてしまう。傷も痛みも全部「好きだったから」で片づけようとしてしまう。本当はそんなのいやだった。本当はちゃんとひとつずつ、あの人に見てほしかった。
経験の昇華、なんて綺麗な言葉で片付けることなんてできるわけもなかった。傷を美談にしたいわけでもなかった。ただ、夜中にノートを開き、泣きながらペンを走らせているとき、わたしは彼に手渡していた自分のコントローラーを、ようやく自分の手に取り戻している感覚があった。
好きだったことと、傷ついたことは、同時に存在していた。彼を完全に悪者にできないわたしも、それでも自分の痛みをなかったことにしないわたしも、どちらも「わたし」だった。
書くことは、わたしにとって、あの濁った沼の水にこれ以上溺れないための細い命綱だった。ただ苦しかっただけのものとして沈めてしまったら、いつまでも同じ場所で溺れ続ける気がした。
だから書いた。夜中にノートを開いて、これは好きだった、これは傷ついた、これは本当は嫌だった、と書き分けていく。その作業をしているときだけ、わたしは彼に飲み込まれずにいられた。それが、わたしの「書く」という行為だった。
もちろん、書いたからといって、全部乗り越えたわけではない。彼のSNSをすべてブロックできたからといって、完全に吹っ切れたわけでもない。もう揺れませんなんて、とても言えない。
あのテンポで、あの言葉選びで、あの温度感で話せる人なんて、この世にもう存在しないんじゃないかと思うことは、今でもある。強烈に、あの人と話したい、あの言葉を浴びたい、そう思う夜は普通にある。でも最近は、その気持ちに飲み込まれる時間が、少しだけ短くなった。
戻りたくなる夜があっても、そのまま朝を迎える日が増えた。それだけでも、わたしにとっては、ちゃんと変化だった。
わたしがどうしても置いていけなかったのは、彼という恋人ではなく、彼と一緒にいた時の自由で無邪気な自分、彼に映っていた、少し特別な、生まれて初めてわたしが好きになれた「わたし」なのかもしれない。
彼がいない日にも、わたしの朝は来る。
秋田に住む友だちに教えてもらって買ってきた「サキホコレ」を炊いて、炊きたてのほかほかごはんを食べる。ハーブの香りがふんわりする洗顔料で泡をもこもこに立てて、顔を洗う。窓を開けて、実が大きくなり始めた梅の木を眺めながら外の空気を吸う。改めて練習し直している英語で、言語交換アプリで知り合ったブラジルの友人に日本語を教えながら話す。頼まれた仕事を、ちょっと渋りつつ、長い付き合いだしなあと思いながら受けて、期日までに仕上げる。実家から持ってきたオリーブの鉢に水をやる。いつの間にか新しい葉が出ていた。
そんな当たり前のわたしの日々を、もう彼の沈黙に奪われたくなかった。彼を待ってしまう日にも、わたしまで止まらない。また彼の方へ流れてしまったら、少しだけ自分の方へ戻す。
戻ってしまったら、また戻ってくればいい。何度でも。
そうやって、沼の底で、わたしは少しずつ、自分のかけらを拾った。キラキラしているものも、ざらざらしているものも、ひとつずつ。
忘れるためではなかった。嫌いになるためでもなかった。
わたしが、わたしのままでいるために。彼が戻っても戻らなくても、自分を見失わないために。そのために、わたしは書いた。
そして今も、こうして書いている。